- -

62
(注記) 裁判員裁判の具体的進行については,今後,決められていくことになる
ことから,この模擬裁判は,現行裁判の進行を元に構成している。
場面1 開廷・人定質問
裁判長: それでは,被告人黒川広に対する強盗致傷被告事件の審理を始めま
す。
名前はなんと言いますか?
被告人: 黒川広です。
裁判長: 生年月日は。
被告人: 昭和60年5月28日です。
裁判長: 仕事は何かしていますか。
被告人: 何もしていません。
裁判長: 本籍はどこですか。
被告人: 東京都ひわたり市大林1丁目2番です。
裁判長: 住所は。
被告人: 東京都ひわたり市大林1丁目2番3号です。
場面2 起訴状朗読
裁判長: 検察官,起訴状を読んでください。
検察官: 公訴事実。被告人は,平成18年6月30日午後8時ころ,東京都
小川区辻1丁目付近の道路上で,歩いていた杉浦よね,当時78歳,
の背中を後ろから突き飛ばして道路に転倒させ,抵抗できないでいる
杉浦から,現金5万5千円入りの封筒が入った巾着袋ごと奪い取り,
このときの暴力で,杉浦に,2週間の治療が必要となる右膝打撲など
の怪我を負わせた。
罪名及び罰条。強盗致傷,刑法第240条前段。
場面3 黙秘権の告知,被告人・弁護人の陳述
教材3 - -63
裁判長: ここで,被告人に注意しておくことがあります。
被告人には,黙秘権という権利があります。答えたくない質問には
答えなくてもかまいません。最初から最後まで,ずっと黙っているこ
ともできます。
, , ,
質問に答えてもかまいませんが 話をしたことは 有利な証拠にも
不利な証拠にもなります。
, , ,
そこで 質問しますが 先ほど検察官が読み上げた起訴状の内容は
そのとおり間違いないですか。
被告人: 全然違います。私は,おばあさんを突き飛ばしてお金の入った巾着
袋を奪ってなどいません。
裁判長: 弁護人の意見はいかがですか。
弁護人: 被告人が述べたとおりです。被告人は犯人ではなく,無罪です。
場面4 冒頭陳述
裁判長: 検察官,冒頭陳述をお願いします。
検察官: 被告人は,独身で,高校卒業後,決まった職に就くことなく,同居
している両親から小遣いをもらって遊んで生活していました。
被害者の杉浦よねさんは,家賃を払うため,歩いて5分くらいの距
離にある大家さんの家に向かう途中,被害にあいました。家賃の5万
5千円は,前日の夜,よねさんの息子の英一さんが,1万円札4枚と
5千円札3枚を封筒に入れて準備していました。
よねさんは,家賃入りの封筒を自分の巾着袋に入れ,午後8時ころ
自宅を出て,大家さんの家に向かいましたが,自宅を出て2,3分し
たところで,いきなり後ろから突き飛ばされ,うつぶせに倒されてし
まいました。そして,後ろから走ってきた白っぽい長袖Tシャツを着
た若い男が,よねさんの手から巾着袋を奪い取り,走って逃げ去りま
した。
近くを通りがかった人が倒れているよねさんを見つけ,すぐに11
0番通報しました。警察官と救急車が到着し,よねさんは,救急車で
, 。
病院に運ばれ 2週間の治療を必要とする右膝打撲と診断されました
教材3 - -64
教材3
警察が犯人を探したところ,事件のおよそ20分後,事件現場から
直線距離で2キロメートルくらい離れたところで,白っぽい長袖Tシ
ャツを着た被告人を見付けました。警察官が被告人に質問をしたとこ
ろ,被告人は,ズボンの左ポケットに自分の財布,右ポケットに1万
円札4枚と5千円札3枚を裸で持っていることが分かりました。警察
官は,被告人がよねさんから巾着袋を奪った犯人であると判断し,そ
の場で被告人を逮捕しました。
なお,よねさんの巾着袋と封筒は,逮捕の場所から事件現場の方へ
500メートルほど戻った道端に一緒に落ちているところを,警察官
が見付け,保管しました。
裁判長: 弁護人,冒頭陳述をどうぞ。
, , , ,
弁護人: 被告人は 事件当日の昼過ぎ 友達に会うため 電車を乗り継いで
