電気の史料館バーチャルツアー|東京電力

  • 日本人と電気の出会い

    日本人と電気の出会い

    水力発電と長距離送電のはじまり

    水力発電と長距離
    送電のはじまり

    電気の科学

    電気の科学

    火力発電による電力供給網の誕生と発展

    火力発電による電力
    供給網の誕生と発展

    広域供給網の形成

    広域供給網の形成

    2F
    プロローグ

    プロローグ

    ネットワークの形成と運用

    ネットワークの
    形成と運用

    電気と社会

    電気と社会

    原子力発電の歩み

    原子力発電の歩み

    電源の多様化とベストミックスの推進

    電源の多様化と
    ベストミックスの推進

    発電所の大容量化・高効率化

    発電所の大容量化
    ・高効率化

    1F
    バーチャルツアーの使い方
    プロローグ
    1887年に東京電燈が日本橋南茅場町の第二電燈局(発電所)を運転開始し、日本初の電気の一般供給が開始されました。1882年にエジソンがロンドンとニューヨークで世界初の電気事業を開始してから、わずか5年後のことでした。電灯から始まった電気の利用は、機械などを動かすエネルギーをはじめ、利便性や生産性を向上させるさまざまな用途に拡大し、社会に不可欠なインフラとなっていきました。その過程では画期的な技術革新に挑戦し、また絶え間ない電気供給のため日々懸命に働いた人々がいました。電気の史料館は、こうした先人たちの努力やチャレンジ精神を伝え次代に継承していくことを目的として2001年に開館しました。電気の供給に寄与してきた実際の史料を通じてこれらを感じ取っていただければ幸いです。
    展示コーナー切り替え
    閲覧中の展示
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    火力発電による
    電力供給網の誕生と発展
    皇居正門石橋飾電灯皇居正門石橋飾電灯
    皇居正門石橋飾電灯
    皇居正門石橋飾電灯
    展示コーナーのフロア範囲
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    2F
    プロローグ
    プロローグ
    展示コーナー「プロローグ」
    皇居正門石橋飾電灯
    皇居正門石橋飾電灯 皇居正門石橋飾電灯
    皇居正門石橋に設置されていた飾電燈です。正門石橋は、1887(明治20)年に木製の橋から石橋に架け替えられたものですが、飾電灯は後から取り付けられました。飾電灯の設置時期は明確には分かりませんが、1888(明治21)年から1889(明治22)年の間に設置されたものと推測されます。電燈の設置工事は東京電力の前身である東京電燈が実施し、電気は麹町の第一電燈局から送電されました。1986(昭和61)年の設備更新に際して宮内庁より東京電力に譲渡されました。
    映像解説(YouTube)
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    ネットワークの形成と運用
    1887(明治20)年、東京電燈が日本初の電力供給を開始。それは、小さな発電機と配電盤、配電線などの単純な構成でした。そして、効率よく、途切れることなく電気を送り届ける電力ネットワークは、社会の発展に対応して大きく変貌し、拡大していきました。ここでは、電力ネットワーク発展の歴史をたどるとともに、それを支えてきた数々の技術を紹介しています。
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    ネットワークの形成と運用
    第一電燈局復元モデル第一電燈局復元モデル
    第一電燈局復元モデル
    第一電燈局復元モデル
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    2F
    ネットワークの形成と運用
    ネットワークの形成と運用
    展示コーナー「ネットワークの形成と運用」
    第一電燈局復元モデル
    第一電燈局復元モデル 第一電燈局復元モデル
    東京電燈第一電燈局を数少ない写真と史料を元に復元したものです。
    発電機はブラッシュ社製で、皇居の周りの街灯として使われたアーク灯に電力を供給するために使用されました。当時の配電盤を復元していますが、これは刻々と変化する発電機の発電量などを監視するためのものです。
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    電気と社会
    明治〜昭和初期は、電気の利用技術とその安全な利用のための配電技術が発達した時代でした。家電製品が急速に普及し、戦前はラジオに、戦後には電気洗濯機や冷蔵庫などに、一般の人々が親しみました。このコーナーでは、暮らしや産業、都市環境などの発展を支えた明治期からの電気利用技術と、お客さまの最も身近なところで停電時間の短縮や、より安全な電気利用のために努めてきた配電技術の歩みを紹介しています。
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    電気と社会
    電気自動車電気自動車
    電気自動車
    電気自動車
    三種の神器三種の神器
    三種の神器
    三種の神器
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    2F
    電気と社会
    電気と社会
    展示コーナー「電気と社会」
    電気自動車(ベイカーエレクトリック)
    電気自動車(ベイカーエレクトリック) 電気自動車(ベイカーエレクトリック)
    電気自動車は19世紀末に登場したものの、当初は鉛蓄電池を使用していたため、重量が重い、持続時間が短い、充電に時間がかかるなどの短所がありました。
