2025年7月発行

ACAM2025 Workshop
〜日本から5600km、神々の島に集って〜

  • 田口 琢斗(地球システム領域 大気・海洋モニタリング推進室 准特別研究員)

はじめに

2025年6月9日から13日、インドネシアのバリ島で開かれた研究集会に参加しました。バリ島は2016年6月に訪れたことがあります。賑わうクタ・ビーチで人生初のサーフィンを楽しみ、イジェン火山で青い炎に息を呑み、怪しい色の硫黄の塊を持ち上げた..のは9年前。輝いた時代のアルバムをめくる手を止めて、今回は仕事として海外のワークショップに参加したリアルを、専門的な話は極力避けてお届けします。

研究集会の正式名称はAtmospheric Composition and the Asian Monsoon(ACAM)2025。つまり、大気組成とアジアのモンスーン(季節風)の相互作用の理解を目的にしたワークショップです。ネパール、タイ、中国、マレーシア、バングラデシュなど、アジアのモンスーン地域で2年に1回開催されており今回で第6回目です。私の専門(二酸化炭素やメタンなどの温室効果ガス)はワークショップの主題とやや離れているものの、最終日13日(金)に口頭発表の機会をいただきました。

写真1 集合写真。
写真1 集合写真。

入国:南半球とルームメイト

成田空港から7時間、日曜の夜にバリ到着。9年前にはなかった観光税などの支払いで混雑する列を、事前にオンラインで済ませていたため無事に通過。現地通貨の感覚があやふやのまま空港を出ると、600円と思って捕まえたタクシーが6000円!と早速ふっかけてきます(インドネシア通貨は桁数が多く日本の100倍、100円で11000インドネシア・ルピーくらい)。事なきを得て到着した会場はビーチ沿いの立派なホテル。ライトアップされたプールサイドで晩御飯の途中、隣の男性が「ほら」と空を指差すと、日本ではお目にかかれない南十字星がくっきりと輝いていました。ここは南半球、それだけで私には特別に感じられます。

今回の滞在は旅費や参加費などの諸々が主催者より全額サポートされ(若手枠として130名ほどの応募があり、うち60名程度が支援対象として採択されたとのこと)、費用を抑えるため6日間の滞在には2人部屋が用意されていました。ルームメイトのシャヒルはバングラデシュのダッカ大学で講師を務める男性。赤道近くのこの島でスラックスと結婚祝いの時計をバッチリ身に付けて、半ズボンとスリッパの私に「お前の格好はなんだ、しっかりしろ」などと笑いながら言ってきます。その振る舞いに国内最高の大学で教える彼の自負を感じます。研究から、政治、介護、年金、そして恋愛まで文化交流は夜まで続きました。

週前半:トレーニングコース

週の前半(月〜火)は若手向けのプログラミング学習を目的としたトレーニングコース。内容としては地球観測衛星によって得られたデータをダウンロードして、数値解析を行い地図上にプロットする..などの基本的な技術です(ただ、コツが必要だったりする)。ですが、いざ始まると内容は初心者レベル(参加者のほとんどがプログラミング未経験)を超えてしまっており、「何か1つでも持ち帰ってほしい講師vsそもそも何が起こっているか分からない参加者たち」の構図。1ヶ月前のウェブ会議で、全員にアンケートを取って参加者のレベル感を測っていたはず。もちろん、講師の気持ちはとても分かります。

そこで参加者の中から私を含むプログラミング経験者6人を「リーダー」にするチーム制に移行しました。これならまだスムーズに行きそうです。それでも元々の計画は崩したくないようで、研究っぽいことをさせるんだ!と息巻く講師。「おれがアイデア考えるの?」と正直に思いつつ、プログラミングの基礎を教え、簡単な解析を一緒に進め、さらに予定されていた発表会もこなします。なんとか身に付けて帰ってほしい!という気持ちは講師も私も同じで、結局必死でこなしてもらいました(無理をさせたかも)。そしてやっと自分の発表の準備ができます。その晩、早速ルームメイトのシャヒルに発表練習に付き合ってもらいました。

夜会:猿王ハヌマーンと坂本九

水曜に催された晩餐会では、インドの叙事詩『ラーマーヤナ』を題材にしたバリの舞踊劇を見る機会がありました。インドからの参加者は宗教的なルーツから(?)初見でも劇がそれなりに理解できるようで「あの猿は猿王ハヌマーンだ」とか教えてくれます。とても楽しい。歌手の生歌コーナーでは壇上から「This is a Japanese famous song!」との掛け声、そして流れ始める『上を向いて歩こう/坂本九』。「SUKIYAKI」と言う名で流行ったことを前に読んだ記憶が..練習しておけば良かった。壇上に上がれ〜!と騒ぐ周囲に柔らかく断って自席で口ずさむ(サビだけ)に留めます。今、これを書きながらステージに駆け上がっておけばよかったとすごく後悔しています。ダンスがうまいとか、歌えるとか、そんなこと誰も気にしていないはず。

写真2 晩餐会にて。インドネシア、バングラデシュ、ベトナム、インド、フランス、そして日本から参加の筆者。滞在中にWhere are you from?とたくさん聞かれました。
写真2 晩餐会にて。インドネシア、バングラデシュ、ベトナム、インド、フランス、そして日本から参加の筆者。滞在中にWhere are you from?とたくさん聞かれました。

週後半:ワークショップ(少し専門的な話)

