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慶應義塾大学文学部の英米文学専攻では、言語学・イギリス文学・アメリカ文学を学ぶことができます。各分野の授業を履修し、英語や英語で書かれた著作に関する様々な研究・研究方法を知ることができます。
この英米文学専攻で私自身学びました。1年生のときに英米文学特論という授業を履修しました。現在も開講されているこの授業で、2年生から専攻で学ぶ世界を覗くことができたのです。アーサー王伝説に始まり、英語史、イギリスのロマン派詩、モダニズムの芸術、現代アメリカの小説まで、さまざまな講義が新鮮で楽しく、そのまま英米文学専攻にすすみました。
そして今はアメリカ文学とカナダ文学を研究しています。そのなかでとくに、現代の日系作家と先住民作家による作品に関心があります。共通項はあまりない分野ですが、関心を抱いたきっかけは、Joy Kogawaという日系カナダ人二世の詩人・作家によるObasan(1981年)という作品との出会いでした。太平洋戦争時、アメリカ合衆国やカナダでは、太平洋側地域に暮らす日系人を対象とする退去・収容政策がとられました。Kogawaは幼くしてこの退去・収容を経験しました。のちに自身や家族の経験をもとにした小説Obasanを出版します。その後1980年代から1990年代にカナダやアメリカで話題になり、暴力の記憶や家族といった観点から広く論じられました。小説そのものも、それをめぐる議論も、毎日のほほんと過ごしていた私には重く感じられました。同時に、小説のなかで日系人が先住民に喩えられている一節があり、それがとても気になりました。調べてみると、日系人と先住民のアナロジーの例は他にもあり、日系文学以外でも先住民ではない者がその真似をする系譜があることを知りました。そして、先住民文学のなかにこうしたアナロジーは表れているのかどうか疑問が浮かび、先住民作家の作品に関心を抱くことになりました。
個別の作品と出会い、そこからまた別の作品に出会う。私の研究はその連続だけで、体系立てることがまだできていません。これからどこへたどり着くかまったく分かりませんが、出会った作品とその作品が書かれ読まれる背景を考えながら、物語というものが存在する意味を知ることができたらと思います。
英米文学専攻は、英語のスキルを磨くことはもちろんですが、さらに踏み込んで、英語とは何か、英語で語るとはどのような行為なのか、英語で何をするのか何をしたいのか、学生自身が自由に探求できる場です。様々な英語と価値観にふれながら、それぞれの興味や関心に沿って探求するなかで、多角的に考える力が培われることと思います。その力は、大学を卒業した後もきっと心づよい味方になるはずです。
※(注記)所属・職名等は取材時のものです。