Wikipedia:井戸端/subj/記事を超えて表記を統一する必要はあるのか
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記事を超えて表記を統一する必要はあるのか
[編集 ]「他の記事ではこの表記が使われている」という理由だけで、表記の変更が行われる場合があります。しかし、ウィキペディア全体で表記を統一する必要は無く記事の事情に合わせるべきだと言われれば、その意見にも納得できます。合理性の無い慣例に基づく表記統一が何らかの利便性を生むとは思えません。一方で、明らかな誤表記・誤用は勿論修正すべきだと思います。以前、詳細は伏せますが、「どの様な基準で表記を統一すべきか」という議論に参加しまして、私の力量不足もあるのでしょうが、揉めた事がありました。その時は、双方共に「表記を統一すべき」という事を前提に置いていましたが、今になって思い返してみるとそもそも表記の統一自体が必要だったのか疑問に思う様になりました。「プロジェクト:数学/函数と関数」の様に編集合戦を避ける為にどちらの表記も尊重する事で決着の付いた事例もあるみたいですし。また、こちらも詳細は伏せますが、駅弁関連の編集履歴を確認しました所、恐らくたった一人の方が「以下」から「下記」へ大量に表記修正している様ですが、何故か要約欄には元の表記が固有のもとと記載されていました。他にも探せば、一人の編集者が表記統一を自ら作り出している事例が幾らでもあるのかもしれません。
ウィキペディア全体で表記を統一する必要が有るのか、それとも無いのか双方の観点からご教示願います。また、何れの場合でも、合意形成無しに表記統一を図るのは問題があると思います。場合によっては編集合戦を招きますし、そうでなくとも中立性を毀損する恐れがあります。頂いたご意見は今後の私の編集の参考にさせて頂きます。--Takym(会話) 2025年3月23日 (日) 14:58 (UTC) [返信 ]
- コメント 個別具体的な状況を開示いただいていないため、フワッとしたことしか言えません。
- 大雑把には、「分野」の範囲では揃えるのが望ましい、と多くの利用者は考えるでしょう。
- そこは個々の記事における事情、分野の事情もあるでしょうし、複数の分野にまたがる場合には悩ましい案件もあるだろうとは思います。
- 「様式を統一すること」が目的化して、現実世界に合わないような表記を強制するのは、本末転倒です。一方で、多様な表記のなかからどれかを選ぶ、みたいな場合には、「統一感」がある程度重視されるかもしれません。
- 要は、統一性はある程度重要ではありますが、絶対のものではないということです。
- 個々の利用者のあいだで意見が分かれるならば、分野の利用者の合意形成を諮るとよいでしょう。--柒月例祭(会話) 2025年3月24日 (月) 06:29 (UTC) [返信 ]
- 返信 ご返信ありがとうございます。抽象的な質問になってしまい申し訳ございません。この質問のきっかけとなった事例はあるのですが、具体的な利用者名をここで開示するのは、問題があるかもしれないので避けました(載せても問題が無ければ開示できます)。「プロジェクト:数学/函数と関数」を知る前までは、同一記事内または分野内では揃えておくべきと考えていたのですが、知ってからは個々の事情に合わせるか、出典に合わせるべきと考える様になりました。編集合戦を避けるだけではなく、中立性を維持する為という動機からです。しかし、その考え方も必ずしも望ましいとは限りませんので、双方の意見(統一すべき・表記揺れは容認すべき)を尋ねる事にしました。また、特にきっかけとなった事例では、慣例を一人の編集者が作り出している様に見えましたので、その様な編集行為は望ましいものなのか疑問に思いました。--Takym(会話) 2025年3月25日 (火) 05:30 (UTC) [返信 ]
- 返信 私は理数系的素養がないので、個別具体的なとこまでは「わからん」としか言えません。(×ばつB」と書くのも「AB」と書くのも等価だよね、と言われても「わからん」なのです)
- 過疎ってる分野などでは、実質的に1名とかごく少数でまわしているところも多々あるでしょう。考え方としては、それでも議論を告知して異論がなければ合意決定として取り扱ってよいことになっており、そう運用しているところもあるでしょう。あとは、そこへ過去の事情を知らない・新しい利用者がやってきたときに、「過去の議論合意は少数で行われたものなので、あらためてもうすこし多人数で再論議したい」みたいなのは、まあそれなりに理に適っていると思います。が、そこは程度問題の面もあります。そういう「程度問題」も含めて、「常に必ず一律でこうだ」「一度決定したら絶対だ」みたいなことはないでしょう。今まで少数でやってきた先人たちの努力に敬意を示しつつ、新たな提案をすることはあってもいいと思います。
- 私の考えでは、Wikipediaも草創期から20年近く経ち最初期とは色々変わっていますし、現実世界も変化しているし、ネットも変わっていますし、変化は進歩をもたらす(こともある)って感じで、一度決めたら絶対変えないってことはないでしょう、と思います。(そうは思わない、という人もいるでしょう。)--柒月例祭(会話) 2025年3月25日 (火) 06:05 (UTC) [返信 ]
- 返信 (@Takym 宛) ご安心ください。
- ウィキペディアの井戸端は、
「ウィキペディアでの出来事の説明として個別の事例を直接明言」しても、
問題のない場所です。 - もちろん「悪意の晒し行為」や「ふさわしい特定の議論ページへの誘導で十分な場合」などを除きます。
- ウィキペディアの井戸端は、
-
- 絶対に「具体的な利用者名を出すことが問題」な場合とは、
- 強いて例えてもせいぜい、
- 「利用者名がひどくセンシティヴ」程度です。
- --シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2025年4月8日 (火) 15:28 (UTC) [返信 ]
- 返信 ご返信ありがとうございます。抽象的な質問になってしまい申し訳ございません。この質問のきっかけとなった事例はあるのですが、具体的な利用者名をここで開示するのは、問題があるかもしれないので避けました(載せても問題が無ければ開示できます)。「プロジェクト:数学/函数と関数」を知る前までは、同一記事内または分野内では揃えておくべきと考えていたのですが、知ってからは個々の事情に合わせるか、出典に合わせるべきと考える様になりました。編集合戦を避けるだけではなく、中立性を維持する為という動機からです。しかし、その考え方も必ずしも望ましいとは限りませんので、双方の意見(統一すべき・表記揺れは容認すべき)を尋ねる事にしました。また、特にきっかけとなった事例では、慣例を一人の編集者が作り出している様に見えましたので、その様な編集行為は望ましいものなのか疑問に思いました。--Takym(会話) 2025年3月25日 (火) 05:30 (UTC) [返信 ]
- もう少し意見を収集したいので、より具体的な背景情報を追加します。また、上記の合意形成のやり直しはできるという点には完全に同意します。
- 今回の件(きっかけとなった件)は、(1)議論自体は行われている形跡は確認できず、(2)ほぼ一人の利用者によって大量修正され、更に(3)修正の理由が「元の表記が記事固有のものだから」となっている編集履歴を見掛けたので、提起致しました。(3)の修正理由に関しては、(1)や(2)の状況もあり客観的にみて「固有」とは言えないのではないかと思います。(4)その修正内容は表記の違いが些細なもの(確かに多少の違いはあるのでしょうが記事内容には影響しません)でしたので、修正する必要も無ければ、統一する必要もありません。
- 感想寄りの コメントまた、今回のきっかけの件とは別件になるのですが、分野全体での表記統一を前提とした議論に参加した事があります。その時は表記統一を前提とし、統一の方法のみを議論しました。二つの件では確かに状況がかなり異なるのですが、きっかけの件と別件で異なる考え方で対処するのも問題ですので、表記統一の議論の際はそれを実施する必要性も検討する様にしようと思いました。
- (具体的な投稿記録を載せても良いものなのか当方では判断しかねますので載せていません。この節の最初の投稿できっかけの件を後述したのもこの為です。また、私自身のウィキペディアの編集経験が浅いので、本人の利用者ページのノートで直接指摘する事はまだしていません。)
- --Takym(会話) 2025年3月27日 (木) 12:31 (UTC) [返信 ]
- コメント 最近の動向をおさえているわけではないのですが、
- 「統一すべき」とも「表記揺れは容認すべき」とも決まっていない。部分的に、方針やガイドライン、プロジェクトでの合意などにより決まっているものもある。
- まあ多寡はともかくその記事(群)に「固有」といえば「固有」なんでしょうけれども、たとえば「下記」「以下」などであれば、どちらかを一般に「固有」とは言わないでしょう。「函数」表記へのこだわりは数学分野に「固有」ですが、それは独断での統一が許される理由にはならない。今回の事例が該当するかどうかはわかりませんが、一方にあわせる編集をしたのちに、こっちの表記のほうが多いからこっちにそろえようみたいなことを言いだすみたいなのは単にアンフェア。
- 基本的には、表記の統一というのは、本来的な正しさ、学術的な用法を選ぶか、あまり深入りするつもりもなさそうな初学者にとってのわかりやすさを選ぶか、みたいなところもあるし、分野によって違う使い方してるものもあるし、その分野が重なる項目もあるし、そもそも間違いなのか不統一なのか実は別の意味があったりするのか、みたいなところからはじまる話もあるし、ほんとに些細な表記上の違いをどちらかに統一するならば感覚的な違いでしか選べないし、というもので、これを合意にもっていくのはとても難しい。各分野の専門家がかかわってこないと、適切な落としどころを見つけるための情報も共有されないままだし、そのコストをかけるなら記事をよりよくしたほうがいい、ってことだと思うんです。
- 可能なら、範囲の重なりを気にしながら、プロジェクトで統一していく。アクセシビリティ上の要請とか、よくある誤用とかなら方針やガイドラインでもいいでしょう。やりにくいものもあると思いますが、合意の上で統一するならbotを使う。
- Wikipedia:コメント依頼/機械的な用語置き換えの是非、Wikipedia:井戸端/subj/記事の導入部に「〜とは〜である。」に統一すべきか否か、Wikipedia:井戸端/subj/サッカーフランス代表のキリアン・エンバペのwikiページについて。頑なに「エムバペ」に直す人がいますがなども参考になると思います。--Ks aka 98(会話) 2025年4月3日 (木) 14:44 (UTC) [返信 ]
- 返信 やはり表記揺れに関する決まりは特に無いのですね。記事か分野内で合意形成を図るのが、現状における最良の手段として覚えておきます。提示された議論を見る限り、昔から「他の記事ではこの表記が使われている」という事実だけではその表記に合わせる理由にはならないみたいですね。お二方の意見はとても参考になりました。 ありがとうございます--Takym(会話) 2025年4月4日 (金) 13:29 (UTC) [返信 ]
- コメント 最近の動向をおさえているわけではないのですが、
- 2011 年以降、駅記事の駅弁の大部分を 1 人で編集している者です。「以下」から「下記」へ大量に表記修正しているという事実はありません。2010 年頃までは別の人が編集されていたようですが、当時から「下記」と書かれている記事がほとんどだったと思います。「何故か要約欄には元の表記が固有のもとと記載されていました。」という事実もないです。
- 駅記事の駅弁の編集をしてくれる人は、ほとんど居ない状況です。報道された駅や、地元だから知っているということで、ごく僅かな駅のみが編集される傾向にあります。あまり自分では手を動かさないのに、ルール整備ばかり熱心にやろうとするのは良くないと思います。圧倒的に手を動かす人が少ない場合、ボランティア的に 1 人で大量に手を動かす必要があることを理解しないといけないのですけど、そういう所に協力する気がないなら、ルールも絵に描いた餅ですよ。 --Foo-bar(会話) 2025年4月4日 (金) 07:22 (UTC) [返信 ]
- 情報本人から直接コメントがありましたので証拠を載せます。「以下」から「下記」への修正の主な例です。尚、一部は取り消されている様です。
- コメント 人によっては「大量」の範囲は異なるのでしょうが、これを少ないと主張するのは無理があります。そもそも、量に関わらず、「以下」・「下記」の様な害の無い表記を他方へ合わせるのは合理性に欠けます。恐らく合意形成の議論を始めても「どちらでもよい」という結論にしかならないのではないかと推測します。また、「事実もない」と仰っていますが、上述の例では全て「固有」と書かれています。いずれにせよ、合意形成無しに編集欄で「全国で表記統一している」と主張するのは難があります。
