時代と背景 化政時代の文化

滑稽本

式亭三馬

式亭三馬 安永5年(1776年)〜文政5年(1822年)

『浮世風呂』前編
男湯における「朝湯の光景(ありさま)」が
描かれています

江戸・浅草田原町の家主(いえぬし:大家)で版木師(はんぎし)を職業とする父のもとに生まれた三馬は、若い時期から書肆(しょし:本屋)に奉公していました。そして、寛政6年(1794年)には19歳で処女作の黄表紙(きびょうし)『天道浮世出星操(てんとううきよのでづかい)』を発表。文化3年(1806年)には、当時流行の敵討物(かたきうちもの)の『雷太郎強悪物語(いかずちたろうごうあくものがたり)』発表し、それ以降の合巻(ごうかん)の潮流を作っていきました。
洒落本(しゃれぼん)や黄表紙、合巻も手がけた三馬ですが、最も評価されたのは滑稽本でした。文化3年(1806年)に『戯場粋言幕之外(けじょうすいげんまくのそと)』や『酩酊気質(なまえいかたぎ)』を発表したのを皮切りに、次々と作品を発表。代表作の『浮世風呂(うきよぶろ)』(文化6年〜10年[1809年〜1813年])や『浮世床(うきよどこ)』(文化10年〜11年[1813年〜1814年])では、銭湯や髪結い床に集まる人々の日常をリアルに描写しました。

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