時代と背景 化政時代の文化
出版や教育の普及による庶民文化の発展
寛政の改革による厳しい統制のもと、人々は自由な文学や芸能、絵画を求めました。その後の幕政の緩和のなかで、新しい表現は容認され、そして加速していきます。
寺子屋(てらこや)などによる教育が普及するとともに、文学と出版の文化が華を咲かせます。小説では、滑稽本(こっけいぼん)や読本(よみほん)が愛読され、大人のマンガである黄表紙(きびょうし)は合巻(ごうかん)へと発展していきます。また、狂歌(きょうか)、俳諧(はいかい)、川柳(せんりゅう)などの詩歌も大流行しました。
地域や文化の相互乗り入れと、新ジャンルの創出
一方、歌舞伎を上演する江戸三座も寛政期は財政難に苦しんでいましたが、景気の回復によって復興を遂げ、芝居町(しばいまち)にも活気が戻りました。江戸と上方(かみがた)の間で狂言作者や俳優の交流も活発に行われるようになります。また、歌舞伎の内容が合巻としても書かれたり、読本が歌舞伎の原作になったりするような、芝居と文学の相互交流もこの時期に始まります。俳優や名所を色鮮やかに描いた版画である錦絵(にしきえ)も人気を集めます。また、芝居よりも手軽な見世物(みせもの)や寄席(よせ)が氾濫し、西洋からもたらされた蘭学(らんがく)も盛んに学ばれていきます。
この時期の文化は、文化・文政期(1804年〜1830年)を中心としたため、「化政文化(かせいぶんか)」と呼ばれました。