- コメント 後述の文章は意味が分かりません。この節は「ルール準備」ではなく「質問」です。そもそも分野を問わずウィキペディア全体に関する質問です。具体例の提示が無いという指摘に対して、きっかけとなった件を提示いたしました。また、ウィキペディアでは、記事の編集に定期的に参加していないからといって、議論への参加を拒む事はできません。WP:OWNやWP:POINTもご覧ください。
- --Takym(会話) 2025年4月4日 (金) 14:32 (UTC) [返信 ]
- 追記WP:CONにおいて第三者の勧誘を推奨していたり、その方法を提示していたりする事からも、編集回数は合意形成議論への参加を拒否する理由には成り得ません。--Takym(会話) 2025年4月4日 (金) 14:37 (UTC) [返信 ]
- 駅弁が存在、もしくは過去に存在した駅というのは、200 駅以上あるので、10 数件程度で大量に修正したということにはなりません。「ルール準備」ではなく、「ルール整備」と書いています。どのような表現の修正であっても、合意をとってやらないといけないなら、編集することは難しいでしょう。記事固有の表現を修正することになったのは、時刻表を典拠とする修正をやっているので、その部分の表現をバラバラにしておく必然性もないからです。乱数で自動生成したバラバラな表現にしないといけないなら、もう編集は出来ません。--Foo-bar(会話) 2025年4月4日 (金) 18:10 (UTC) [返信 ]
- 全体からみた割合の話ではありません。もし、1〜2件程度であり、尚且つ編集欄に他方が固有であると書かれていなければ、指摘していません。なぜ合意形成を図るのが困難なのかは理解しかねます。鉄道駅関連ならプロジェクトも既に作られていますし、そうでなくても井戸端で提起できます。そもそも、私は何か新しいルールを提案した訳ではありません(蛇足ですがウィキペディアではルールではなく方針やガイドラインなどと呼ぶべきです)。寧ろ個人的な慣習による表記統一に苦言を呈しています。「以下」・「下記」の場合、表記統一はしてもしなくてもどちらでも構いませんから、編集欄において他方表記を固有のものとして扱うのは問題があります。新規参加者は既に合意形成が取られていると誤解するかもしれませんし、そもそも公平ではありません。また、私の感覚では、「以下」・「下記」の様などちらでも問題ない場合はルールでどちらかに決めるべきではありません。記事に適した表記を優先すべきです。乱数云々は私の主張ではありませんね。過去の投稿をきちんと読まれていない印象です。もう一度、最初から読み直されては如何でしょうか。--Takym(会話) 2025年4月4日 (金) 18:43 (UTC) [返信 ]
- プロジェクトや井戸端で話す必要もないですから、してこなかったんですよ。誘われたこともありませんし。--Foo-bar(会話) 2025年4月4日 (金) 18:53 (UTC) [返信 ]
- 百科事典なのに表現に統一感がないことが売りになるような主張に困惑しています。--Foo-bar(会話) 2025年4月4日 (金) 18:55 (UTC) [返信 ]
- 合意形成が難しいのは、些細な表現の修正が問題になる、今回の質問を見れば明らかです。--Foo-bar(会話) 2025年4月4日 (金) 19:00 (UTC) [返信 ]
- そのような主張はしていませんし、相手の主張を捻じ曲げる様なコメントはご遠慮ください。また、合意形成の必要が無かったと述べられていますが、理由の提示をお願いします。また、この議論においては「些細な表現の修正」は問題になっていません。やはり、過去の投稿をきちんと読まれていない印象は拭い切れません。--Takym(会話) 2025年4月4日 (金) 19:05 (UTC) [返信 ]
- 返信 (@Takym 宛) 一般に「当該駅の駅弁一覧」などという「定型的な一覧表」であれば(以下でも下記でもどちらでもいいので)、
- とにかく「どちらか一方」に定まっている方が読みやすいです。
- --シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2025年4月8日 (火) 15:50 (UTC) [返信 ]
- 「統一すべき」「統一しないべき」という主張ではなく、合意形成無しに他方を「固有」と切り捨てないで欲しいという主張です。既成事実を作り上げるというやり方には賛同できません。表記統一を図ろうとすると中立性の懸念が生じるかもしれませんが(どちらを選ぶべきか、そもそも統一するのは正しい選択なのか等)。ところで、なぜ「どちらかに定まっていると読みやすい」というのはどうしてでしょうか。編集に新たな規制を掛けるという欠点と比較して考える必要があります。尚、前述した編集履歴を見る限り、「以下」・「下記」以外の表現の違いには寛容に見え、感覚で修正している様に見えます。(「そのような主張は〜」のコメントの下にぶら下がっていますが、返信先として正しい位置でしょうか。意図的でなければ、節の末尾に移動した方が後から読み返す時の理解の手助けになると思います。)--Takym(読み:たかやま、会・投) 2025年4月8日 (火) 17:45 (UTC) [返信 ]
- 返信 (@Takym 宛) 一般に「当該駅の駅弁一覧」などという「定型的な一覧表」であれば(以下でも下記でもどちらでもいいので)、
- そのような主張はしていませんし、相手の主張を捻じ曲げる様なコメントはご遠慮ください。また、合意形成の必要が無かったと述べられていますが、理由の提示をお願いします。また、この議論においては「些細な表現の修正」は問題になっていません。やはり、過去の投稿をきちんと読まれていない印象は拭い切れません。--Takym(会話) 2025年4月4日 (金) 19:05 (UTC) [返信 ]
- 合意形成が難しいのは、些細な表現の修正が問題になる、今回の質問を見れば明らかです。--Foo-bar(会話) 2025年4月4日 (金) 19:00 (UTC) [返信 ]
- 百科事典なのに表現に統一感がないことが売りになるような主張に困惑しています。--Foo-bar(会話) 2025年4月4日 (金) 18:55 (UTC) [返信 ]
┌────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘--シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2025年4月10日 (木) 10:12 (UTC) [返信 ]
- 先ず以下に就き確認したいことがございます。
@Foo-bar さんも此の一件のみ、どうかお付き合いください。 -
- 強調される「固有」とは「当該駅に固有」ではなく「駅に関する当該記事に固有」の意味でしょうか?
