西東京市のお盆について

ページ番号 836-210-410

最終更新日 2011年7月28日

祖霊や死者の霊を迎える行事とされるお盆について、西東京市(田無・保谷)ではいつ・どのように行っているかというお問い合わせに、図書館が所蔵している、合併前の田無市と保谷市それぞれの関連資料からお答えします

質問

西東京市では、お(ぼん)はいつ・どのように行われていますか

お答えします

田無(たなし)のお盆は、「勝手盆(かってぼん)」といって、7月30日から8月1日までとなっています。新暦(しんれき)の盆も旧暦(きゅうれき)の盆も養蚕(ようさん)で忙しい農家が、やっと休みを取れるこの時期をお盆にしました。
第二次世界大戦後、1日ずらして7月31日から8月2日までとした地区もあります。
かつては松明(たいまつ)を作りお墓までお盆様(ぼんさま)を迎えに行きましたが、その後(むか)()はお線香(せんこう)を持って家の近くまで迎えに行き、送るときも同じようにしています。 「盆の迎えは早く、送りは遅く」ということで、キュウリの馬で早く迎え、ナスの牛でゆっくり送るように、キュウリとナスでかざりを作るしきたりは、地域を問わず共通しています。
迎えた(れい)供養(くよう)するため仏壇(ぶつだん)とは別に盆棚(ぼんだな)を作ります。(ささ)を4本立てて棚を作り、(ちがや)()んだ(なわ)をめぐらしホーズキやカキ、クリなどをぶら下げました。仏壇から位牌(いはい)仏具(ぶつぐ)をその棚に移し、施餓鬼(せがき)にお寺から受けた先祖(せんぞ)(まつ)った()(じく)(つる)るしました。白いご飯やおかずに麻幹(おから)(はし)なども(そな)えました。この3日間、お寺(総持寺(そうじじ))の住職(じゅうしょく)は他のお寺からも人を頼んで各檀家(だんか)を回り棚経(たなぎょう)をあげます。田無の盆踊(ぼんおど)りは周辺地域では最も早く昭和初期頃、総持寺の住職が子どもたちを集めて教えたことが起源(きげん)ともいわれます。
お盆という行事の形式や日にちも変化して、7月、8月の15日を中心に行う家庭も見られますが、総持寺の盆踊りは昔ながらのお盆の風物詩(ふうぶつし)となっています。

保谷(ほうや)のお盆は地域やチョウバ(村を構成(こうせい)する小集落(しゅうらく))によって様々(さまざま)に変化してきました。その理由は田無と同様に、養蚕と畑作物(はたさくもつ)大根(だいこん)(むぎ)の生産時期やお寺の都合と思われます。
上保谷(かみほうや)では、ほとんどが7月13日から15日に行われ、下保谷(しもほうや)ではかなり古くから8月13日から15日に行っていた家が多いといわれています。8月1日や9月1日を中心とした朔日盆(ついたちぼん)が行われた時期もありましたが、(かいこ)暴落(ぼうらく)で養蚕をやめたり、第二次世界大戦を境に東京の盆(7月盆)に変える気運(きうん)が起こるなどしてしだいに変わりました。
盆棚は仏壇のある部屋に4本の真竹(まだけ)孟宗竹(もうそうだけ)を南向きに立てて、位牌などを置くために四斗樽(よんとだる)二つを()せて(たたみ)(だい)戸板(といた)()き、周りには茅の縄をめぐらしました。四方に掛軸(かけじく)をかけ、陸稲(おかぼ)里芋(さといも)、ホーズキ、とうもろこしや果物を()るしたり供えたりしました。仏の供養(くよう)はまんじゅう、うどん、米飯が朝昼晩と供えられました。
また、無縁仏(むえんぼとけ)を祀るための供物を盆棚の下に供えました。これは、田無も同様です。
お盆の期間中、僧侶(そうりょ)は檀家の家々を廻りますが、新盆(にいぼん)から3〜5年までは毎年、少し古い場合は1年おき、2〜3年に1回でした。


参考資料(図書館所蔵)
「田無市史 第4巻 民俗編」
「田無のむかし話 その1」
「保谷市史通史編 4 民俗」他

新規ウィンドウで開きます。西東京市図書館ホームページ(外部リンク)

お問い合わせ

このページは、図書館が担当しています。

中央図書館 〒188-0012 西東京市南町五丁目6番11号

電話:042-465-0823

ファクス:042-463-9150

お問い合わせフォームを利用する

この情報は皆さまのお役に立ちましたか?

ページ内容の改善の参考とするため、ご意見をお聞かせください。

質問:このページの内容は役に立ちましたか?
質問:このページの内容はわかりやすかったですか?
質問:このページは見つけやすかったですか?
本文ここまで