    そこで、エジソンが蓄電池の改良を始め、20世紀初頭にニッケル箔を電極に利用したアルカリ蓄電池を発明しました。アルカリ蓄電池は軽量で持続時間が鉛蓄電池の2倍もあり、これを搭載した電気自動車は1回の充電で160km走行することができたといわれています。電気自動車は、蒸気自動車やガソリン自動車よりも運転が簡単で、騒音や振動が少なく、排気ガスも出さないという特徴から、貴婦人たちの乗り物として好評を博しました。
    映像解説(YouTube)
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    展示コーナー「電気と社会」
    三種の神器
    三種の神器 三種の神器
    昭和30年代以降の高度経済成長は、人々の生活を豊かにし、空前の家電製品ブームを起こしました。洗濯機、冷蔵庫、白黒テレビは「三種の神器」といわれ、量産が開始されました。
    映像解説(YouTube)
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    原子力発電のあゆみ
    1963(昭和38)年、日本で最初の原子力発電に成功して以来、化石燃料を使用しない原子力発電は、長期的な安定供給が可能な発電方式として電力のベースロード供給の担い手となりました。その後、次々に原子力発電所が建設され、2010(平成22)年には電源構成の約30%を占めるまでになりました。改良型軽水炉の開発など、さらなる安全性・信頼性の向上を目指してきましたが、2011(平成23)年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による福島第一原子力発電所の事故を受け、原子力発電を取り巻く社会環境は大きく変化しました。
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    原子力発電のあゆみ
    エンジニアリングモデルエンジニアリングモデル
    エンジニアリングモデル
    エンジニアリングモデル
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    2F
    原子力発電のあゆみ
    原子力発電のあゆみ
    展示コーナー「原子力発電のあゆみ」
    エンジニアリングモデル
    エンジニアリングモデル
    1980年代に柏坂刈羽原子力発電所第2号機および3号機(MARKII 改良型原子炉格納容器)内のプラント配置設計用のエンジニアリングモデルとして製作されたもので、設計から工事まで幅広く利用されました。実物の1/10の縮尺で制作されています。原子力プラントは膨大な量の機器や配管が立体的かつ複雑に配置・構成され、その設計には多数の要素を考慮しなければなりません。効率よく機器配置することはもちろん、運転や保守点検のためのスペースを確保し、さらには建設工事の手順や効率も考える必要がありました。このように複雑なプラント設計作業をスムーズに進めるため、複数の図面を重ね合わせる方法から、立体模型を制作して検討する方法へと変化していきました。現在では、CAD技術に置き換えられています。
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    電源の多様化とベストミックスの推進
    2度にわたるオイルショックや大気汚染の深刻化に伴い、1970年代は電気事業を取り巻く環境が大きく変化しました。また、エアコンの普及などにより夏期の電力消費が増え、夏期ピークが先鋭化するなどの問題点も顕在化してきました。そこで、従来の石油依存度の高い構造から脱却するためLNG火力、原子力、揚水式水力など電源の多様化に取り組み、それぞれの電源の特長を生かし、国際的なエネルギー情勢や需要変動に柔軟に対応できる最適な電源構成「ベストミックス」の実現に向けて歩み始めました。また、戦後一貫して増大し続ける需要に対し、ネットワークの高電圧・大容量化、そして高い信頼度確保のため、超高圧送変電技術が導入されました。
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    電源の多様化とベストミックスの推進
    遮断器の変遷遮断器の変遷
    遮断器の変遷
    遮断器の変遷
    500kV送電線500kV送電線
    500kV送電線
    500kV送電線
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    電源の多様化とベストミックスの推進
    電源の多様化とベストミックスの推進
    展示コーナー「電源の多様化とベストミックスの推進」
    遮断器の変遷
    • 碍子型油遮断器
    • 空気遮断器
    • ガス遮断器
    • ガス絶縁開閉装置
    開閉装置とは、ひとことでいえば電気を入れたり切ったりする大型のスイッチで、遮断器・断路器・ガス絶縁開閉装置などの総称です。開閉装置は変電所や発電所に設置されていて、系統の切替えや電力潮流の配分調整、事故箇所や保守点検箇所の切離しを行う、とても大事な役割を担っています。
    戦前から戦後にかけての遮断器は、殆ど1番奥にある油入遮断器でしたが、1950年代後半に大容量で、素早く遮断することのできる隣の空気遮断器が開発されました。そして、1970年代に入ると、コンパクトかつ低騒音で、保守性に優れたガス遮断器が主流となってきました。
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    展示コーナー「電源の多様化とベストミックスの推進」
    500kV送電線
    500kV送電線
    500kV(50万V)の送電線で、V型をした碍子に送電線が吊り下げられている形状になっています。これは送電線の横揺れを少なくして鉄塔構造をコンパクト化できる特徴があります。送電線にはアルミが使われており、かつて使われていた銅と比較して重さが軽く、価格も安くなります。ただ、電気の通りやすさは劣ります。加えて、やわらかいため、中心に鉄を入れて強化しています。
    電気の史料館では500kV新いわき線(1988年運転開始)に使用されているものと同一設計のものを展示しています。
    映像解説(YouTube)
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    発電所の大容量化・高効率化
    明治〜昭和初期は、電気の利用技術とその安全な利用のための配電技術が発達した時代でした。家電製品が急速に普及し、戦前はラジオに、戦後には電気洗濯機や冷蔵庫などに、一般の人々が親しみました。このコーナーでは、暮らしや産業、都市環境などの発展を支えた明治期からの電気利用技術と、お客さまの最も身近なところで停電時間の短縮や、より安全な電気利用のために努めてきた配電技術の歩みを紹介しています。
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    発電所の大容量化・高効率化
    千葉火力発電所主蒸気止弁千葉火力発電所主蒸気止弁
    千葉火力発電所主蒸気止弁
    千葉火力発電所主蒸気止弁
    新東京火力発電所低圧側タービンブレード新東京火力発電所低圧側タービンブレード
    新東京火力発電所低圧側タービンブレード
    新東京火力発電所低圧側タービンブレード
    千葉火力発電所タービン発電機千葉火力発電所タービン発電機
    千葉火力発電所タービン発電機
    千葉火力発電所タービン発電機
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    発電所の大容量化・高効率化
    発電所の大容量化・高効率化
    展示コーナー「発電所の大容量化・高効率化」
    千葉火力発電所 主蒸気止弁
    千葉火力発電所 主蒸気止弁 千葉火力発電所 主蒸気止弁
    旧千葉火力発電所1号タービン発電機に使われていた主蒸気止弁(MSV)です。タービンには、流入する蒸気を制御するために主蒸気止弁、加減弁、再熱蒸気止弁、中間阻止弁などが設けられています。主蒸気止弁は流入蒸気をしゃ断してタービンを停止させるもので通常は全開で運転しています。ボイラーからの蒸気流に最初にさらされる弁であるため、温度変化によるクラック発生、ボイラースケールなどの異物の飛来による損傷防止への配慮が必要となります。
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    展示コーナー「発電所の大容量化・高効率化」
    新東京火力発電所低圧側タービンブレード
    新東京火力発電所低圧側タービンブレード
    新東京火力発電所2号機の低圧側タービンブレードです。新東京火力は、東京電力が鶴見第二火力に次いで2番目に建設した火力発電所で、1956年2月に1・2号機が運転開始しました。ベースロード電源として運用することを想定していたため高い信頼度が求められ、当時の日本における最高水準の火力発電技術が用いられました。本タービンは、当時の国産技術としては最高の蒸気条件(圧力・温度)をもつ66,000kWの衝動タービンとして設計・製造され、低圧最終段翼は231inchで、3,000rpm翼としては当時最長でした。材質にはクロム(Cr)、モリブデン(Mo)、バナジウム(V)を採用しました。
    • 【諸元】
      始: 1956年
      --: 三菱造船
      力: 66,000kW
      力: 88kg/cm2
      度: 510°C
      数: 高圧:17段 低圧:5段2流
      長: 23inch
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    発電所の大容量化・高効率化
    千葉火力発電所タービン発電機
    タービンを回す
    戦後の電力消費の急増に対処するため、アメリカGE(ゼネラル・エレクトリック)社から輸入した、当時としては世界最新鋭の大型火力発電設備です。蒸気をより高温・高圧にし、ボイラーで再加熱する方式を取り入れて熱効率の向上をはかりました。ボイラー、タービン、発電機の操作・監視を中央制御室で行う中央制御方式など、随所に新技術が導入されていました。
    映像解説(YouTube)
    詳細解説
    諸元・データ
    • 【諸元】蒸気タービン
      --: アメリカ・GE(ゼネラル・エレクトリック)社
      年: 1956年
      式: 串型複流再熱衝動型
      力: 125,000kW
      数: 3,000rpm
      度: 538°C
      力: 127kg/cm2(12.5MPa)
      力: -722mmHg(-0.096MPa)
    • 【諸元】発電機
      --: アメリカ・GE(ゼネラル・エレクトリック)社
      年: 1956年
      式: 水素冷却回転界磁型
      力: 3相 50Hz 160,000kVA
      圧: 15kV
      却: 2.0kg/cm2水素圧(0.196MPa水素圧)
      35°C冷却水
    蒸気タービン
    • 蒸気タービン(全体)
    • 高圧タービン
    • 中圧タービン
    • 低圧タービン
    蒸気タービンは蒸気が持つ熱エネルギーを機械エネルギー(回転力)に変換します。
    展示してある蒸気タービンでは、蒸気の熱を効率よく利用するため、高圧・中圧・低圧タービンに分かれ、圧力が下がるにつれて、タービンの動翼が大きくなっています。
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    発電機
