時代と背景 化政時代の文化
錦絵
初代 歌川豊国(役者絵) 明和6年(1769年)〜文政8年(1825年)
豊国は江戸の人形師・倉橋五郎兵衛(くらはしごろうべえ)の子で、本名は熊吉(くまきち:のちに熊右衛門)です。歌川豊春(うたがわとよはる)に入門し、16歳となった天明5年(1785年)から浮世絵を残しています。
寛政6年(1794年)に発表した『役者舞台之姿絵(やくしゃぶたいのすがたえ)』で一躍、役者絵師として脚光を浴び、東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)と競いました。人気スターのブロマイドとも言える豊国の役者絵は人気を呼びました。役者絵本の著書も多く、『役者相貌鏡(やくしゃあわせかがみ)』(享和4年[1804年])などの代表作があります。文化14年(1817年)には、役者似顔絵の描き方を指導する教則本『役者似顔早稽古(やくしゃにがおはやげいこ)』を出版しています。
歌川国貞(うたがわくにさだ)や歌川国芳(うたがわくによし)を筆頭に、優れた門人も多く、文化元年(1804年)以降、1900年頃まで、役者絵は豊国の門下である歌川派がほぼ独占していました。