Q. 調理の専門学校を卒業した後の、将来像が漠然としています...。|Questions(クエッションズ)│辻調グループ - 食のプロを育てる学校
活躍する卒業生への質問
まだ卒業後の進路が、漠然としています...
具体的な夢や目標がないとダメですか?
憧れがきっかけに
なることもあると思うんです。
株式会社セブンスイノベーション 代表取締役/中国菜 エスサワダ 総料理長
高卒後フリーターに、近所の中華料理店のバイトで料理の面白さにハマる
「料理の経験はゼロでしたが、仕込みで庖丁を使い始め、見よう見まねでまかないの料理もつくるようになると、自分的にはお店で出しているものよりもおいしく感じたんです (笑)」
大阪の『辻󠄀調理師専門学校』へ進学、和洋中を1年で学ぶ
「自分で働いて準備した学費。全額自分で支払っている以上、もとを取らないと...というつもりで通っていました(笑)。中国料理以外も学べ、それぞれ味わえたのも、後に生きてくる良い経験になりました」
安定を重視しホテルへ就職、2年半勤務する
『スタンフォードホテル香港』で研修、積極的に働きかけ多彩な指導を受けられる
「日本人だからという壁を取り払おうと、翌日話したい文章を事前に学習した中国語であらかじめ考え、教えてもらいたいという姿勢で積極的に示したのも良かったようで、皆さん親切に指導してくれました」
名古屋店のオープンを控えた香港『福臨門酒家』の門を叩く
帰国後は『福臨門酒家』名古屋店のオープニングスタッフに。基本、調理自体は中国人が行うため、まな板の担当となったが、鍋を振りたいとアピールしたところ、任せてもらえる機会にも恵まれた。
東京の『火龍園』を経て、『グランドハイアット東京』の2番手へ
次に移った『グランドハイアット東京』は、勤務歴の長い人たちばかりで、ポジションをとるのにひと苦労。『やれば必ず認められる』ということを信じて、とにかく人一倍頑張ってやりたい仕事も任せてもらえるようになりました。とことんやれば、自分の成長にもなるし、居心地も良くなる。それって本気でやれば、期間の問題じゃないんですよね」
『ジョーズシャンハイニューヨーク』グランフロント大阪店の料理長へ
「支店とはいえ、コース料理は全部自分で考えられ、人を動かす経験も積めたので勉強になりました」
中華旬菜サワダをオープン、1年足らずでミシュラン一つ星を獲得する
開店後、自身の感性で展開していった新しい中国料理の世界が評価され、わずか1 年足らずで日本版ミシュランガイドで一つ星を獲得。大阪にある街場の中国料理店では唯一の快挙だった。
大阪・東京に多角的に店舗展開、人材育成に注力し、テレビ出演を通じて食の世界への憧れを広めている
「料理人をめざすのって、『かっこいい』『自分もこうなりたい』といった憧れがきっかけになることも多いと思うんですよ。それもメディアに出る理由の一つです。成功すれば、一流企業をも超えられるのがこの世界。やった成果もわかりやすいうえ、お金をもらって人に喜んでもらえ、お客様の笑顔も見られる。さらには生産者の応援もできる。素晴らしい仕事だと実感しています」
仕事というより、ライフワーク的に楽しんだ方がいい
Kabi オーナーシェフ/オーナーソムリエ
フランス校への進学を念頭に進学。
フランスで修業した父親が営む地元のレストランで、小学生から手伝うようになり高校卒業後は父の勧めるエコール 辻󠄀 大阪へ(2011年業)
「印象深かったのは、フランスの歴史の授業。音楽も大好きなんで、芸術との関わりや、こんな流れがあって今こうなってるっていうルーツを探れるのが面白かったです」(安田さん1991年岡山県生まれ)
フランス校での学びは、その後の基盤づくりに。
リヨンの外れにある五つ星ホテル『ロトンド』のレストランで研修。肉料理やスペシャリテ(看板メニュー)を扱うセクションを任され、飛躍的に成長した。卒業後は、今やミシュランガイドで二つ星を獲得している大阪のフランス料理店『ラ・シーム』に就職。忙しく働くなかで、「基礎中の基礎は自然と身についた」と振り返る。(安田さん)
ワインの説明と英語力をレベルアップしたい。
「大使館の多いエリアで、英語も話せるようにならなければと痛感しました。ワインの説明も、つくるところから学んで実感を込めたいと思い、世界一のワインの大学を調べ、英語圏にあるカリフォルニア大学デービス校に留学したんです」(江本さん)
