時代と背景 化政時代の文化

読本

山東京伝 宝暦11年(1761年)〜文化13年(1816年)

「江戸花京橋名取京伝」
山東京伝の肖像

深川木場に生まれ、江戸の京橋(現在の中央区銀座1丁目)で育ちました。京橋が江戸城の紅葉山(もみじやま)の東にあったのでそれに因(ちな)み「山東」、通称の京屋伝蔵(きょうやでんぞう)を縮めて「京伝」と名乗りました。町人出身の「江戸っ子」の戯作者(げさくしゃ)でした。天明5年(1785年)の黄表紙(きびょうし)『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』、天明7年(1787年)の洒落本(しゃれぼん)『通言総籬(つうげんそうまがき)』は、それぞれのジャンルを代表する作品です。
寛政3年(1791年)、改革による弾圧によって、遊廓(ゆうかく)の情景を綿密に描いた洒落本『錦之裏(にしきのうら)』『仕懸文庫(しかけぶんこ)』『娼妓絹篩(しょうぎきぬぶるい)』の3作品が絶版を命じられるとともに、自身も手鎖(てぐさり)五十日の刑を受けました。
合巻では初代歌川豊国(うたがわとよくに)と提携して、人気役者の似顔絵を用いる歌舞伎仕立ての様式を確立しました。鶴屋南北をはじめとして、歌舞伎の作者にも大きな影響を与えました。歌舞伎に題材を取った読本に『(復讐奇談)安積沼([ふくしゅうきだん]あさかのぬま)』『桜姫全伝曙草紙(さくらひめぜんでんあけぼのそうし)』『昔話稲妻表紙(むかしがたりいなずまびょうし)』などがあります。

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