1第 15 回水害サミットの開催について
The 15th Round of Mayor’s Summit on the Flood Disasters
水害サミット実行委員会事務局
The Flood Damage Summit Executive Committee Office
はじめに
水害サミットは、水害被災地の首長が自らの体験を語り合い、より効果的な防災、
減災を考えるとともに、それらに関する積極的な情報発信を通して広範な防災、減災
意識を高めることを目的に平成 17 年から毎年開催している。昨年は北陸豪雪、福井豪
雪、西日本豪雨、北海道胆振東部地震など、人々の穏やかな日々の暮らしを奪う災害
が全国各地で発生し、各地において万全の備えが求められる中、去る6月 11 日に毎日
ホールにおいて「第 15 回水害サミット」が開催された。
当日は、国土交通大臣の御臨席をいただくとともに、国土交通省、内閣府、消防庁
がオブザーバーとして参加、
「過去の被災経験を復旧・復興対策に有効に生かすために」、「行政主導から住民主体の防災対策への転換に向けて」をテーマに過去最多の全国 42
市町村長による活発な意見交換が行われた。
1 日 時 令和元年6月 11 日(火)午後3時〜6時 30 分
2 場 所 パレスサイドビル「毎日ホール」
3 主 催 水害サミット実行委員会、毎日新聞社
4 コーディネーター
元村 有希子(毎日新聞社論説委員)
松田 喬和(毎日新聞社客員編集委員)
5 実例発表 大橋 一夫(福知山市長)
伊東 香織(倉敷市長)
6 基調講演 片田 敏孝(東京大学大学院情報学環特任教授)
7 事例発表 窪田 亀一(愛媛県大洲市三善地区自治会長)
8 出 席 者 池部 彰(南富良野町長)、大鷹千秋(日高町長)、手島 旭(芽
室町長)、白岩孝夫(南陽市長)、渡部秀勝(戸沢村長)、品川萬里(郡山市長)、
小田川 浩(つくばみらい市長)、橋本正裕(境町長)、國定勇人(三条市長)、
藤田明美(加茂市長)、久住時男(見附市長)、佐藤雅一(魚沼市長)、牧野百男
(鯖江市長)、尾関健治(関市長)、都竹淳也(飛騨市長)、金子政則(八百津町
長)、小野登志子(伊豆の国市長)、鈴木健一(伊勢市長)、亀井利克(名張市長)、
大橋一夫(福知山市長)、山崎善也(綾部市長)、山本 正(宇治市長)、中貝宗
治(豊岡市長)、福元晶三(宍粟市長)
、安田正義(加東市長)、大森雅夫(岡山市
長)、伊東香織(倉敷市長)
、近藤隆則(高梁市長)、友實武則(赤磐市長)、新原2芳明(呉市長)、平谷祐宏(尾道市長)、枝廣直幹(福山市長)、福岡誠志(三次
市長)、坂口博文(那賀町長)、玉井敏久(西条市長)、二宮隆久(大洲市長)、
管家一夫(西予市長)、横山幾夫(安芸市長)、泥谷光信(土佐清水市長)、片峯
誠(飯塚市長)、奥塚正典(中津市長)、原田啓介(日田市長)
9 テ ー マ
・過去の被災経験を復旧・復興対策に有効に生かすために(実例発表)
・行政主導から住民主体の防災対策への転換に向けて(基調講演・事例発表)
10 内 容
≪開会挨拶≫
國定三条市長 この水害サミットの代表発起人の 1 人を務めている。本日は大変御多用の
中、多くの皆様方にお集まりいただき感謝したい。また、大臣就任以来、この水害サミッ
トの取り組みについて深い御理解と、そして高い関心を寄せていただいている石井国土交
通大臣に今年も出席いただき、深くお礼申し上げたい。
今年の水害サミットは、15 回という一つの節目であり、昨年と比較すると、参加市町村
首長の数が、約2倍を超えている。これは決して喜ばしいことではなく、昨年、全国各地
で多くの水害が発生したということの証左である。昨年、それぞれの地域で発生した災害
からこれまでの間、必死になって復旧・復興のために尽力されている全ての市町村長に心
から敬意を表したい。恐らくまだまだ復興は道半ばとは思うが、最後までしっかりとまち
が復興されることを祈ってやまない。
今回の水害サミットは、第1部は、
「過去の被災経験を復旧・復興対策に有効に生かすた
めに」をテーマに、福知山市長及び倉敷市長から実例発表いただいた後、昨年まで長きに
渡りコーディネーターを務めていただいた毎日新聞社の松田氏から、今年、新たにバトン
タッチされた元村論説委員の進行のもと活発な意見交換をお願いしたい。
第2部は、昨年、中央防災会議において防災対策の在り方が大きく転換したことを受け
「行政主導から住民主体の防災対策への転換に向けて」をテーマに、東京大学大学院情報
学環特任教授の片田先生から基調講演をいただいた後、実際に地域で住民主体による防災
活動を実践し、住民の命を守った、愛媛県大洲市三善地区の窪田自治会長の事例発表後に
意見交換いただきたい。
今日の議論が、これから先の災害への備えに万全が期せられる、そんな環境づくりの一
助になれば大変嬉しい。極めて濃密な時間になると思うが、建設的かつ実践的な議論を心
から願い、開会のあいさつとさせていただく。
≪国土交通大臣・水循環政策担当大臣挨拶≫
石井大臣 本日は、第 15 回水害サミットにお招きいただき、心より感謝したい。発起人
である三条市、見附市、福井市、豊岡市の4市長と毎日新聞社をはじめ、これまで議論を
積み重ねられ提言を取りまとめられるなど、水防災意識の普及に努められてこられた皆様
に心から敬意を表したい。3さて、昨年は、7月豪雨で西日本を中心に広い範囲で浸水被害や土砂災害が発生し、230
人を超える尊い命が犠牲になるなど、未曽有の災害となった。これを受け国土交通省とし
ては、
被災した河川における早期の復旧や再度の災害防止対策を集中的に進めるとともに、
「大規模広域豪雨を踏まえた水災害対策のあり方」として、有識者よりいただいた答申を
踏まえ、
「防災・減災、国土強靱化のための3か年緊急対策」をはじめとして、この出水期
から始めた離れた場所に暮らす家族に直接避難を呼び掛ける「逃げなきゃコール」の普及
や、本年度から始まる5段階の警戒レベルに合わせた防災気象情報の伝え方の改善など、
ハード、ソフト一体となった防災・減災対策を強力に進めている。
また、地球温暖化により洪水の発生確率が2倍から4倍に増加すると想定される中、3
か年の緊急対策にとどまらず、事前防災対策に今後一層しっかりと取り組んでいく必要が
あると考えている。
災害に強い社会を築くためには、これまでの経験から得た教訓を社会全体で共有する取
り組みを継続していくことが重要である。
本日は、
「過去の被災経験を復旧・復興対策に有効に生かすために」、「行政主導から住民
主体の防災対策への転換に向けて」の二つのテーマについて、議論されると伺っている。
大きな水害を経験され、高い防災意識をお持ちの皆様方から全国をリードするよう議論い
ただき、それを全国へ発信していただくとともに、国土交通省としても、それらをしっか
りと受け止め、社会全体で洪水に備える水防災意識社会の再構築につなげていきたいと考
えている。最後に、本日、お集まりの皆様の一層の御健勝、御活躍を祈念し、私のあいさ
つとさせていただく。
元村論説委員 今日は円滑な進行をできるよう協力をお願いしたい。今回は 42 自治体の
参加、そのうち 20 以上が初参加となっている。一言あいさつをいただきたい。
北海道南富良野町長、山形県戸沢村長、茨城県つくばみらい市長、新潟県加茂市長、岐阜
県関市長、岐阜県八百津町長、三重県名張市長、京都府綾部市長、兵庫県宍粟市長、兵庫
県加東市長、岡山県岡山市長、岡山県倉敷市長、岡山県高梁市長、岡山県赤磐市長、広島
県呉市長、広島県尾道市長、広島県福山市長、広島県三次市長、徳島県那賀町長、愛媛県
西予市長、高知県安芸市長、高知県土佐清水市長、大分県中津市長
≪第1部 過去の被災経験を復旧・復興対策に有効に生かすために≫
【実例発表】
大橋福知山市長 平成 25 年の台風 18 号、平成 26 年の8月豪雨、そして平成 29 年の台風
21 号、また昨年の7月豪雨と、5年間で4回もの災害、甚大な被害に見舞われた。
ハード面の復旧・復興については、災害箇所を迅速に把握するため、国土交通省の
TEC-FORCE から、毎回支援をいただき、災害査定までの準備がスムーズに行われたことに
対し改めて感謝したい。4ハード面の被災に関しては、被害の低減に向け、事前防災や改良復旧という考え方への
シフトは重要。
今後も取り組みを進めてほしい。
また、
ソフト面での災害復旧については、
被災者生活再建支援法に基づく制度の活用などにより、一日も早い復旧のめどを立て、元
の生活を取り戻すことが最も重要であり、このことが市全体が早期に活力を取り戻し、災
害がもたらす経済的、社会的被害を低減させることにつながると考えている。
本市においては、
先ほど申し上げたとおり、
5年間で4回の大きな災害を経験しており、
現時点では、家屋被害認定調査や災害ごみの収集、災害救助法に基づく業務など、被災者
支援の制度運用は各部署の災害復旧の対応として根付いており、迅速に市民向けの支援ハ
ンドブックの作成を行い、被災者の皆さんにこれをお届けし、また各種支援制度の申請に