    蒸気タービンで得られた機械エネルギー(回転力)を、電気エネルギーに変換します。
    内側の回転子(電磁石)と外側の固定子(コイル)で構成され、蒸気タービンによる回転が回転子に伝わることで電磁石が回転し、外側の固定子に電気が発生します。
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    1
    蒸気タービン
    2
    発電機
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    日本人と電気の出会い
    電気が最初に日本へ伝わったのは、江戸中期のことです。しかし、庶民が電気の灯りを目にしたのは、それから100年以上後のことでした。1878(明治11)年に日本ではじめて電灯が灯され、1882(明治15)年には、銀座ではじめて一般市民の目に触れました。アーク灯の放つ強烈な輝きは、人々に華やかさと希望を与える文明開化の輝きでしたが、当時主力だったガス灯に取って代わるものではありませんでした。
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    日本人と電気の出会い
    アーク灯アーク灯
    アーク灯
    アーク灯
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    2F
    日本人と電気の出会い
    日本人と電気の出会い
    展示コーナー「日本人と電気の出会い」
    アーク灯
    アーク灯 アーク灯
    日本の電気の灯はまずアーク灯から始まりました。明治時代のはじめ頃から大正時代にかけて、集会所、広場、公園、工場などの照明に広く用いられましたが、一般家庭用の照明には眩しすぎ、また、電極の調整やススの清掃など大変手間がかかるものでした。
    白熱電灯が発明され、普及していくと一般の人々の目に触れることは少なくなっていきました。
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    2F
    1F
    水力発電と長距離送電のはじまり
    世界で初めて水車が発電に利用されたのは、1878年頃のことです。日本でも1888(明治21)年から水力発電が開始されましたが、初めは小規模で、供給範囲は設置場所周辺のごく狭い範囲に限られていました。
    その後、発電所の大規模化や、交流による長距離送電技術の発達によって、遠隔地の発電所からの供給が可能になり、水力発電の開発が急速に進められました。その結果、局所的だった電気の供給範囲は大きく広がり、1912(大正元)年には、水力発電の出力が火力発電を超え、東京市内の家庭に電灯が急速に普及していきました。
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    水力発電と長距離送電のはじまり
    猪苗代第一発電所水車ランナ猪苗代第一発電所水車ランナ
    猪苗代第一発電所水車ランナ
    猪苗代第一発電所水車ランナ
    日光第一発電所水車発電機日光第一発電所水車発電機
    日光第一発電所水車発電機
    日光第一発電所水車発電機
    駒橋発電所水車駒橋発電所水車
    駒橋発電所水車
    駒橋発電所水車
    金谷ホテル自家発電設備金谷ホテル自家発電設備
    金谷ホテル自家発電設備
    金谷ホテル自家発電設備
    信濃川発電所水車発電機信濃川発電所水車発電機
    信濃川発電所水車発電機
    信濃川発電所水車発電機
    展示コーナーのフロア範囲
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    2F
    水力発電と長距離送電のはじまり
    水力発電と長距離送電のはじまり
    展示コーナー「水力発電と長距離送電のはじまり」
    猪苗代第一発電所水車ランナ
    猪苗代第一発電所 水車ランナ 猪苗代第一発電所 水車ランナ
    駒橋発電所から始まった高電圧長距離送電をさらに大規模化し、「水主火従」の到来を決定づけたのが、1915(大正4)年に完成した猪苗代第一発電所でした。猪苗代湖の豊富な水力を利用し、最大出力は37,500kW。115kVの送電電圧で東京までの226kmの送電距離はともに当時の世界有数の規模でした。水車にはドイツのフォイト社製11250馬力の横軸フランシス水車6台が採用されました。発電機はイギリスのディッカー社製の同じタイプのもので、各発電機の発電電圧は6.6kV、最大出力は9250kWでした。写真は摩耗交換された二代目で、1987年まで使用されていたものです。
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    展示コーナー「水力発電と長距離送電のはじまり」
    日光第一発電所水車発電機
    日光第一発電所水車発電機 日光第一発電所水車発電機
    1910年頃から関東地方の電気事業者は増加の一途をたどり、地方都市でも電気事業が活発に展開されるようになりました。日光第一発電所を建設した下野(しもつけ)電力は、地方都市に展開した代表的な電気事業者の1つで、同発電所は1916年に着工し1918年3月に運転を開始しました。
    この史料は1918(大正7)年の発電所竣工当時から1989(平成1)年まで使用されていたもので、今では珍しい横口水車に分類されます。当時の技術を伝える貴重な史料です。
    映像解説(YouTube)
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    展示コーナー「水力発電と長距離送電のはじまり」
    駒橋発電所水車
    駒橋発電所水車 駒橋発電所水車
