佐藤錬
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 佐藤 錬 さとう れん | |
|---|---|
| 生年月日 | (1951年07月15日) 1951年 7月15日(74歳) |
| 出生地 |
日本の旗 日本 大分県 宇佐市 (旧院内町) |
| 出身校 | 明治大学法学部卒業 |
| 前職 | 大分県議会議員 |
| 所属政党 | 自由民主党 |
| 選挙区 | 比例九州ブロック(大分1区) |
| 当選回数 | 2回 |
| 在任期間 | 2003年 - 2009年 |
| 選挙区 | 中津市選挙区 |
| 当選回数 | 3回 |
| 在任期間 | 1991年 - 2000年 |
| テンプレートを表示 | |
佐藤 鍊(さとう れん、1951年 7月15日 - )は、日本の政治家、自由民主党の元衆議院議員(2期)。大分県 宇佐市(旧院内町)出身。
2005年の第44回衆議院議員総選挙では、郵政国会で反対票を投じた自民党前職の衛藤晟一に代わって、党執行部より自民党公認を得て大分1区より出馬。同選挙区では民主党の吉良州司が当選。無所属で立候補した衛藤にも及ばず得票では3位に終わるも比例区(九州ブロック)で復活当選。その後、衛藤にかわり自民党の衆議院大分県第一選挙区の支部長に就任。2006年5月脳梗塞で倒れ、2007年8月に、次期衆議院選挙について、不出馬を表明した。日韓議員連盟所属。
経歴
[編集 ]- 1970年 大分県立中津北高等学校卒業
- 1974年 明治大学法学部卒業
- 1974年 衆議院議員江﨑真澄秘書(〜1985年)
- 1987年 中津市長選に出馬するが落選
- 1991年 大分県議会議員選挙に出馬し初当選。連続3期当選
- 1999年 自民党大分県連青年局長
- 2000年 第42回衆議院議員総選挙に出馬するが落選(旧大分4区)
- 2001年 大分県少林寺拳法連盟会長に就任
- 2002年 自由民主党大分県衆議院比例区第一支部長
- 2003年 第43回衆議院議員総選挙で初当選(比例単独)
- 2005年 第44回衆議院議員総選挙にて再選
- 2009年 衆議院解散に伴い引退
その他
[編集 ]- 日中国会議員書画展へ書画を提供している[2] 。
脚注
[編集 ]- ^ 衆議院. "議員氏名の正確な表記". 2024年3月27日閲覧。
- ^ [1]NPO法人日中国会議員書画展実行委員会
関連項目
[編集 ]| 第41回 (定数23) |
| ||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 第42回 (定数21) |
| ||||||||||||||||
| 第43回 (定数21) |
| ||||||||||||||||
| 第44回 (定数21) |
| ||||||||||||||||
| 第45回 (定数21) |
| ||||||||||||||||
| 第46回 (定数21) |
| ||||||||||||||||
| 第47回 (定数21) |
| ||||||||||||||||
| 第48回 (定数20) |
| ||||||||||||||||
| 第49回 (定数20) |
| ||||||||||||||||
| 第50回 (定数20) |
| ||||||||||||||||
| ↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:繰り上げ当選。 | |||||||||||||||||