当たっては、特設窓口の設置など、スムーズに対応ができている。
災害時の応急対応が復旧対応に切り替わる際には、災害救助法に基づく食糧の供給など
の業務や、罹災証明書発行のための家屋被害認定調査、また浸水被害箇所の消毒、災害ご
みの収集処理など、市役所の業務に加え、さまざまな復旧業務を同時並行的に行っていく
必要が生じる。
平成 25 年の台風 18 号災害においては、
平成 16 年の台風 23 号災害以来、
約 10 年ぶりの
災害だったために、当時、どの部署がどのような業務を行うのかということが全く分から
ずノウハウが失われ困難を極めた。このため、その後の取り組みでは、災害の応急時、復
旧時の対応をしっかりと行うため、毎年度、防災計画に基づく各部各班の文書事務に係る
災害対応マニュアルの見直し、また整備を行っている他、職員を対象とした、家屋被害認
定調査員の養成や、情報管理に関するロールプレイング訓練などを毎年実施している。
今後の課題としては、当然災害は起こってほしくないが、被災経験をしっかりと引き継
ぎ、いざというときにしっかり動けるということを訓練や研修、マニュアルの検証はもち
ろんのこと、他の自治体の被災に対する支援も積極的に行うことを通して、対応スキルの
向上と職員のモチベーションを保ち続けていく必要があると考えている。
伊東倉敷市長 平成 23 年9月の台風災害のとき、市域では 1,000ha を超える浸水被害
がありその後の対応と、昨年の7月豪雨災害での真備町の浸水被害への対応、そして今後
の取り組みについて報告する。
平成 23 年の9月の台風 12 号により、1,000ha を超える浸水被害を受けたが、主たるも
のは内水被害であった。倉敷、岡山、玉野、早島の下流には、瀬戸内海の入海を締め切っ
て造られた児島湖があり、その水門の調整により主な河川の排水を行っている。
実は大雨のとき潮位との関係で、児島湖の水門を上げられないことによって、排水がで
きないという事態になり、大変大きな面積が水に浸かってしまう結果になった。この水門
の管理は県が行っているが、事前にその水門を開け、排水を出していただくようお願いし
た。
また、独自の取り組みとして、倉敷市内の主な水の取水源である高梁川から農業用水の
取水を止め、市内約 2,000 kmの用水路を事前排水し、小さなダムとして使うということを5行っている。その結果、大規模な内水被害は発生していない。
倉敷市は、内水被害を非常に気にしていたが、昨年の7月豪雨災害で、御存知のように
真備町の小田川、そして高梁川の決壊等で大災害となった。資料のとおり、高梁川に接続
する小田川、そして、それに接続する末政川、高馬川、真谷川など、8箇所で河川堤防が
決壊した。
最初に、県の河川が越水、浸水し、ハザードマップのとおり5m まで浸水した。そして、
国の河川が決壊したという状況となった。これにより、約 2,500 人の方が自衛隊、警察、
消防等のボートで救出され、約 5,700 世帯が2階から救出されるという状況で、そのほと
んどが全壊、大規模半壊という状況となった。
現在は、仮設住宅に約 7,000 人の方がおり、自宅の復旧はまだまだ進んでいないが、そ
れに向けて頑張っている。
そして、
決壊箇所は6月 15 日、
つまり今年の出水期までに、
国・
県とも仮復旧していただいて、大丈夫になるという状況である。
ただ、その他のさまざまなところが、まだまだこれからで、一番大事なところが高梁川
と小田川の流れを二つに分け、小田川合流点の下流へ付け替えということで、現在、小田
川が東西で高梁川に直角に合流することにより、水が流れ込めない状況を解消する工事を
もともと 10 年計画のところを5年に短縮して進めていただいている。
また、住民に災害時の行動についてアンケートを行った。その結果であるが、避難勧告
を聞いたという方が約 87%。避難勧告を聞いた情報源としては、緊急速報メール、インタ
ーネット、それからテレビ、ラジオ等の情報、そして市の防災無線や広報車が、ほとんど
の割合を占めていた。
そして実際に避難したかという質問に対しては、自宅以外に避難をされた方が 57%で、
自宅にとどまった方も 43%いた。
また、
この水害で直接亡くなられた方は 51 人で、
そのうち高齢者が 80%以上、
要支援、
要介護の方は約3分の1という状況で逃げ遅れた方、もしくは逃げるタイミングを失った
方が多かった。
これを受け、行政をはじめ、さまざまな関係機関も努力するが、一番大切なことは、住
民一人一人が自分の命は自分で守る、自分たちの地域は自分たちで守るということであり
地域で一緒になって逃げていただくことである。そのためには、それぞれの地区の防災計
画を作ることや住民自身が、いつどのようにして逃げるべきかを定めるマイ・タイムライ
ンを作ることが有効だと思う。加えて小学校の頃から防災教育を強力に行っていくことが
非常に重要だと考えている。
金子八百津町長 八百津町は、平成 22 年の7月の集中豪雨により、土石流が発生し、3
人の方の尊い命が失われた。これを機に地区ごとに住民同士の話し合いの場を設けた。昨
年の台風による大雨で、倒木による通行止めや停電による断水が発生した。いざというと
きに大切なものが地域で助け合う力だと思う。防災リーダー、自主防災組織ともに、まだ
少ない状況であるが、強力に PR し地域の防災力を高めていく力を養っていきたい。6大森岡山市長 岡山市は砂川が決壊した。また、内水氾濫も非常に多く、約 7,000 棟の被
害があったが、中心市街地の旭川は何とか被害を免れた。それは旭川の放水路である百間
川が、昭和 40 年代から整備いただき、概ね完成した。そういう意味では非常に事前の出水
対策は重要であるということを申し上げたい。
あとは、
岡山は非常に災害が少ない所であり、
自主防災組織の組織率が非常に悪かった。
今回の災害を契機に組織率を上げているところである。
最後に1点。中州に住んでおられる方への避難指示を行ったが、なかなか聞いていただ
けなかった。このとき警察と一緒に直接家を訪ね避難所へ行くよう避難指示をした。警察
との連携なども非常に重要である。
白岩南陽市長 倉敷市長さんの事例発表で防災教育が大変重要とのことだったが、同感で
ある。山形県においても昭和 42 年に羽越水害という大水害があり、南陽市も平成 25 年、
26 年と2年連続で水害があった。現在、山形河川国道事務所の協力をいただき、南陽市内
小学4年生は全員が防災教育を受けている。
過去の経験をこの復旧・復興に生かすという意味では、昨年、戸沢村が被災され、個人
的にボランティアに参加した。当市も全国から支援いただいたことがあり、助けていただ
く経験があると、他人事とは思えない。自分のこととして捉えることが、発災時、自分の
まちの復旧・復興に生きてくると思う。
枝広福山市長 昨年の7月豪雨で 2,000ha が浸水し、ため池も決壊した。その災害のとき
に感じたのは、河川の流下能力が著しく低下していたことである。堆積土砂、樹木が水の
流れを大きく妨げ浸水被害の拡大につながった。それからポンプの能力の脆弱性。これま
では農業用のポンプ、土地改良区が設置するポンプで雨水の排水に頼っていたが、急速な
都市化により、とても対応できないレベルになってしまっていたということに気付かされ
た。
もう一つは、避難情報をいかに的確に住民に伝えるか、こういうことを感じた。最初の
2点のハード対策は、その後、国や県の支援も受けて5年間で床上浸水被害をなくすとい
う目標を立てた。もちろん5年よりも長くかかるハード事業や、5年以内、あるいは短期
的に対応すべき暫定的なハード対策もあるが、
市民に対して一定程度の安心を与えるため、
そして都市の防災力を向上させるために目標を設定して重点的にハード対策を行っていく。
ソフト対策であるが、
これも極めて重要なこと。
昨年、
福山市で初めて避難指示
(緊急)
を全市一斉に発令した。そのときの避難率は 0.6%。その後、地域を細かく限定して避難
情報を発令したところ、当該地域の 15%が避難した。
それから、避難場所の開設は、市職員が出向いてドアの鍵を開けるという形を原則とし
ていたが、それでは間に合わないので、地域の自主防災組織にお願いし、身近な避難場所
の開設が迅速にできるようにした。このような取り組みをしながら、この出水期に備えて7いる。
新原呉市長 昨年の豪雨災害では、大きな川が氾濫したというより、渓流が出水し、そこ
へ土砂が流れて家がつぶされ、
災害関連死を含む 28 人の方が亡くなったが、
災害はこれが
初めてではない。
呉市は、
映画
「この世界の片隅に」
の舞台で終戦間近に爆撃を受けたが、
その年に枕崎台風が来て、爆撃で 2,000 人、枕崎台風で 1,100 人が亡くなった。そのとき
広島県が行った砂防の研究が、今の砂防対策の基になっているということである。
昭和 42 年には土砂崩れにより 88 人が亡くなった。そうした災害の経験から、急傾斜地
