永原稔
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永原 稔(ながはら みのる、1921年 <大正10年> 4月21日 - 2006年 <平成18年> 12月17日 [1] )は、日本の政治家。新自由クラブ 衆議院議員(1期)。勲三等瑞宝章。
来歴
[編集 ]静岡県出身[2] 。1944年 東京帝国大学法学部政治学科卒[2] 。学徒動員で陸軍に入り、終戦後静岡県庁に勤める。県庁内では人事、調査、財政ほか各課長や、企画調整部長、出納長、副知事などを務めた[2] 。1974年に斎藤寿夫知事が辞任すると、社会・公明・民社三党の推薦で県知事選に出馬するが、自民党 参院議員だった山本敬三郎に敗北。1976年の第34回衆議院議員総選挙に静岡1区から新自由クラブ公認で立候補して当選した[3] 。1979年の第35回衆議院議員総選挙では落選した[3] 。1992年春の叙勲で勲三等瑞宝章を受章[4] 。2006年 胃癌で死去[1] 。
脚注
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