【職域】法務省 浪速少年院
名称・所在地・代表者・沿革等 組織の概要等
1 名称
法務省 浪速少年院
2 所在
大阪府茨木市郡山1-10-17
3 代表者
浪速少年院長 倉繁
くらしげ
英樹
ひ で き
(院長以下68名)
4 沿革
大正12年 我が国初の少年院として現在地
(当時の大阪府三島郡春日村)に
設置。
庶務課、
第一課(教育)、第二課(処遇・保安)及び第三課(医
療)の四課制で運営開始
昭和24年 改築工事着工(昭和36年完成)
昭和25年 職業補導実験少年院に指定
昭和39年 職業訓練施設に指定
平成 5年 改築工事着工(平成8年完成)
平成 8年 職業能力開発課程(V1)に指定
平成27年 少年院法改正に伴い、社会適応
課程(A1)に指定
平成28年 新たに支援部門を設置、教育部
門とともに二部門制となる
令和 5年 創立100周年を迎える
浪速少年院は、大正12年に我が国初の少
年院の一つとして現在地(当時の大阪府三
島郡春日村)に設置され、
主として近畿の家
庭裁判所で第1種少年院送致決定を受けた
おおむね16歳から23歳までの少年を収容し
ている。
教育部門は、
在院者に対して、
社会
生活に健全に適応できる能力を身に付けさ
せるための矯正教育を実施し、支援部門で
は、
在院者の円滑な社会復帰を図るため、帰住調整、
就労・修学支援等、
様々な社会復帰
支援を実施している。
また、
医務課は在院者
の医療及び心身の健康管理を担当し、庶務
課は、適切な教育・生活環境が保たれるよ
う、給養、領置、施設管理等を担っている。
浪速少年院長
庶務課
次長 医務課
教育部門
支援部門
教育調査官
受賞理由(概要)
浪速少年院は、大正12年に我が国初の少年院の一つとして設置され、以降100年もの長
きにわたり、非行少年の改善更生に尽力している。戦後から平成27年の改正少年院法施
行まで、西日本における職業訓練のセンター施設として、出院後の社会生活に役立つ資
格・技能の習得に貢献してきた。同法施行後は、専門的な職業指導の伝統を受け継ぎつ
つも、在院者の問題性に応じた生活指導を更に充実させ、社会復帰支援にも力を入れて
いる。浪速少年院に勤務する職員は、少年院の原点としての歴史を継承しつつ、職務に
対する情熱と使命感を持ち、公務の信頼の確保と向上に寄与している。
受賞理由
1 職務の内容・重要性
少年院は、主として家庭裁判所の決定により保護処分として送致された少年を収容
する、法務省所管の施設であり、在院者の改善更生と円滑な社会復帰を図っている。
浪速少年院は、大正12年、旧少年法及び矯正院法の施行と同時に、多摩少年院とと
もに日本で初めての少年院として設置された。在院者と職員とが、敬愛という心のつ
ながりの下で共に成長を目指す「自他の敬愛」を教育方針とし、「手塩にかける」指
導を行い、試行錯誤しながら今日に続く少年院の処遇の基盤を作った。
物資の欠乏、病気や栄養失調等の蔓延により、著しい混乱と困難に直面していた終
戦直後でも、同院は少年事件の急増並びに現少年法及び旧少年院法の施行に対応する
ため、関西及び四国において、新たな少年院又は少年鑑別所の設置業務を担った。昭
和24年1月、新たな少年保護制度の運用が開始されると、翌年には職業補導実験少年
院に、同39年には職業訓練施設に指定され、以後平成27年6月の現少年院法施行まで
の間、職業訓練のセンター施設として西日本全域から訓練生を受け入れ、有用な職業
資格・技能を習得させた。近年、同院も全国的傾向と同じく、新収容者数は減少傾向
にあるものの、なお比較的高い収容水準にあり、かつ、発達上の課題や劣悪な養育環
境下でのトラウマを抱えている者が大半を占めるようになるなど、在院者の質的変化
が顕著となっており、個々の在院者の問題性に焦点を当てた体系的な生活指導の充実
、医療・福祉的支援を含む出院後を見据えた関係機関等との支援体制の構築に努めて
いる。また、若者を取り巻く社会情勢全般も大きく変化していることに対応すべく、
職業指導種目の改廃を進め、プログラミングを含むPCスキルを学ぶコースを本年度
より開設するとともに、高等学校卒業程度認定試験の受験指導等、修学支援に更に注
力している。同院から社会復帰した者は令和4年末までに累計1万6千人を超え、苦
難の中でも「光なき者に寄り添う」との創設時の熱意は継承されている。
2 職務の特殊性・勤務環境
日々直接在院者の指導等を担当する教育部門及び支援部門はもとより、両部門と一
体となって在院者の処遇を支える医務課、庶務課等においても、行動科学等に関する
高い専門性と同時に常に法的根拠を意識する行政的視点のほか、逃走、自殺等の事故
防止のための保安力が求められている。
また、
24時間365日、
切れ目なく適切に施設運
営を行うため、部署を問わず、昼夜間交替制勤務、当直勤務又は非常時対応を行って
おり、
心身ともに高度に負担の掛かる中ではあるが、
男性職員の育児休業取得100%達
成等、ワークライフバランスの取れた働き方に配意している。さらに、「新・郡山塾
」と称する研修プログラムを通じ、若手職員の育成を図っている。
3 公務の信頼の確保・向上
同院職員の永年にわたる日々の努力の積み重ねやその高い使命感により、多くの者
が改善更生及び社会復帰を果たしている。また、多くの大学から依頼を受け、授業の
一環として学生を受け入れるほか、見学・取材に積極的に応じ、さらに、地元自治体
を始め地域との連携を図るなど、公務の信頼の確保と向上に寄与している。
浪速少年院の歴史
浪速少年院の歴史
大正12年 我が国最初の少年院として
大阪府三島郡春日村郡山(現在の茨木市郡山)に設立
昭和24年 初等、中等及び医療少年院となる。
昭和39年 職業訓練専門施設となる。
平成 5 年 全体改築工事着工(平成8年完成)
「職業能力開発課程」に指定される。
平成27年 改正少年院法施行に伴い第1種少年院「社会適応課程I」に指定
平成30年 高等学校卒業程度認定試験重点指導コースを設置
令和 3 年 在院者への高等学校教育機会の提供を開始
令和 4 年 改正少年法施行に伴い第5種少年院に指定
「保護観察復帰指導課程I・II」に指定
令和 5 年 創立100周年を迎える。
庁舎建物の変遷
初代庁舎
1923年〜1960年
二代目庁舎
1961年〜1996年
三代目庁舎
1996年〜 現在
浪速少年院100周年を記念して作成された浪速
少年院公式マスコットキャラクター「なにワン」

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