の対策や治山・砂防ダムが数多く整備された。今回、28 人の方が亡くなったことは残念で
あるが、この程度の被害で抑えられたのは、その成果だと思っている。現在、急傾斜地対
策や国直轄により 10 か所で予定されている砂防ダムの整備に加え、
治山ダムの更なる整備
も要望しているが、こうしたハード対策が非常に有効だと考えている。また、災害の記憶
を忘れることのないよう、被災した場所にモニュメントのような物を作り、子どもたちに
見せるなど、防災教育も進めていきたい。
枕崎台風から 70 年が経ち、砂防ダムなども整備されたことで、多くの市民が安全で、自
分たちが災害に遭うとは思っておらず、自らが逃げることも考えていない。出水期を前に
自分事として考えてもらえるよう、市民に呼び掛けているところである。
小田川つくばみらい市長 平成 27 年9月、関東・東北豪雨で被害があった。国土交通省
関東地方整備局、下館河川事務所の主導のもと、逃げ遅れゼロを目指す、みんなでマイ・
タイムラインプロジェクトというものが立ち上がり、マイ・タイムラインの作成講座を中
心的に行っている。その中でマイ・タイムラインを活用した情報伝達訓練を実際に実施し
た。住民が、そのマイ・タイムラインで、自分がいつどのようにどこへ逃げるかというも
のを作成し、それを基に逃げるタイミングを計ってもらう。これは気象庁、国交省、茨城
県、市の防災課が実際に情報を伝達しながら、その場で住民が避難行動を起こすというも
のを行った。少しずつこの訓練を広め、マイ・タイムラインの作成講座に取り組んでいき
たい。
橋本境町長 平成 27 年9月の関東・東北豪雨から3か年、ハード、ソフト両面の整備を
行ってきた。同豪雨災害では内水氾濫により大きな被害を受けたこと及び利根川等の氾濫
に備えるため水害避難タワーを全国で初めて整備した。
そして、この逃げどきマップも三条市、見附市のものを参考に作らせていただいた。
最後に、西日本豪雨を見ると、もはや一つの自治体、一つの県のみでは、対応できない
大きな災害となる傾向にあると思う。災害のない自治体が被災した自治体を支援する仕組
みを作っていくべきで、全国的な広域支援が必要な時代になってきていると思う。
品川郡山市長 昔は、天気予報は外れがちという言葉がありましたが、現在は予報どおり8で、ピンポイントで正確な情報が流れており、非常に対策がしやすくなっている。
市内の一部で集中的に雨が降ったことがあり、より詳細な等高線の情報が必要になると
感じた。ピンポイント的に被害が生じたので、これからは国土地理院に、もっと正確な都
市部の等高線の入った地図が必要と感じている。
亀井名張市長 水源都市は裏返すと、水害が多い町だということが言えるわけで、昭和 34
年、
伊勢湾台風の襲来により、
11 人の方が亡くなり、
1,000 戸の家屋が流され、
倒壊した。
以来、3河川に3つのダムを整備いただいて、ほとんど水害はなかったが、最近の異常気
象により、危険水位を超すことも度々起こっている。
一方、
昭和 39 年に木材輸入の自由化がスタートし、
外国から木材が入ってくるようにな
り山に手を入れる方がいなくなった。それが水害を大きくしている。国も社会的に問題化
していかざるを得ない中で、
森林環境税により、
個人の財産に手を入れなければならない。
こういう時代を迎えている。
鈴木伊勢市長 当市は、古くから治水は国事業で対応していただいている。当市は、平成
16 年9月に非常に大きな浸水被害があり、直轄河川、宮川の床上浸水対策事業を、国、県
から7か年にわたり進めていただいた。
堤防整備や河床掘削・樹木伐採を行っていただいた結果、平成 23 年台風 12 号や平成 29
年台風 21 号の際には、
計画高水流量を上回る洪水となったが、
幸いにも堤防が決壊するこ
とはなかった。
平成 29 年台風 21 号では、勢田川が氾濫し、緊急的な堤防嵩上げ、河道掘削等を行って
いただいているが、当市の治水対策をしっかりやっていくには、15 年から 20 年かかると
算定しており、事業の予算化をみんなで声を上げていきたい。
倉敷市長に質問したいが、真備町の川の治水計画について、発災後と発災前で整備に係
る予算の比較が分かったら教えてほしい。
伊東倉敷市長 もともと 10 年の計画を5年にしていただいた。それで 10 年のときに 250
億円ぐらいの金額を5年で倍の約 500 億円ということで聞いている。
福岡三次市長 昨年の豪雨災害において、公共土木、農地、民地、合わせて 2,100 か所の
災害があった。幸い、死者は出ていないが、本当に多くの箇所で被災した。かつて、昭和
47 年に大きな災害があったが、3つの大きな川が合流している地域であり、広島県の3分
の1の雨量が当市に集まるといった地形でもある。その災害対策として、堤防を強靱化し
ていただき、幸い、去年の豪雨災害では、堤防の決壊や越水はなかった。当時の工事が、
被害を抑制できたと感じている。
去年の災害で思ったことは、自分たちの命は自分たちで守るということを、市民と行政
が共有しなければならないということ。そして当市が取り組んでいることは、市内に 199の自治連合会組織があるが、その自治連合会単位で自主防災組織を作り、避難所の運営な
どを地元の皆さんにしていただくという体制を構築しつつある。
ただし、その活動の際、補償等の課題もあり、今後、どのように取り組むかスピード感
を持って対応したい。
また、自主防災組織に対し、交付金制度を活用し、自主防災組織が充実するよう、さら
に取り組んでいこうと考えている。
山崎綾部市長 平成 25 年から5年間で、
4回の水害に遭っている。
その前は、
平成 16 年、
その前は昭和 58 年で 20 年、10 年と空いて、5年のうち4回ということで、明らかに気象
状況が変わってきている。そういう時代に我々は生きているということを改めて認識しな
ければならない。
昨年の7月豪雨災害で3人の方が亡くなられた。土砂災害で家がつぶされ、1組の老夫
婦と1人の若者が亡くなった。
老夫婦の場合は、
あと 30 分でも1時間でも早く逃げられた
ら、あるいは若者の場合は、その日だけでも垂直避難ということで、2階に寝ていれば助
かったと思うと本当に悔やまれる。どうやって逃げていただくか、正常性のバイアスを取
り払い危機意識を持ってもらえるかが本当に大きな課題。ハード面、いろいろ築堤や河道
掘削、上流にあるダムの水位を下げてもらうなど、いろいろやっているが、もう一つのソ
フトとしてタイムラインをしっかり徹底していくことが、今後の課題である。
近藤高梁市長 昨年の7月の豪雨災害で、全国から励ましや応援をいただいたことに感謝
申し上げる。今回の水害は 46 年ぶりであったが、高梁市の一番南、総社市と接している所
に集落があり、
河川と国道の間にある堤防をオーバーフローした。
水位計は危険水位の8m
を5m 上回ったところで壊れたため、正確な情報は分かっていない。7月7日の午前0時
ぐらいから真夜中に濁流に全部飲まれてしまった。でも、住民が前もって逃げていたため
1人も亡くなる方はいなかった。けがをした人もいなかった。日頃から、そういう伝達等
をしており、住民の意識が高いということである。ハード面で整備するのは、時間も掛か
り無理な場合もあると思うが、自分の命だけは絶対守ってほしいということを呼び掛けて
いく必要があるだろうと思っている。
國定三条市長 今の発言の中で、皆さんが逃げていらっしゃったということだが、なぜ逃
げる習慣が定着しているのか少し解説していただきたい。
近藤高梁市長 46 年ぶりといわれながら、その地域は、平成 21 年、23 年、25 年とオーバ
ーフローし水位を超えていた。大雨の降った場合やダムの放流があった場合には、浸水被
害がある地域だった。こうしたことから、事前に市から避難情報を出す仕組みを構築して
おり、地域にも特に高齢の方、子どもを優先し避難所へ逃げるルール作りができており、
普段からそういうことを訓練し身に付いていた。10國定三条市長 当該地区に対し行政側から、しっかりと伝達しているということで、そこ
から避難のきっかけが始まるということだと思うが、それは避難準備情報のようなものを
発令し、それがきっかけになるということか。
近藤高梁市長 河川の氾濫水位を定めており、雨の状況、中国電力からダムの放流情報が
市に入ってくるので、その状況を見ながら発令している。
奥塚中津市長 昨年4月に当市の耶馬渓という所で発生した山地の崩壊、土砂災害の話を
させていただく。雨も降っていない、地震もなかった地区で突然、山地が崩壊し6人の方
が亡くなった。その原因を今、国土交通省から無降雨時の崩壊研究を行っていただいてい
る。ぜひともその崩壊原因の究明をお願いしたい。
この災害は、24 時間体制で捜索を行ったが 12 日間を要した。そのときの捜索の体制、
国土交通省はもちろん、自衛隊、消防、警察、地元の土木建築業者、県、中津市、気象庁、
大学等が集結していただいたが、その最中に雨が降り、二次災害が起こりそうな状況だっ