一つ星獲得に貢献、そしてデンマークへ。
「フランス料理がベースだったんですが、シェフの修業先だった北欧のエッセンスが入っていて面白かったんですよね。その頃の話を聴いているうちに、自分も学んでみたいと思うようになり、デンマークの星付きレストラン『カドー』へ研修に行ったんです」(安田さん)
「デンマークはめちゃくちゃ冬が長いんです。だから春や夏に野山で積んだ山菜なんかをピクルスにして冬に食べたりして。そういうのが日本人の感覚にも近くて面白く、日本から送ってもらった材料でぬか漬けや味噌をつくって料理に応用していたんですよね。そういった経験を重ねるにつれ、日本で店をやりたいと思うようになって、帰国しました」(安田さん)
生まれ育った環境も、ベースとなる経験も近い二人が意気投合し、共同経営へ。
「だけど東京で開くにも、仕込みをするのも家だったし、セラーもないからワインもため込めない。そろそろ場所がほしいなと探していたら、隣のワインバーのオーナーがここを紹介してくれて。全部ノリで決めました」(安田さん)
せっかくの人生、仕事というより、ライフワーク的に楽しんだほうがいい。
「彼が考える味の組み合わせも、すごく好きなんですよね。環境や経験のベースが近いから、材料を見たら、どう仕上げたいかスッと入ってくる。それをもとにドリンクのペアリングを考えるのも面白いし、自分が使いたいもの、つくりたいカクテルに合わせてもらうのも楽しい」(江本さん)
好きなことをしたいっていうハングリー精神。
「飲食って好きじゃないと上にも行けないと思うんですよ。『やらされている』って感覚があると、いいところまで昇れない。せっかくの人生、好きなもののために使うなら、仕事というより、ライフワーク的な考え方で楽しんだほうが良くないですか? 『好きなことをしたい』っていうハングリー精神は失わず、突き進んでほしいですね」(江本さん)
好きなものを追いかけ続けてきたことが、
すべて今につながっている。
家政婦・料理人
大学進学と比較して、好きなことを探求できる専門学校を迷わず選択。
いざ入学してみると、初めて食べたフランス料理に心を奪われた。
「高級なイメージを覆すほっとする味で、こんな素朴な一面もあるんだと、フランス料理との距離がぐっと縮まりました。日本料理と同じく、周辺の歴史や文化も面白くて...。高校までの勉強は嫌いだったのに、知りたい気持ちがかきたてられてフランスに関する本を読み漁り、バイトをしながらフランス語も習いに行きました。当時はすべてが楽しくて新鮮。取りつかれたように、はまっていきました」
フランス校へ。しかし周囲のレベルが高く、まったくついていけない。
その甲斐あって、三つ星『ジョルジュ・ブラン』の研修生に選ばれる。
フランス人宅を訪れて食べた家庭料理に心惹かれる。
帰国後上京し、自分が心から「ここで働きたい」と思えるところを探す。
「そのガツンとした料理に、すごく衝撃を受けたんですよ。料理から出てくるシェフのパワーみたいなものが、今まで食べた感じと全然違って、『絶対ここに就職したい』と。最初は雇わないと言われたんですが、料理に対する思いを話しているうちに、『お前だったらできるかもしれない』と受け容れてもらいました」
シェフの料理や考えに傾倒。フランス文化についても貪欲に学んだ。
「3年は絶対に辞めないと決めていたんです。だけどそれを過ぎたとき、糸が切れたようになってしまって。すごく悩んだ末に、退職を願い出ました」
一旦アルバイトで繋ぐも、その経験が後に役立つ。
「フランス料理をやるつもりで学んできたのに、『何をやっているんだろう』と思っていましたが、今になるとその経験が役立っています。限られた条件下で何を大切にするべきか、勉強になりました」
就職活動を再開し、感銘を受けた高田馬場のビストロへ。
仕事で多忙な生活にもかかわらず、休日には、朝美術館に行って、午後からフランス語のレッスン、夕方映画を見て、食べ歩きにも行く。
勉強したいことは山ほどあるのに時間がない。
「本当に申し訳ないことをしました...。10年間のすべてだったのに、こんな辞め方をしなきゃいけなかったのは自分でもショックでしたが、思いが強すぎるあまり空回りしてしまって、当時はそれしか選べなかったんです」