- 仮に「以下」や「下記」の表記が、記事の表記ゆれではなく、駅ごとの慣習としての表記ゆれであれば、その主張が出典を以て検証可能である限り、議論の根本が覆ってしまいます。
- 「統一すべき」「統一しないべき」という主張ではなく、合意形成無しに他方を「固有」と切り捨てないで欲しいという主張です。—@Takym
- 私の理解力が足らないばかりに
「固有」と切り捨てないで欲しい
という文意を必ずしも汲み能わず、此れに点き申し訳ございません。
- 先ず以下に就き確認したいことがございます。
- 以降は「固有である事それ自体には意味がない場合」を扱います。
-
- さて「以下」と「下記」との表記ゆれが「合意の必要な案件である根拠」を、
「感覚によらず」説明してください。 - 不勉強ですみませんが「合意がないならやっちゃいけない」という行為の一覧を私は見たことがありません。
- もちろん「敗戦と終戦」や「大幅なレイアウトの変更」などは、合意を形成することが望ましいです。
- ただ、各ノートページがすっからかんのウィキペディアで「以下か下記か」でさえ合意が必要であれば、悲しいことに何の作業も進まないのが現実です。
- また、ウィキペディアや共同作業一般では、全ての利用者が互いを「良心に基づき活動している」と仮定しなければ、ウィキペディアそのものの存在意義が消失します。
- 自分自身は、統一することにも、下記にすることにも異議がないのに、居もしない異議のために大げさな議論を開始するのであれば、ぜひとも他人が編集できないご自身のブログを編集することをお勧めします。
- 残念ながら私は「本件の以下と下記に関して」は「合意なしに統一したい人が感覚で統一していい程度のこと(草取り活動の一種)」としか感じません。
- さて「以下」と「下記」との表記ゆれが「合意の必要な案件である根拠」を、
-
- なお「以下」と「下記」に関して無理やり理屈を付けるならば、
私はそもそも「上・下・左・右」を用いた表現を否定します。 - 意外と居るのですが「縦書きビュー」でウィキペディアを閲覧する人がいます。
- 縦書き一般は「右から左」に行が進むため「下記のリスト」は「左」にあるはずです。
- 従って厳密に言えば「以下」も「下記」も不適当です。
- 代替としては「次に示すリスト」が妥当でしょう。
- そして「下記」とは「記書き」の形式を示すものであり、百科事典にふさわしいとはいえません。
- 普段から書式をよく扱う社会人などは説明不要でしょうが、記書きとは次のようなものです。
- 本件につきましては、下記の通り実行いたします。記
・日付:令和7年4月10日
・時刻:午前7時半(揃い次第)
・場所:中央公・民館
・備考:この紙は当日回収しますので、名前の欄を記入して大切に保管してください。
以上 - もちろん「記書き形式の定型として下記という言葉を使う」ことは、
「記書きではない場合に下記という言葉を使ってはいけない」ということ自体を意味しません。 - とはいえ、そういった用法が役所やビジネスの分野で日本語の慣行として存在する以上、
- 記書きを想起させる「下記」という表現は百科事典にふさわしくありません。
- なお「以下」と「下記」に関して無理やり理屈を付けるならば、
-
- 結論として、私は百科事典的でない「下記」も、非印刷文書的でない「以下」も望ましいとは考えませんし、
だからといって合意が必要な編集行為だとも考えません。
- 結論として、私は百科事典的でない「下記」も、非印刷文書的でない「以下」も望ましいとは考えませんし、
何か議論の参加者が見落としていた重要な要素や文脈がございましたら、ぜひともお寄せくださいね!--シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2025年4月9日 (水) 13:30 (UTC) [返信 ]
- 合意形成が難しいと判断しましたので、駅記事の駅弁からは撤退したいと思います。さようなら。--Foo-bar(会話) 2025年4月4日 (金) 19:17 (UTC) [返信 ]
- テンプレートを作成して、それに書き込むかたちにすれば十中八九その手のいちゃもんは減ると思います。--シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2025年4月8日 (火) 15:42 (UTC) [返信 ]
- 私の主張に対して「いちゃもん」と書かれているのであれば、あまり気分のいいものではありません。違ったらすみません。--Takym(読み:たかやま、会・投) 2025年4月8日 (火) 17:49 (UTC) [返信 ]
- 個人の名前を具体的に出すことは差し控えられますので、どうかご自身の発言を振り返ってご想像ください。
- おっしゃるように
自身のウィキペディアの編集経験が浅いので
あれば、人の編集は静観するのも手だとは思います。 - 少なくとも「感覚で編集しているように感じただけで人の編集に水を刺し、手を止めさせようとした理由となる議題もなく、落としどころも存在しない議論を展開し、現に編集者を疲弊させ、合意も何も編集者の少ないニッチな作業の貢献者を追いやっただけ」の人になりたくなければ、哲学的な理想論ではなく、ぜひ現実的な落としどころをお聞かせください。
- ご回答、心待ちにしております!--シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2025年4月9日 (水) 13:53 (UTC) [返信 ]
- 私の主張に対して「いちゃもん」と書かれているのであれば、あまり気分のいいものではありません。違ったらすみません。--Takym(読み:たかやま、会・投) 2025年4月8日 (火) 17:49 (UTC) [返信 ]
- テンプレートを作成して、それに書き込むかたちにすれば十中八九その手のいちゃもんは減ると思います。--シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2025年4月8日 (火) 15:42 (UTC) [返信 ]
- 合意形成が難しいと判断しましたので、駅記事の駅弁からは撤退したいと思います。さようなら。--Foo-bar(会話) 2025年4月4日 (金) 19:17 (UTC) [返信 ]
┌────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘本件に関する私の意見を次の通り整理します(私はメンションさえくれれば、返信位置が多少 上下しても気にしません)。
- 議題について「必要がない」は「禁止」を意味しません。
- 議題「記事を超えて表記を統一する必要はあるのか」について、
- 議論の開始者の意図に関わらず「二者択一論法的」であり、
- 同様に意図に関わらず「事例を示さずお茶を濁す」かたちを採っており、
- 結果として意図に関わらず「(事例に対して)反応が偏りやすい」でしょう。
- ですから、私は「禁止を意味しない」ことを強調します。
-
- 議題の事例である「定型的な記述の記事ごとの表記ゆれ」は、望ましくないでしょう。
- そもそも「定型文が記事固有の表記ゆれを起こす」というのは、なんだか矛盾していませんか?
