コンテンツにスキップ
Wikipedia

鈴木禎次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鈴木禎次
生誕 1870年 (明治3年) 8月2日
日本の旗 日本 駿河国静岡
(現・静岡県 静岡市)
死没 (1941年08月12日) 1941年 8月12日(71歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 帝国大学工科大学造家学科
職業 建築家
所属 三井銀行→名古屋高等工業学校→鈴木建築事務所
建築物 作品を参照

鈴木 禎次(すずき ていじ、明治3年7月6日(1870年 8月2日) - 昭和16年(1941年)8月12日)は、日本建築家静岡県 静岡市出身。夏目漱石の相婿(妻同士が姉妹)で、漱石の小説の中にも登場する。[要出典 ]

経歴

[編集 ]

1870年(明治3年)駿河国静岡に旧旗本で大蔵官僚の鈴木利亨の長男として生まれる。1896年(明治29年)に帝国大学工科大学造家学科を卒業[1] 。翌年、三井銀行に入り建築係に勤務する。1898年(明治31年)夏目漱石の妻である夏目鏡子(旧姓:中根)の妹(時子)と結婚し、1903年(明治36年)、文部省の命を受けイギリスフランスに留学。1906年(明治39年)名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)の建築科教授・同科長となり赴任[1] 。1922年(大正11年)に退官[1] 。名古屋に鈴木建築事務所を開設する。1941年(昭和16年)71歳で逝去した[1] 。墓所は染井霊園

鈴木が生涯で設計した建築物は80棟に及び、うち44棟が名古屋市内に集中している[2] 。このことから「名古屋をつくった建築家」とも呼ばれることがある[3]

2009年(平成21年)、光鯱会(名古屋工業大学建築学科同窓会)の創設100周年記念事業として鈴木禎次賞が創設された[4]

作品

[編集 ]
名称 所在地 状態 備考
/鶴舞公園 奏楽堂・噴水塔 1910年(明治43年) 23愛知県名古屋市昭和区
/旧中埜家住宅 1911年(明治44年) 23愛知県半田市 重要文化財
/旧岡崎銀行本店
(岡崎信用金庫資料館)
1916年(大正5年) 23愛知県岡崎市 登録有形文化財
/夏目漱石墓標 1917年(大正6年) 13東京都豊島区
/旧諸戸精太郎邸洋室(諸戸氏庭園) 1918年(大正7年) 24三重県桑名市 重要文化財
/野澤屋呉服店 (横浜松坂屋) 1921年(大正10年) 14神奈川県横浜市中区 現存せず
/鈴木禎次記念碑 1923年(大正12年) 23愛知県名古屋市昭和区 退官を記念して建設
/中埜銀行本店 1924年(大正13年) 23愛知県半田市 現存せず
/旧名古屋銀行一宮支店
(オリナス一宮)
1924年(大正13年) 23愛知県一宮市
/旧名古屋銀行本店
(ザ・コンダーハウス)
1926年(昭和元年) 23愛知県名古屋市東区 三菱UFJ銀行貨幣資料館
(2002年-2009年)
/松坂屋上野店 1929年(昭和4年) 13東京都台東区 外部は改修、内装の一部が残る
/伴華楼(揚輝荘) 1929年(昭和4年) 23愛知県名古屋市千種区
/旧高原ビル
(国際東船場113ビル)
1932年(昭和7年) 36徳島県徳島市 登録有形文化財
/豊田喜一郎邸 1933年(昭和8年) 23愛知県豊田市 移築
/旧松坂屋大阪店
(髙島屋東別館)
1934年(昭和9年) 27大阪市浪速区 重要文化財
/旧日本陶器事務所
(ノリタケカンパニーリミテド事務館本館)
1938年(昭和13年) 23愛知県名古屋市西区

ギャラリー

[編集 ]

親族

[編集 ]

夏目漱石との交流

[編集 ]

漱石の相婿ということもあり、漱石の英国留学時から折に触れて交流があり、そのことは漱石の日記にしばしば夫妻で登場する。[5] [6]

脚注

[編集 ]
  1. ^ a b c d "鈴木禎次". 愛知県総合教育センター. 2024年12月31日閲覧。
  2. ^ "特集 「鈴木禎次」" (PDF). 名古屋都市センター. 2013年12月18日閲覧。
  3. ^ "名古屋の偉人伝 No.9 鈴木 禎次(すずき ていじ)の巻". 名古屋市図書館. 2025年11月22日閲覧。
  4. ^ "鈴木禎次賞". 光鯱会(名古屋工業大学建築学科同窓会). 2013年12月18日閲覧。
  5. ^ 『夏目漱石全集第16巻』岩波書店。 
  6. ^ 『夏目漱石全集第17巻』岩波書店。 

参考文献

[編集 ]

関連項目

[編集 ]

外部リンク

[編集 ]
ウィキメディア・コモンズには、鈴木禎次 に関連するカテゴリがあります。

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /