日誌

第3学期終業式校長講話

投稿日時 : 2024年03月22日 principal カテゴリ:

悔しい思いと達成感

今日で令和5年度、2023年度が終了します。皆さんにとってこの1年はどうでしたか? 自分で満足できる1年が過ごせましたか?自分の行動は自分自身が一番わかっています。是非、立ち止まって振り返ってみてください。自分がどれだけ成長できたか。もっと頑張れるところはなかったか。しっかり内省してみてください。いつも言っていることですが、節目、節目で自らの行動をしっかり振り返ることは皆さんの成長にとって欠かせないことです。

さて、今日は「悔しい思いと達成感」について話したいと思います。皆さんは毎日の生活の中で「悔しい思いをした」ことはあると思います。1つしか残ってなかったケーキを妹や弟に食べられたみたいな、つまらないことから、部活の試合に負けてしまった、レギュラーになれなかった、コンクールの予選で落ちてしまった、資格試験に落ちてしまったなど、努力が実らなかった時、結果が出なかった時など、悔しい思いをしたことがある人がほとんどだと思います。悔しい思いをした経験がない人は、もしかして何もチャレンジしていないのかもしれません。逆の言い方をすれば、何かに向かって努力しチャレンジしているからこそ、悔しい思いをすることができるのです。

私は中学生から英語の勉強を始め、大学では言語学、特に音声学を専門に学び、英語の教員になりました。約20年間、教壇に立った後、管理職の道に進みましたが、今でも英語を勉強しています。英字新聞を読んだり、YouTubeで英語のニュースを見たりして英語に触れるようにしています。仕事で毎日英語を使うわけではないのですが、英語はスポーツや楽器の演奏と同じで1日練習しないと1日分、錆び付きます。それが嫌でなるべく英語に触れるようにしています。

私は、このように48年間、英語を人生の伴侶として付き合ってきたのですが、その中で自分を奮い立たせたり、諦めそうになっても諦めなかったのは「悔しい思いをした、恥ずかしい経験をした」ことが大きかったと思います。

英語の教員になってからのほうが「悔しい思い、恥ずかしい経験」をしたことが多かったような気がします。英語の教員としてプライドがあるので、英語がわからないとなかなか言えない、でもわからないことがたくさんある。毎日、新しい単語に出会う。それは当たり前のことなのですが、なかなか認めたくないという気持ちがありました。

例えば、日本に住んでいる英語のネイティブスピーカー、ALTみたいな人は、日本人の英語に慣れているし、わかるようにゆっくり話してくれます。しかし彼らネイティブスピーカーだけが集まると、途端に英語のスピードが変わります。スピードだけでなく使う表現も変わります。そこに一人ポツンと日本人の私が投げ込まれるとたちまち、かれらのペースについていけなくなります。私も教員のころ、ALTの研修会で7〜8人のALTのグループに一人、投げ込まれたことがあります。その時は、彼らが何を話しているのか、ほとんどわからず、ただニコニコして座っていたという経験をしました。その時はただ悔しくて自分が嫌になった事を今でも覚えています。そういう「悔しい思いをすること」は実はとても大切なことです。「くそー!悔しい」と思うことで「今度はこんなことにならないよう頑張ろう」と奮起するわけです。

また、こんなことがありました。私は、まだ30代前半の若いころ、所沢北高校でニュージーランドへのホームステイ・プログラムを立ち上げ、何度も生徒の引率をしました。初めて交流校を訪れ向こうの学校の担当者にあった時、彼は "It's wit to die." と挨拶代わりに言いました。私は何を言っているのかわからず、ポカーンとしていると、ゆっくりと標準語に近い発音で繰り替えてくれました。その日は雨が降っていて彼は、"It's wet today." と言っていたのでした。ニュージーランド訛りが全く分かりませんでした。その学校は、アッシュバートンという人口2万人程度に田舎町にあり、毎年訪問しているうちに、よく行くレストランの店員から「また来たのね。」と声をかけられるようになります。ある時「生徒引率なんて cushy job でしょう?」を笑って言われました。しかし私は、その cushy job の意味がわからず、しょうがないので yes yes と言って笑っていました。とても情けない思いでした。後でホテルに帰って辞書で調べたら「気楽な仕事、おいしい仕事」という意味だとわかりました。意味が分かっていれば、もう少し気の利いた切り替えしができたなと思い、余計悔しくなったことを今でも覚えています。

皆さんは阿川尚之という人を知っていますか?テレビによく出ているエッセイストで小説家の阿川佐和子さんのお兄さんですが、彼は、ジョージタウン大学で外交政策を学んだ後、ソニーに入社し、その後、ショージタウン大学のロースクールで法律を学び、ニューヨーク州などで弁護士資格を取り、アメリカの法律事務所で働きます。その後、慶応義塾大学総合政策学部の教授を務めたり、在米日本大使館の公使を務め、慶応義塾大学、同志社大学の名誉教授などを歴任しました。彼の専門は、アメリカ憲法史、日米関係史で、著書には「トクヴィルとアメリカへ」や「変わらぬアメリカを探して」などアメリカ憲法を通してアメリカ社会を深く洞察したものが多く、私の好きな学者の一人です。

彼の著書に「わが英語、今も旅の途中」というのがあります。アメリカのロースクールで法律を学び、アメリカで弁護士を務め、大学でアメリカ憲法について教鞭を取るという、私とはレベルが全く違う彼ですが、この本の中には、私も共感を覚える逸話が出ています。最初の留学した時のこと、店で買い物をした時、店員から「ワナベー」と聞かれて、え、何?と全く分からなかったそうです。何度も、もっとゆっくり言ってくれと頼むと、あきれた顔をして "Do you want a bag?" と一語一語をはっきり発音してくれたそうです。こんな簡単な英語が聞き取れない。ジョージタウン大学で外交政策を学ぶ留学生にとっては、相当な屈辱であり、くやしい思いだったと思います。

外国語を学ぶ道のりには、常にこのようなくやしい思いをさせられる場面、恥ずかしい思いをする瞬間は絶対に避けられません。英語を話す時、知能指数が小学生以下のレベルになってしまうという屈辱的な経験から始まり、英語を話していても、日本語を話す時の知能指数にどれだけ近づけることができるかを目標に私も英語を学んできました。「英語は楽しく学べばいい」なんて言う人もいますが、私はそんな甘いものではないと思っています。「くやしい」「恥ずかしい」「屈辱的体験」「絶望感」の連続だったような気がします。だからこそ自分が満足のいく話ができた時、ネイティブスピーカーに英語が上手だと褒められた時、「アメリカに住んでたの?」とアメリカ人に聞かれた時、これほど嬉しい瞬間はありません。そのような、時々訪れる達成感が、これまで英語を続けてこられた最大のモチベーションだったのかなと思います。

皆さんに今日、言いたい事は「くやしい思い、恥ずかしい思い」を大切にしてほしいということです。その気持ちを忘れずに、「くそー」という気持ちで奮起してほしいのです。英語に限らず何かに本気で打ち込みマスターしようとすると、楽しいことより辛いこと、悔しいことのほうが多いかもしれません。でもそれを乗り越えた時、言葉では表せない満足感、達成感が得られる瞬間があります。そしてまた次の頂に向けて、歩み始めるのです。

高校生である皆さんは、これから先、長い長い学びの道を歩んでいくのです。今日お話ししたことを、頭の片隅に置いてこれからの学びの道を歩んでいってほしいと思います。

最後に、来月には2年生はいよいよ3年生に、1年生は学校の中心として活躍する2年生になります。そして新入生を迎えます。それぞれ3年生は3年生らしく、2年生は2年生らしく振舞いができるよう成長してください。それでは、4月8日、元気に登校してください。

{{options.likeCount}} {{options.likeCount}}