週の後半(水〜金)は会の本番、つまり研究発表(ワークショップ)です。およそ40件の口頭発表と50件のポスター発表が行われました。前述した通り、本ワークショップは大気の組成とアジアのモンスーンの相互作用の理解を目的にしたワークショップです。例えば、1)世界の約半数の人々が住むとされる「モンスーンアジア(東アジア・東南アジア・南アジア)」から排出される大気汚染物質を、地球のまわりを飛ぶ地球観測衛星で観測する話、または、2)たくさん人が住むアジアからは化石燃料や森林火災、バイオマス燃料の不完全燃焼によって発生するブラックカーボンという微量物質がたくさん排出されるのですが、これが雲の生成や雨に与える影響の話など..が分かりやすいでしょうか?もっともっと専門的でこんなことを考えている人がいるの?と思えるような話まで、主にアジア各国を中心にアメリカやフランスからの参加者によって最新の研究成果が共有されました。

発表前夜:練習と苦い記憶

自身の発表前夜、いてもたってもいられないので会場に忍び込んで明日の練習をします。従業員さんが掃除しているところを覗くと、こっちに気が付いて笑いかけてくれたので思いは伝わったな、とわかったところでお邪魔します。とりあえずステージに寝そべってみたり、音楽を流したり、議長席に座ったりして空間を自分のものにしようと企みます。従業員さんはニコニコで明日発表なの?とか聞いてくれます。日本のホテルじゃ、準備中の会場に立ち入ることは許してくれないだろうなあと思いながらありがたく練習。

英語での発表には苦い記憶があります。デビュー戦は2年前の学会@オーストリア。大きめの教室サイズの会場は満員でこちらの緊張も最高潮(床に座ってくれる人もいた)。なんとか発表をこなしたものの、続く質疑応答では何を聞かれているのか、英語の意味よりもその意図がさっぱり掴めませんでした。なんとか答えようしたのが余計に悪く、モゴモゴ喋って地獄の3分。現地で親しくなって発表を見にきてくれた人に「あのゴニョゴニョはなんだ?限られた時間で全部を答えようとするな。苦しいなら後でまた話そうとか言って立ち回れ!」と慰められたこと、当時の情けない心情は今もたまに思い出して心がキュッとなります。

あれから2年。今回は発表時間12分の原稿を準備しました。質問もある程度想定できているので後は練習あるのみです。同じ轍は踏まない!完璧にする!と気合い十分ですが、3時間ほどで(自分なりの)努力とあきらめのバランスが釣り合った境地に到達。なんとかなるでしょ、と部屋に戻るとルームメイトはのんきにクリケットを観ています。私もYouTubeでクリケットのスーパープレイ集を観ながら就寝。

発表本番

金曜日、発表の日。でも昨日までとはうってかわってパラパラと目立つ空席、どこかへ行った活気。最終日ということもあり、せっかくの機会に足を延ばして観光に出かける人、昨日のポスターセッションで力を出し切って部屋で休む人、皆各々の考えがあるので仕方のないことです(私もそうしたかもしれない)。発表は昨晩の諦念どおりまずまず。たくさん舞台に立って慣れるしかないですね。

写真3 発表前夜の練習。
写真3 発表前夜の練習。
写真4 慣れたステージで本番。
写真4 慣れたステージで本番。

こぼれ話

(1)6日間の滞在はストレスフリー、というか緊張しませんでした。これは東南アジアという舞台+参加者は大体アジア人→英語が母語ではないと言う、根本的には英語力の問題です。私は、必要を感じてから初めて英語が出てくるレベルに過ぎないので、無駄話のスキルは全然ダメです。それでもこの6日間は人生で話した英語の、たぶん20%ぐらい話しました。余談ですが日本人の英語のマズさは知れ渡っており「前にポスター発表で日本人に質問したけど会話にならなかった」とか、ちょっと英語が話せる私に「あなたはどうやって勉強したの?」と聞いてくるとか。ですが、本当にうまい人(学習者のレベルを超えて違和感なく話せる人)には勉強法など聞かないので、私もその程度ということです。

(2)ワークショップや学会では「キンキンに冷えた部屋で地球温暖化の議論とか、大気汚染物質の議論って..?」という場面に遭遇します。今回もそうでした。この分野にいるから私たちは気をつけて生きなければならない、などと主張するつもりはないですが「そういうところは考えないんだ」と違和感。寒そうにする私に、トレーニングコースで親しくなったアディがジャケットを貸してくれました(胸元のCSIRO(オーストラリア連邦科学産業研究機構)のタグがカッコよくてそのまま着て帰ろうかと思いました)。

おわりに

ここまで目を通していただけたら嬉しいです。専門的な話は避けたので「報告書じゃなくて日記だろ」と言われても文句の一つもありません。経験を重ねると緊張もしなくなり、力のぬき方を覚えてそつなくこなせるようになったり、さらには1回の発表も「ただの1回」になる日がくるのでしょうか。定期的に訪れるイベント(ストレス)、心許ない手札にため息をつきながら練習、「まあこのくらいでしょう」という達観、そして想定を下回らない結果、ここ数年はこの繰り返しです。

昨年の学会@ブラジル以来の執筆でした。ネットで検索すれば出てくる学生時代から事あるごとに書いてきた記事は、私にとって当時を思い返す良い資料となっています。次の機会も、何を書けるのか楽しみにしています。

写真5 おまけのココナッツウォーター。土曜日、帰国のフライトまで時間があったのでタクシーで1時間半の街、ウブドへ。お店のおばさんがナタで切って出してくれました。
写真5 おまけのココナッツウォーター。土曜日、帰国のフライトまで時間があったのでタクシーで1時間半の街、ウブドへ。お店のおばさんがナタで切って出してくれました。
田口 琢斗
TAGUCHI Takuto
准特別研究員|地球システム領域 大気・海洋モニタリング推進室
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