コレクションの紹介
なごやコレクション 「なごやコレクション」では、名古屋市史編纂資料の一部の画像をご覧いただけます。また、なごやコレクション:特別集書資料検索」では、名古屋市史編纂資料及び河村文庫、郷土和装本(旧分類6版別置本)、佐藤・三輪・鹿山文庫、植松本の資料を検索していただけます。
鶴舞中央図書館特別集書
市立名古屋図書館(当館旧称)は、大正天皇の即位を記念して大正4(1915)年5月設立が議決され、第一次世界大戦とそれに続く経済恐慌などの困難を克服し、大正12(1923)年10月開館しました。この間、大正11(1922)年6月までは教育課が創設事務にあたり、河村文庫など、この地方の名家の旧蔵書を中心としたコレクションの買入れが行われた一方、名古屋市史編纂資料が移管されました。名古屋市史編纂資料と河村文庫は当館コレクションの大きな柱となりました。また、開館後には鹿山文庫、佐藤文庫が寄付され、古典籍の多いことが当館の特色となりました。
しかし、戦災のため、大半が焼失しました。戦後、いくつかの文庫や文書の購入、篤志家による寄付があり、現在に至っています。現存する特別集書は次の通りです。
名古屋市史編纂資料
大正12年の市立名古屋図書館(当館の前身)の開館にさきだち、大正11年6月に準備の事務所が開設されました。このとき、大正5年に完成した『名古屋市史』の編纂資料が移管されました。
いまなお、すぐれた地誌として評価の高い『名古屋市史』(大正5年〜昭和9年刊、全12冊)の最大の特徴は、専門の研究者の執筆になり、名古屋を中心に旧尾張藩領の関係する諸県から広く資料が収集されたことです。その結果、当時としては最高水準の正確な市史となりました。
名古屋市史資料は、総記、哲学、宗教、教育、文学、語学、歴史、地誌、法制、経済・財政、統計、社会、理学、医学、工学、兵事、美術、諸芸、産業、地図に分類、整理されています。それまでの名古屋の社会・文化全体を資料によって総合したものといっても過言ではありません。『市史』の本文で示された典拠資料にあたることが容易にできるため、これまで繰り返し活用され、新たな研究成果を生み出してきました。大半が筆写されたものですが、『金鱗九十九之塵』(こんりんつくものちり)など、今では原本が失われたものもあり、大変貴重な研究資料となっています。
現在約4,600冊を所蔵していますが、文字から絵図まで、きわめて忠実に写されたものが多く、コピーの普及した現代からみれば、一冊の本を写すことの大変さ、重大さがしのばれます。『名古屋寺社記録集』(58冊)、『名古屋人物史料』(28冊)などは数多くの文献から抜書きされたもので、それだけで一つのデータベースといえます。地図類も一部は焼失しましたが、200枚以上が残されています。
〔資料の種類・点数〕写本・版本・絵図2,150点(4,604冊)
参考:『国史大辞典』10巻、『図書館なごや』No.79、『名古屋市鶴舞中央図書館50年史』名古屋市鶴舞中央図書館 1974、『名古屋市鶴舞中央図書館蔵 名古屋市史資料目録』名古屋市鶴舞中央図書館1969
河村文庫
河村文庫とは、尾張藩士、河村秀頴(ひでかい)・秀根(ひでね)・益根(ますね)によって伝えられた蔵書です。昭和20年3月19日の空襲で惜しくも一部をのぞき焼失しましたが、残された約4,000冊は現在もなお、古典研究の貴重な研究資料となっています。
河村家は尾張藩随一の学問の家柄でした。河村秀頴は代々の尾張藩士で町奉行、書物奉行をつとめました。吉見幸和(よしみゆきかず)に師事し国学・神道に通じ安永2年、白壁町にあった自宅の2万余の蔵書を「文会書庫」(ぶんかいしょこ)と名づけ、同好の人びとに公開しました。当館に残る扁額は京都の公家・伏原(清原)宣條(のりえだ)が書いたものです。
