遺骨箱

白木でできた立方体の木箱の写真

遺骨箱 昭和後期 館蔵

寄贈者の亡夫は、昭和17年(1942)7月、29歳で召集された。2歳半と生後6ヶ月の二児の父親であった。

敗戦後、シベリア抑留を経て、後送された朝鮮半島の収容所で、昭和21年10月、帰国を前に亡くなられた。遺体は現地で土葬に付され、遺骨は帰らなかった。遺族のもとに帰ってきたのは、翌年正月に帰国した戦友が届けてくれた、眼鏡と帽子のみであった。

昭和22年8月、名古屋市千種区の日泰寺で合同慰霊祭が行われ、その時の遺骨箱が本資料である。粗雑な造りの小さな木箱である。慰霊祭の時には何も入っていなかったが、寄贈者はこの箱に眼鏡と帽子を入れ、恩賜の煙草箱とともに仏壇で祀ってこられた。

自分が死んだら、一緒に棺桶に入れてもらうつもりだったという寄贈者は、少し寂しい気もするが、と博物館に寄贈する胸のうちを語られた。市民にとって戦争とは何かを示す貴重なものとして、次世代に伝えたい資料である。

(竹内弘明)

幅15.1cm 奥行15.3cm 高17.9cm 受贈資料

(注記)本資料は常設展テーマ14「戦争と市民」に展示しております。

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