焼き鳥店でのアルバイトで出会ったフランス人、ロマンさんと結婚
「今までの経験が活かせ、勉強できる時間をもてる仕事はないだろうかと職を探しました」
こうして2015年、家政婦になることを決意し、家事代行マッチングサービスに登録。しかし依頼の中心は掃除。当初はジレンマを感じることもあったという。
フランス家庭料理への思いから、"伝説の家政婦"と呼ばれるように。
自分の想いと勉強してきたことが形になった。
一生懸命やっていれば必ず形になるはず。
おいしいものを提供して喜ばれるのがうれしい
という感覚を持ち続ける。
株式会社パピーユ 料理ディレクター
製菓を学んだあと、料理も学んで即戦力になろうと、調理師専門学校へ進学。
入学すると、これまでにないほど真面目にノートをとり、学ぶことを楽しんだ。授業中の教壇はすでに職場のようで、プロ同士の仕事を目の当たりにしたと振り返る。
お菓子の道と迷うが、辻󠄀調での体験から、フランス料理の道を選択。
大箱で重ねた経験が、技術の基盤。数をこなさないと、理想の質には到達できない。
「仕事漬けの毎日でしたが、せっかくなら言われる前にできるようになろうと、日々がむしゃらに頑張っていました。一人で100人前を担当するのが当たり前のような大箱で重ねた経験は、私の技術の基盤。数をこなさないと、理想とする質には到達できないという考えのもとにもなっています。一流と言われる方たちも皆、過去には壮絶な数を経験されていますからね」
東京でも仕事をしてみたいと希望を出し、六本木の『テロワール』に異動。
南仏の食材に興味を持ち、プロバンスのレストランへ。
「南仏の食材に魅力を感じていたんですよね。履歴書を送ったなかで、一番いい返事をくれたのが、このお店でした。オーナーシェフと3人だったので、仕事はなんでもやらせてもらえたんですが、バカンスの時期はものすごく忙しくて。かなり鍛えられましたし、現地の人が普段食べている食文化も体験でき、いい勉強になりました」
現地での経験を経て、フランス以上にフランスを感じる、熱いレストランへ。
「海外ゲストもガンガン来るし、異言語が飛び交うし、ヨーロッパの香りが濃厚。大人の遊び場みたいなお店で、フランスにいたとき以上にフランスのエスプリ(精神・機知)や料理人魂を学べました」
飲食店のライブ感が味わえて、楽しく過ごす。
ソムリエの資格を取得し、1日1組限定のレストランをオープン。
「たまたまいろんな話が重なって、お店をやることになったんですよね。1日1組のレストランなんて、名だたる料理人が最後にやる形態だと思っていたんですが...。お庭を見ながら食事ができる一軒家のダイニングが素敵すぎたので、この空間を楽しんでもらおうと、営業時間も決めず、料理もサービスも全部自分でやることに。目標がないと頑張れないので、1,000組を集客したら閉店すると決めて始めました」
自由に時間が使えるようになったことで、国内外の生産者を訪ねるように。
生産者とお客様をつなぐ催しも数多く開催。
尊敬できる料理人やソムリエと力を合わせたことで、チームで働く喜びを実感。
「また東京で呑みましょうという話になり、実現したときに言われたのが『東京に進出したいから一緒に働いてくれないか』という言葉でした。心身ともに出し切った感があり、閉店したら旅をしようと考えていたんですが、しばらく一人だったのでチームでの仕事がしたくなっていたんです」
『FUJIMARU 浅草橋店』の立ち上げに力を尽くす。
目標を達成し『レストラン マナ』を閉店した2013年、株式会社パピーユに入社。ワインショップ&ダイナー『FUJIMARU 浅草橋店』の立ち上げに力を尽くした。
1年4ヵ月の産休を経て北九州市を拠点に仕事を継続。
翌年4月に復帰し、現在は福岡県北九州市で暮らしながら仕事を続けている。
0歳児を抱っこしながら全国をめぐる。
"好き"を見つけて、大事にできることは、生きていくうえでとても大切。
「喜んでもらえた笑顔を見ると、やめられないなと常に思います。"好き"を見つけて、大事にできることは、生きていくうえでとても大切。忙しくなりすぎると悩む人もいますが、そんなときに思い出してほしいのが、もともと自分は何が好きだったのかという原点です」
好きがあふれ、「あれもこれもやりたい」というのは全然いいと思う。
辻󠄀調で学んだことで今につながっていることは何ですか?
株式会社セブンスイノベーション 代表取締役/中国菜 エスサワダ 総料理長
1年間で和洋中が学べる辻󠄀調で、中国料理以外に日本料理や西洋料理もそれぞれ味わえたのは、後に生きてくる良い経験になりました。
Kabi オーナーシェフ
僕の場合、知りたかったら自分から訊いてきたし、『全部やってやろう』と思ってこれまでやってきたし。だからこそ、最初にクラシカルなフランス料理の基本を学んでおいたのは、今でも本当に良かったと思っていますよ。アレンジするにも、ベースはあったほうがいい。5歳の息子も料理人になりたいって言っているけど、まず母校へ入れようと思ってるし(笑)
家政婦・料理人
辻󠄀静雄前校長の著作を入学当初から何度も読み返し、"文化も含めたフランス料理"に対する考え方に魅了されました。『フランスってこうなんだ』とワクワクし、イメージするだけで楽しかったです。
株式会社パピーユ 料理ディレクター
材料を渡すタイミングが悪かったり、仕込みが悪かったりすると、教授から助手の先生へ厳しく指導が入るんですよ。それがすごくリアルで痺れました。各ジャンルのプロの先生方がそろっていたのは、思い返しても貴重。
当時のノートは、いまだに愛用しています。何回めくっても発見があるし、クラシックと呼ばれるものたちには色あせないものがある。具体的な知識を細かく教えてくれた学校に感謝しています。授業で素晴らしい食材を惜しみなく使っていたのもありがたかったです。知っていれば、選択できるようにもなりますからね。
オープンキャンパス
東京・大阪
全国各地の出張相談会
オンラインでも開催
2024年入学
辻󠄀調のオープンキャンパスで感じたのは「授業の中での情報量の多さ」です。お菓子作りの実習の中で「なぜ、シュークリームは膨らむのか?」を説明する時にも、「生地の水分が蒸発する」だけじゃない理由を教えてくれます。2年間でどれだけ成長できるか?と考えた時に、この情報量の違いは大きいなと感じました。
2024年入学
地元で開催された辻󠄀調の体験実習には10回くらい参加しました。ただ見て学ぶだけではなく、これがなぜ起きるか?その理由を詳しく教えてくれて「もっと知りたい、面白い」と思いました。普段、ネットで調べて動画を見ながらモヤモヤしていたことが、目の前で実際に手を動かしながら教えてもらうと全然違うと感じました。
2024年入学
辻󠄀調のオープンキャンパスで、先生と生徒の間の「信頼関係」を感じました。辻󠄀調の学生の方が実習で先生をサポートする様子に、上下関係はありつつも距離感の近さがあって、暖かい雰囲気を感じました。お菓子作りが好きで、お菓子を届けたいっていう想いに溢れた場で、技術だけじゃなくて、人としても成長できそうな学校だと思いました。
2024年入学
中学高校の机に座って聞くだけの授業は苦手でした。辻󠄀調では、座学の講義でも試食があって、匂いや味を感じながら、理論や根拠を教えてくれるので、記憶に残ります。オープンキャンパスでは一人一台の調理台で、基本的な知識から教えて頂きましたが、こちらが質問したら、先輩方からも先生からもしっかりとした答えが帰ってくるのがすごいなと思いました。
2024年入学
辻󠄀調の先生は、技術の高さと知識量はもちろん、料理の説明の仕方がわかりやすくまとまっていたり、実際目の前で調理をしている時でも、お客様との対話の仕方のレベルの高さをすごく感じました。たまたま理事長とお話しする機会があったのですが「フレンチやイタリアンは、一皿目、二皿目の独創性がすごく肝心」という言葉を頂いて、それも初めて知った感覚で、学校全体の「教える」ということのレベルの高さを感じました。