2009年7月アーカイブ

さて、熱海城ですが、比較的知られている城内の大黒&恵比須様や

城の入口付近、そして下の駐車場の十二神将の他にも
知られざる祥雲作品がたくさん隠れていました

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場所は、城の右側、ドールコレクション館の横。
雑草に覆われてほとんど見えない中、数々の仏神像が安置されていたのです。
毘沙門天、達磨+小鬼2体、不動明王+童子2体、弘法大師、十二神将の残り1体、
童子、誕生釈迦、鹿に乗った老師、
さらにその奥の駐車場跡には、粗大ゴミに混じって
聖徳太子+2体の童子像が。
どれも茶褐色一色で塗られ、至極まっとうな神仏彫刻といった趣でした。

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前編でご紹介したものと合わせて、ここには
実に42体の祥雲作品が現存することが判明しました。

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が、大半がほぼ人目につかない上、あわれ粗大ゴミ状態のものも。
駐車場の隅の十二神将もかなりうら寂しい扱いでしたが、
上の太子像らは、それに輪をかけた冷遇っぷりで涙を誘います。


うぅむ。どれか一体でもいいから
引き取れないもんでしょうか・・・?



祥雲作品極東の地・熱海城へ行ってきました。

祥雲ウォッチャー的に最大のチェックポイントは、天守閣の金のシャチホコ

コンクリート塑像で一時代を築いた(?)祥雲さんが遺した

一般公開されている中ではおそらく唯一の金属作品です。

得意のコンクリート以外で、施設のシンボル制作の発注があったことからも

祥雲さんが造型家として評価されていたことがうかがえます。


その他にも、館内の大きな恵比須・大黒像や、入口横の宝船、

天守閣下駐車場に半ば打ち棄てられている十二神将など、

数々の作品が見られました。


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ここで驚かされたのは、駐車場入口付近の達磨大師像。

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裏に銘が彫られており、

「念力作 祥雲 八五才 俊子 七四才 一九七五年 三月」

とあるのです。祥雲さんが亡くなったのは数え年88才の1978年。

その3年前の作品なんです。


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筆者が知る限り最も晩年の作品で、まさに仏像彫刻に生涯を捧げた

その仏師魂が念力のごとく注入された一品と言えるでしょう。

そして横に刻まれた「俊子」さんとは奥様のこと

祥雲さんは、11歳年下で体の弱かった奥様を大変大事にされていたそうで

そんな愛妻家の一面が最期の作品に刻まれているところに

明治男の愚直でまっすぐな人柄が偲ばれます。

さてさて、このあたりまでは、ディープな祥雲ファンの間では

知られているものなのですが、驚くべきことに、熱海城には

まだまだ多くの祥雲作品が隠されていたのです・・・!(つづく)

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