歯舞群島〜小さな宝の島々〜
3-1 歯舞群島の地図 (JPG 500KB)
基本情報
位置
【貝殻島】
東経 145度51分〜145度58分
北緯 43度24分〜43度28分
【水晶島】
東経 145度51分〜145度58分
北緯 43度24分〜43度28分
【秋勇留島】
東経 145度59分〜146度02分
北緯 43度21分〜43度23分
【勇留島】
東経 146度01分〜146度07分
北緯 43度23分〜43度27分
【志発島】
東経 146度03分〜146度13分
北緯 43度27分〜43度33分
【多楽島】
東経 146度16分〜146度22分
北緯 43度36分〜43度39分
面積
【水晶島】
12.1km2
【秋勇留島】
2.1km2
【勇留島】
9.9km2
【志発島】
58.3km2
【多楽島】
10.9km2
※(注記)令和7年全国都道府県市区町村別面積調(1月1日時点)参照
北海道本島からの距離
3.7km(貝殻島までの距離)
1945年当時の人口
【水晶島】
986人
【秋勇留島】
88人
【勇留島】
501人
【志発島】
2,249人
【多楽島】
1,457人
概要
貝殻(かいがら)島、水晶(すいしょう)島、秋勇留(あきゆり)島、勇留(ゆり)島、志発(しぼつ)島、多楽(たらく)島などの島々からなる群島で、これらの島々は根室半島の延長線上にあり、その昔、土地の陥没によって離島になったといわれています。北海道本島に一番近い貝殻島にある灯台は、根室半島東端の納沙布岬からわずかに3.7kmの沖合にあり、目視できるほど近い距離に位置します。いずれの島も緩やかな起伏のある丘陵地で、笹が生い茂り樹木はほとんどありません。
戦前は、「コンブの王国」といわれるほどコンブの水揚げが多く、どこの島でも人々の生活はコンブ漁が中心であり、また、コンブ漁の時期になると、多くの人が出稼ぎにやってきて賑わいをみせたといいます。
群・村
花咲群歯舞村
1945年当時の人口は5,281人、世帯数は852世帯です。
居住者の大半は水産業で毎年春になれば富山、新潟方面から出稼人夫がきました。
海藻採取が最大の収入源で昆布、海苔、銀杏草が7割以上を占め、カニ、サケ、マス、エビなどの缶詰加工も行われました。
自然
河川・湖沼
歯舞群島は、どの島も平らな地形となっていて、河川と言われるような川はありません。わずかに島の小沼や湿地帯からの小さな流れが、島々の地形に沿って流れているだけです。しかし、このような小川というべき流れにも、昔はサケやマスが群れをなして遡上してきたそうです。この地域の水産資源がどれだけ豊富であったかを物語るエピソードでしょう。
植物
ツリガネソウ、アヤメ、ヤマユリ、エゾカンゾウ、ハマナスなど
産業
農業
各島とも気象条件は、根室地方と大差がなく、低温地に適応する品質の選択と適正な肥培管理を行えば、農作物の栽培は可能であるが、各島全体が漁業に重点を置いていたため、耕地の利用はあまりなかった。
島民の自家用馬鈴薯類と家畜飼料などの牧草を作付する程度であった。
畜産業
馬は乗用と輸送用として、島内唯一の交通機関であり、また漁船の上架、海藻類の運搬などに使用するため、相当飼育されていた。
気候風土が馬の育成に適しており、草生などの関係と管理面の強化によりその成果を期待されていた。
林業
各島とも森林と認められる地帯がなく、従って薪材その他用材は、すべて根室地方より供給を受けていた。
漁業
大部分の漁民はコンブ漁に従事しており、歯舞本村と根室の漁民ともに独占的採取で、製品のほとんどは根室に集荷され国内はもとより中国の上海などにも輸出されていた。
景勝地
貝殻島
歯舞群島_貝殻島(根室地域本部から) (JPG 1.15MB)
根室市の納沙布岬から3.7kmに位置し、1937年に日本が建設した灯台があり、周辺海域は昆布の好漁地となっています。
税庫湾(勇留島)
税庫湾 (JPG 1.67MB)
水深が6〜7mと深く、30トン級の船舶数隻を収容でき、天然の良港として漁業を支えた入り江です。