事件があった現場の近くまで行きました。以前その友達から,仕事を
紹介してもらえるような話を聞いていたので,頼んでみようと思った
のです。しかし,友達の家には前に一度だけしか行ったことがなく,
場所が分かりませんでした。被告人は,かなりの時間,友達の家を探
しましたが,結局,友達の家を訪ねることはできませんでした。被告
人は,歩き回って疲れたことから,近くの公園で休んだり,本屋で立
ち読みをしたりして,時間をつぶしていました。
そのうち暗くなったので,被告人は,家に帰ろうと駅に向かって歩
いていたところ,いきなり警察官に呼び止められました。ポケットの
中のものを出すよう警察官から強く言われ,びっくりした被告人は,
言われたとおりにしました。すると,警察官は,被告人がポケットか
ら出した現金5万5千円は,おばあさんからひったくったものだと言
ったのです。被告人は,何度も違うと言いましたが,警察官から,お
, , , ,
札の種類が同じだと言われ 結局 被告人は 犯人だと決めつけられ
逮捕されてしまいました。, ,このとき被告人が持っていた現金5万5千円は その2日ほど前に
友人に貸していた7万円を返してもらったものの残りでした。被告人
は,逮捕された後も,そのことを何度も話しましたが,警察官は,話
を聞いてくれませんでした。
また,警察官が見付けて保管した巾着袋や封筒には,被告人の指紋 - -65
教材3
は一切付いていませんでした。しかし,被告人は,釈放されることも
なく,犯人に間違えられたまま裁判所に起訴されてしまったのです。
場面5 証拠の取調べ
(注記) この場面では,検察官からの証拠請求と,これに対する弁護人の意見が
出され,同意された証拠の取調べと,尋問される証人についての採用決定
が出されていることを前提とする。
また,検察官から提出される証拠物のうち封筒と巾着袋は,被害者のよ
ねさんのものであることは争いはなく,封筒・巾着袋の発見場所,被告人
の職務質問場所・時間についても争いがないことを前提とする。
裁判長: 検察官は証拠について説明してください。
検察官: まず,1番目の証拠は,被害者の杉浦よねさんが警察に出した被害
届,2番目の証拠はよねさんの供述調書であり,事件前日,息子の英
一さんが封筒の中に現金を入れて,家賃を準備した際,英一さんは,
よねさんが現金を落とさないよう,封筒の口をホッチキスで留めてお
いたこと,事件当日,よねさんは,夜になって家賃を持っていくこと
を思い出し急いで家を出たこと,後ろから突きとばされたときは,い
きなりだったので犯人の顔は見なかったが,逃げていく犯人の後ろ姿
を見て白っぽい長袖Tシャツを着た若い男だと分かったことなどの内
容となっています。
3番目は,保管した封筒と巾着袋についての報告書で,保管した封
筒の口にはホッチキスの針が残されていました。
, , ,
4番目は 被告人が持っていた1万円札の報告書で うち1枚には
福沢諭吉の絵の左肩あたりに,いったんホッチキス留めした後にそれ
をはずしたような穴が2つあいていました。
5番目は,保管した封筒に残されていたホッチキスの針と,被告人
から押収した1万円札のうち1枚に残されていたホッチキスの穴とが
その幅,大きさ,位置関係とも全く同じであるという報告書です。
6番目は,証拠物で1万円札4枚と5千円札3枚,封筒1枚です。
それでは,1万円札4枚と5千円札3枚を被告人に示します。 - -66
教材3
まず,1万円札と5千円札ですが,すべて,逮捕されたときに被告
人が持っていたものですが,誰のものですか
被告人: 私のものです。
裁判長: それでは,次に,杉浦英一さんから,証人として話を聞きます。
杉浦英一さんには嘘を言わないという宣誓をしてもらいます。宣誓
書を読み上げてください。
杉浦 : 良心に従って真実を述べ,なにごとも隠さず,偽りを述べないこと
を誓います。