    1907(明治40)年に東京電燈が山梨県北都留郡(現大月市)の駒橋に建設した駒橋発電所は、出力15,000kWの、当時としては日本最大の発電所でした。東京まで55kV、76kmの送電を行い、その後本格化する高電圧長距離送電の草分けとなりました。
    この史料は、当時使用されていた6台(うち1台は予備)の水車のひとつで、スイスのエッシャー・ウィス社製です。
    映像解説(YouTube)
    • 【諸元】
      種: 横軸フランシス双輪単流型水車
      --: スイス・エッシャー・ウィス社
      代: 1904年
      力: 1,846kW
      数: 500rpm
      差: 104m
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    展示コーナー「水力発電と長距離送電のはじまり」
    金谷ホテル自家発電設備
    金谷ホテル自家発電設備 金谷ホテル自家発電設備
    明治初期に開業した日光金谷ホテルは、数少ない本格的な西洋風リゾートホテルとして発展してきました。そして、1908(明治41)年に水力による自家発電設備を導入、電灯による照明を始めました。
    この史料は、水車がドイツのフォイト社製、発電機がドイツのジーメンス・シュッカート社製のもので、1966年に台風で水源地が破壊され使用できなくなるまで、約60年にわたりホテルへ電気を供給しました。
    水車に横軸フランシス水車を用い、水車軸を発電機に直結したタイプで、三相交流50kWを発電しました。
    (注記)日光金谷ホテルの資料展示室に昭和41年まで使用していたと記載されたパネルがあります。
    映像解説(YouTube)
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    水力発電と長距離送電のはじまり
    信濃川発電所水車発電機
    水車を回す
    1939(昭和14)年に東京電燈により建設された信濃川発電所で使用されていた水車発電機です。
    信濃川発電所は千曲川を源流とする信濃川の豊富な水を利用する水路式発電所で、5基の水車発電機により、建設当時には水力発電所としては東洋一の発電所出力145,000kWを誇りました。
    この史料は2号機で、2000年から始まった改造工事にともない取り外されたものです。この展示では、限られた展示スペースで水車発電機の全体構成を示すために、主要部分を分解加工して構造模型に組み込んでいます。
    映像解説(YouTube)
    詳細解説
    諸元・データ
    • 【諸元】水車
      --: ドイツ・フォイト社
      年: 1939年
      式: 立軸フランシス水車・単輪
      力: 39,000kW
      使量: 39.2m3/s
      数: 214rpm
    • 【諸元】発電機
      --: ドイツ・AEG社またはアルゲマイネ社
      年: 1939年
      式: 立軸回転磁界
      力: 39,000kVA
      力: 11kV
      式: 水冷熱交換器形
      差: 109.9m
    ランナ
    水車の回転部分で、流水のエネルギーを機械エネルギーに変換します。
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    発電機
    水車で発生した機械エネルギー(回転エネルギー)を電気エネルギーに変換します。
    内側の回転子(電磁石)と外側の固定子(コイル)で構成され、水車による回転が回転子に伝わることで電磁石が回転し、外側の固定子に電気が発生します。
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    主軸
    ランナの発生する動力(回転力)を発電機へ伝達します。
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    ケーシング
    • ケーシング(左側)
    • ケーシング(右側)
    • ケーシング(全体)
    ランナの周囲にある構造物で、ステーベーン、ガイドベーンを通してランナに流水を供給します。
    展示物ではカットしてあり、内部が見られるようになっています。
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    ガイドベーン
    • ガイドベーン設置部分
    • ガイドベーン(拡大)
    ランナの上流に設けられ、水を旋回流にするとともに、流量の調整に用いられる可動翼です。
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    1
    ランナ
    2
    発電機
    3
    主軸
    4
    ケーシング
    5
    ガイドベーン
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    2F
    1F
    水力発電と長距離送電のはじまり
    世界で初めて水車が発電に利用されたのは、1878年頃のことです。日本でも1888(明治21)年から水力発電が開始されましたが、初めは小規模で、供給範囲は設置場所周辺のごく狭い範囲に限られていました。
    その後、発電所の大規模化や、交流による長距離送電技術の発達によって、遠隔地の発電所からの供給が可能になり、水力発電の開発が急速に進められました。その結果、局所的だった電気の供給範囲は大きく広がり、1912(大正元)年には、水力発電の出力が火力発電を超え、東京市内の家庭に電灯が急速に普及していきました。
    展示コーナー切り替え
    閲覧中の展示
    このコーナーに含まれる展示
    水力発電と長距離送電のはじまり
    ペルトン水車ペルトン水車
    ペルトン水車
    ペルトン水車
    展示コーナーのフロア範囲