た。捜索活動を継続するのか、それとも中止するのかなど判断に迷った。捜索体制のリー
ダーシップをとる首長の責任は重い。
市長が正しい判断をするためには、あらゆる情報を集めると同時に、情報を集めるため
の役割分担をどうするか。そういうものを常日頃から関係機関と共有していくことが大切
だと感じた。ありがたいことに大分県に今回の災害の捜索についての検証会議を設けてい
ただき、会議を継続していただいている。
こういったそれぞれの強みを生かすことが大切。例えば国土交通省は大きな照明車を持
っており、それを貸出すなど、そういったことが重要である。つまり、それぞれが持って
いる知見やハードを把握し、いざというときに活用していくことが、極めて大切だと捜索
の中で感じた。
元村論説委員 どうやって逃げてもらうかというテーマは、第2部でもしっかりと議論し
ていただきたい。過去の被災経験がある自治体の方で、何かここで共有しておいたほうが
いい、あるいはアドバイスがあるという自治体はないか。
都竹飛騨市長 去年の7月豪雨では人的被害、家屋被害はなかったが、大規模な土砂のJ
R線敷地内への流出、土砂崩れによる道路寸断があった。その中で緊張したのは、発電ダ
ムの放流だった。当市には総貯水量1億 2,000 万m3という巨大なダムがあり、ここが放流
をするという連絡が電力会社からあり、このときが一番緊張した。
建設から 40 数年経過したダムで、過去最大の放流量が毎秒 150t。今回は最高で 600t で
4倍以上流した。その沿線に 800 人ほどの村があり、そこが全部浸水するのではないかと
いうことで、非常に緊張した。幸いなことに、電力会社と普段の関係があり、放流前に情11報を入れていただいたおかげで、避難勧告、避難指示を発令できたため、放流した水が、
人が住んでいる所に到達する段階で避難がほぼ完了していたという状態であった。
今回、発電ダムの周辺で雨は降っておらず、その上流で豪雨があり、それがダムの増水
につながった。電力会社との連携は、非常に大きいと痛感した。また、避難に当たり、消
防団が積極的に動いてくれた。災害対策本部から直接消防団に水位の確認等の指示を行っ
たが、全戸を見回り避難を呼び掛けてくれたので完璧に避難ができた。こういったときの
消防団との連携も重要だと感じた。
玉井西条市長 平成 16 年台風の襲来により、5人の市民の命が奪われる甚大な被害がも
たらされた。
この災害を機に、
市内全小学校6年生を対象とした防災教育の導入を決めた。
先ず、夏休み期間中に開催される防災キャンプでは、各小学校から選出された児童に対
し、調査・研究のテーマを投げかけ、リーダーを育成している。リーダーとなった児童は
自宅に戻り、校区内の危険か所や地域が抱える課題等を抽出し、地域防災マップ等の作成
に取り組む。これらの取り組みを全小学校6年生が集う集会において、それぞれ発表する
こととしている。
また、防災への意識が中学、高校へと進学しても低下しないように防災士の資格取得を
各校に要請している。防災教育を受けた子どもたちが、今では消防職員や消防団、防災士
連絡協議会に所属して活躍してくれていることがありがたい。
福元宍粟市長 今回初めて参加をさせていただいた。
10 年か数年に一度大きな災害がある
中、職員に災害対応の知見が蓄積されず苦慮している。そういった中、TEC- FORCE やリエ
ゾンから助けていただいて、災害の確認であったり、あるいは復旧への道筋などの場面で
支援いただき感謝申し上げたい。
市域全体の9割が山林である。1,000m 級の山々が 24 もあり、特に上流地域において山
腹崩壊を含め、非常に甚大な被害が発生した。
多くの方がこれまでの訓練を踏まえ避難していただいたが、残念ながら1人の方が亡く
なられた。そういう中で復旧に向けて、特に山林は地籍調査を進めており、兵庫県全体で
は 30%前後になるが、我が町は約 60%の地籍調査、山林調査を終えている。調査によって
公共事業等、国道、県道、市道含めて非常に復旧が早かった。地籍調査は、復旧に向けて
非常に重要なポイントである。
渡部戸沢村長 昨年の8月5、6日と 30、31 日の2回にわたり、洪水に遭った。最上川
が越水したのではなく、内水災害だった。
今回、けが人や亡くなった人がいないのは奇跡的だった。例年、降っても 24 時間で 200
mmを超えたことはないが、それが昨年は 366 mm、約 1.8 倍も降り大変な状況だった。
今回は、国、県を含めて、内水対策をしっかりとしていかなければならないということ
で、地元の方々と話し合いを進めている。12池部南富良野町長 平成 28 年の豪雨では、金山ダムの上流域に 515 mmの累計雨量があり
一気に堤防が決壊した。人の命は助かったが、牛を 900 頭助けてほしいと国土交通大臣に
直訴した。最近は温暖化により北海道のお米がおいしくなったと思っていた一方で、一緒
に台風も来るようになった。北海道にはたくさんの大河川がある。そうした河川の周辺に
は公共施設がたくさんあり、これらを今後どうしていくかは、北海道における災害対策そ
のものをどうしていくかという大きな問題だと捉えている。本州の自治体は災害対応ノウ
ハウがあると思うが、
北海道は災害初心者であるので、
ぜひとも、
御示唆をいただきたい。
手島芽室町長 3年前に水害被害があり、幸い死者はなかった。農地が 20,000ha あるう
ち 400ha が水に浸かり、108ha が災害復旧の対象となり、一部の農地が削られた。そのと
き国から、この河川の掘削土をその農地に使えないかという提案があり、会議体をもって
国、道、町と連携した結果、農地は全て復旧し、この災害による離農者はいなかった。セ
クションを超えた河川と農業土木の方々から知恵を絞っていただいたことに感謝したい。
もう1点、災害時、役場の職員だけで全てに対応することはできない。マイ・タイムラ
インもやっているが、被害を受けた地域と受けなかった地域によって防災意識の温度差が
大きい。これをいかに浸透させていくかが課題である。
大鷹日高町長 最近、台風が当たり前に来るようになった。前線の停滞や気圧の谷による
水害は過去にあるが、台風による水害は、慣れていない。
過去は温帯低気圧で終わっていたが、最近は台風のまま北海道にやってくる。そうした
水害に対し、いち早く避難することが大切。今のところ、台風が近づいてきても、住民は
避難しない。そこを気象情報とともに住民に周知していかなければならないし、いち早く
避難するときの避難所を自主運営で開設できるようにしたい。
具体的には生活館という施設が 27 館あり、普段、集会で使っているが、いざというとき
は避難所になる。しかし、施設毎に職員を派遣することが大変なため、自主運営の避難所
を自主防災組織を中心にやってもらいたいと思っている。
横山安芸市長 以前は台風銀座という言葉があったが、最近は全く聞かなくなった。全国
各地に台風が上陸し、風水害があらゆる所で起こっており、災害も時代と共に変わってき
ていると思う。
高知県は、毎年、台風が上陸もしくは最接近することから、河川の氾濫や土砂災害への
対策は、ある程度進んでいると自信を持っていたが、昨年の7月豪雨では、今までにない
雨量だった。安芸市には、安芸川と伊尾木川という2級河川があり、安芸川では、最大時
間雨量が 82 mmで、累加雨量は 1,274 mm。伊尾木川が最大時間雨量 100 mmで、累加雨量は
1,627mm と、過去、聞いたことがないほどの短期間雨量だった。
そのため、両河川とも氾濫危険水位を越え、集落、農地が浸水し、さらに県道を兼ねて13いる安芸川の堤防の一部が決壊した。
雨があと 30 分ほど続いていたら氾濫し、
市庁舎があ
る市街地まで浸水していたかもしれないが、途中で雨がやみ、幸い決壊による浸水被害は
なかった。
当時、安芸川の水位が氾濫危険水位を超えたため、避難情報を発令したが、ほとんどの
住民が避難しなかった。その後、河川水位の急激な上昇に伴い、浸水が予想される地域に
避難指示を出した。しかし、それでも約 3,800 人のうち1割弱しか避難しなかった。自主
防災組織率は 100%であるが、避難意識が薄いという状況であった。
佐藤魚沼市長 平成 23 年の新潟・福島豪雨、平成 29 年の線状降水帯による水害、いずれ
も河川が決壊し大きな被害を受けた。
その経験から昨年の西日本豪雨水害、北海道の胆振東部地震で被災された地域の苦労は
分かる。倉敷市真備町の水害、北海道胆振東部の地震では、家屋の被害調査に、
「チームに
いがた」として職員を派遣した。これは被災地域の復興支援はもとより、いつ何時、どう
いう災害が起きるか分からない中、職員がしっかり対応できるよう経験させる意味も含め
ての派遣でもあった。
水害については、いろんな課題があることは十分理解しているし、市民をどう安全に導
くかという課題も大きいということも十分理解している。当市は、高齢化率 50%を超える
地域が多数ある中、高齢者をどう導くかを非常に危惧しており、そのことについては、自