秀頴の弟の秀根は、尾張七代藩主・徳川宗春の小姓として仕え、兄と同じく幸和に師事して、古典の研究を進めました。のち、熱田の神官に頼まれた講義を縁として、漢学者の次男・益根(乾堂)とともに、『六国史集解』(りっこくししっかい)の著述をしました。その学問は紀典学(きてんがく)と称されました。
秀根・益根父子の最大の業績が『書紀集解』(しょきしっかい)です。同書は江戸時代における『日本書紀』の代表的な注釈書といわれ、最初の本格的出典研究の書とされています。『書紀集解』の秀根の自序は天明5(1785)年ですが、完成は文化3(1806)年頃で、全30巻20冊の刊行が完了したのは、文政13(1830)年から天保7(1836)年の間と推定されます。
当館の文庫には、刊本(出版された本)のみならず、無罫紙に書かれた第一次草稿本、罫紙に書かれ清書される前の第二次草稿本、整版校正用のゲラ刷り本が所蔵されています。おびただしい書き込みや付せんのついた草稿本を手にすると、父子の情愛や書物完成への苦心がひしひしと伝わってくるようです。
〔資料の種類・点数〕写本・版本3,981冊
参考:『国史大辞典』3巻、『尾張名古屋の古代学』名古屋市博物館 1995
その他の特別集書
平成28年4月から、整理(書誌事項カードの作成)を開始しました。書誌事項カード作成に当たり、圭介文書研究会の先生方にご尽力いただいています。
戦災で焼失した特別集書
昭和20(1945)年3月19日未明の大空襲によって図書館本館が全焼し、書庫も半焼しました。焼失した特別集書は次の通りです。
- 吉見文庫
(吉見幸和遺蔵書) - 真野文庫
(真野時綱遺蔵書) - 鈴木文庫
(鈴木朖遺蔵書) - 首藤文庫
(首藤允中遺蔵書) - 浅田文庫
(浅田申之遺蔵書) - 鹿山文庫の水野復斎旧蔵書
- 河村文庫の一部
- 名古屋市史編纂資料の一部
名古屋の絵葉書集
[画像:絵葉書:金鯱]
金鯱(大名古屋市の風光より)
鶴舞中央図書館では、明治後半から昭和初期にかけて刊行された絵葉書を多数所蔵しております。横瀬貞澄・湯浅四郎両氏から寄贈された絵葉書と、図書館で収集したものとがあり、それらのなかから、愛知県内の名所や建築物などの絵葉書の一部を選んでデジタル化しなごやコレクション:名古屋の絵葉書集で公開しています。
ドイツ人俘虜収容所図書室蔵書
第一次世界大戦中、日本国内にはドイツ人俘虜収容所が作られ、俘虜(捕虜)となったドイツ人が多数来日しました。名古屋では、大正3(1914)年11月に中区の東本願寺(東別院)に開設され、大正4(1915)年9月に東区出来町へ移転しました。収容所内には俘虜のために図書室が設けられ、約3,500冊の蔵書がありました。
彼らが帰国する際、蔵書の一部が、当時鶴舞公園にあった名古屋図書館に寄贈されました。新聞「新愛知」大正8(1919)年12月10日の記事には以下のように書かれています。
「俘虜一同は永らく名古屋に厄介となったお禮の意味で書物四百冊を名古屋圖書館へ又飼馴らしたかし鳥を市動物園に寄贈する由」
名古屋図書館とは、鶴舞公園龍ヶ池西畔にあった私立名古屋図書館のことで、蔵書は大正12(1923)年に開館した市立名古屋図書館に引き継がれました。
平成22(2010)年、鶴舞中央図書館で「名古屋俘虜収容所」の蔵書印のある本が発見されました。現在、43冊の本を確認しています。また「福岡俘虜収容所」の蔵書印のある本も見つかりました。俘虜が福岡から名古屋へ移動した際、福岡で借りた本を名古屋へ持ってきたのではないかと思われます。
※(注記)「俘虜」は現在「捕虜」と表記しますが、当時の表記である「俘虜」を使用しています。
蔵書のリストについては下記をご覧ください。
☆ 鶴舞中央図書館 「名古屋俘虜収容所」印のある本<PDF形式 111KB>
get adobe reader
PDF形式のファイルを閲覧するにはAdobe Reader(無料)が必要です。
※(注記)AcrobatReader5.0以上を推奨しています。