ものの見方は一つじゃない
三重県 学校法人三重高等学校三重中学校 2年
川瀬 彩(かわせ ひかる)
今年の夏休み,私は久しぶりに小学校の同級生に会った。別々の中学校に進学
したため,お互いのクラブや友だちについてしばらく話した後,ふと友だちが,
「私たちの中学校にな,車椅子の先生がおるんやに。」
と話し出した。車椅子の先生・・・?どうやって授業をされるのだろう?黒板に
手が届くのだろうか?何の教科の先生なのだろう?自宅から中学校までどうやっ
て通勤してみえるのだろう?疑問に思った私は友だちに聞いてみた。すると,授
業は主に電子黒板を使い,手元のタブレットやスマートフォンで操作をされるこ
と,自動車で通勤してみえることなどを話してくれた。
車椅子の先生なのにすごい,と思った私は家に帰って家族に話した。
「車椅子の先生やのに,めちゃわかりやすく教えてくれるんやって。すごいと思
わへん?」
私は,家族から当然「そうやな。すごいな。」
という返事が返ってくると思っていた。私の母は小学校の先生をしている。「や
りがいのある,楽しい仕事だよ。」といつも話してはいるが,常に忙しく体力も
気力もいる仕事であることは私にもわかる。そんな母だから,車椅子で中学校に
勤め,わかりやすい授業をされる先生のすごさを共感できると思っていた。しか
し,母から返ってきたのは,
「車椅子の先生『やのに』わかりやすい,ってどういうこと?」
という言葉だった。聞かれた意味が分からなかった私が黙っていると,母は続け
た。
「その先生は,何かの理由で車椅子で生活してみえるんだね。きっとお体の中で
うまく動かないところがおありになるんだろうね。でも,そのこととわかりやす
く教えることは関係ないやんか。お母さんたちも,他の小学校や中学校の先生た
ちもみんな,教え方はいつも考えたり工夫したり研究したりしとるよ。その先生
もそうやって毎日研究したり工夫したりしてみえるから授業がわかりやすいんや
ろ。それと車椅子に乗ってるか乗ってないかは関係ないやん。」
いつもと違う母の口調になんと返事をしていいかわからずにいると,そばで聞い
ていた父が言った。
「いろいろ不便なこともあるやろけど,子どもたちのことが大好きな先生なんや
ろな。なんていう名前の先生や?」
法務事務次官 賞
父に尋ねられて,私はその先生の名前を友だちに尋ねなかったこと,友だちも私
にその先生の名前を言わなかったことに気づいた。
「わからん。聞かへんだし,友だちも『車椅子の先生』しか言わへんだもん。」
と答えて居間を出た。
自分の部屋に戻ったが,父の言葉が気になった。友だちはなぜ,先生の名前を
言わなかったのだろう。そして私はなぜ「何ていう先生?」と聞かなかったのだ
ろう。いろいろ考えているうちに,ふと小学校の時の「友だち発見!」の活動を
思い出した。いつもいっしょにいるクラスメイトと,得意なことや好きなこと,
実は苦手な物や将来の夢などをお互いに話し合い,聞き合った。よく知っている
と思っていたクラスメイトのいろいろな面が見えてとても楽しい時間だった。ど
の子にもいろいろな個性があること,自分が持っている狭いイメージだけで相手
を判断してはいけないことを小学生なりに感じた。そのことを思い出した時,私
は自分の中の「決めつけ」に気がついた。友だちの「車椅子の先生」という一言
で,その先生に対して「かわいそう」「私たちにはできることができない」「で
も先生だなんてすごい」と思い込み,その先生の名前も知らないのにその先生を
わかったような気持ちになっていたと思う。もしかしたら,私に話した友だちも
「車椅子の先生」の一言でその先生の全てを私に紹介した気になってしまったの
かもしれない。
家族に自分の考えたことを話すと,母は,
「そやな。彩は一人っ子やけど『一人っ子はわがままや』『一人っ子はかわいそ
うや』と言われてうれしい?『A型は整理整頓が得意で几帳面。でもまじめすぎ
ておもしろくない』ってよく言われるけど,少なくとも彩に関してはそれは違う
わなあ。整理整頓とか。」
と笑った。そしてそのあと言った。
「車椅子の先生は,
車椅子に乗ってるってだけで,
他の先生と何も変わらないよ。
人を決まった見方でしか見られないと,その見方からちょっとでもはみ出す人と
は自分から壁を作ってしまうよ。それはとても寂しいよ。」
中学校に進学し,私の世界はぐっと広がった。今後さらに広がり,職業・性別
・国籍・年齢・生き方や心身の個性―――様々な違いに出会うと思う。今回,私
は「決めつけ」は「壁」「差別」を生むことに改めて気づけた。そのことを忘れ
ずに,自分だけでなく学級や学年,地域や社会の中でもみんなが笑顔でいられる
ような日々の過ごし方をしていきたい。

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