一代要記
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一代要記(いちだいようき)は、年代記の一つ。著者不詳。後宇多天皇の弘安年中(1278年-1287年)に成立し、鎌倉時代末から南北朝時代初期まで書き継がれた[1] 。水戸徳川家による『大日本史』の史料探索中、延宝年間に金沢文庫本を発見し、10冊に書写して世間に流布した[1] 。
春夏秋冬の全4冊から成り(流布本は10巻)、その内訳は春冊が神代 - 醍醐天皇、夏冊が朱雀天皇 - 高倉天皇、秋冊が安徳天皇 - 後嵯峨天皇、冬冊が後深草天皇 - 花園天皇となっているが、中間及び尾部を欠くため最後は明らかではない。
内容
[編集 ]内容は書名のとおり、各天皇ごとに諡号あるいは追号を掲げて、略歴や在位中の出来事の摘要を編年体で記し、さらに上皇、皇太子、後宮、斎宮、摂関、大臣、大納言、参議、蔵人頭、皇子女などの各項を設けて、該当者の人名を記している[1] 。各天皇と皇子女が系線で結ばれ、一大皇室系図になっている特徴があるが、流布本の中には系線が略されているものもある。流布本の祖本である金沢文庫本は東山文庫に現存し、その断簡は高松宮が所蔵する[1] 。
歴朝要紀
[編集 ]なお、高松藩主松平頼恕は国学者の友安三冬らに命じて、本書の後を継ぐ『歴朝要紀』を編纂させ、朝廷に献上した[2] 。
公卿補任補闕
[編集 ]『公卿補任』は宝治元年(1247年)と建長4年(1252年)から正元元年(1259年)、および正中元年(1324年)のぶんは古くに失われていたが、正中元年を除く9年ぶんを、徳川光圀が一代要記にもとづいて『公卿補任補闕』を作成したことで補われた[3] 。
写本、刊本
[編集 ]写本
[編集 ]流布本 [4] のうち、インターネット経由で閲覧できるもの。
- 『一代要記 10巻』書写、京都府立京都学・歴彩館 : 京の記憶アーカイブ。https://www.archives.kyoto.jp/websearchpe/detail?cls=152_old_books_catalog&pkey=0000002019 。
- 『一代要記 11冊』書写、筑波大学図書館所蔵。https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/300069815/1?ln=ja 。
- 『一代要記』書写、京都大学貴重資料デジタルアーカイブ。https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00005875 。
刊本
[編集 ]- 近藤瓶城 編「校本一代要紀」『改定史籍集覧 第1冊(通記類 第1)』臨川書店、1983年。https://dl.ndl.go.jp/pid/12212070/1/165 。
脚注・参考文献
[編集 ]脚注
[編集 ]- ^ a b c d 今江「日本歴史「古典籍」総覧 一代要記」『別冊歴史読本 事典シリーズ』第6号、1990年4月、230頁。
- ^ 今江「一代要記」『日本歴史「古典籍」総覧』、232頁。
- ^ 冷泉家時雨亭文庫 編「解題」『豊後国風土記・公卿補任』1995年、26頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/13197915/1/202?keyword=徳川光圀 。
- ^ 川瀬一馬「流布本」『日本書誌学用語辞典』雄松堂書店、1982年、291頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/12237105/1/161?keyword=一般に広く 。
参考文献
[編集 ]- 今江広道「日本歴史「古典籍」総覧 一代要記」『別冊歴史読本 事典シリーズ』第6号、新人物往来社、1990年4月、230-233頁。 *
- 冷泉家時雨亭文庫 編「解題」『豊後国風土記・公卿補任』朝日新聞社〈冷泉家時雨亭叢書 第47巻〉、1995年。https://dl.ndl.go.jp/pid/13197915/1/202 。
- 冷泉家時雨亭文庫 編『豊後国風土記・公卿補任』朝日新聞社〈冷泉家時雨亭叢書 第47巻〉、1995年。https://dl.ndl.go.jp/pid/13197915/1/27 。
- 梶原景惇 撰、松平頼恕 編『歴朝要紀 15巻 付録3巻』書写。https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007327736 。
- 石田実洋他校注 『続神道大系』 朝儀祭祀編、神道大系編纂会、2005年。