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20世紀小説の幕開け

わたしは、学生時代から今日まで一貫して、20世紀フランスの小説家、マルセル・プルーストを研究してまいりました。『失われた時を求めて』という長大な作品により、スタンダールやバルザックにはじまった近代小説を完成させるとともに、その後の20世紀の実験的小説を予告するという偉大な功績を遺した作家です。どこともわからない寝室で不眠に苦しむ中年男性が、曖昧模糊とした意識のなかで自分の過去を回想することから始まるこの作品はしかし、これと言った明瞭なプロットや特定のテーマを持つ作品ではありません。パリ社交界への憧れと幻滅、海辺のリゾート地で知り合った魅力的な少女との恋などを経て、ついにはそうした無為の生活から脱却し、これまでの自身の生を芸術作品として昇華させようと決意するまでの、主人公の精神の軌跡そのものが主題と言えるでしょう。

文学史のなかのプルースト

わたしの最近の関心は、いわゆるベルエポックの文学状況におけるプルースト作品の文学史的意義を充分に理解すべく、これまであまり比較されることのなかった同時代の作家や、当時のフランスの文壇が関心を寄せていた外国文学と関連づけてプルーストを考察することにあります。例えば、プルーストによる写実主義批判はこれまで、ひとつの小説美学上の革新と考えられてきました。他方で、無為と情念の生活を超克して創造者となるという『失われた時を求めて』の展開は、読者に生の浄化を促すという倫理的な意義を担っているとも言え、このことは、当時のフランスの作家たちが切り開こうとしていた小説の新たな可能性、方向性のひとつとして評価されるべきではないかとおもいます。

旅としての芸術受容

優れた批評家でもあるプルーストは、文学のみならず芸術一般を享受することとは、新たな眼をもって世界を見つめなおすひとつの旅である、という主旨のことを述べています。要は、ある作品を受け入れるとは、それを創った芸術家の世界観を内面化することですが、さらに大切なのは、そこから先の作業にあります。学び取った新たなヴィジョンで人生や世界を見つめなおし、これまで気づいてこなかった新たな真実を自ら発見することこそ、芸術を享受することの本当の意義だと言えるでしょう。文学部とは、このような知的営為をより科学的に、実証的に行いながら、揺るぎなくもしなやかな批判精神を体得するための場であると信じています。


(注記)所属・職名等は取材時のものです。

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