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2009年06月21日19時39分掲載 無料記事 印刷用

21世紀の日本型社会主義とは あの江田ビジョンから学ぶこと 安原和雄


今から半世紀近くも昔の話だが、当時日本社会党書記長だった江田三郎氏が提唱した「社会主義の新しいビジョン」と題するいわゆる江田ビジョンが最近、時折話題に上っている。
その背景として、あの新自由主義路線破綻後の資本主義はどうあるべきか、さらには資本主義後の新しい体制として社会主義社会を展望できるのかどうかに関心が持たれつつあるという事情をあげることができる。これは21世紀の日本型社会主義のイメージを模索する新しい潮流ともいえるのではないか。今、あの江田ビジョンから学ぶことは何か。

▽再浮上してきた「江田ビジョン」

毎日新聞の企画記事「権力の館を歩く― 御厨 貴・東大教授」(09年5月20日付)は「フル回転した江田人脈 東京五輪の年、政権獲得に思いはせ」という見出しで、江田三郎・日本社会党書記長(注)が1962年に唱えた江田ビジョンに言及している。
江田ビジョンとは、1アメリカの高い生活水準2ソ連の徹底した社会保障3英国の議会制民主主義4日本の平和憲法 ― を掲げた望ましい日本型社会主義のビジョンを指している。
そのくわしい内容は江田三郎・日本社会党書記長名で「社会主義の新しいビジョン」と題して、毎日新聞社刊『エコノミスト』誌(1962年10月9日号)に掲載された。全文は当時の『エコノミスト』誌の9頁にも及ぶかなりの長文である。

(注)江田三郎(えだ・さぶろう、1907〜77年)。東京商大(現一橋大学)卒、1950年参院議員に当選。1960年の浅沼稲次郎暗殺後、委員長代行に就任、テレビ討論では柔和な語り口が人気を呼んだ。江田ビジョンは1962年の社会党大会で左派から批判される。63年衆議院に転じ、77年社会党を去り、社会市民連合を結成した。江田五月参院議長は長男。

江田ビジョンの要点を以下に紹介しよう。

1 なぜ新しいビジョンが必要か

*心をゆさぶる社会主義を
私たちの考えている社会主義について長洲一二教授(注)はつぎのように要約されている。「社会主義とは人間の可能性を未来に向かって開花させることだ。人間は歴史のなかで偉大な可能性をきずき上げてきた。(中略)人類史の成果はいま私たちの目の前に巨大な生産力として、(中略)存在する。こんにちの生産力は、本当に人間のために運営されるならば、やがて貧困を地球上から追放する可能性がある。(中略)飢えや抑圧や戦争を追っ払う可能性が、ようやく人間の未来に見えはじめた。社会主義はこの可能性を実現しようとするものだ。
社会主義が資本主義を批判するのは、資本主義がこの可能性の開花をじゃまするからである。(中略)社会主義は不満分子の陰謀ではない。絶望者の反抗ではない。それは希望ゆえの革新であり、人間の可能性を信ずるゆえの創造である。その顔は未来に向かっている」(月刊社会党1962年9月号)。

教授の指摘はあまりに当然のことかもしれない。しかし日本の社会主義者の間では、実はこの当たり前のことが忘れられている。党員をふるい立たせ、全国民の心をゆりうごかすような社会主義のビジョンがなければ、いくら組織の拡大・強化を唱えてみても、それだけではみのり少ないものになるだろう。
(安原注)長洲i一二(ながす・かずじ、1919〜1999年)。当時横浜国立大学教授で、構造改革派の理論家として知られていた。後に神奈川県知事選に出馬し、当選、1975年から20年間5期在任した。

*後進国型のソ連社会主義
日本で社会主義といえば、人々はすぐにいままでのソ連や中国型の社会を連想する。(中略)少なくともそこでは資本主義にもとづく人間による人間の搾取は一掃されている。だからといって、ソ連や中国の社会主義の建設方式がそのまま私たちのお手本になるわけではない。革命前のロシアや中国は後進国であり、革命方式も、社会主義建設のやり方も、後進国独特の性格をもたざるをえなかった。スターリンの独裁体制と政治的テロルの支配という、社会主義にあってはならないものまで生みだされた。
そこで私たちとしては、ソ連、中国型とは異なった近代社会における社会主義のイメージを明確にすることが必要になってくる。
わが党こそ社会主義のビジョンをあきらかにする責任をおわねばならない。

2 未来をきり開く社会主義 ― 人類の到達点と四つの成果

人類は、何千年の歴史のなかで多くの血を流し、汗を流して貴重な成果をきずきあげてきた。その基礎の上に人間のもつ可能性を最大限に開花させてゆくこと、これが社会主義である。人類がこれまで到達した主な成果として、米国の平均した生活水準の高さ、ソ連の徹底した社会保障、英国の議会制民主主義、日本の平和憲法の四つをあげてみた。

*高いアメリカの生活水準
第一にアメリカの現在の生活水準は、こんにちこの地上で人間の経験しているもっとも高い生活水準である。乗用車の普及率が二・五人に一台でほとんどの勤労者が自家用車をもっているという社会は、まだアメリカ以外にはない。
しかしアメリカではその生産力水準にそぐわない社会的不均衡がめだっている。社会保障のいちじるしい立ちおくれ、膨大な富が国防に浪費されるために生ずる学校や病院のいちじるしい不足と都市環境の悪化、教育の機会不均等、スラム街、黒人に対する人種差別、数えあげれば多くの欠陥を指摘できる。
しかしアメリカの勤労者の賃金水準の高さが、こんにち人類の到達した偉大な成果であることに変わりはない。今日、世界各国の国民がアメリカの生活水準を到達すべき目標と感じていることも間違いない。

*ソ連の徹底した社会保障
第二にソ連の徹底した社会保障をあげる。
この国では失業しても病気になっても、年をとって働けなくなっても心配が要らない。国民のすべてが最低の生活を保障されている。
生産手段の公有とか、搾取の一掃といった社会主義の理論はわからなくても、これはすべての国民がそのまま受けいれうることである。
かりに民主主義の面でおくれがあるにしても、この地球上で最初に社会主義をうちたて、失業や病気や老年についての社会的不安を一掃したというソ連国民の偉大な事業は否定できない。

*英国の議会制民主主義
第三に人類の到達した大きな成果として、イギリスの議会制民主主義を考えてみた。
イギリスの労働者は、獲得した民主主義と福祉国家的水準に一応満足して、さらに社会主義へ向かって前進するという気迫に欠けているといわれる。
しかしそれにしても、イギリスの国民がつくりあげた議会制民主主義は立派である。普通選挙権、言論・集会・結社の自由、そして国民のすべてが国の政治生活に参加し、自分の欲する政党を政権につけ、欲しない政党を政権から追い払う自由、これはいかなる場合にも否定できない人間の基本的な権利だと思う。

*日本の平和憲法
人類の到達した偉大な成果のひとつとして日本の「平和憲法」をあげうることは、日本民族の誇りである。
第二次大戦中に私たちが体験したものは、実に筆舌につくしがたいものであった。国民の多くは家を焼かれ、家族を失った。なによりも痛ましいものは、人類最初の経験である原子爆弾による非人道的な破壊であった。これらの苦しみと悲しみのなかからほとばしり出た人々の願い、二度と戦争はしたくないという国民の悲願、それが憲法九条にほかならない。
今日、人類は核兵器を廃止し、全面軍縮を実現して平和に生きるか、それとも人類史のおわりを記録しなければならないか、二つに一つしかありえない。このとき、わが憲法第九条は、まさに千金のおもみをもって燦然と輝いている。現在、世界に大きく高まりつつある核実験禁止と全面軍縮の行動は、言葉を換えていえば、憲法九条の規定を世界各国の憲法に書き込ませる運動にほかならない。

3 新しいビジョンをつくろう

*日本にふさわしい社会主義を
人類のきずきあげた偉大な成果を考えながら、日本の体質にあった、日本にふさわしい社会主義のビジョンをつくりあげてゆきたい。これが私の念願である。
人類が今日までになしとげた達成に比べると、日本の現実は、憲法第九条を別とすれば、あまりにも貧弱である。この九条でさえ、アメリカの沖縄占領や自衛隊の拡充、核兵器の持ち込みなどの動きによってふみにじられ、おびやかされている。
たしかに日本の工業生産力は、世界一流のものになってきている。世界レベルの工場,そこに世界最新の機械がすえつけられている。しかし一歩工場の外に出ると、交通事故の不安におののきながら道を歩く。晴天がつづけば、水飢饉におちいり、大雨が降れば、水害に見舞われる。住宅条件はあまりにもひどい。過剰設備になやむ世界一流の大工場と、世界三流、四流の消費生活と貧弱な社会施設、だれが考えてもあまりに極端なアンバランスである。

*豊かな生活を保障する物質的条件
しかしこの近代的な工業力は、それが合理的に管理され、利用されるなら、すべての日本国民にそうとう豊かな生活を保障する物質的条件となりうるであろう。これは戦前の軽工業中心の工業力ではとうてい期待できない条件であった。ソ連の社会主義のように、消費をきりつめて重工業を建設する必要は、いまの日本にはない。
労働者の権利の保障も、すべての労働組合が弾圧されていった戦前と比べてはるかに前進したことは事実である。国民は普通選挙権と言論・集会・結社の自由をもち、自分の支持する政党を政権につける権利をもっている。戦前の治安維持法のもとでの選挙とは大変な違いだといわねばならない。
私たちが日本国民のおかれている現実のなかに、深い苦しみと悩みをみるだけでなく、そこに未来への希望をもみいだすのは、こうした違いのなかに、社会主義へ向かって進むとどめがたい時代の流れ、歴史の歯車の動きを感ずるからである。

▽〈安原の感想〉(1)― 江田ビジョンにかかわった一人として

この江田論文が『エコノミスト』誌に掲載されるに至った舞台裏をまず紹介したい。当時の江田社会党書記長に原稿を依頼したのは、実は私(安原)である。私は1960(昭和35)年5月地方支局から東京本社社会部に配属になり、警察担当のかたわら「60年安保」すなわち日米安保反対闘争のデモ取材などに右往左往する駆け出し記者であった。
2年後の62年春、エコノミスト編集部に移って間もない頃、江田ビジョンなるものが浮上してきた。「高い米国の生活水準」などの四本柱は分かっていたが、それ以上のくわしい内容は分からない。

編集会議で「江田本人に書いて貰おうではないか」という話になって、依頼役を私が引き受け、国会の議員控え室へ出掛けた。江田氏は碁を打ちながら、「ああ、分かった」といって、あっさり承諾してもらえたのにはいささか拍子抜けした。
というのは当時エコノミスト編集部には社会党左派系に食い込んでいたベテラン記者(すでに故人)がいて、その記者が「江田は書かないよ」と私に忠告(?)してくれていたからである。社会党右派系の江田氏の論文を『エコノミスト』誌に載せるのは好ましくないという思惑があったのかも知れない。

それはさておき、後で分かったことだが、江田氏本人のほか、長洲一二教授、竹中一雄国民経済研究協会主任研究員(後に同協会会長などを歴任)ら当時の構造改革派の面々が月に一回程度集まっては江田ビジョンを練っていた。『エコノミスト』誌掲載の論文「江田ビジョン」を代理執筆したのは、その一人の竹中氏である。

江田論文が公表されてから、約一か月後の1962年11月開かれた社会党の党大会で「江田ビジョン」が左派からの猛反撃に遭い、書記長を辞任するという展開となった。そのニュースは一面のトップ記事で大きく報道された。駆け出し記者として江田ビジョンにかかわった私にとっては忘れがたい歴史の一断面である。

▽〈安原の感想〉(2) ― 「日本にふさわしい社会主義」と憲法九条、二五条

さて私自身として江田ビジョンを今の時点でどう評価するかに触れないわけにはゆかない。原稿を依頼してから半世紀近い時を経た今、改めて全文を再読してみて、つぎの二点は高く評価したいと考える。
第一は「日本にふさわしい社会主義」という視点である。
第二は日本国平和憲法の九条を高く評価している点である。

江田ビジョンがソ連型社会主義全体をモデルとして評価しなかったのは先見の明があったといえる。その後、ソ連型社会主義は崩壊し、すでにこの世に存在しないからである。他国の資本主義にせよ、社会主義にせよ、それをそのまま模倣したがるという日本的悪癖は返上したい。米国型の新自由主義路線に追随して、世界中が経済破綻と世界大不況に陥ったのが何よりの教訓である。社会主義も同様である。