- もちろん例外はあります。
- 「下記のリスト」が、別ページ上にあり「当該ページ内にはリンクのみがある」場合は、ページ内に記されていないため固有の表記を採用するでしょう。
- しかし、分類上の「外観も性質も同じ物事」の記述は同型同質に、
つまり「統一されている方が望ましい」でしょう。 -
- 分類上の同型同質の各項目における、同型同質の記述対象を形式的に記述することは、
- 文学的である必要のない「百科事典の記述」として望ましいことでしょう。
- 現に「定型文のほうが把握しやすい」から「テンプレート化が進む」わけです。
-
- 合意は本件「以下と下記と程度の表記揺れの手動修正」に関して、不要でしょう。
- 現に具体的な「単なる表記揺れとして修正対象にできない理由」が必要です。
- 例えば「感覚で終戦より敗戦という表現が多いからそうしている」というのは議論すべき浅慮でしょう。
- 戦争がセンシティヴである以前に「勝った、負けた」という表現を出典なしに用いてはならないからです。
- しかし「以下と下記」程度であれば、変えても本文の文意が変わるわけでなく、合意を必要とする記述とは言えません。
- 少なくとも「その統一作業は具体的にどのような問題があるのか」が分からないのに「感覚で他の編集者の行為を禁じるという行為」は推奨できません。
- これを推奨すると「フリーでオープンなウィキサイトの根幹」が揺らぐため、多くの方針や私論、プロジェクトごとのローカルルールが合意するところです。
- もちろん「内容や文脈も関係なしに置換するような表記揺れ統一作業」は、
あれこれ考えるより「とにかく手を止めてもらい、説明を求める」ことを優先するでしょう。
- もちろん「内容や文脈も関係なしに置換するような表記揺れ統一作業」は、
- わざわざ「駅の項目の駅弁に関する記述」と絞り込んで統一している時点で、他に理由もなくわざわざ手を止めさせる行為ではありません。
- これを推奨すると「フリーでオープンなウィキサイトの根幹」が揺らぐため、多くの方針や私論、プロジェクトごとのローカルルールが合意するところです。
-
- 本件にのみ焦点を当てると「上下左右と云う参照指示」が、いずれにせよ「編集者本位」でしょう。
- 先ず「記書き」でもないのにわざわざ「下記」に揃えることが不自然です。が、
- ウェブページは印刷文書ではないので「視覚的な方向」はすぐに変わってしまいます。
- ですから、できる限り「論理的な方向」で、状況によりますが「先次前後」といった表現を適切に選択してください。
広く意見を求めるだけでなく「まず自身が叩き台となる案を提示する」のが議論の開始者の望ましい態度です。--シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2025年4月10日 (木) 10:12 (UTC) [返信 ]
- 私に対するWP:PAに抵触したコメントがありましたので、返信しない事としていましたが、初見でこの節を閲覧された方に誤解される事も望みませんので反論します。
- 訂正 既に述べている事ですが、これは「議論」ではなく「質問」です。善意にとるならば、恐らくこれが曲解の原因になっているのでしょう。また、何か新しい方針やガイドライン、その他ルール等を決めるものでもありません。
- 情報 この節は、一般論として「記事を超えて表記を統一する必要はあるのか」を問いている部分と、「ある慣例について、合意形成が無いにも拘わらず、その様な慣例がルールであるかの様な主張を編集の要約欄で行われている」という事例を問題視している部分に別れています。
- 後者の事例を、要約欄の表記に合わせて「固有」と表記したいましたが、誤解の元になる様ですので控えます。今後は分かり易さを重視して「(慣例の)独断的ルール化」と表記します。
- コメント 雑感 第一印象として随所に論理的飛躍(誤謬、詭弁)が多くみられます。私の偏りに依るものではないとも言えませんが。
- コメント 体裁 マークアップについて一点気になった事を述べておきます。文章の途中で箇条書きを挟まれると、普通に読み難い上、引用する時も面倒です。「・」の後ろに続く文章は一塊になる様にして欲しいです。
- 反論1(対象:合意形成は必要無い)
- さて「以下」と「下記」との表記ゆれが「合意の必要な案件である根拠」を、「感覚によらず」説明してください。
- 不勉強ですみませんが「合意がないならやっちゃいけない」という行為の一覧を私は見たことがありません。(中略)残念ながら私は「本件の以下と下記に関して」は「合意なしに統一したい人が感覚で統一していい程度のこと(草取り活動の一種)」としか感じません。
- 反論1-b これは草取り活動に対し対話を求める事自体を一切してはいけないという意味でしょうか。もしそうであれば、WP:CONに反する主張です。編集合戦を避けるだけではなく、中立性の維持にも寄与するので、合意形成は重要な手段の一つです。また、私に「合意形成は不必要」と主張されても「はい。そうですね。」と同意する事はできません。私が決めた訳ではありませんし、消極的であっても「合意形成にもWP:IARを適用できるのでは」とは言い難いです。もし、対話を求めてはいけないという意味ではないのであれば、どういった意図だったのでしょうか。中立性を重んじるウィキペディアでは、表記の些細な違いの議論は自転車置き場の議論とは言えないと考えています。
- 自分自身は、統一することにも、下記にすることにも異議がないのに、居もしない異議のために大げさな議論を開始するのであれば、ぜひとも他人が編集できないご自身のブログを編集することをお勧めします。
- 反論1-c 支離滅裂に感じます。トートロジーになりますが、何か疑問点があって質問しています。後文では、あなたはブログを立ち上げるべきと主張されていますが、他人の行動を強制する様な主張はしてはいけません。論理的繋がりも見受けられません。また、「異議がない」とは誰の主張でしょうか。
- 反論2(対象:返信位置)
- (前略)あなたに対して私が反応を返す以上、自然な位置は「返したい返信乃至相手の最後の返信の返信ボタンを押して自動で挿入される位置」でしょう。この位置に返信が生成されることに不満があるならば、ぜひとも返信ツールの制作者にフィードバックをお寄せください。
- 時系列順であることを好む人もいますが、CSS で署名の時間を基準に揃え直せばいいことと、何より「文脈が欠けるほうが意図を汲みにくい」のでそうしていません。
- 反論2-b 文脈的に正しくないので返信位置を指摘したのです。時系列順にすべきとは主張していません。私の主張を誤って受け取っていると思われる返信に対し、誤りを指摘した返信に対して、この節そのものへの回答がぶら下げられていました。
- 反論2に関する追加主張 {{Outdent}} を追加する編集をなさっていますが、その結果、元の文脈が維持されない形になっています。一部のコメントが、元々、何に対して返信したものだったのか分かり難くなってしまっています。意図の汲み取り易さを主張されていますが、寧ろこの節の新規読者の理解が困難になるのではないかと懸念しています。
