城の入口付近、そして下の駐車場の十二神将の他にも
知られざる祥雲作品がたくさん隠れていました。
[画像:p.jpg]
場所は、城の右側、ドールコレクション館の横。
雑草に覆われてほとんど見えない中、数々の仏神像が安置されていたのです。
毘沙門天、達磨+小鬼2体、不動明王+童子2体、弘法大師、十二神将の残り1体、
童子、誕生釈迦、鹿に乗った老師、
さらにその奥の駐車場跡には、粗大ゴミに混じって
聖徳太子+2体の童子像が。
どれも茶褐色一色で塗られ、至極まっとうな神仏彫刻といった趣でした。
前編でご紹介したものと合わせて、ここには
実に42体の祥雲作品が現存することが判明しました。
[画像:taisi.jpg]
が、大半がほぼ人目につかない上、あわれ粗大ゴミ状態のものも。
駐車場の隅の十二神将もかなりうら寂しい扱いでしたが、
上の太子像らは、それに輪をかけた冷遇っぷりで涙を誘います。
うぅむ。どれか一体でもいいから
引き取れないもんでしょうか・・・?
祥雲作品極東の地・熱海城へ行ってきました。
祥雲ウォッチャー的に最大のチェックポイントは、天守閣の金のシャチホコ。
コンクリート塑像で一時代を築いた(?)祥雲さんが遺した
一般公開されている中ではおそらく唯一の金属作品です。
得意のコンクリート以外で、施設のシンボル制作の発注があったことからも
祥雲さんが造型家として評価されていたことがうかがえます。
その他にも、館内の大きな恵比須・大黒像や、入口横の宝船、
天守閣下駐車場に半ば打ち棄てられている十二神将など、
数々の作品が見られました。
ここで驚かされたのは、駐車場入口付近の達磨大師像。
[画像:atamijodaruma.jpg]裏に銘が彫られており、
「念力作 祥雲 八五才 俊子 七四才 一九七五年 三月」
とあるのです。祥雲さんが亡くなったのは数え年88才の1978年。
その3年前の作品なんです。
筆者が知る限り最も晩年の作品で、まさに仏像彫刻に生涯を捧げた
その仏師魂が念力のごとく注入された一品と言えるでしょう。
そして横に刻まれた「俊子」さんとは奥様のこと。
祥雲さんは、11歳年下で体の弱かった奥様を大変大事にされていたそうで
そんな愛妻家の一面が最期の作品に刻まれているところに
明治男の愚直でまっすぐな人柄が偲ばれます。
さてさて、このあたりまでは、ディープな祥雲ファンの間では
知られているものなのですが、驚くべきことに、熱海城には
まだまだ多くの祥雲作品が隠されていたのです・・・!(つづく)2013年6月
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
30 |
最近のブログ記事
月別 アーカイブ
- 2013年5月 (1)
- 2013年2月 (1)
- 2012年10月 (1)
- 2012年9月 (1)
- 2012年4月 (1)
- 2011年11月 (1)
- 2011年10月 (1)
- 2011年8月 (1)
- 2011年7月 (2)
- 2011年4月 (1)
- 2011年3月 (1)
- 2011年2月 (2)
- 2010年12月 (2)
- 2010年11月 (3)
- 2010年10月 (5)
- 2010年9月 (1)
- 2010年6月 (1)
- 2010年5月 (2)
- 2010年4月 (3)
- 2010年3月 (3)
- 2010年2月 (3)
- 2010年1月 (2)
- 2009年12月 (4)
- 2009年11月 (3)
- 2009年10月 (4)
- 2009年9月 (4)
- 2009年8月 (2)
- 2009年7月 (2)
- 2009年6月 (4)
- 2009年5月 (5)
- 2009年4月 (8)
- 2009年3月 (6)
- 2009年2月 (6)
- 2009年1月 (2)
- 2008年12月 (1)
- 2008年11月 (2)
- 2008年10月 (3)
- 2008年9月 (4)
- 購読する このブログを購読