    展示コーナーのフロア範囲と展示場所
    2F
    水力発電と長距離送電のはじまり
    水力発電と長距離送電のはじまり
    展示コーナー「水力発電と長距離送電のはじまり」
    ペルトン水車
    ペルトン水車 ペルトン水車
    発電所で使う油圧装置用の圧油を作ることを目的に、今井発電所で1925(大正14)年から1979(昭和54)年まで使用されたものです。
    • 【諸元】
      種: ペルトン水車
      --: 電業社
      代: 1925年
      力: 30馬力(20kW程度)
      数: 450rpm
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    電気の科学
    紀元前6世紀に古代ギリシャのタレスが静電気を発見して以降、16世紀末頃から電気の科学的な研究が本格化しました。その後、2世紀にわたりさまざまな研究が積み重ねられ、少しずつ理論化が進められていきました。1800年には電池が発明され、初めて電気を安定して取り出すことができるようになったことで急速に研究が進展し、19世紀初頭には電流の磁気作用や電磁誘導といった重要な発見が相次ぎ、電磁気学の基礎が築かれました。またそれらの発見が、発電機やモーターの発明へとつながっていきました。19世紀の後半になると電気の実用化が進み、電気の時代への道が開拓されていきました。
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    火力発電による
    電力供給網の誕生と発展
    電気の発見電気の発見
    電気の発見
    電気の発見
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    電気の科学
    電気の科学
    展示コーナー「電気の科学」
    電気の発見
    琥珀 琥珀
    琥珀は樹脂が固まって化石化したもので、古代ギリシャにおいて首飾りや耳飾りに加工され流通していました。琥珀を布などで磨いたときに、羽毛や藁などを引き寄せる性質をもつことは知られていました。この静電気による現象について紀元前6世紀頃に初めて科学的な検証を試みたのが、古代ギリシャの哲学者で、数学者、天文学者でもあったタレスでした。タレス自身の著書は残っていませんが、後年の文献にタレスが静電気に関する研究を行っていたことが記されていることから、タレスは電気の発見者と位置づけられています。英語のエレクトリシティ(電気)という言葉は、ギリシャ語のエレクトロン(琥珀)に由来しています。
    映像解説(YouTube)
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    火力発電による電力供給網の誕生と発展
    初期の電気事業は、小型蒸気機関と発電機を組み合わせた小規模なものからスタートしました。1882(明治15)年、世界で初めてエジソンが、ロンドンとニューヨークで電気供給をスタートしてから、わずか5年後の1887(明治20)年には、日本でも電気供給がはじまります。
    その後、電気照明の優秀性、電気の動力としての有用性が認知されるようになると、電気の需要は増大し、それに対応するため電力供給網は拡大していきました。これを支えたのが、効率よく多量の電気を発電する蒸気タービンによる発電システムと、交流による送電システムの開発でした。交流システムの導入は、長距離送電の可能性を秘め、のちの水力発電の時代を拓くものとなりました。
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    火力発電による
    電力供給網の誕生と発展
    エジソン4号発電機エジソン4号発電機
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    エジソン4号発電機
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    火力発電による電力供給網の誕生と発展
    火力発電による電力供給網の誕生と発展
    展示コーナー「火力発電による電力供給網の誕生と発展」
    エジソン4号発電機
    エジソン4号発電機 エジソン4号発電機
    エジソンが開発を手がけた直流発電機の一つです。
    当時、エジソンが製作販売した直流発電機は、基本設計は同じですが、目的にあわせて出力の異なるいくつかのタイプがありました。この発電機は、その中の代表的なものの1つで、1890(明治23)年から下野麻紡織で工場照明用電源として使われていたものと同じタイプのものです。
    映像解説(YouTube)
    • 【諸元】
      種: 直流発電機
      --: アメリカ・エジソン・マシンワークス社
      代: 1880年代後半頃(推定)
      圧: DC110V
      力: 17kW
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    展示コーナー「火力発電による電力供給網の誕生と発展」
    エジソン白熱電球
    エジソン白熱電球 エジソン白熱電球
    1840年代から、白熱電球の開発には多くの研究者がしのぎを削っていましたが、数秒以上点灯させることはできませんでした。1870年代後半、エジソンは6000種類もの材料を取り寄せ実験を行いました。そして最後に行きついたのが木綿糸や竹を炭化させた炭素フィラメントで、特に竹は千時間以上の点灯を可能にしました。中でも日本の京都の竹の点灯時間が最も長く、この竹が素材として使用されました。加えてエジソンは、この明かりを事業化するために発電所から配電設備までシステム全体を構築し、初めて電気事業を起こしました。
    映像解説(YouTube)
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    広域供給網の形成