裁判長: いま宣誓してもらったとおり,質問には記憶のとおり答えてくださ
い。わざと嘘を言うと 「偽証罪」という罪で処罰されることがあり,ます。では,検察官どうぞ。
検察官: よねさんが大家さんに渡す家賃を準備したのは,あなたですね。
英一 : はい。
検察官: 封筒の口をホッチキスで留めたのは,なぜですか。
英一 : 母は,だいぶ年をとっていて,以前,家賃を持っていくときに,現
金が入った封筒だけを手に持って出て,途中で中の現金を落としてし
まったことがありました。それからは,私も,必ず巾着袋に入れて持
っていくよう母に注意していたのですが,注意を守らずに封筒だけ持
っていっても,中身を落とさないよう,ホッチキス留めをしておきま
した。
検察官: 現金は,どの種類のお札で準備しましたか。
英一 : 1万円札4枚と5千円札3枚です。
検察官: どうしてですか。
英一 : 家賃は月末までに払わねばならず,前日の夜に私が思い出して,あ
わてて準備したのです。でも,家にあるお金は,1万円札が4枚と5
千円札が1枚だけでした。それで,母のへそくりから5千円札1枚を
出してもらいました。私も自分の財布から5千円札1枚を出して,全
部で5万5千円にしたのです。
検察官: 今,よねさんは,どんな様子ですか。
英一 : 診断書では2週間の怪我でしたが,年をとっているので,怪我がも
とで歩くのが不自由になってしまいました。
検察官: 犯人に言いたいことはありますか。 - -67
教材3
英一 : 私が3歳のころに父が亡くなってから,母は,一生懸命働いて私を
育ててくれました 「いろんな人に親切にしてもらって,今の幸せが。ある」というのが母の口癖でした。でも,事件の後,母は,ほとんど
外に出なくなり,口数も減りました。時々,父の写真の前で何か話を
して,泣いていることもあります。晩年になって,こんなひどい目に
あわなければならなかった母のことが,かわいそうでなりません。犯
人のことは厳しく処罰してください。
検察官: 終わります。
裁判長: 次に弁護人どうぞ。
弁護人: 家賃は,普段誰が準備していましたか。
英一 : 私が準備していました。
弁護人: 渡すお札の種類は,いつも決まっていましたか。
英一 : 1万円札5枚と5千円札1枚のことが多かったと思いますが,千円
札が混じることもありました。
弁護人: 毎月毎月家賃を払っていますが,過去の何年何月にお札の組み合わ
せがどうだったか,一つ一つ言えますか。
英一 : ・・・そこまでは,覚えていません 。,弁護人: 今回事件の前日に準備したときの組み合わせが1万円札4枚,5千
円札3枚と話していますが,本当に覚えているんですか。
英一 : 覚えています。
, 。
弁護人: 過去の記憶はあやふやなのに 本当に自信をもって言えるんですか
英一 : 古いことは忘れてしまいますが,まだ事件から日にちが経っていな
いので,よく覚えています。
弁護人: 終わります。
裁判長: それでは終わりました。検察官は残りの証拠について説明してくだ
さい。
検察官: 残りは,警察官が被告人から聞いた話の内容が書かれた供述調書で
す。被告人の経歴,弁解内容などについて書かれています。
場面6 被告人質問
裁判長: では,被告人質問を行います。弁護人,どうぞ。 - -68
教材3
弁護人: あなたは,おばあさんから引ったくりをしてはいないんですね。
被告人: はい。全く身に覚えがありません。
弁護人: 事件があった場所に行ったことは。
被告人: ありません。
弁護人: その日,あなたは,友達にどんな用事があったんですか。
被告人: 仕事を紹介してもらうつもりでした。その友達が以前仕事を紹介で
きる,と話していたんです。
弁護人: 友達の家の場所は,分かっていましたか。
被告人: 一度その友達に連れられ,遊びに行ったことがあるんで,分かると
思いましたが,今回1人で行こうとしたら,分からなくなりました。