では第一の「日本にふさわしい社会主義」とはどういう社会主義なのか。日本の社会主義を展望するとすれば、それは「日本にふさわしい社会主義」、つまり日本型社会主義以外にはあり得ない。問題は日本型社会主義を今の時点で展望することが可能かどうか、もし可能であれば、具体的にどういうイメージなのか、である。社会主義の決め手として資本(生産手段)の私的所有を社会的所有(あるいは共同所有)へと転換すること、ととらえるのは、従来型の発想で、あまり魅力的とはいえない。土地や一部の産業には適用できても、それ以上ではない。

私の目下の関心は、従来型の社会主義論よりも、むしろ第二の憲法九条を高く評価している点にある。結論からいえば、先駆的であり、「世界の宝」ともいうべき九条の理念(戦争放棄、非武装、交戦権の否認)を単なる理念にとどめないで、具体化していく必要がある。ソ連、それに今の中国もそうだが、巨大な軍事力を抱え込んだ社会主義国家は壮大な自己矛盾というほかない。社会主義の名に値しない。
資本主義社会とは、資本の私的利益を最大限尊重する社会であり、一方、社会主義社会とは、社会的利益、すなわち人権、自由、民主主義の尊重さらに地球と自然を土台とする国民生活の質的充実を最大限尊重する社会である。いいかえれば、市民、民衆が主役として責任を持ってつくっていく社会体制である。21世紀の新しい日本型社会主義をそういうイメージでとらえれば、これからの社会主義社会は、憲法九条のほかにもう一つ、二五条(生存権、国の生存権保障義務)を軸に据えた日本型を構想できないだろうか。

なぜ二五条も軸になるのか。江田ビジョンが描く「米国の高い生活水準」はもはやモデルにはなり得ない。なぜなら米国は所得格差の顕著な拡大によって貧困層が異常に肥大化し、先進国一番の貧困大国に転落しているからである。日本も今では先進国でビリ(米国)から二番目の貧困大国である。日米の経済大国がそろって貧困大国という不名誉な地位に墜(お)ちている。だから国民生活の質的充実を実現していくためには、生存権をどう実のあるものにしていくかが大きな課題となってきた。

▽〈安原の感想〉(3)― 日米安保破棄と九条、二五条の追加条項

もう一つ、日本型社会主義の前提として日米安保体制の破棄が不可欠である。日米安保は日米間の軍事同盟(安保条約三条=自衛力の維持発展、五条=共同防衛、六条=基地の許与=などで規定)と経済同盟(安保条約二条=日米間の経済的協力の促進=で規定)という二つの同盟の土台となっている。
しかも見逃せないのは、軍事同盟が憲法九条(非武装など)の理念を空洞化させ、一方、経済同盟が憲法二五条(国民の生存権の保障)の理念を骨抜きにしている点である。従って九条と二五条の理念を名実ともによみがえらせるためには、安保破棄が不可欠である。

日米安保破棄とともに憲法九条と二五条の理念を一段と強化する必要がある。具体案として「持続的発展」(第一回地球サミットが採択した「リオ宣言」の「持続可能な発展=Sustainable Development」)を軸とする憲法追加条項を提案したい。
これは『新・世界環境保全戦略』(世界自然保護基金などが1991年、国連主催の第一回地球サミットに先立って発表した提言)が「政府は憲法その他、国政の基本となる文書において持続可能な社会の規範を明記すべきである」と憲法条項追加論を提起しているのにヒントを得た。具体案(私案)は次の通り。

*九条に「国及び国民は、世界の平和と持続的発展のために、世界の核を含む大量破壊兵器の廃絶と通常軍事力の顕著な削減または撤廃に向けて努力する」を追加する。
*二五条に「国、企業、各種団体及び国民は生産、流通、消費及び廃棄のすべての経済及び生活の分野において、地球の自然環境と共生できる範囲内で持続的発展に努める」を新たに盛り込む。

以上のような九条と二五条を軸とする社会主義をイメージするのは、従来の社会主義論からみれば、おそらく異端である。しかし異端を理由に排するのは視野狭窄症である。いうまでもなく社会主義論 ― 社会主義への道と社会主義のイメージと ― は、国ごとに多様であっていいはずであり、また多様でなければ現実性をもたないだろう。

〈ご参考〉:「安原和雄の仏教経済塾」に09年6月8日付で掲載されているつぎの記事は日本型社会主義への模索の現状を報告している。
《「変革のアソシエ」が発足 資本主義体制の克服を目指して》

*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
http://kyasuhara.blog14.fc2.com/




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