    初期の電気事業は、小型蒸気機関と発電機を組み合わせた小規模なものからスタートしました。1882(明治15)年、世界で初めてエジソンが、ロンドンとニューヨークで電気供給をスタートしてから、わずか5年後の1887(明治20)年には、日本でも電気供給がはじまります。
    その後、電気照明の優秀性、電気の動力としての有用性が認知されるようになると、電気の需要は増大し、それに対応するため電力供給網は拡大していきました。これを支えたのが、効率よく多量の電気を発電する蒸気タービンによる発電システムと、交流による送電システムの開発でした。交流システムの導入は、長距離送電の可能性を秘め、のちの水力発電の時代を拓くものとなりました。
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    広域供給網の形成
    マンホールマンホール
    マンホール
    マンホール
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    塔之沢線・鬼怒川線鉄塔
    塔之沢線・鬼怒川線鉄塔
    旭変電所同期調相機旭変電所同期調相機
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    旭変電所同期調相機
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    広域供給網の形成
    広域供給網の形成
    展示コーナー「広域供給網の形成」
    マンホール
    • 電力用マンホール
    • 煉瓦マンホール
    マンホールは地中送電線を地中に通したり接続するために設けられた設備です。
    電気の史料館では1925(大正14)年に造られた煉瓦マンホールのレプリカを展示しています。都心部や人口密集地への送電に活躍し、現在でも東京・浅草で使用されています。
    また、競争期におけるマンホールの蓋も展示していますが、丸形だけでなく、角形のものなど様々な種類のものがありました。このようにマンホールの蓋からも、戦前の東京には多くの電力会社が独自のネットワークを持ち、激しい競争をしていたことがわかります。
    映像解説(YouTube)
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    展示コーナー「広域供給網の形成」
    塔之沢線・鬼怒川線鉄塔
    • 塔之沢線鉄塔
    • 鬼怒川線鉄塔
    送電線の支柱の材料には当初は木が使われていましたが、大容量・高電圧長距離送電の本格化により大型化するのに伴い強度が必要となり、鉄が使われるようになりました。電気の史料館では、鉄塔の使用が本格化した当時の鉄塔を展示しています。
    塔之沢線は1909(明治42)年に箱根町にある塔之沢水力発電所から、横浜の保土ヶ谷変電所まで送電するために箱根水力電気によって建てられた鉄塔です。58kmのうち、16kmの間に166基の鉄塔が建てられ、本格的に鉄塔が用いられたのはこれが初めてでした。
    鬼怒川線鉄塔は、1913(大正2)年に卸売電力会社の鬼怒川水力電気により、栃木県の鬼怒川温泉にあった下滝水力発電所から東京変電所(現荒川区尾久)までの間、124kmを送電するために建てられた鉄塔です。こちらは送電区間の全てが鉄塔でした。人がバンザイをした形に似ていることから、バンザイ鉄塔と呼ばれています。
    映像解説(YouTube)
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    展示コーナー「広域供給網の形成」
    旭変電所同期調相機
    旭変電所同期調相機 旭変電所同期調相機
    1926(昭和元)年に、東京電燈が電力ネットワークの電圧調整のために輸入したGE社製同期調相機です。
    設置以来、老朽化で1988年に運転を停止するまで63年間にわたって使用されました。
    同期調相機は無効電力の発生や吸収を行う装置で、系統の電圧調整維持に使われました。1918(大正7)年の初導入以来、需要増に伴うネットワーク拡大とともに設置台数が増え、最盛期には25変電所、41台、出力合計361,000kVAに達しました。
    戦後は、設備の老朽化などに伴い、電力用コンデンサー、分路リアクトルなどの静止型調相設備に置き変わっていきましたが、調相機の機能が見直されるとともに1990年から新型の同期調相機が主要変電所に設置されました。
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    • ・鬼怒川線鉄塔
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    • ・500kV送電線
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  • 照明の利用から始まった電気事業が人々の生活の中に普及していく過程を学べます。発電、送電、電気利用技術の発達により電気が暮らしを支えてきた歴史をぜひご覧下さい。
  • 電気の研究は静電気の発見に始まり、19世紀以降に電気の実用化につながる重要な発明・発見が相次ぎました。多くの研究成果によって電気が実用化されたことで、今日のわれわれの生活は便利で豊かなものになっています。
  • アーク灯は、照明というかたちで初めて電気エネルギーを実用的に利用することを可能にしたものです。主に使われた1000〜2000燭光という明るさは、旧来の照明であるろうそく(0.5燭光程度)などとは比べ物になりませんでした。
  • 光の強すぎるアーク灯は街灯などに用途が限られてしまったため、家庭などでも使いやすい白熱電球が開発されました。この発明により電気エネルギーが一般の人々に身近になりました。同時に電気事業も広がっていきました。
  • 東京電燈の初期の火力発電所では、これとほぼ同様の発電機を使用していましたが、出力は展示品より少し高い25kWでした。25kW発電機1台で、当時使われた中ではやや明るめの16燭光の白熱灯約400灯が点灯できました。
  • 駒橋発電所は東京電燈最初の水力発電所で、当時日本最大の発電所でした。また山梨県から東京までの長距離送電に成功したことにより、水力発電の有望性が証明され、以後日本各地で大規模水力開発が進められました。
  • 山間部の水力発電所から都市部への供給増加とともに、より効率的に電気を送電するため送電技術のみならず、発電技術も向上し発電所の大規模化がさらに進んで行きました。信濃川発電所は回転軸の形状も変化するなど、その代表的な発電所です。
  • 長距離送電の本格化に伴い、木柱に代わって鉄塔が使われるようになりました。鉄塔には、用地や使用する碍子の個数を節約したり、解体した状態で運んで現地で組み立てられるので、運搬上の利便性などのメリットがありました。
  • 19世紀末頃のアメリカにおける自動車の普及台数は、電気自動車がガソリン車を上回っていましたが、20世紀初頭にはガソリン車が上回るようになりました。この逆転は、主には価格の差によって起きたものです。
  • 第2次世界大戦後、日本の一般家庭に家電製品が本格的に普及します。当初は高額だった製品も量産化による価格低下や国民の所得向上から、手に入りやすいものになっていきました。こうして家庭での電気の用途も広がっていきました。
  • 第2次世界大戦後の復興期や高度成長期に大量の電力が必要になる中で、大容量火力発電所の建設が進められ、1960年代初頭には火力が水力を上回るようになりました。千葉火力1号機は、そうした時代に導入された代表的な火力発電設備です。
  • 大規模発電設備の増加により、送電網を流れる電力も格段に増加しました。それに伴って送電網の強化が必要となり、より高い送電電圧が用いられるようになりました。500kV送電の運用は、1973(昭和48)年から開始されています。
  • 皇居正門石橋飾電燈は、日本で電気照明が使われ始めた初期から100年近く使われていた電気照明設備で、東京電力の前身の東京電燈ともゆかりの深いものです。電気の史料館入口に設置されている、象徴的な展示物です。
  • 解説に登場した展示物のより詳細な情報は、フロアマップから各展示コーナーをたどりご覧いただけます。
    また、ガイドではほかにもコースをご用意しておりますのでぜひご覧ください。
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  • 火力、水力、原子力の各発電の技術や歴史が学べます。それぞれの発電方式が規模や技術を発展させながら、各時代において担ってきた役割をぜひご覧下さい。
  • 日本の電気事業は東京電燈が小規模な火力発電所(電燈局)を建設し電気を送ることから始まりました。当時は直流低圧であり送電距離は数kmに限られたため、東京の中心部に5カ所の電燈局が建設されました。
  • 駒橋発電所は東京電燈最初の水力発電所で、発電所出力・送電距離ともに当時日本最大でした。この発電所の建設以降日本各地で大規模水力開発が進められ、水力が発電の主力である水主火従の時代を迎えました。
  • 山間部の水力発電所から都市部への供給増加とともに、より効率的に電気を送る送電技術のみならず、発電技術も向上し発電所の大規模化がさらに進んで行きました。信濃川発電所は当時の代表的な大規模水力発電所です。
  • 戦後の電力需要の急増に対処していくため、水力発電所よりも大容量設備が短期間で建設できる火力発電所の建設が東京電力のみならず日本全国で進んでいきました。1960年代初頭には約半世紀続いた水主火従の時代は終わりを迎えました。
  • 第2次世界大戦後、新たな発電技術として原子力発電が導入されました。当初は海外製の設備が導入されましたが、国産技術の進展により国産機が使われるようになりました。展示品のエンジニアリングモデルは原子炉の設計に使用された精密な模型です。
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  • 東京電燈の初期の設備では、直流が用いられていたため変圧器は使えませんでした。発電所で発電した電気は低電圧で送り出され、需要家に直接配電されました。
  • これらの鉄塔の送電電圧は、塔之沢線が46kV、鬼怒川線が66kVでした。水力開発の活発化に伴い、山間部の水力発電所から都市部に向かう高電圧の送電線が相次いで建設されました。
  • 高電圧の送電線が建設できるのは都市の近郊までで、都市の中心部ではケーブルを用いた地中送電が行われました。鬼怒川線においても、東京変電所(現荒川区尾久)から東京中心部に向かう送電線は地中化されていました。
  • 東京電燈は、水力電源地帯と京浜地区を結ぶ送電線を連系するための送電線として内輪線を建設しましたが、電気を安定して送電するため電圧等を調整する同期調相機設備が必要となり、要所となる変電所に設置されました。
  • 大規模発電設備の増加により、送電網を流れる電力も格段に増加しました。それに伴って送電網の強化が必要となり、より高い送電電圧が用いられるようになりました。500kV送電の運用は、1973(昭和48)年から開始されています。
  • 遮断器は、送電線への落雷等により発生する事故大電流を遮断する機能を持ち、開閉装置の中でも電力系統保護の要に位置づけられるものです。電気の史料館では、遮断器の変遷を時系列で展示しています。
  • 解説に登場した展示物のより詳細な情報は、フロアマップから各展示コーナーをたどりご覧いただけます。
    また、ガイドではほかにもコースをご用意しておりますのでぜひご覧ください。
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(追記) (追記ここまで)

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