- 反論3(対象:「以下」VS「下記」のどちらを用いるべきか)何度も述べていますが、この節では個別具体的な状況に関して質問したものではありません。理解の手助けとして開示したに過ぎません。「きっかけとなった件」以外にも表記の揺れの問題に関して気になる事は多々ありますし、これらの問題をどの様な原則で解決を試みるべきかを確認する為のものです。よって、「どちらを用いるべきか」について深く議論なさっている様ですが、この節の目的外となる為、これ以上の返信は控えます。もう一度述べますが、あくまで私の興味の対象は一般論として「記事を超えて表記を統一する必要はあるのか」についてです。
- 反論4(対象:議題とは?・禁止云々)
- 議題について「必要がない」は「禁止」を意味しません。
- 議題「記事を超えて表記を統一する必要はあるのか」について、議論の開始者の意図に関わらず「二者択一論法的」であり、同様に意図に関わらず「事例を示さずお茶を濁す」かたちを採っており、結果として意図に関わらず「(事例に対して)反応が偏りやすい」でしょう。ですから、私は「禁止を意味しない」ことを強調します。
- 反論4-(1) ここでは(1)と解釈します。
- 質問 そもそも「議論の開始者」とは誰ですか。私はあくまで「質問者」です。また、「開始者」という言葉も一般的では無いので、意味を明確にして頂けませんでしょうか。取り敢えず「議論の提起者」と解釈します。
- 忠告 私の投稿の意図は私が決めます。誰であっても改変できません。従って、あなたは私の投稿が「質問ではなく議論」と主張する事はできません。
- 訂正 「議題」ではなく「質問」と呼称します。
- 反論4-(1)-a 質問は「二者択一論法的」であると述べられていますが、現実は複雑ですので、表記の揺れの解消は「必要である」・「必要でない」のどちらかで決着するとは必ずしも言えません。実際に最初に付いた二つの回答や参考リンクの中では、分野毎や記事毎で合意形成を行って対処するしかないとされています。つまり、「必要である」と「必要でない」の中間にあたると言えます。よって、この質問は二元論的であるとは言い難いです。ただし、「データベース」の負荷を考慮して「以下」・「下記」の様などちらでもよい場合は、統一しない方が良いという考えもあるでしょう。この場合では確かに「必要でない」という主張になっています。それでも前者の場合の様に中間の主張も有り得るという事は忘れないでください。
- 反論4-(1)-b 抽象的な質問を「事例を示さずお茶を濁す」と断じるのは些か乱暴かと思います。また、個別具体的な事例は既に示しています。
- 反論4-(1)-c 抽象的な質問の回答は偏り易いという事実はありません。もしあるのであれば、出典の明示を求めます。(もしかして、多重質問の誤謬・ダブルバーレル質問の事ですか?しかし、当質問では前提の取り違いは起きていません。)
- 反論4-(1)-d 「禁止を意味しない」と強調されましても、「明示的に許可された」事にはなりません。必須か任意かという話題に対して、許可か禁止かという概念を持ち込むのは論点逸らしでしょう。
- (コメント そもそも私の意見は「無害な表記の揺れの解消の必要性はなく、有害な表記の揺れの解消には合意形成を図るべき」というものであり、「表記の揺れの解消は一律に禁止すべき」と主張した事は決してないのです。)
- 反論4-(2) ここでは(2)と解釈します。
- 反論4-(2)-a ある編集者が質問者に対して「議論する必要はない」と主張されるのは、明確にWP:POINT違反です。その様に主張する意図から「禁止を意味しない」とは解釈されないでしょう。少なくとも私はそう感じました。
- 反論4-(2)-b また、「今まで問題が起きて来なかった」というのは議論を拒否する理由には成り得ませんし、「初心者は静観すべき」や「編集に定期的に参加した人の主張が常に最も正しい」といった主張も受け付けられません(WP:OWN)。合理的な根拠を以って意見を主張すべきです。初心者を追い出そうとするのも公平ではありません。
- 反論4-(1) ここでは(1)と解釈します。
- 反論5(対象:定型表現)
- 議題の事例である「定型的な記述の記事ごとの表記ゆれ」は、望ましくないでしょう。
- そもそも「定型文が記事固有の表記ゆれを起こす」というのは、なんだか矛盾していませんか?
- もちろん例外はあります。「下記のリスト」が、別ページ上にあり「当該ページ内にはリンクのみがある」場合は、ページ内に記されていないため固有の表記を採用するでしょう。
- しかし、分類上の「外観も性質も同じ物事」の記述は同型同質に、つまり「統一されている方が望ましい」でしょう。
- コメント 補足説明 はい。確かに「統一されている方が望ましい」ですが、これは「必ず統一しなければならない」を意味しません。
- 分類上の同型同質の各項目における、同型同質の記述対象を形式的に記述することは、文学的である必要のない「百科事典の記述」として望ましいことでしょう。
- 現に「定型文のほうが把握しやすい」から「テンプレート化が進む」わけです。
- 反論5-e 違います。同様の記述を繰り返さない事で、作業を効率化するのが目的です。いわゆるDRY原則です。
- さて、ここからはWP:PAに抵触したコメントに触れます。
- 当該コメントでは、誰に対して言っているのか明記していませんが、私への返信として私に対して「ご自身の発言」と書かれています。
- 私のコメント『私の主張に対して「いちゃもん」と書かれているのであれば、あまり気分のいいものではありません。違ったらすみません。』の「違ったらすみません。」や「また、私自身のウィキペディアの編集経験が浅いので、本人の利用者ページのノートで直接指摘する事はまだしていません。」の「私自身のウィキペディアの編集経験が浅いので、」は社交辞令です。このコメントにも幾つか含まれています。
- ところで、当該コメントでは、指摘するのを止める様に主張されていますが、私は実際には本人に指摘する事はしていません。
- 私は誰かの編集の手を止めていませんし、コミュニティを疲弊させる様な事も心に誓ってしていませんし、哲学的な理想論を語ったりそういった議論を展開した覚えもありません。
- この節を見て本人の意志で編集を止められる場合、私にはそれを止める事はできません。本人の自由意志を尊重します。
- この様な印象操作はご遠慮ください。
- WP:CIVも併せてご覧ください。
- また、私にとって、この場所で「誹謗中傷を止めて欲しい」と主張する事自体が勇気の要る事でした。
- 以前、あなたへ配慮して濁した表現にしましたが、伝わりませんでしたので、はっきり言います。当該コメントは不愉快です。撤回をお願い致します。尚、WP:TPO違反となるので私の方からは除去できません。
- --Takym(読み:たかやま、会・投) 2025年4月10日 (木) 21:18 (UTC) [返信 ]
- 報告この節をサブページ化しました。--Takym(読み:たかやま、会・投) 2025年4月10日 (木) 22:09 (UTC) [返信 ]
- コメント なんか話が広がってるみたいですね。一般論としては[1]で書いた通りだと思うんですが、ちょっと直近の「質問」の書き方に流されているところもあるので補足してみます。
- 統一したほうがいいかどうかというと、普通は統一したほうがいいっていうのは、自然な発想としてあると思うんです。だけど、ウィキペディアにおいては、そうもいかないっていうことを、前回は書いたつもりでした。
- 実際の書籍などでは、基本は執筆者の書きぶりにまかせつつ、不統一は編集・校正などでそろえていく。複数の執筆者がいる場合は、監修者なり編集者なりが「決め」をつくる。紙の場合でも百科事典全体を統一というのは、実際にはなかなかなくて、なぜかというと大人向けちゃんとした百科事典だと、専門家である執筆者が記名で書いてるからっていうのがあります。ウィキペディアでは執筆者は特定のひとりではないですし、監修者や編集者のように決定権を持つ人がいないので、ある程度の強制力を持たせるには合意をしなければならないということで、コストがかかる。
- 記事全体のフォーマットにしても、言葉の使い方にしても、文体にしても、統一されていることで読み手は迷わずに意味を理解できる。一方で、間違いではないがなじみのない表現だったりすると、それはそれで理解を阻害することもある。一般的な用例は増えているが、本来は間違いというような場合をどう扱うかとかいう問題もある。
- Takymさん的には、ウィキペディアではどうかってことがわかればよくて、それを今後の議論に生かせるときは生かし、他者が何かを統一しようとしている場合はそれに応じて対応の仕方を考える、ということで井戸端で質問されたのだと思います。
- そのなかで、具体的な編集内容がでてきていますが、Foo-barさんが統一しようとしているのは、それはそれで問題ないと思うんです。「下記」と「以下」程度であれば、特に合意を得る必要がないと考えるのは、無理のないところではあると思います。しかし、どう統一するかという点については合意がないということは認識しておいてほしいところで、もし、「下記」ではなく「以下」にすべきだ、という強い意見があれば、Foo-barさんはそこで一度手を止めて議論に参加するということでお願いします(もし、Foo-barさんとしては統一すればよく、「下記」「以下」にはこだわらないということなら、議論を静観していればよい)。まあ感覚的なところになりますが、個人的には、節や段落をまたいだり箇条書きなど書式が変わるなら「下記」、そうでないなら「以下」、改行だけならどっちでもいい、という感じがしっくりくるかな、というくらいには違いがあり、そういうところにこだわるひとっていうのもいるかもしれません。
- 「どのように統一するか」については合意がないので、「国内の全駅で表現を出来るだけ統一しているので、この駅に固有の表現にしないこと。」(松江駅より)という要約欄の書き方は、強制力がないものを強制力があるように伝えている点で適切ではなかった、とは言えるでしょう。「表記を他の駅にそろえる」くらいにしていれば、だれも問題視しなかったのではないかと思います。Takymさんも、統一するかどうかとか、「固有」云々とかではなくて、この書き方に引っかかったのではないでしょうか。
- なお、駅の記事はおそらく相当むかしから存在しているはずで、駅弁の編集をしている人がほとんどいなくて、統一しようとしているのに「以下」がたびたび出てくるのは不自然なので、ちょっとだけ調べてみたのですが、[2]や[3]のような編集が見られます。これもまた統一しようとしている編集ですが、ある漢字を使うかひらくか(かなで書くことを校正などでは「ひらく」といいます)、助詞を入れるか、といったところを独断で編集しています。これらも些細でどちらでもいい類のものだったりしますが、独断での統一作業を自由に認めると、このような編集を行う人があらわれ、些細でどちらでもいいからこそ、編集を強行し続けがちな人もいて、編集合戦がおこりやすい。第三者を交えても理論的な答えは出ない、という点は、統一に向かう編集をする人は認識しておいてほしいところです。
- 後者のIPの投稿記録[4]、会話ページ[5]、作成したとしているアカウントの投稿記録[6]、元のアカウントの投稿記録[7]、ブロック依頼[8]と、いろいろ見つかったので共有しておきます。--Ks aka 98(会話) 2025年4月11日 (金) 08:48 (UTC) [返信 ]
- ご返信ありがとうございます。本題から逸れますが、Ks aka 98さんのコメントを読んで(追記) 新たに (追記ここまで)気付いた点を述べます。IP利用者の編集には気が付かなかったのですが、どちらでもよい表記の揺れというのは、短期的に見ると「編集合戦とは言えない」ものの、長期的に見ると「編集合戦が起きている」のではないかと感じました。ある時点で、編集者個人の表記ルールに合わせて修正され、数ヶ月程度経ってから元に戻され、再び別の表現に修正されるというのを繰り返すのは、立派な「長期的な編集合戦」と言えるでしょう。この仮説を検証するには、大量の投稿履歴を確認しなければなりませんので、現実的ではありませんが。実際起きていなくても仮定の上で論じる事は将来の問題を未然に防ぐ事には繋がるでしょうから、無意味ではないと考えています。また、WP:3RRでは24時間以内という比較的短時間で引き起こされる編集合戦について扱っているなど既存の方針では「長期的な編集合戦」はカバーしきれていないという問題があると言えそうです。恐らく編集合戦対策はデータベースの負荷を中心に考えて発展していったのでしょう。中立性など他の観点を中心に置いて考えると、編集合戦の期間は本質的には関係無い様に思います。やはり、「文意が変わらないなら合意形成は必要無い」と論じるのは早計だと考える次第です。何度も繰り返し表記修正が行われるのは健全ではありません。どちらを採用するのか、それとも直すべきではないのかをはっきり決めておかないと「長期的な編集合戦」(もしくは「隠れた編集合戦」や「見逃された編集合戦」との呼称も考えられます)が引き起こされてしまいます。モヤモヤしていた点がくっきりしました。--Takym(読み:たかやま、会・投) 2025年4月11日 (金) 12:09 (UTC) (下線部加筆--Takym(読み:たかやま、会・投) 2025年4月11日 (金) 12:16 (UTC))[返信 ]
- 返信 (@Takym 宛)
- 改行は、長文が読めない人への配慮であり、対策です。
- 実は、井戸端やトーク・ノートページのことを「議論(ページ)」などともいいます。
- 質問と応答も提言も合意形成も、広義に議論といいます。
- 次に示す通り、質問と応答は議論の一形態として知られます。衆参両院の本会議及び全委員会の会議録(第1回国会から)をインターネットで公開しています。会議録のうち、いわゆる質疑応答などの議事部分がテキストで表示されます。
- 次に示す通り、質問と応答は議論の一形態として知られます。
- 編集「合戦」とは、その名の通り「短時間で故意に編集をし合っている(編集者が戦っている)」ことを問題視しています。
- 従って、単に「時間をかけて記述が推敲される」ことを問題視する必要はありません。
Wikipedia:五本の柱#WP:5P4
- 従って、単に「時間をかけて記述が推敲される」ことを問題視する必要はありません。
- 個人的なお願いとして、いわゆる「ウィキペディアの内規」をわざわざショートカットで書かないでください。
- 五本の柱ならともかくとして、方針のショートカットをわざわざ覚えている人ばかりではありません。
- 事情があってモダンなエディタを使えないなら申し訳ないですが、ビジュアルエディタはショートカットから正式名称を簡単に出す事もできます。
- 言いたいことは「何でも議論やルール化、問題視すればいいということではない」ということです。
- 本件であれば「記事を超えて記述を統一する方が良いときもあるしそうでないときもある」としか誰も言えないし、現にそういう意見しか集まっていません。
- 「私はそうは言っていない」という方がおられましたら、明確にご否定ください。
- 慣行は、想像の数倍問題ではないとお考えください。なぜならば、すでに十分コミュニティは合意しているから慣行だからです。
- 「これは質問だ」とおっしゃるならば、私は「聞かれてもその質問には誰も可、不可と明言できない」と答えます。
- 説明文一般は、表記が統一している方が望ましいが、必要とするのは現実的でない、といったゴチャッとしたことしか言えないです。--シェン,アーナリー,ン,アーバァ.(お気軽に会話ページへご連絡ください) 2025年4月11日 (金) 14:09 (UTC) [返信 ]
- 編集合戦は、計算機負荷というか、まあ無駄にいつまでも続くのを避ける、というところでしょうか。基本的には、対立するなら対話を始めて議論して合意しろ、なんです。たいていの編集合戦は、意味が変わる編集内容について発生するので、自分が明らかに正しいと思ってる。でも、内容に関することなら、典拠を示して正しさを示し中立性に配慮した落としどころを探ることはできるはず。それなのに、どっちも対話に向かわないなら、どっちかが寝落ちするまでずーっと続くので、だれかが止めなければならないということで保護の対象になる、と。で、これば内容にかかわることなので、頻度が少なくても、問題になる。大きなフォーマットの変更や文体の変更とかでも、同じですかね。この種の大きな変更は、事前に合意などがあったほうがいいことも多い。たびたび編集が強行されるなら、その利用者がブロックの対象になるでしょう。
- 文意が変わらないような編集なら、数か月に1回くらいあっちにいったりこっちにいったりしてても、百科事典としての質に影響がなく、計算機資源もたいして消費しないし、第三者の手間もとらせない。
- 前にも書きましたが、文意が変わらないなら、(ものにもよりますが)合意形成はとても困難なんです。「下記」か「以下」か、あるいは「下」を避ける別の言いかえを探すのか、「見回る」か「見まわる」か、その場合「近付く」「近づく」など複合動詞全体で統一するのか個別に検討するのか、などと日本語表記法全体に及びますし、すべての記事に影響が及びます。また、そのような違いについての合意は、結局のところ、その段階での多数派を示しているに過ぎません。だとすると、その強制力は限定的で、それなりの期間があいて、関心を持つ参加者が入れ替わったりすれば、再度の議論提起を拒むのもむずかしい。
- 「些細でどちらでもいい」類の表記であれば、中立的観点的には問題は生じないですよね。なので、その理由が統一でもそれ以外でもいいんですが、修正したいなら修正すればいいし、編集合戦がが緩慢なら、まあ些事としていいと思うんです。百科事典のコンテンツとして、情報量の増減はないし、正誤にも関係ない。執筆者は好きに書けばいいし、どちらを選ぶかということを棚上げして、記事内、分野内で統一したい人がいれば統一すればいい。こだわらないなら、気にせずほったらかしにして、次の記事を書くなり、正誤に関係するような表記について調べるなりすればいい、という感じでしょうか。
- 「些細でどちらでもいい」類の表記で意見の対立が表面化して、一方あるいは両方の利用者が編集を強行するなら、その利用者の態度が問題視される、ということになると思います。互いに節度を持ちつつもどうしても議論をはじめるということなら、なんらかの理由を持ち出してくるでしょう。やっぱりどちらでもいいなら、「これについてはこっちにしておこう」と決めざるを得なくなるけど、まあしょうがない。そのこだわりから、実は中立性や正誤の問題だということが見えてくることもあるでしょう。中立的な観点、また他の方針やなんらかの観点から正誤の問題となるような場合は、そこで何らかの理由が出てくるので、議論が成り立ちます。その場合は、議論によって、適切な表現に改められる。
- 今回のことに話を戻すなら、誰かが「以下」と書いていたものを、Foo-barさんが統一のために書き換えていたのではなく、もともと書いてたのがFoo-barさんで「下記」を用いていたところ、ソックパペットあるいは同一人物とおもわれる113.154.219.152ほかが「以下」への修正を含む改変を行っているので、少なくともブロック後は元に戻すのが好ましい、ですね。Foo-barさんは何度か見ているはずで、Takymさんも列挙する差分をつくるときに気づいてくれていれば、また見え方が変わっていたかもと思います。癖のある編集なので、おふたりとも、今後も駅関係で同じような編集を見たら(下記/以下の修正だけでなく)リバートなり伝言板への報告なりでの対応もご検討ください。--Ks aka 98(会話) 2025年4月12日 (土) 14:57 (UTC) [返信 ]
- 返信 (@Takym 宛)
- ご返信ありがとうございます。本題から逸れますが、Ks aka 98さんのコメントを読んで(追記) 新たに (追記ここまで)気付いた点を述べます。IP利用者の編集には気が付かなかったのですが、どちらでもよい表記の揺れというのは、短期的に見ると「編集合戦とは言えない」ものの、長期的に見ると「編集合戦が起きている」のではないかと感じました。ある時点で、編集者個人の表記ルールに合わせて修正され、数ヶ月程度経ってから元に戻され、再び別の表現に修正されるというのを繰り返すのは、立派な「長期的な編集合戦」と言えるでしょう。この仮説を検証するには、大量の投稿履歴を確認しなければなりませんので、現実的ではありませんが。実際起きていなくても仮定の上で論じる事は将来の問題を未然に防ぐ事には繋がるでしょうから、無意味ではないと考えています。また、WP:3RRでは24時間以内という比較的短時間で引き起こされる編集合戦について扱っているなど既存の方針では「長期的な編集合戦」はカバーしきれていないという問題があると言えそうです。恐らく編集合戦対策はデータベースの負荷を中心に考えて発展していったのでしょう。中立性など他の観点を中心に置いて考えると、編集合戦の期間は本質的には関係無い様に思います。やはり、「文意が変わらないなら合意形成は必要無い」と論じるのは早計だと考える次第です。何度も繰り返し表記修正が行われるのは健全ではありません。どちらを採用するのか、それとも直すべきではないのかをはっきり決めておかないと「長期的な編集合戦」(もしくは「隠れた編集合戦」や「見逃された編集合戦」との呼称も考えられます)が引き起こされてしまいます。モヤモヤしていた点がくっきりしました。--Takym(読み:たかやま、会・投) 2025年4月11日 (金) 12:09 (UTC) (下線部加筆--Takym(読み:たかやま、会・投) 2025年4月11日 (金) 12:16 (UTC))[返信 ]