らの命は自ら守るということが前提にあるということを市民との対話の中でも伝えている。
市民の命を守る、安全を担保できる仕組みづくりにしっかりと取り組んでいきたい。
≪第2部 行政主導から住民主体の防災対策への変換に向けて≫
【基調講演】
片田特任教授 テーマに基づき、これからの災害対策について考えていきたいと思う。こ
れまでいろんな被災地を見てきて、私自身、考えたこと、思ったことをお伝えしたい。
今日は『行政主導から住民主体の防災対策への転換に向けて』ということで、住民主体
という話はもう散々されてきているが、その実態は、思いのほか進んでいない。どうした
ら本当に住民主体の防災になっていくのかという、そこの部分は私自身もずっと悩んでい
る。
最近の雨の降り方は本当にひどい。昨年の7月豪雨も、一説には琵琶湖3杯分とも4杯
分ともいわれる量がまき散らされ、極めて攻撃的な水害となった。雨域の範囲も広くほぼ
河川の流域が、すっぽりこの雨に見舞われるということで下流がもたなかった。まさしく
この真備町の水害は、高梁川の水位が上がり、そこに小田川の水が入ろうとするがバック
ウォーターで入れず、一挙にあふれ返る。これは平成 27 年の関東・東北豪雨における鬼怒
川の現場もこんな形だった。
これからこういった雨の降り方は多くなる。そして河川に対する負担がものすごいこと14になってくる。もちろんハードの充実も重要だが、これからのことを考えると、社会はこ
の事態にどう向き合うのかということも併せて考えていかなければならないというのが現
実だと思う。
今回は、災害の解説に来たわけではないので、防災という関連からこの問題を少し深掘
りをしていきたい。倉敷市民の率直な感想として、ハザードマップは家にあるけど確認し
ていなかったというものがある。
「ハザードマップは、
東日本大震災の頃からいわれるよう
になったから、あれは津波のものかと思っていた。」、
「ハザードマップを知らなかった。」こういうことを言っている。これは内閣府の調査会議の中の資料だが、ハザードマップを
知っていましたかという質問に対して、
内容を理解していたという方は4分の1しかなく、
多くの方はハザードマップを十分に理解していなかった。
ここに、
当事者感のなさがある。
少し真備町の人たちの心の中を見てみると、先ほど見ていただいたハザードマップに対
する認識は確かにそんなに高いものではないが、
実はこの地域には、
昭和 51 年に発生した
水害の碑があり、内水 50 cmと記されている。今から 40 年ぐらい前に、この地域は内水被
害に遭っている。しかしながら、そのもう少し前、このハザードマップに示されるような
水害が過去にあった。ある意味、かつてこの地域の方々は、水害ありきの生活を送ってお
られたということもまた事実である。
それから立派な堤防が出来上がり、
以来 40 年にわたってずっと水害がない。
先ほど言っ
たように 40 年前といっても、内水被害だった。この状況の中で、住民にハザードマップに
現実感を持てというのは少し無理なところがあるような気がする。
ハザードマップを見なかった真備町の人たちも、認知率が低いからと言って、これが問
題だとどれだけ言っていてもことは進まない。こういう状況の中で実際に水害が発生し、
このハザードマップにあるとおりの被害状況になった。
そして 51 人の方が亡くなり、
それ
も 42 人の方が1階で亡くなっており、2階にすらいかなかったという状況も見て取れる。
要援護者で、寝たきりの高齢者を抱え、ハザードマップの示すような浸水域の外に逃げる
となると、2km、3km、逃げなければならない。避難所には多くの方が集まっていて、そ
こに寝たきりの高齢者を連れて行き、体育館の隅に寝せるという感覚になるだろうか。そ
れよりも2階を選ぼうとしたこの行動は、そんなに異常なのか。私には異常に思えない。
しかし、ちゃんと逃げていたならば助かったということもまた事実。この間にある問題を
私たちは今、埋めなければならない。
特にお年寄りたちが逃げなかったという気持ちも分かる。でも逃げなかったからこうい
う状況を迎えてしまった。本当に今、どう在らねばならないか。行政はもちろん逃げなさ
いと言い、逃げることを推奨している。でも、住民の最後の意思決定そのものが、被害の
多寡を左右してしまうという、この状況を私たちは直視しなければならない。ここの部分
が重要。本当の意味で住民が主体性を取り戻さなければならない。本当に今、住民がそれ
だけの意識を持てるかどうかっていうことが本当に生死を分けるような、こういう状態に
なっているというこの意識を国民と共有できるかどうかということを問われている気がし
てならない。15そんな中、中央防災会議でこの災害に関する検討会が開かれた。7月豪雨の検証委員会
である。
7月に豪雨災害が発生し、
12 月には報告書がまとまっているので、
非常に短期で、
集中的に議論した会議であった。正直、この会議は、日本の防災対策の方向性を大きく転
換するぐらいの大きな変更があったと私は感じている。
1回目の会議のときに、私は、
「20 年前にもこういう会議に出ています。いろいろな問
題点があり、反省し、改善を試みた。翌年、また災害があった。また反省会をした。そし
てまた改善をした。そしてずっとやり続けて、20 年経ち、また今回、この水害についての
反省会をやろうとしている。毎回、反省を続けているけれども、10 年後、こうした会議は
やっていないだろうか。
」と発言した。私はやっていると思う。毎回、問題があって、反省
し、対策を講じる。でも、10 年後にも災害はなくなっていないとするならば、議論のフレ
ームが少し違うのではないか。
こういう議論の仕方はあっていいし、
反省すべきは反省し、
改善すべきだけれども、これだけではフォローしきれない問題があるということに、我々
は気付かなければならないということだと思う。
そして第2回目の報告書が上がってきた。私はそれを読んだとき、また会議の冒頭で同
じ発言をした。一つ一つの文章を読んだとき、何の違和感もない。でも全部、読み終えた
後、強烈な違和感を感じた。何だろう、この違和感は。ということで報告書よく見てみる
と、それぞれの文章の文末が、
「御理解をいただく。」「周知する。」「自覚を促す。
」といっ
た要は主体が行政で、客体が住民という、行政が対策を積み増し続け、改善し続け、そし
て住民の皆さんに訴求し続け、改善していこうという基本的な流れになっている。これは
限界じゃないかという思いがあり、こんな発言をした。
その後、
何度か内閣府から意見を求められ、
直接幹部の皆さんと話す機会をいただいた。
そして3回目の会議で報告書が出てきた。正直、びっくりした。これが内閣府の報告書な
のかというほど方向性が変わっていて正直、驚いた。これまで我々は対策を重ね続けてき
たわけであり、今後も対策を続けていくことは重要だが、行政はさぼっていいわけじゃな
い。
この報告書の避難に関する基本姿勢というところにこう書いてある。
「行政は防災対策
の充実に不断の努力を続けていく。
」これは当たり前、行政ですから。地域の住民の命を守
るために不断の努力は続けていく。でも、先ほど言ったように対策を積み増し続けても、
最後、やはり、先程の真備町の話もそうだが、住民の皆さんがこの段階で、よし、逃げよ
うと思えるかどうかということ。これは行政がどれだけ対策を積み増してもやっぱり駄目
で、住民の皆さん自らが逃げようということが大切である。温暖化に伴う気象状況の激化
や、行政職員数が限られていることなどにより、突発的に発生する激甚な災害に対応して
いくには行政主導のハード、ソフトには限界がある。
今後はどうしたらいいのか。この事態を改善するためには、国民全体の共通理解の下で
国民主体の防災対策に転換していく必要があるという問題意識を明確に示している。その
上で、これまでの行政主体の取り組みを改善することによって、防災対策を強化するとい
う方向性を根本的に見直していくという方針を示した。これはすごいこと。防災行政がい
ろいろ対策を積み増して防災を改善していくという、基本的な流れを根本的に見直すと言16っている。住民が自らの命は自らが守るという意識を持って、自らの判断で行動を取り行
政はそれを全力で支援する。
これまで防災というのは行政サービスだった。それが行政によるサポートだという、こ
う方針転換をしている。これは、避難勧告を出そうとも、ハザードマップを配っていよう
とも、最後、その方が逃げていただけるかどうか。そのときに対応できなかったら、それ
は命を落とすということになる。その最後の行動はあなたですということを明確に述べて
いるということにおいて、これは大きな変化と捉えるべき。
そして、最後にメッセージが付いている。
「国民の皆さんへ。大事な命が失われる前に。
自然災害は決して人ごとではありません。あなたやあなたの家族に関する、命に関わる問
題です。激化した気象現象は今後、さらに悪化するでしょう。行政が一人一人の状況に応