弁護人: せっかく外出したんで,すぐには帰らなかったんですね。
被告人: はい。ほかに用事もありませんでしたから。
弁護人: 警察官からは,どんなふうに声をかけられたんですか。
被告人: 制服のおまわりさんが2人走ってきて,一方的に 「おたく,どこ,にいくの 「何で声をかけられたか,分かるよね 」などと言ってき。」 。
ました。
弁護人: 持ち物は,見せたんですか。
被告人: はい 「ちょっとポケットのもの見せて 」と言われたんで見せま
。 。
した。
弁護人: ズボンの右ポケットに裸で5万5千円を持っていたのは,なぜです
か。
被告人: 2日ほど前に,友達に貸していた7万円を返してもらいました。そ
の中から,1万5千円だけ自分の財布に移して,残りは家に置いてお
くつもりだったのですが,ズボンのポケットに入れたまま忘れてしま
, , 。
っており 逮捕された日は たまたまそのズボンをはいていたんです
弁護人: 終わります。
裁判長: それでは,検察官,どうぞ。
検察官: あなたが訪ねようとした友達の名前は,なんといいますか。
被告人: 分かりません。
検察官: 友達だというのに名前も知らないんですか。
被告人: よく行っているゲームセンターにときどき来ているので,そこに行
けば会えますから名前を知らなくても,問題ありません。 - -69
教材3
, , 。
検察官: 友達の家に行こうとして 駅の改札口を出たのは 何時ころですか
被告人: 午後2時ころだったと思います。
検察官: 警察官に声をかけられるまでの約6時間の間,何をしていたんです
か。
被告人: 2時間くらいは,友達の家を探していたと思います。その後,公園
のベンチで寝たり,本屋で立ち読みをしたりして,ぶらぶらしていま
した。
検察官: 夕飯は,どこかで食べましたか。
被告人: 食べていません。
検察官: 夜の8時までの6時間,あの辺りにいなければならない理由があっ
たのですか。
被告人: 特に理由はないです。ぶらぶらしていただけです。
検察官: 被告人が7万円を貸したという友達の名前は,何といいますか。
被告人: 知りません。
検察官: 名前も知らない相手に7万円も貸したんですか。
被告人: 貸しました。
, 。
検察官: 名前も知らないで どうやって返してもらうつもりだったんですか
被告人: 親友のそのまた友達なんです。その親友は信用できるやつで,その
友達ということだから,金を貸したんです。
検察官: じゃあ,その信用できるという親友の名前は,何といいますか。
被告人: ・・・言いたくありません。
検察官: どうして言いたくないんですか。
被告人: 迷惑がかかるからです。
検察官: では,7万円をいつどこで,どのような状況で返してもらったので
すか。
被告人: 捕まる2日前でしたが,詳しいことはもう覚えていません。
検察官: 被告人は仕事もしていないのに,どうして7万円も持っていたんで
すか。
被告人: 仕事はしてませんけど,小遣いをもらってましたし,貯金もありま
した。
検察官: 証拠物の1万円札1枚を被告人に示します。, ,この1万円札は 被告人が逮捕されたときに持っていたものですが - -70
教材3
端に穴が2つあいています。これは,いつあいたものか,分かります
か。
被告人: 分かりません。気付きませんでした。
検察官: 証拠物の封筒1通を被告人に示します。
この封筒の口には,ホッチキスが付いたままになっています。先ほ
どの1万円札にも同じ大きさのホッチキスの穴があいていました。1
万円札が入っていた封筒の口をホッチキスで留めたときに,1万円札
も一緒に穴をあけてしまった,ということではないですか。
被告人: それは,私には分かりません。
検察官: 終わります。
裁判長: これで終わりです。

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /