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私が専門とするのは、スペイン北部とフランス南西部に跨るバスク地方で話される、バスク語という少数言語で書かれた文学の研究・翻訳です。といっても、ほとんどの人は「バスク語って何? そもそもそんな文学があるの?」と驚かれることと思います。私自身、ある本に出会うまでは、バスク語文学というものが存在することすら知りませんでした。
ベルナルド・アチャガという作家の連作短篇集『オババコアック』(1988年刊、邦訳2004年刊)は、世界の約30言語に翻訳され、バスク語文学の存在を初めて国際的に知らしめた作品です。私はスペイン語専攻の大学1年生だった頃に、偶然この本の日本語訳を読み、すっかり魅了されてしまいました。そしてふと、日本語訳が原語のバスク語からでなく、スペイン語からの重訳であることが気になりました。「もしもバスク語で読むことができたら、この作品の世界に少しでも近づけるだろうか?」 そう考えたことが、バスク語を学び、バスク語文学について調べ始めたきっかけです。
あとから知ったことですが、バスク語は、スペイン語とフランス語という大言語の狭間で衰退の一途を辿っていたものの、20世紀後半にめざましい復興を遂げ、世界文学の舞台にまで台頭した現代文学を持つという、地球上の何千もの少数言語——その多くは話者を減らし続け、消滅の危機にある——の文脈で見てもかなり珍しいケースでした。そして『オババコアック』の作者アチャガは、バスク語現代文学の勃興における中心人物だったのです。そのことに興味を惹かれて以来、バスク語文学がいかにして今日の状況まで発展するに至ったのか、そしてバスク語のような少数言語で書くというのはどういうことなのかを明らかにすべく、研究活動を行なっています。
そのなかで特に重視してきたのが、複数言語性と翻訳という観点です。バスクでは、平均して人口の約3分の2を占める人々が、バスク語を理解しないスペイン語またはフランス語の話者なので、バスク語が社会のあらゆる場面で使われているわけではありません。そのため、少数派であるバスク語話者は日常的に2言語使用を強いられており、そこにはきわめて非対称な関係が存在します。バスク語文学は、そのような複数言語環境と非対称な言語的・社会的関係を背景に持つわけなのですが、このことは当然ながら、創作プロセスや書かれた作品そのもの、さらには作品が受容され、他の言語へ翻訳される方法にも強く影響します。
私は、バスク語の知識を活かしつつ、2000年代頃から活発化した世界文学論や翻訳研究の成果を踏まえることで、そうした複雑さを解きほぐしながら、バスク語文学の実相に内外両方の視点から迫ろうとしています。バスク語文学の研究者は日本では私1人だけで、世界的に見ても、スペイン語(やフランス語)への翻訳を通してでなく、原語のバスク語で分析することのできる研究者はきわめて稀なので、その立場を活かした研究を展開していければと考えています。
そして研究の一環として、私が力を注いできたのがバスク語文学の翻訳です。これまでに、アチャガの小説『アコーディオン弾きの息子』や、キルメン・ウリベなど他の作家の作品をいくつかバスク語から日本語に翻訳し、日本とバスクの両方で翻訳賞を頂く機会にも恵まれました。日吉キャンパスで持ち回りで担当している「文学」や、三田キャンパスで開講している「スペイン語圏文化研究」といった授業では、私の翻訳したバスク語文学作品を含め、スペイン語圏のさまざまな地域・言語の文化を紹介しているので、言語や文化について視野を広げたい人はぜひ覗きに来てください。