じた避難情報を出すことは不可能です。自然の脅威が間近に迫っているとき、行政が一人
一人を助けに行くことはできません。行政は万能ではありません。皆さんの命を行政に委
ねないでください。
」これが行政の言葉とは思えないくらいの書きぶりとなっている。
中央防災会議のワーキンググループとして書いた報告書として、何が大事なのかという
ことを、住民の皆さんが本当に動いていただくことが必要だ、そうしないと国民の命を守
れないという、本当に内閣府の行政の思いの丈を国民の皆さんに分かってもらいたいとい
う、ものすごい熱意を感じた。
国民の一人一人が、本当の意味で、自分の命は自分で守るという、この意識を持たない
限りどうにもならないという意識の共有を一生懸命、図ろうとしているものが、この報告
書だと思う。
防災は、家庭の中での親子の思いや、地域の中での弱き者に対する思い、またそういう
思い合いができるような地域であるかどうかがポイント。要するに大事な人のことを考え
た行動ができるかが本当に実効性を持つ防災対策だと痛感する。
どちらかというと、これまでのアプローチはほとんど指さし状態で、あなたが危ない思
いをしたら、あなたが逃げてくれ、あなたが適切な行動を取ってくれといってきたように
思う。本当に大事な人のこと、それを思うという中で考える防災は、地域の問題であった
り、家庭の問題であったりするような、そんな在りようというものを求めていくことがこ
れからの防災に求められると思っている。
防災は、最後はあなたがどういう行動を取るのかということ。そこに分かれ目があると
いうことを、国民の皆さんと意識の共有を図らなければならないと思う。それから大切な
人、家族のこと、行政や地域との関わりの中で防災を考えていかないといけない。防災に
ついての知識・情報、避難所・避難路確保、これは行政がやること。これは行政しかやる
人がいないからやればいい。でも、それとは全く別な次元で考えなければならない。ここ
をやっていかないと、防災の実効性はないとすら思える。
自然災害に向かい合っているのは地域社会である。地域社会の中に行政という役割があ
り、住民という役割がある。自分の命は自分で守れと言い放っても守りきれない高齢者も
いる。それは地域みんなで守ってやろうという、こういう社会をつくっていくという方向17に防災は転換していかないと、行政が対策を積み増すという方向、対策を積み増して防災
のレベルを上げてくという発想は、それはそれで必要だけれども、一方で、それではフォ
ローしきれない、ゼロリスクは達成できないから、そこの部分で現在は過保護になってい
る住民の皆さんの、そこに潜む危険というのは、思いやりやコミュニケーションといった
部分をやっていかないとだめ。その両者で日本の防災は成り立ってくるようにしないと、
もう立ち行かないということだと思う。
ハザードマップは、単なる一つのシナリオ。次の災害がどんな災害か分からない。であ
るがゆえに、ハザードマップを信じてはいけないというのは言い過ぎかもしれないが、あ
またあるシナリオの中の一つを示しているにすぎない。しかし、それすらなかったら何が
起こるか分からないからハザードマップは重要である。
日本社会はこの主体性というところで重要な局面に向かい合っている。行政もこれまで
どおり、頑張らなければならない。でも、それだけでは無理だということを国民の皆さん
と意識を共有し、本当にその日、そのとき、行動を取れるあなたであるかどうかを問いつ
つ、そんな国へと変えていかなければならない。そんな思いを私自身は思っている。
それでもかつての行政依存状態から、行政の限界も認識されるようになってきた。しか
し、荒ぶる災害に対し、そこの部分を徹底していかないと駄目かなと思う。これほど行政
依存が高いのは日本ぐらいで、他国はこんなことない。他国の防災と比較しながら日本の
防災を相対的に位置付けることをこれからやっていかなければならないと思う。
元村論説委員 片田先生、ありがとうございました。後ほどディスカッションの中でいろ
いろ御意見を伺いたい。続いて、今度は住民方からの意見表明をお願いしたい。住民が主
体となって防災活動を実践されている愛媛県大洲市三善地区から窪田亀一自治会長さんに
お越しいただいたので発表いただきたい。
【事例発表】
窪田大洲市三善地区自治会長 愛媛県大洲市三善地区で自治会長をしている。実際に行動
を起こした当自治会の事例を紹介したい。大洲市の三善地区は、大洲市街地から6kmほど
下流にあり、人口が 866 人、世帯数が 396 世帯の山に囲まれた盆地となっている。その中
央に一級河川、肱川が流れており、昔から水害に悩まされ、農作物、そしてまた家屋の浸
水、そういうものを経験してきた地域である。
昭和 18 年7月の大水害が、
これまでの歴史の中で一番被害が大きかった。
災害がそのよ
うな形の中で、どのようにしてお互いを守り合うかということで、地域を挙げて取り組ん
できた。この自治会の組織は、代々、地域のことを考えながら、また大洲市から派遣され
た連絡所の所長とともに地域づくりを行ってきた。
平成 18 年2月に三善地区の自主防災の組織を結成し、平成 27 年に内閣府が災害の避難
に対するマップづくりを募集しており、それに応募し採用された。その後、内閣府の指導
により三善地区の災害避難カードづくりを始めた。1回目は、市、県、国、気象庁、関係18者の皆様方と地域住民で話をし、それぞれのところを検討した。第2回目は、この地域の
マップづくりをどのようにしていくか、具体的な地域の図面を作り、図面の中に御指導い
ただいたもの、我々が考えなければならないものを書き込んだ。
その中で一番の特徴は、上からの目線でなく、下からの目線で作り上げようということ
で、
地域住民全員に呼び掛け 80 人から 100 人の住民がそれぞれの地域で、
これまでの歴史
の中のどの災害を基本にして、どのように逃げるかを検討した。
我々が決めたのは、
昭和 18 年の水害。
この水害を想定してマップづくりをしようという
ことになった。
このマップづくりで、我々が一番苦労したのは、17 の地域の区長から、全ての世帯の皆
さんから逃げるべき避難所を記入してもらうことで、3か月を要した。そしてこの地図の
中には、それぞれに気に掛ける人とどのように行動するかということも記入した。
また、避難カードには、自分の血液型、その方の病気、通院先、名前、そういう情報を
全て網羅するようになっている。裏には、もしものときに連絡する身内の方、または知人
などの名前を全て書き入れるようにして、各家庭の冷蔵庫や玄関口など、緊急を要したと
き、家族の者が覚えている所にカードを掛けておくように決めた。
このようにマップづくりや避難カードは、内閣府の指導のもとで、住民も謙虚な気持ち
で、本当に災害からお互いに身を守ろうではないかということで対応してきた。
昨年の7月7日、午前4時頃、本当にすごい雨が降った。我々は常に行政の対策本部が
できたら、それぞれの防災担当の役員は、連絡所に市の職員と一緒に向かうようにしてい
る。この日は、これが午前4時であった。午前4時に対策本部ができ、午前4時半に指定
の避難所を開設した。また、集会所、避難所は、地域の方々がそれぞれの鍵を開けるとい
う対応もしている。
この日の午前7時、指定の避難所には 30 名ほどの避難者がいた。また、各集会所に避難
されている方も多くおられ、合計いたしますとかなりの数だった。このとき鹿野川ダムが
3,700t を放流するという情報が入った。
今まで我々が経験した放流量は 1,500〜1,600t で、
今回の放流量が 3,700t という。我々が本部で考えたのは、この地域がどうなるか。この指
定の避難所がどうなるかということを想像したとき、本当に未曽有の災害が発生すると思
った。こうした状況の中、ちょうど近くに四国電力の変電所が高台にあり、そこで、すぐ
に変電所へ行き、地域の避難者を受け入れてもらえないかという相談をし、了解をいただ
いた。
その後、地域の有線放送を使い、避難を呼びかけた。住民には避難カードを付け、マッ
プを確認して避難するよう繰り返し呼びかけを行った。
ダムの放流が 3,700t、ダムから下流に、我々の地域まで5か所から6か所の調整できな
い河川が肱川へ入り込んでいる。また、1日2回、潮の干満の影響を受ける地域であり、
その満潮が午後3時前ということで、それらの水量を考えて今の避難所が安全かどうかを
判断した。これは地域独自の判断で行った。その結果、この避難所は浸水するおそれがあ
るので、
別の避難所へ急ぐべきと判断した。
勿論、
行政の本部とは常に連絡を取っており、19その旨を報告した。そして高台の変電所にお年寄り、障害をお持ちの方々から先に避難し
た。
結果として、
一人の死傷者を出すことなく災害から全ての住民の命を守ることができた。
我々の地域は自分たちで守る。自分の命は自分で守るという考え方を基本に自治会を運営
しており、昨年の7月は当然のことをやっただけ。一人の犠牲者も出さなかったのは、自
治会、民生委員、女性部、そして消防団、それぞれの組織のおかげだと思っている。
私の信条は、命の対話。命があって対話ができる。そしてコミュニケーション。対話を
重ねることによりその地域が命を守ることになると考えている。災害はいつ起こるか分か
らないが、
首長の皆様のお話をお聞きし、
皆様が市民を大事に考えていただいている中で、
自分も住民の1人として皆様の期待に添うよう、地域住民と力を合わせ連携しながら、有
事の際は地域を守っていきたいという思いをより一層、強めた。以上で、私の経験談を終
わる。
元村論説委員 片田先生、そして窪田自治会長の発表は、いずれもコミュニケーション、
それから気使う人の存在というのがキーワードになった。それでは意見交換を行う。
尾関関市長 平成 30 年7月豪雨の被災地の首長としていろんな思いを持ちながら先生の
お話を伺った。住民自ら意識を持って逃げてもらうということに尽きる。今の窪田自治会
長の実例も踏まえ、当市も取り組んでいきたい。
安田加東市長 当市は兵庫県下最大の一級河川、加古川が流れており、今、緊急対策特定
区間において、国のほうで 130 戸の移転を伴う事業として、川床の掘削、築堤工事が進め
られている。
国に対しお願いするばかりではなく、
我々としてしなければならないことは、
一つは内水の排除対策で、排水ポンプ場(全速全水位型横軸水中ポンプ)を今般、整備し
た。市内でも、地域によって、やはり意識が相当違う。この加古川沿いの自治会において
は、我々が災害対策本部、あるいは警戒本部を立ち上げている段階で、既に公民館等を開
放しており、受け入れ準備はいつでもできている、こんな連絡をいただくことが常になっ
ている。
常々思うが、
防災意識の高い人をどうやって確保していくか。
その一つが消防団である。
また、地域において、繰り返し防災訓練を実施していただく。そこに私自らが足を運び、
あなたの命、あなたの大事な家族を守るためにこの訓練に臨んでほしい。そんなことを申
し上げている。
もう一つ、
ハードだけで物事は絶対に解決しない。
ハードとソフトの両面、
またデジタルとアナログの両面、こうした両方を活用しながら地域住民の安全安心を守っ
ていく。我々は行政としてやるべきことはやるが、全て対応することはできない。そんな
思いで今、取り組みを行っている。
坂口那賀町長 当町は林業の町で、雨が降れば林業の人が喜ぶという状況。それが最近、20雨の降り方が異常で 1,000 mm近い雨が降るようになった。那賀町にはダムが五つあり、県
が管理するダムと四国電力が管理するダムがある。その中に長安口ダムという県管理のダ
ムを国の直轄管理にしていただいた。
そして、これまで利水が主だったものを、治水機能を持たせるため世界で初めての工法
で、ゲートを二つ構え事前に水位を下げるという工事を行っていただいた。また、河川整
備計画の見直しを行うとともに、民間のダムにも整備計画の変更を検討いただいている。
町民には、大雨や台風時、ダムの放流量、水位量、河川水位をケーブルテレビで 24 時間
放送し、避難等の判断材料として提供している。
管家西予市長 昨年の豪雨災害では、川の氾濫と山の崩壊で大変な被害を受け、6人の方
が亡くなった。今もなお4か所の地域で避難指示を出している状態である。7月豪雨では
消防団に助けていただいた。また、避難されない方には警察と消防署が連携し多くの命を
助けていただいた。
今回、初めての災害で、国の災害マネジメント総括支援や対口支援、全国の市町村から
支援をいただいた。反省点としては、夜中だから明るくなって避難情報を発令しようとい
う判断から、避難していただくのに時間が掛かってしまったこと。夜中であろうがなんで
あろうが、危険を市民に知らせる責任は首長にある。そういう点を反省している。
泥谷土佐清水市長 昔から台風による被害が多い県であり、それゆえに台風への備えや水
害への意識は非常に高い地域でもある。
御承知のように平成 24 年3月に南海トラフの地震、
津波の地震想定が公表され、
平成 25 年に緊急防災特別措置法が成立し、
高知県内の市町村
では、南海トラフへの備えや対策を急ピッチに進めてきた。
昨年も6月から 10 月にかけて 20 の台風が上陸または接近し、毎週のように災害対策本
部を設置し警戒に当たった。
しかし、
住民は地震、
津波に意識がいくため、
水害への備え、
避難するという意識が大変、
希薄になっていると危惧している。
そういった点でもう一回、
この南海トラフの地震・津波対策も含め防災対策に一生懸命、頑張りたい。
久住見附市長 住民自らの行動に結びつく水害・土砂災害ハザード・リスク情報共有プロ
ジェクトに参加した。
当市はこれまで健康施策に 10 年間取り組んできたが、
7割の人が無
関心層である。しかし、その無関心層を動かすには、友達からの声掛けが非常に効果があ
ったと聞いた。現在、
「健康インフルエンサー」を 200 万人、全国に作ろうとしているが、
災害時、避難されない方も一緒である。
「避難インフルエンサー」という、まさに窪田自治
会長のような方を地域につくるということが必要。今日は住民主体がテーマである。地域
での声掛けで人は動くということを健康施策を通して分かったので、同じことを防災に結
び付けることが可能であると思い、提案させていただく。
小野伊豆の国市長 昭和 33 年9月 26 日、853 人の犠牲者を出す狩野川台風があった。そ21して昭和 40 年、狩野川放水路が完成し、同時に狩野川資料館ができ、流域に住む小学生や
中学生の防災学習の場となっている。今年の3月 11 日、中学生から提言書をいただいた。
中学校3年間にわたって深めてきた防災学習を通して、自分たちの住んでいる伊豆の国市
のために、謹んで提言しますというもので、ハザードマップを定期的に作成し、地域毎に
確認し、人の集まるところに掲示するよう提言を受けた。このように子どもたちが一緒に
やろうと、行政に対し提言書を出してくれたことを大変、心強く、そして明るいものと思
っている。
二宮大洲市長 昨年の7月豪雨災害を受け、三善地区が取り組んだ災害避難カードの作成
を全地区、全自治会で取り組みを始めている。その目的は、やはり今、地域のコミュニテ
ィの力が弱っているという中で、三善地区が成功したのは、住民の皆さんが主体的に地域
を歩き、どこを通ってどこへ逃げるか、一時避難できる場所を探すなど、住民の皆さんが
主体的に議論され、
ああいった備えをいただいたもので、
それを全市に広げ、
ご近所の力、
地域のコミュニティの力をもう一度、呼び戻したいと考えている。
また、当市は、水源池が被災し、市内の2分の1の世帯が断水した。幸い2週間で安全
宣言を出すことができたが、これを踏まえ、ライフラインをどう確保するか、万が一の場
合は誰が指揮官となり、どういった役割分担で対応するかを検討している。
また、1,372ha が浸水し、4,000 棟を超える住宅、事業所が被害を受け、災害廃棄物の山
となった。6か所の仮置き場を準備したが、間に合わなかった。そういったことで、万が
一の場合、
どれくらいの規模の場合にはどこを確保するかという、
事前準備を進めている。
合併により職員が減り、財政も人口減少等で弱りつつある。特に技術職員が不足してお
り、優秀な人材を確保できない状況にある中、万が一の際は国土交通省から TEC-FORCE の
充実、技術者を速やかに派遣いただきたい。
最後に1点、やはり防災教育が大切であると捉えており、この災害の記憶が薄れないう
ちに、社会教育の面から防災教育に取り組み、子どもから大人までしっかりと学んでいた
だき、自らの命は自らが守るという意識を醸成していきたい。
牧野鯖江市長 当市は、今、体制を整える、知識を蓄えるということで、災害に備えるた
めのいろんな防災施策を展開している。一つはタイムラインを作ること。自主防災組織を
つくること。そして地区協議会などをつくることである。
今、
「マイ・タイムライン」を自分自身で作ることで、的確かつ迅速な避難行動が取れる
よう教育をしている。
もう一つは、小学校4、5年生を対象にキッズ防災士を育成している。
もう一つは、看護師に万が一の際に福祉活動を行う減災ナースとして登録いただき、地
域で看護支援をしていくことを目指している。
また、今回、防災ため池ハザードマップの追加と、災害時サポートガイドブックを改訂
し、新たに全戸配布した。これらを通じて、とにかく災害に備える、我が身を守る、我が22町を守るという「備災」に取り組んでいる。
山本宇治市長 片田先生の講話は、国が率先して災害対応を見直しているという部分が非
常に感銘を受けた。首長からはなかなかそこまではっきり言いづらいところがあるが、持
ち帰り、いろんな場で訴えていきたい。それからコミュニティが崩れつつある中で、首長
として理想に向かって挑戦していきたい。
原田日田市長 平成 24 年、29 年と大きな災害を経験した。先ほど片田先生のお話の中で
どれだけ住民を逃がすかという課題については、結果から申し上げれば住民自らが動いて
もらうしかない。今、当市における取組は、280MHz 帯の防災行政無線ラジオを 27,000 世
帯全部に配置すべく計画を進めている。ただ、利用としては、市から強制的に送り込む防
災情報、これと併せて、今度は地区で使っていただけるように、共用できるような形を目
指している。それは自治会、いわゆる町内会である。町内会の力をつけるために、公のも
のであっても全て自治会に運営を任せるという形の中でコミュニティづくりのため、町内
の連絡のため、民生委員も含めて利用いただけるというツールを、全地域に配置する。来
年の 7 月には整備されると思うので、
進捗状況等も含めて、
来年は具体的な説明ができる。
片峯飯塚市長 5年前、片田先生の講話を聞いた後、すぐに市内 30 校、全校で防災教育
を始めた。去年からは若い教員が増え、知識と経験が不足し、うまく教えられないため、
ソフトバンク社と提携し Pepper を活用し、防災教育を実施している。
≪コーディネーター総括≫
元村論説委員 今日の事例報告や講演を通じて、たくさんの気付き、そして共有していこ
うという気持ちになったと思う。住民が主体となって避難することと併せて行政は最大限
の努力でそれをサポートするという片田先生の話や、窪田自治会長の大事な人を守る、気
使うべき人を大切にする救助・避難というのは、人間にとって普遍的なものだと思う。水
害にかかわらず、災害に向き合う我々全員が心に刻むべきことだと思う。
≪国土交通省所感≫
塚原国土交通省水管理・国土保全局長 首長の話を伺い、
それぞれの経験と、
そこから様々
な工夫や知恵、そしてそれを実践していただいていることについて、改めて敬意を表した
い。国交省として、このような首長の思いを大事にしていきたいと改めて思っている。
特に首長の災害のときの決断はやはり重い。このことを改めて感じた。それを国は、全
力で支えていきたいと思っている。その上で意を強くしたことは、事前の防災対策をしっ
かりとやっていかなければならないということ。特に温暖化の影響がこれだけ激しく顕在
化してくる中で、もちろん災害対策は、それぞれ自治体で一生懸命取り組まれ、住民の皆
さんもいろいろ、取り組まれているが、その負担も非常に大きいと思う。仮に命を守るこ23とができたとしても、災害が起きてしまえば家は流され、またライフラインは寸断される
ということになるので、そういうことのないよう、我々もしっかりと防災対策を行うこと
が改めて重要である。
もう一つは、住民の避難。当たり前のことであるが、昨年の災害を重く受け止め、最終
的に住民の皆さんに逃げていただくために我々は、何ができるかということ。関東・東北
豪雨の後、水防災意識社会の再構築ということで、減災協議会や、タイムラインなどの対
策に取り組み、一定の成果を上げたと思っているが、一方で、住民の皆さんの心に届いて
いないというところは我々も思っている。
一番の反省は、
住民主体の避難行動への転換ということで、
関東・東北豪雨の後、
我々、
ソフトとハード一体で頑張ってきたが、そのソフト対策を住民目線でやろうとしていたこ
と。住民目線で情報を出すという対策は、片田先生の言葉で言うと行政の立場でしかなか
った。昨年の災害を踏まえ、今は住民主体のソフト対策に変えていこうという取り組みを
進めている。そういう意味では、思いは首長の皆さんと一緒だと思っている。引き続きこ
ういった取り組みを皆さんと一緒に進めてまいりたい。
あと、
被災経験のない自治体は知見、
ノウハウ、
人材、
そういったものが不足している。
本日のテーマのように過去からの教訓を生かすことが非常に重要だと改めて思った。そう
いう意味で、この水害サミットの活動は極めて重要だと思う。是非、さらなる活動の強化
と全ての地方に活動を広げていただくようお願いしたい。我々も連携を図り取り組みを進
めてまいりたいと思っている。本日は、本当に感謝申し上げる。
≪提言書採択≫
司会 水害から命を守る緊急提言案について、提言書の採択を行う。提言の趣旨等につい
て、実行委員会、発起人を代表して、國定勇人三条市長が説明する。
國定三条市長 これまで水害サミットでは平成 25 年と 28 年の2回にわたり提言書を取り
まとめ、国に提出させていただいた。冒頭、申し上げたとおり、昨年、度重なる水害を受
け、さまざまな課題が浮上した。こうしたことを捉え、これから出水期を迎えるに当たり
自治体が取り組んでいること、国が行うべきことを「水害から命を守る緊急提言」として
取りまとめ、国、自治体それぞれの役割と責任において、防災対策に万全を期すよう、取
り組んでまいりたい。
なお、
文面については、
あらかじめ各自治体に確認いただいている。
現在、143 人の首長の皆様方のお名前を提言書に掲載させていただいているが、本サミッ
トに出席されている首長の皆様方から改めて賛同いただきますようお願いしたい。
(拍手あり)
司会 今の拍手をもって賛同ということで、提言については採択とさせていただく。
本提言につきましては、6月下旬に内閣府及び国土交通省に提出させていただく。24以上で第 15 回水害サミットの全てのプログラムを終了する。
それでは閉会に当たり中貝
宗治豊岡市長から挨拶をお願いしたい。
≪閉会挨拶≫
中貝豊岡市長 長時間にわたり熱心な御議論をいただき感謝申し上げる。大変、中身の濃
い時間であったと思う。また片田先生、窪田自治会長にはこの水害サミットの今後の方向
性を決定付けるような、示唆に富むお話をいただき本当に感謝したい。
今日、住民主体の防災への転換というテーマの中で、内閣府の報告書に盛り込まれてい
る「行政に命を預けないでください」というメッセージは実は豊岡市からワーキンググル
ープの側に提出したもので、日頃、市民の皆さんに直接、伝えている言葉をそのまま採用
いただいた。その意味では片田先生が日頃、思っておられる感覚と、現実に避難勧告や避
難指示を出しても逃げてもらえず苦しんでいる自治体の感覚と、国の感覚が一致したと思
う。その意味では大きな前進だったと思う。問題はここから先である。
どうすれば主体的な住民が生まれてくるのか。ここで放っておいて生まれてくるという
のは多分、今日、お話しいただいたようにいくつかの幸運な例だけで、放っておいたらな
かなか生まれてこない。しかも片田先生のお話を聞いていると、結局、それは深い対話の
中からしか生まれてこないのではないか。逃げない人にも逃げない正当な理由があること
を認め、相手を理解した上でなお、対話を続けることの中から主体性は生まれてくるとす
ると、こんな辛抱強い作業は誰ができるのか。放っておいてはできない。誰かがそれを促
していかなければいけない。その促しは、恐らく国でもなく、都道府県でもなく、最も日
頃から、住民と付き合っている市町村がその責任を担う必要があると思っている。その意
味では私たち自身、大きな宿題をこの会の中で得たと思っている。逆にもしこのようなこ
とができれば、コミュニティが弱まっているという話があるが、この作業の中から強いコ
ミュニティが生まれ対話がまちじゅうに溢れるのではないか。
防災のことばかりではなく、
まちづくりの在り様そのものが変わっていく可能性がある。防災は非常にしんどい仕事で
あるが、非常に価値のある、やりがいのある仕事である。出水期に入ったが、力を入れて
頑張っていきたいと思う。
重ねて今日の日に御尽力いただきました全ての方々に心から感謝を申し上げ閉会の挨拶
としたい。
おわりに
激甚化、広域化に加え、規模や想定を超えた降雨による被害が全国各地で多発している
中、今回のサミットでは、
「過去の被災経験を復旧・復興対策に有効に生かすために」をテ
ーマに平成 30 年7月豪雨の被災自治体による実例発表や、昨年、防災対策のあり方が大き
く転換されたことを受け「行政主導から住民主体の防災対策への転換に向けて」をテーマ
に、東京大学大学院情報学環片田特任教授による基調講演、地域における防災活動に自主
的に取り組んでいる愛媛県大洲市三善地区の窪田自治会長による事例発表をいただき、そ25れぞれについて参加市町村長による活発で有意義な意見交換を行うことができた。
折りしも、中央防災会議防災対策実行会議からの報告において「行政主導の取組を改善
することにより防災対策を強化する」という方向性を根本的に見直し、住民が「自らの命
は自らが守る」意識を持って自らの判断で避難行動を取り、行政はそれを全力で支援する
という、住民主体の取組強化による防災意識の高い社会の構築に向けた基本姿勢への転換
求められる中、今回の水害サミットのテーマに基づく議論は、新たな時代における防災対
策の在り方について考える絶好の機会となったものと認識している。
最後に、石井国土交通大臣・水循環政策担当大臣、塚原国土交通省水管理・国土保全局
長を始めとする国土交通省の皆様、内閣府、消防庁の皆様から御出席いただき、近年の国
の動向に関する御説明やテーマに対する貴重な御意見を通じて非常に意義深い第 15 回水
害サミットを開催することができた。お力添えをいただいた多くの関係者に改めて心から
感謝したい。