はじめに
(1)調査の趣旨
(2)調査の方法
(1) 省内等調査
(2) 海外調査
(3) 文書調査
(4) 三菱ウェルファーマ社関係
(5) 文献収集
(3)本報告書の構成
1.フィブリノゲン製剤
(1)フィブリノゲンとフィブリノゲン製剤
(2)フィブリノゲン製剤の承認以降の主な経緯
(3)諸外国におけるフィブリノゲン製剤の販売等の状況
(1) 米国
(2) ドイツ
(3) オーストリア
(4) その他
2.旧厚生省及び旧ミドリ十字社の対応
(1)米国におけるフィブリノゲン製剤の承認取消しについて
(1) 米国における承認取消しの理由とその後の対応
(2) 旧厚生省が米国での取消しを認識した時期
〔アンケート調査及び聴き取り調査の結果〕
〔旧予研安田部長の著書の記載〕
〔生物学的製剤検定協議会の録音テープ〕
〔旧ミドリ十字社の認識〕
〔再評価基礎資料の提出〕
〔再評価調査会の審議〕
(3) 米国での承認取消しを認識した時点での旧厚生省の対応
〔再評価基礎資料提出前の対応〕
〔再評価基礎資料提出時の対応〕
〔再評価調査会における対応〕
(2)フィブリノゲン製剤に関する安全対策
(1) 昭和61(1986)年以前
〔旧厚生省の対応〕
〔旧ミドリ十字社の対応〕
〔昭和49(1974)年添付文書改訂に係る経緯〕
(2) 昭和62(1987)年の青森県での肝炎集団発生
(3) 非加熱製剤から加熱製剤への切替え
(4) 加熱製剤による肝炎発生への対応
〔加熱製剤販売後の調査体制〕
〔加熱製剤による肝炎発症例の報告〕
(5) 献血由来製剤への切替え
(6) SD処理の追加
(3)フィブリノゲン製剤に関する再評価
(1) 再評価制度
(2) フィブリノゲン製剤に関する再評価の経緯
〔再評価基礎資料提出〕
〔非加熱製剤の再評価指定から内示まで〕
〔再評価内示〕
〔内示に対する旧ミドリ十字社及び産科婦人科領域の団体の反応〕
〔内示の了承〕
〔加熱製剤の再評価指定から再評価結果の公布まで〕
3.旧厚生省及び旧ミドリ十字社の対応に関する評価
(1)米国におけるフィブリノゲン製剤の承認取消し後の対応
(1) 諸外国の安全性情報を収集する体制について
(2) 米国での承認取消しを認識した時点での旧厚生省の対応
(2)フィブリノゲン製剤の安全対策に関する対応
(1) 昭和61(1986)年以前の対応
〔フィブリノゲン製剤による肝炎発生に対する認識〕
〔フィブリノゲン製剤の有用性と肝炎発生リスクに関する認識〕
〔クリオ製剤の代替性〕
〔非A非B型肝炎(C型肝炎)の予後に関する認識〕
〔BPL処理の効果について〕
〔不活化工程の変更に関する薬事法上の位置付けについて〕
(2) 昭和62(1987)年の青森県の肝炎集団発生後の対応
〔肝炎集団発生の報告を受けての対応〕
〔加熱製剤への切替え〕
〔加熱製剤の不活化処理条件〕
〔非加熱製剤の自主回収〕
〔旧ミドリ十字社の対応〕
(3) 加熱製剤で肝炎が発生した後の対応
(3)フィブリノゲン製剤の再評価に関する対応
(1) 再評価の内示後の対応
(2) 内示に対する旧ミドリ十字社の回答後の対応
(3) 平成7(1995)年1月23日の再評価調査会における対応
(4) 再評価制度の改善
まとめ
(1)医薬品等の安全性の確保に向けた取組
〔製薬企業の責任の明確化〕
〔安全確保体制の強化等〕
〔関係部局間相互における連携の確保〕
〔血液製剤の安全性の確保〕
(2)肝炎対策の推進
(1)調査の趣旨
本報告書は、血漿分画製剤の一種であるフィブリノゲン製剤の投与によるC型肝炎ウイルス(以下「HCV」という。)感染について、厚生労働省として事実関係に関する調査を実施し、その結果を取りまとめたものである。
フィブリノゲン製剤は、人血液を精製して製造される製剤であり、かつては、低フィブリノゲン血症の治療のための止血剤として、産婦人科・外科等幅広い診療領域において用いられていた(現在は、同製剤の効能・効果は、「先天性低フィブリノゲン血症の出血傾向」に限定されている)。
また、我が国では、同製剤の最初の承認は、昭和39(1964)年に当時の株式会社日本ブラッド・バンクによって取得されており、その後、株式会社ミドリ十字(以下「旧ミドリ十字社」という。)等を経て、現在では、三菱ウェルファーマ株式会社(以下「三菱ウェルファーマ社」という。)1社において製造・販売が行われている。
フィブリノゲン製剤は、他の血液製剤と同様、人血液を用いて製品化することから、本来的に肝炎ウイルス等の感染因子含有のリスクがあり、加えて、製剤としての機能を維持するために、感染因子の不活化処理にも一定の限界があることから、かつてはその投与により、肝炎ウイルスに感染する危険性を内包していた。 我が国においては、フィブリノゲン製剤は、その承認以降、紫外線照射処理等のウイルス不活化処理を行った非加熱製剤により製造・販売が行われていたが、昭和62(1987)年の青森県三沢市における肝炎の集団発生を契機として、ウイルス不活化処理法が加熱へと切り替えられた。その後、平成6(1994)年に、SD(Solvent/Detergent;有機溶媒・界面活性剤)処理が製造工程に追加され、現在に至っている(より詳細な不活化処理工程等の変遷については、1.(1)を参照)。現在までのところ、SD処理の導入以後は、フィブリノゲン製剤の使用による肝炎の発生事例は報告されていない。
血液を介して感染する肝炎は、かつて血清肝炎と呼ばれていた。その後、B型肝炎ウイルス(以後「HBV」という。)及びA型肝炎ウイルスが発見され、それぞれの検査方法が確立したことに伴い、A型肝炎及びB型肝炎以外の血清肝炎は非A非B型肝炎と呼ばれるようになった。昭和63(1988)年にHCVが発見され、翌年その検査方法が確立し、現在では、過去に非A非B型肝炎と呼ばれていたもののほとんどがC型肝炎であったことが明らかになっている。
C型肝炎は、肝臓の細胞が破壊され、肝臓の働きが悪化する病気であり、症状としては、全身けん怠感に引き続き食欲不振、悪心・嘔吐などの症状やこれらに引き続き黄疸が出現する場合があるが、自覚症状がない場合が多い。また、感染経路としては、かつては輸血や血液製剤の投与等によるものがあったが、現在ではそれらの可能性は限りなくゼロに近づいており、今日では薬物濫用者間の注射器の回し打ち、入れ墨、消毒などを十分に行っていない器具を繰り返し使用してボディピアスを行った場合等がその要因として考えられる。いずれにしても血液による感染以外の感染は極めて低いとされている。
C型肝炎の多くは、感染時の年齢に関係なくキャリア(持続感染者)となる場合が多く、我が国には100〜200万人のキャリアがいると推定されている。また、近年のC型肝炎に関する知見の集積に伴い、HCVの持続感染は肝がん発生の大きな危険因子であることが明らかになりつつある。
フィブリノゲン製剤の投与によりC型肝炎を発症した者の概数については、三菱ウェルファーマ社から報告されている。具体的には、昨年3月、当時のウェルファイド株式会社(旧ミドリ十字社からフィブリノゲン製剤の承認を承継。以下「旧ウェルファイド社」という。)がフィブリノゲン製剤による肝炎症例調査結果を再確認する過程で、過去の旧ミドリ十字社による肝炎発生報告件数に齟齬があったことが明らかとなり、厚生労働省に対しその旨の報告があった。厚生労働省はそれを受けて同月薬事法に基づく報告命令を発出し、同製剤による肝炎の発生概数について推計を求めた。その結果、今年3月の時点で10,594例との推計結果が三菱ウェルファーマ社より報告されているところである。
米国では、昭和52(1977)年にFDA(食品医薬品庁)が、フィブリノゲン製剤の販売譲渡を禁止した。しかし、我が国ではFDAによる承認取消し後においても、昭和63(1988)年の旧ミドリ十字社による緊急安全性情報*の発出に至るまで引き続き同製剤が幅広く使用されており、今日、こうしたフィブリノゲン製剤の使用継続がHCVへの感染をさらに拡大させたのではないかという指摘がされている。
今回、厚生労働省では、米国での承認取消しに関する旧厚生省の対応を検証することを機に、フィブリノゲン製剤を巡る経緯を調査し、旧厚生省や旧ミドリ十字社等が講じた措置や対応等の事実関係を明らかにするとともに、フィブリノゲン製剤の安全性や有効性に関する認識の変遷、C型肝炎(非A非B型肝炎)に関する知見の変遷等に係る関係者の当時の状況認識も踏まえつつ、同製剤に関する過去の各時点での旧厚生省等の対応について全般的に検証を行うこととした。
(2)調査の方法
今回、調査を実施するに当たっては、以下のような点に留意した。
調査の信頼性確保のため、現時点でなし得る最大限の手段を講じたつもりではあるが、最も古い時点で約40年前の事項を対象とするものであり、保存期限が過ぎた文書等の中には廃棄されているものも多く、また、既に死亡していたり所在が不明である関係者も少なからずいるなど、相当の制約があった。
調査は、医薬局に在籍する職員をスタッフとして、本年3月から8月にかけて行われた。具体的な調査の方法については、以下のとおりである。
(1) 省内等調査
(2) 海外調査
(3) 文書調査
(4) 三菱ウェルファーマ社関係
(5) 文献収集
なお、調査開始後、5月31日と7月17日の2回にわたり、中間段階の成果として、旧薬務局及び関係部局の職員等に対するアンケート調査結果の概要や、厚生労働省において保管していた文書について公表したほか、三菱ウェルファーマ社に対する報告命令及び同社からの報告書については、発出及び受領の都度公表を行った。
(3)本報告書の構成
次章以降において、フィブリノゲン製剤によるHCV感染に関する調査結果を記述するが、その構成は以下のとおりである。
「1.フィブリノゲン製剤」においては、今回の調査の対象となったフィブリノゲン製剤の効能・効果、製法、過去からの製造数量等について明らかにするとともに、現在三菱ウェルファーマ社が製造しているフィブリノゲン製剤に関する昭和39(1964)年の承認以降の主な経緯について説明した。あわせて、我が国の状況との比較を行うために、米国等の諸外国におけるフィブリノゲン製剤の承認の状況や効能・効果、不活化処理の現状等について記述した。
「2.旧厚生省及び旧ミドリ十字社の対応」においては、米国におけるフィブリノゲン製剤の承認取消しの経緯や、同製剤について我が国で実施された安全対策、再評価等に関し、各時点での事実関係や当時の関係者の認識を整理した。
「3.旧厚生省及び旧ミドリ十字社の対応に関する評価」においては、確認できた事実関係等を基に、可能な限り旧厚生省及び旧ミドリ十字社の対応について評価を行った。
最後に、「まとめ」において、調査の結果を踏まえつつ、厚生労働省における医薬品等の安全性を一層確保するための制度面・運用面での取組や今後の課題を示すとともに、今後の肝炎対策の推進について言及した。
(1)フィブリノゲンとフィブリノゲン製剤
フィブリノゲンは、止血において重要な働きを担う血液凝固因子の一つであり、出血の際、他の血液凝固因子(トロンビン)の作用によってフィブリンとなりそれらが血管損傷部に積み重なり糊状となって止血する機能を有する。主に肝臓で生成され、健康人の血漿100mL中に200mgから400mg含まれている。血漿中のフィブリノゲン濃度が100mL中100mg以下になると一般に「低フィブリノゲン血症」といわれ、出血傾向が強くなる。先天性の欠乏症として、生体内でフィブリノゲンが全く作られない「無フィブリノゲン血症」、生体内で作られるフィブリノゲンが少ない「低フィブリノゲン血症(狭義)」及び作られるフィブリノゲンの構造や機能が通常と異なるためフィブリノゲンとしての正常な活性を示さない「異常フィブリノゲン血症」がある。また、後天性の欠乏症としては、DIC(播種性血管内凝固症候群)、産後の大出血や重傷外傷に起因して血漿中のフィブリノゲン濃度が低下する場合などがある。
フィブリノゲン製剤は、血漿中のフィブリノゲン低下による出血傾向に対する補充療法に用いられる。その基本的な製造方法は、原料血漿からフィブリノゲンを高純度に分離精製し、その精製物を凍結乾燥するものである。具体的な製造方法は、製造企業や製造される時代によって様々であり、原料血漿の種類、血漿プールの大きさ、抗体検査の有無、ウイルス除去・不活化処理の有無や種類などは多様である。代表的なウイルス不活化処理法としては、紫外線照射処理、加熱処理(乾燥、液状、蒸気)、SD処理*、β−プロピオラクトン(BPL)処理*又はその組合せなどがある。
輸血や血液製剤については、従来から感染症の危険性が指摘されてきた。旧ミドリ十字社のフィブリノゲン製剤の添付文書をみると、非加熱製剤の販売当初(昭和39(1964)年)には「滅菌は必ずしも全ヴィールス〜万一原血漿中に同種血清肝炎ヴィールスの接触汚染があったとしたらそのヴィールスをも含む〜の完全不活性化を信頼することが出来ない」とあり、昭和49(1974)年5月から昭和52(1977)年8月までは「まれに血清肝炎に罹患することがある」と、昭和52(1977)年以降は「血清肝炎等の肝障害があらわれることがある」と記載されている。また、加熱製剤については、昭和62(1987)年5月から昭和63(1988)年5月までは「肝炎等の血液を介して伝播するウイルス疾患が知られている」とあり、同年6月以降は「非A非B型肝炎が報告されている」と記載されている。さらに、SD処理が追加されて以降は、平成6(1994)年10月には「非A非B型肝炎が報告されている」と、平成7(1995)年8月から平成10(1998)年2月までは「ウイルス等の感染性を完全には否定できない」とあり、同年3月以降は「肝炎ウイルス感染の危険性を完全には否定できない」と記載されている。
我が国でフィブリノゲン製剤の承認を取得した実績があるのは、株式会社日本ブラッド・バンク(後の旧ミドリ十字社及びその承認を承継した吉富製薬株式会社(平成10(1998)年4月)、旧ウェルファイド社(平成12年(2000)年4月)及び三菱ウェルファーマ社(平成13(2001)年10月)を含む。)、財団法人体質研究会及び日本製薬株式会社である。今回の調査により、財団法人体質研究会は昭和44(1969)年12月に承認を取得したが、商品製造に至らなかった旨回答している。また、日本製薬株式会社は、昭和44(1969)年12月に承認を取得したが、フィブリノゲン製剤を製造・販売したのは、昭和47(1972)年の約240本のみであったこと及び製造工程においては、ウイルス不活化処理法として紫外線照射処理とBPL処理を実施していた旨回答している。
現在我が国で製造・販売されているフィブリノゲン製剤は、三菱ウェルファーマ社の「フィブリノゲンHT−Wf」のみである。当該製剤は、株式会社日本ブラッド・バンクが昭和39(1964)年に承認を取得した「フィブリノーゲン−BBank」を継承したものである。承認当初の効能・効果は「低フィブリノゲン血症の治療」であったが、現在の効能・効果は「先天性低フィブリノゲン血症の出血傾向」、用法・用量は「注射用水に溶解し、静脈内に注入する。通常1回3gを用いる。なお、年齢・症状により適宜増減する」である。現在の「フィブリノゲンHT−Wf」は、品質及び安全性の確保の観点から、HIV、HBV及びHCVのドナースクリーニングを行った献血が用いられ、原料血漿及び最終製品においてHIV、HBV及びHCVのウイルス核酸増幅検査(以下「NAT」という。)陰性確認試験が行われるとともに、ウイルス不活化処理としてSD処理及び乾燥加熱処理が実施されている。SD処理導入後の同製剤による肝炎の発症事例は報告されていない。
これまでにフィブリノゲン製剤が製造された数量はおよそ120万本(g)、納入医療機関数はおよそ7,000である。
(2)フィブリノゲン製剤の承認以降の主な経緯
現在三菱ウェルファーマ社が製造しているフィブリノゲン製剤に係る承認以降の主な経緯は以下のとおりである。
(3)諸外国におけるフィブリノゲン製剤の販売等の状況
米国では昭和52(1977)年にフィブリノゲン製剤の承認が取り消されて以後、同製剤は販売されていない。他方、我が国のみならず欧州各国を含む多数の国では、現在もフィブリノゲン製剤が販売されており、その効能・効果として、「先天性低フィブリノゲン血症」はもとより、「後天性低フィブリノゲン血症」が含まれている国もある。
現在、国際的に使用されているフィブリノゲン製剤は、Aventis Behring社(以下「アベンティス・ベーリング社」という。)及びBaxter社(以下「バクスター社」という。)のものであり、その他、1か国のみで販売等がなされている製品がある。今回の調査において判明した諸外国におけるフィブリノゲン製剤の販売等の概況は以下のとおりである。
カナダにおいては、同製剤はアベンティス・ベーリング社及びバクスター社により製造され、カナダ健康局特別供給プログラム(Health Canada’s Special Access Programme(SAP*))に基づき、カナダ血液サービス(Canadian Blood Services)を通じ、必要な患者に対し供給されている。
スウェーデンにおいては、個別許可(individual license)を得て、同製剤が使用されている。最近使用されているフィブリノゲン製剤には、アベンティス・ベーリング社製及びイムノ・バクスター社(Immuno Baxter)製のものがある。
フランスにおいては、平成10(1998)年より、国立バイオテクノロジー研究所(Laborattoire francais des fractionnement et des biotechnologies)がフィブリノゲン製剤の一時的認可(Autorisation Temporaire d'Utilisation(ATU*))を得て、製造・供給を行っている。効能・効果は、「フィブリノゲン欠乏症による出血及びフィブリノゲン欠乏症患者の外科手術時の多量出血予防」であり、不活化処理としてはSD処理及び濾過処理が併用されている。
(1)米国におけるフィブリノゲン製剤の承認取消しについて
昭和52(1977)年当時、FDAの血液製剤等に関する評価会議で、既承認の血液製剤について安全性、有効性及び表示の観点から検討が行われており、フィブリノゲン製剤の評価結果は区分2(安全性、有効性又は表示のいずれかが不適切である)とされた。同評価会議から適切な措置を講じるよう勧告があったことを踏まえ、承認を有する5社の要望に基づき、FDAは昭和52(1977)年12月7日をもってフィブリノゲン製剤の承認を取り消すとともに、その販売等を禁止した。また、既に販売等されたフィブリノゲン製剤の転売等についても、一定期間経過後は認めないこととした。これらの措置については、昭和53(1978)年1月6日付けの「Federal Register」(以下「米国FR」という。)等に掲載されている。
FDAがフィブリノゲン製剤の承認取消し等の措置をとった理由として、昭和53(1978)年1月6日付けの米国FRでは、有効性について疑いがあること、不活化処理が困難でプールサイズが大きいためB型肝炎の感染リスクが高いこと、クリオ製剤への代替でフィブリノゲン製剤の適応症への対応が可能と判断されたことが記載されている。今回、B型肝炎のリスク評価や不活化処理についてFDAに確認したところ、
また、FDAからは、フィブリノゲン製剤の承認取消しの背景等について、「当時、FDAの血液製剤等に関する評価会議を支援していた専門家が米国内の主要な医療機関に接触し、当時フィブリノゲン製剤がほとんど使用されていないことを把握していた*」、「承認取消し直後は医療機関から問合せがあったものの、クリオ製剤による代替等について伝えることにより納得が得られ、しばらくすると問合せもなくなった」、「フィブリノゲン製剤の承認取消し後間もなく、いくつかの米国の医学雑誌にフィブリノゲンの供給源としてクリオ製剤を使用している旨の論文が掲載されており、これらの論文が米国においてフィブリノゲン製剤の適応症にクリオ製剤が問題なく使用されていたことを示唆している」との回答が得られた。これらの回答から、米国においては、当時、比較的容易にフィブリノゲン製剤がクリオ製剤に代替される環境が整っていたと考えられる。
〔アンケート調査及び聴き取り調査の結果〕
アンケート調査及び聴き取り調査の結果、FDAによるフィブリノゲン製剤の承認取消しについて記憶ありと回答したのは、旧薬務局職員1名、旧予研職員2名の計3名であった。旧薬務局職員は昭和61(1986)年11月から平成2(1990)年6月にかけて安全課に在籍していた職員であり、その回答の内容は「昭和62年頃、再評価調査会で米国におけるフィブリノゲンに対する措置について、申請者の見解を求めることとされ」たというものであった。また、旧予研職員2名の回答は、後述の旧予研の血液製剤部長の著書で、一人は昭和54(1979)年頃、もう一人は昭和57(1982)年頃にそれぞれ知ったというものであり、両者ともフィブリノゲン製剤の承認取消しについて旧厚生省本省に連絡した記憶はないとのことであった。
〔旧予研安田部長の著書の記載〕
昭和54(1979)年5月から昭和59(1984)年12月まで旧予研の血液製剤部長であった安田純一氏の著書『血液製剤』(昭和54(1979)年発行)において、米国におけるフィブリノゲン製剤の承認取消しに関する記述がある。アンケート調査及び聴き取り調査の結果、同書について記憶していた者は先述の旧予研職員2名のほか旧予研職員1名及び旧薬務局職員1名の計4名であった。旧予研職員1名の回答は、「著書を読んだ記憶はあるが、米国における承認取消しに言及されていたことは記憶していない」とのことであった。また、旧薬務局職員1名の回答は、「昭和54年頃入手し、5年くらい前に廃棄した。著者謹呈の文字が入っていたような気もするが、どのように入手したか詳細は記憶していない。中身を読んだことはない」とのことであり、この職員を含め旧厚生省本省職員で著書の内容について記憶している者は確認できなかった。
なお、今回の調査の過程で、同書が医薬局血液対策課に所蔵されていることが明らかとなったが、いつ、どのような経緯で入手したものかについては確認できなかった。
〔生物学的製剤検定協議会の録音テープ〕
今回の調査では、関係部局等が保管しているフィブリノゲン製剤の安全性に関する記述が含まれる文書についても調査を行った。その結果、昭和57(1982)年6月3日に開催された旧予研の生物学的製剤検定協議会の録音テープの中に、米国におけるフィブリノゲン製剤の承認取消しに関する発言が含まれていることが判明した。テープによると、先述の安田部長が「アメリカでは、本剤によるB型肝炎の危険が大きいということで、本剤の製造は中止されたのです。そのときに、前の一般検定部長の黒川先生から、『これはもう製造中止ということを日本でも考えてもいいんではないのか』ということで、厚生省にいろいろ聞いてみたのですが、医師会、特に産婦人科の方で、なお需要があるということで、年間20ロットぐらいはつくっております。そして、予研の抜き取り検査として、予研が持っているものを、この間、全部HBs抗原をレトロスペクティブに調べてみますと、大体55年以降のものは全部陰性でありますから、その点でいえば、B型肝炎に関しては、そんなに感染の危険が大きいというわけではありませんから、残しておいても差し支えないだろう」と発言しており、米国におけるフィブリノゲン製剤の承認取消しについて、旧厚生省本省に対し連絡していた可能性がうかがわれたが、発言者である安田部長は既に故人となっており、事実関係の確認はできなかった。このため、旧厚生省本省の関係課及び旧予研の当時の職員に対しアンケート調査、聴き取り調査等詳細な調査を行ったが、発言内容を裏付ける事実関係について記憶している者はいなかった。
〔旧ミドリ十字社の認識〕
第1回報告書によると、旧ミドリ十字社は、FDAによるフィブリノゲン製剤の承認取消しが掲載された昭和53(1978)年1月6日付けの米国FRを入手し、同年1月30日付けで社内回覧しているものの、これに関して昭和59(1984)年より前に社内検討したことを示す資料は見いだすことができなかったとしている。
〔再評価基礎資料の提出〕
旧厚生省は、医薬品の再評価作業の一環として、昭和59(1984)年6月6日に血液製剤等について再評価基礎資料の提出を指示した。第1回報告書によると、これを受けて、同年9月6日に旧ミドリ十字社はフィブリノゲン製剤に関する再評価基礎資料を提出している。本年4月19日に三菱ウェルファーマ社から提出された資料によると、当該基礎資料中の諸外国における措置一覧表には「FDAはフィブリノゲンの販売を'77.12.7付で禁止した」、「人フィブリノゲンは肝炎伝搬の危険性が高く、又single donor由来のcryoprecipitated antihemophilic factor(human)を代替品として使用し得ることから禁止」との記載があったとされている(再評価制度については、2.(3)を参照)。
〔再評価調査会の審議〕
フィブリノゲン製剤の再評価の指定について審議を行った昭和60(1985)年1月31日開催の再評価調査会の記録には、「米国では副作用(肝炎)のため販売が禁止されており安全性に問題がある」との記載がある。
以上のことから、米国におけるフィブリノゲン製剤の承認取消しの事実について、旧予研の一部職員は昭和54(1979)年頃には認識していたと考えられるが、旧厚生省本省が認識した時期については具体的に判明しなかった。しかしながら、旧厚生省本省においても遅くとも再評価基礎資料が提出されたとされる昭和59(1984)年9月6日には認識し得る状況にあったと考えられる。なお、先述のとおり、この点について当時の職員に聴き取り調査を行ったが、記憶している者はいなかった。
〔再評価基礎資料提出前の対応〕
先述のとおり、再評価基礎資料が提出されたとされる昭和59(1984)年9月6日より前の段階において、米国におけるフィブリノゲン製剤の承認取消しについて旧厚生省本省の認識時期が判明しなかったため、これを踏まえた対応についても確認できなかった。
〔再評価基礎資料提出時の対応〕
旧ミドリ十字社からフィブリノゲン製剤の再評価基礎資料が提出された段階で、旧厚生省本省、特に当時再評価を担当していた職員が当該基礎資料中の記載から米国の措置について認識し得る可能性があったが、聴き取り調査の結果、フィブリノゲン製剤の資料の記載内容を含め当該資料について記憶している者はいなかった。また、米国の措置に関する情報を旧薬務局安全課の再評価担当者から伝えられた記憶のある者もいなかった。このため、再評価基礎資料提出時における旧厚生省本省の対応も確認できなかった。
通常、再評価基礎資料は、再評価調査会における再評価の指定の要否の検討に使用されることから、フィブリノゲン製剤の資料も同じ昭和59(1984)年6月6日に提出を指示された他の140成分に係る資料と同様、再評価調査会の資料として使用されたものと考えられる。
〔再評価調査会における対応〕
昭和60(1985)年1月31日に開催された再評価調査会でフィブリノゲン製剤について初めて審議され、その記録によると、フィブリノゲン製剤は「米国では副作用(肝炎)のため販売が禁止されており安全性に問題がある」とされている。しかしながら、当時の同調査会委員及び同調査会の事務を担当していた職員に対する聴き取り調査の結果、調査会での具体的なやりとりを記憶している者はおらず、フィブリノゲン製剤について緊急の安全対策に関する議論があったかどうかについても判明しなかった。
(2)フィブリノゲン製剤に関する安全対策
〔旧厚生省の対応〕
旧厚生省職員に対する調査の結果、フィブリノゲン製剤に関する安全対策に関して、昭和61(1986)年以前、すなわち、青森県における肝炎の集団発生への一連の対応がとられる前の旧厚生省の対応について、記憶がある者はいなかった。また、資料からも、フィブリノゲン製剤に関する安全対策に関して、旧厚生省が何らかの対応を行ったかどうか確認することはできなかった。
〔旧ミドリ十字社の対応〕
他方、旧ミドリ十字社がこの時期にフィブリノゲン製剤に関して実施していた安全対策としては、
〔昭和49(1974)年添付文書改訂に係る経緯〕
なお、第1回報告書によると、昭和49(1974)年5月に旧ミドリ十字社はフィブリノゲン製剤の添付文書の肝炎リスクに関する記載を改訂したとされている。具体的には、昭和43(1968)年6月版から昭和47(1972)年1月版の添付文書では「フィブリノゲン注射による血清肝炎」という項目に「僅かに2例の黄疸(肝炎)発生の告知を受けただけであった」、「多くの医師において、本品の使用による肝炎の発生は経験されていない」と記載されていたが、昭和49(1974)年5月版の添付文書では構成及び内容が大きく変更され、血清肝炎に関しては、「使用上の注意」の最初の項目に「本製剤の使用により、まれに血清肝炎に罹患することがある」との記載になった。
三菱ウェルファーマ社は、第1回報告書の中で、当該改訂を「厚生省細菌製剤課の指導による使用上の注意改訂」と説明していたことから、改訂の経緯について当時の旧厚生省職員に対し聴き取り調査を行ったが、記憶している者はいなかった。他方、三菱ウェルファーマ社に対し更なる報告を求めたところ、第3回報告書において、当時の厚生省薬務局細菌製剤課が血液製剤全般について添付文書の見直しを指導したことを受けて、旧ミドリ十字社がフィブリノゲン製剤の添付文書についても改訂したことを示唆する文書が提出された。提出された文書から推測される事実関係の概要は以下のとおりである。
地検資料によると、昭和62(1987)年1月、青森県三沢市のA医院から、旧厚生省薬務局安全課に対して、フィブリノゲン製剤を投与した8例中7例(この時点で残り1例は未確認)で肝炎が発生した旨の電話連絡があったとされている。 なお、昭和62(1987)年4月15日の日付がある文書には、同年1月にA医院(8例中7例)及び青森県の市立病院(3例)での肝炎発生が報告された旨の記述があるが、三菱ウェルファーマ社によると、この市立病院で2例目及び3例目の肝炎が発生したのは同年1月より後であることとしており、実際に1月に報告を受けたのはA医院のケースのみであったと考えられる。
A医院からの通報直後の旧厚生省の対応に関する記録は残っていない。また、当時の職員に対する聴き取り調査では、A医院から連絡を受けたことは憶えているし、3月以前にも連絡をもらったかもしれないが、正確に、いつ、どのような電話連絡を受けたか記憶は定かではない、との回答が得られた。
他方、A医院からの聴き取りの結果、同医院から旧厚生省に連絡を行った時期に関しては、同医院に残されている最も古い記録は、昭和62(1987)年3月24日(電話での報告)であり、同日以前にも電話連絡したかもしれないが、いつ連絡したのか、連絡した相手が誰であったのか等については、具体的には記憶していないとの回答であった。
今回、A医院から提供された資料及び聴き取りの結果によると、旧厚生省は同医院からの3月24日の電話連絡を受けて、詳細な症例報告の提出を依頼するとともに、報告様式の資料を送付したことがうかがえる。
第3回報告書によると、昭和62(1987)年3月26日に、旧厚生省は旧ミドリ十字社に対し、青森県での肝炎集団発生に関連して全国調査の実施を指示したことがうかがえる。また、第3回報告書では、同年4月8日に、旧厚生省が旧ミドリ十字社に対して調査の進捗状況について報告を求めた際、同社より、A医院以外にも青森県の市立病院で3例、広島県でも未確認ながら調査中のケースがある旨の報告を受け、これに対して、旧厚生省は早急に調査を完了させ、結果を報告するよう求めたことがうかがえる。
しかしながら、第3回報告書からは、実際には、昭和61(1986)年秋以降、旧厚生省へ報告した症例以外に、旧ミドリ十字社の複数の支店が、肝炎の疑いがある症例に関する情報を入手し、本店に報告していたことがうかがえる。同時に、これらの情報に関して同社内で様々なやりとりが行われた形跡もうかがえる。例えば、
A医院から提供された資料によると、同医院は、昭和62(1987)年4月15日付けで文書により旧厚生省に対してフィブリノゲン製剤の投与による肝炎発生の報告(発生数8例(先の未確認1例も肝炎であることが判明したため投与例全例で発生))を行っている。
第3回報告書によると、昭和62(1987)年4月16日、旧厚生省は旧ミドリ十字社に対し、今後の方針等について説明を求めたとされている。このときの旧ミドリ十字社の説明や旧厚生省の指示の内容は不明であるが、前日に旧厚生省(生物製剤課)が作成したと思われる文書では、今後の方針として非加熱製剤の自主回収や加熱製剤への切替えが記載されていることから、これらに関して指示が行われたことが推測される。
地検資料によると、同年4月17日、旧厚生省は、旧ミドリ十字社より非加熱製剤の自主回収に着手する旨及び速やかに自主回収を終わらせるための方策として加熱製剤(治験用サンプル)の無償提供を実施する旨の文書の提出を受けている。また、同日、青森県三沢市において非A非B型肝炎が集団発生している旨の新聞報道があった。 第4回報告書によると、翌18日、旧厚生省が旧ミドリ十字社に対し、非加熱製剤の回収の迅速化について指示を行ったことを受けて、同社が支店に対し、同月20日から回収等を指示したことがうかがえる。
昭和62(1987)年4月20日、旧ミドリ十字社は、乾燥加熱製剤「フィブリノゲンHT−ミドリ」(60°C、96時間の加熱処理を実施したもの)の承認申請を行った。第4回報告書によると、同社は同日から非加熱製剤の自主回収を開始するとともに、4月22日から加熱製剤の治験品の提供を開始している。なお、第2回及び第4回報告書によると、市場及び物流センターから回収された非加熱製剤の本数は、合計41,997本とされているが、非加熱製剤の最終的な回収状況は、三菱ウェルファーマ社に記録が残されていないことから不明であるとされている。 <
昭和62(1987)年4月30日、旧中央薬事審議会血液製剤調査会は「フィブリノゲンHT−ミドリ」の承認の可否について、規格及び試験方法等に関する資料、臨床試験に関する資料などを基に審議を行った。同日、旧厚生省は同調査会の審議結果を踏まえ「フィブリノゲンHT−ミドリ」を承認している。また、同年5月20日に旧ミドリ十字社は非加熱製剤の承認整理届を大阪府へ提出した。
地検資料によると、昭和62(1987)年5月8日、旧ミドリ十字社は、旧厚生省に対し、非加熱製剤による県別肝炎発生症例数が57例(39施設)であり、うち詳細が判明した症例が15例である旨の中間報告(第1回)を、また、同年5月19日には、県別肝炎発生症例数が65例(45施設。詳細が新たに判明した症例は10例)である旨の中間報告(第2回)を、それぞれ提出している。
しかしながら、第4回報告書からは、実際には同社が同年5月18日までに把握していた肝炎発生症例数の累計は、94例(67施設)であったことがうかがえる。
昭和62(1987)年5月26日、旧厚生省薬務局安全課長が主催したと推定される血液製剤評価委員会が開催され、旧ミドリ十字社から報告された非加熱製剤による肝炎発生症例について検討が行われている。委員会での検討結果は以下のとおりであった。
第1回報告書によると、昭和62(1987)年6月11日、旧ミドリ十字社は加熱製剤の販売を開始しており、添付文書の前文には「他の加熱処理凝固因子製剤で非A非B肝炎の発症が報告されているので本剤の使用に際しては(中略)治療上必要不可欠の患者に使用すべきである」と、また、一般的注意として「(1)肝炎等の血液を介して伝播するウイルス疾患が知られているので、使用に際しては必要最少限の投与とし十分な観察を行うこと。(2)本剤の使用は、先天性低フィブリノゲン血症(機能異常症を含む)等フィブリノゲン値が著しく低下している患者に投与すること」と記載されている。
地検資料によると、昭和62(1987)年6月12日、旧ミドリ十字社は、旧厚生省に対し、非加熱製剤による県別肝炎発生症例数が71例(47施設。詳細が新たに判明した症例は15例)である旨の中間報告(第3回)を、また、同年7月14日には、県別肝炎発生症例数が74例(41施設*。詳細が新たに判明した症例は18例)である旨の最終報告を、それぞれ提出している。
しかしながら、第4回報告書からは、実際には同社が昭和62(1987)年6月18日までに累計で112例(74施設)の肝炎発生症例数を把握しており、74例(41施設)という報告が過少であったことがうかがえる。
〔加熱製剤販売後の調査体制〕
先述のように、昭和62(1987)年5月26日、非加熱製剤による肝炎発生症例について検討するため、血液製剤評価委員会が開催された。第4回報告書によると、翌27日、旧ミドリ十字社は旧厚生省に対し、加熱製剤の販売に当たり、必要な患者以外には使用しない旨の医療機関への情報提供の実施や患者の追跡調査(月1回以上医療機関を訪問し、患者を6か月間継続調査)の実施等を内容とする対応策を文書で提出している。同社が同年6月11日に各支店にあてて発出したと思われる文書において、「厚生省当局より、発売後の肝炎発生について継続的に追跡調査(中略)を実施し報告することを指示されております」と記載されていることから、加熱製剤使用症例の追跡調査は、旧厚生省の指示を受けて実施したものであったことが推測される。
〔加熱製剤による肝炎発症例の報告〕
第2回報告書によると、昭和62(1987)年11月5日、旧ミドリ十字社は、旧厚生省に対し、加熱製剤の使用症例についての継続調査の結果、肝炎3例を把握した旨の報告を提出している(第1回肝炎調査報告)。報告された3例は、異なる医療機関で発生したものであり、かつ異なるロットの製剤を投与されたものであった。また、同社は、当該報告の中で、フィブリノゲン製剤による肝炎発症の可能性及び必要不可欠な患者以外には使用しない旨を医療機関に対して更に徹底するとともに、追跡調査を継続することを併せて表明している。
旧ミドリ十字社からの報告を受けて旧厚生省(生物製剤課)が同年11月6日に作成したと思われる文書からは、旧厚生省は、
しかしながら、第4回報告書からは、実際には旧ミドリ十字社が、第1回肝炎調査報告の調査時点(昭和62(1987)年10月24日)までに、加熱製剤との関連の可能性があるとして医療機関から同社に報告が行われた肝炎、肝障害、GPT上昇、黄疸等(以下「肝炎等」という。)の症例として少なくとも30例の情報を入手していたことがうかがえる。
また、第4回報告書には、11例肝炎が発生し3例を旧厚生省に報告したことが記載された「常務会」「秘」との手書き入りの文書も添付されている。この11例の状況を記したと見られる別の文書においては、旧厚生省に報告されなかった8例のうち、3例は同じロットで製造された製剤を同じ医療機関で使用して肝炎が発生したものであり、そのうち2例については、フィブリノゲン製剤との因果関係の可能性(3段階に分類)が最も高いランクAに位置付けられている。
旧ミドリ十字社が当該11例のうち8例を同年11月5日に旧厚生省に報告しなかったことについて、三菱ウェルファーマ社は、第4回報告書において、8例のうち6例については詳細情報が入手できず又は輸血が併用されていたことが理由として考えられる旨回答している。しかしながら、第4回報告書に添付された資料には、
第1回報告書によると、昭和63(1988)年2月12日に、旧ミドリ十字社は、肝炎発症の注意喚起や適正使用のための謹告「フィブリノゲンHT−ミドリ使用に際してのお願い」を医療機関に配布したとされている。
第2回報告書によると、同年4月5日、旧ミドリ十字社は、旧厚生省に対し、加熱製剤に関する第2回肝炎調査報告を提出している。なお、第4回報告書においては、第2回肝炎調査報告において報告された症例のうち2例は、同年2月5日に副作用報告として提出された症例であると推測している。
また、第2回報告書によると、同年5月6日に旧ミドリ十字社は第3回肝炎調査報告を提出しており、その内容は、846例のうち34例で肝炎が発症したというものであった。しかしながら、第4回報告書によると、実際には同社が、同年5月までに、加熱製剤との関連の可能性があるとして医療機関から同社に報告が行われた肝炎等の症例として少なくとも100例の情報を入手していたことがうかがえる。
〔加熱製剤への対応方針〕
昭和63(1988)年5月12日、旧厚生省は血液製剤評価委員会を開催し、旧ミドリ十字社から提出された第3回肝炎調査報告等を基に対応方針を検討し、
〔緊急安全性情報〕
昭和63(1988)年6月2日、旧厚生省は、旧ミドリ十字社に対し、文書により添付文書の改訂及び緊急安全性情報配布の指示をした。指示の内容は、添付文書の冒頭に赤字赤枠で、「非A非B型肝炎が報告されているので、本剤の使用にあたっては、適応を十分に考慮するとともに、投与は必要最少限とし、十分な観察を行うこと」との内容を追記するとともに、やむを得ない場合に必要最少限量を使用すること等を内容とする緊急安全性情報を配布するというものであった。第2回報告書によると、同社は、同月6日に緊急安全性情報及び謹告「フィブリノゲンHT−ミドリに関するお知らせとお願い」を、フィブリノゲン製剤を納入している全医療機関に配布したとされている。
第2回報告書によると、同年7月7日、旧ミドリ十字社は旧厚生省に対して、文書で緊急安全性情報の配布、返品依頼措置の結果を報告している。それによると、緊急安全性情報の配布は同年6月23日までに完了したこと、6,199本の医療機関在庫が確認され、2,557本が返品されたこと(返品率41.2%)、緊急時に必要であること等を理由に返品に応じられないとする医療機関があったことなどがうかがえる。
地検資料によると、平成元(1989)年10月27日に旧ミドリ十字社から旧厚生省に提出された文書では、同年1月から9月までのフィブリノゲン製剤の販売数量は月平均181本であり、これは昭和62(1987)年の月平均4,144本の約4.4%である旨報告されており、昭和63(1988)年の緊急安全性情報等の配布を機にフィブリノゲン製剤の販売数量が激減したことが推測される。
なお、第4回報告書によると、旧ミドリ十字社は加熱製剤の販売数量が激減したと推測される1988(昭和63)年下期から1993(平成5)年までの間に、肝炎発生症例38例を把握していたが、これを旧厚生省に報告しないことを社内で決定していたことが明らかになった。このことに関して、三菱ウェルファーマ社は、当時「ウイルス性肝炎は薬事法に基づく報告義務の対象ではなく、厚生省から個別・具体的な指示があった場合に報告すべきものと当時の旧ミドリ十字社は認識して(中略)いたものと思われる」と回答している。しかしながら、加熱製剤による肝炎の発生については、
(3)フィブリノゲン製剤に関する再評価
〔再評価基礎資料提出〕
昭和59(1984)年6月6日、旧厚生省は鎮痛剤、循環器官用剤と併せて血液体液用剤について再評価基礎資料の提出を企業に指示した。旧ミドリ十字社は同年9月6日に非加熱製剤に関する再評価基礎資料を旧厚生省に提出した。当該資料において、諸外国における措置として、米国FDAによる昭和52(1977)年の同国製フィブリノゲン製剤の販売禁止に関する情報が掲載されていたことは先述のとおりである。
〔非加熱製剤の再評価指定から内示まで〕
昭和60(1985)年1月31日、再評価調査会は、フィブリノゲン製剤に関し、用法・用量(承認事項)の記載方法及び肝炎に関する安全性について再評価の必要があると判断し、7月30日の中央薬事審議会答申を経て、10月1日に厚生大臣(当時)が再評価指定を行った。
これを受けて昭和61(1986)年2月1日、旧ミドリ十字社は再評価申請資料を提出した。同社は、当該資料の中で、肝炎に関する安全性について、
〔再評価内示〕
昭和62(1987)年5月13日、再評価調査会は、同年3月に旧ミドリ十字社より提出された追加資料を検討した結果、「先天性低フィブリノゲン血症」については有効性が推定されるものの、「後天性低フィブリノゲン血症」の治療に対して有効性を示すデータは提出されていないと判断した。
昭和62(1989)年6月25日の再評価調査会においては、フィブリノゲン製剤に関する調査報告書が了承された。同報告書においては、「先天性低フィブリノゲン血症」には有効性が認められるが「後天性低フィブリノゲン血症」については有効性が確認できないとする一方、安全性については、加熱製剤への切替えが望ましいが、加熱製剤であっても非A非B型肝炎については未解明の部分もあり、使用は最少限に止めるべきであるとされ、有効性と安全性のバランスから、同製剤は「先天性低フィブリノゲン血症」には有用であるとの判定が下されている。
同年7月2日、旧厚生省は旧ミドリ十字社に対し、再評価調査会がまとめた調査報告書に沿って内示を行った。内示とは、再評価の最終結論にいたる前に調査会の審議結果を申請企業に伝え、反論の機会を与えるためのものであり、この時の内示の内容は、
〔内示に対する旧ミドリ十字社及び産科婦人科領域の団体の反応〕
昭和62(1987)年8月12日、旧ミドリ十字社は、旧厚生省に対して、
〔内示の了承〕
旧ミドリ十字社は、昭和62(1987)年7月の内示以降、臨床試験の実施に向けた準備を進めていたが、昭和63(1988)年6月6日の緊急安全性情報配布後、「後天性低フィブリノゲン血症」での使用が大幅に減ったことから、臨床試験の実施が困難となった。この結果、同社は、産科婦人科領域の団体の了解を得て、平成2(1990)年3月12日、「後天性低フィブリノゲン血症」の臨床試験を断念し、内示を了承することを旧厚生省に報告した。
〔加熱製剤の再評価指定から再評価結果の公布まで〕
旧ミドリ十字社が非加熱製剤に関する内示を了承したことから、旧厚生省は、非加熱製剤の審議結果を加熱製剤に反映させるため、既に承認整理されていた非加熱製剤について、平成2(1990)年9月5日に「再評価申請後に申請者が承認を取り消した品目」として公表するとともに、同年11月1日、加熱製剤を再評価指定した。これを受けて、旧ミドリ十字社は、平成3(1991)年3月1日に加熱製剤の再評価申請を行った。
先述のとおり、旧ミドリ十字社は、昭和63(1988)年以降安全性の高いSD処理製剤の開発を進めており、平成3(1991)年から平成5(1993)年にかけて実施した臨床試験の結果を、平成5(1993)年7月9日の一部変更承認申請の際に旧厚生省に提出していたが、他方、再評価においても、当該臨床試験結果を用いて審議することが有益であるとの観点から、その取りまとめを待って、平成6(1994)年7月29日に再評価の追加資料として当該臨床試験結果を追跡調査とともに旧厚生省に提出した。
平成7(1995)年1月23日、再評価調査会は、「先天性低フィブリノゲン血症」の臨床試験結果の評価・検討を行い、「先天性低フィブリノゲン血症」の有用性を確認した。この際、過去に臨床の現場から強い要望のあった「後天性低フィブリノゲン血症」の効能・効果についても、臨床上の必要性がないかを確認する必要があると判断し、旧ミドリ十字社に資料の提出を求めることとした。これを受けて、平成7(1995)年2月20日に、旧ミドリ十字社は、加熱製剤の承認申請等に用いた「後天性低フィブリノゲン血症」に関する文献並びに特別調査及び使用成績調査の骨子を提出し、さらに、平成8(1996)年2月7日には特別調査実施計画書(案)を提出した。
しかしながら、旧ミドリ十字社等で製造していた血液凝固第VIII因子製剤によるHIV感染が社会問題化する中、平成9(1997)年2月17日、同社は旧厚生省に対し、血液製剤及び同社に対する極めて厳しい社会情勢から患者の同意を得ることが極めて困難であること等を理由に、特別調査を断念する旨を報告した。
これを受けて平成10(1998)年1月28日に、再評価調査会はフィブリノゲン製剤についての審議結果を取りまとめ、3月12日の中央薬事審議会答申を経て、同日、フィブリノゲン製剤の効能・効果を「先天性低フィブリノゲン血症の出血傾向」とする旨の再評価結果が公表された。
(1)米国におけるフィブリノゲン製剤の承認取消し後の対応
しかしながら、現在では、過去の反省に立って、当時と比べて充実した情報収集体制が確立されており、第154回通常国会で成立した「薬事法及び採血及び供血あつせん業取締法の一部を改正する法律(平成14年法律第96号)」(以下「薬事法等一部改正法」という。)による感染症定期報告制度の導入等により、今後一層体制を充実させていくこととしている。
昭和52(1977)年当時と現在の情報収集体制の比較は、具体的には以下の表のとおりである。
(2)フィブリノゲン製剤の安全対策に関する対応
〔フィブリノゲン製剤による肝炎発生に対する認識〕
昭和61(1986)年以前の段階でフィブリノゲン製剤による肝炎の発生を旧厚生省がどのように認識していたかについては、
〔フィブリノゲン製剤の有用性と肝炎発生リスクに関する認識〕
医療現場では、昭和61(1986)年以前の段階においては、以下のとおり、フィブリノゲン製剤による肝炎発生のリスクは否定しきれないものの、患者の救命のためにフィブリノゲン製剤を投与するという状況であったと推測され、フィブリノゲン製剤の有用性は、肝炎の発生リスクを勘案しても、高く評価されていたと考えられる。
日産婦学会回答では「低フィブリノーゲン血症に対する補充療法としてフィブリノーゲン製剤の投与が当時行われておりました」、「肝炎が起こる可能性は零ではないと承知しておりました。これは、新鮮血や新鮮凍結血漿、クリオプレシピテートでも肝炎発生の可能性から免れるものではなく、発生したDICから患者の命を救うことを第一に考えてこれらの製剤等を使用していたのが当時の現状と考えております」とされている。また、日産婦医会回答では「フィブリノゲンが著明に低下していて、かつそれを輸血だけで補充すると(中略)DICを悪化させることが懸念される場合や緊急手術を要する場合には、フィブリノゲン製剤を用います」、「昭和52年当時は(中略)肝炎発症の危険性は否定しきれないものの、その利便性・有効性からDICに対する緊急救命処置として重要な役割を果たしていたと思われます」、「昭和52年12月(1977年)には、研修ノート(中略)の中で、救急薬品として常備するリストの中に『フィブリノゲン1〜5g』とし、常備薬とするよう指導しました」とのことであった。
当時の産婦人科の専門誌でも、分娩直後の大出血例の治療方法として、「凝固障害があれば、速やかに新鮮血、フィブリノーゲン、酸素を与え、副腎皮質ホルモン、重曹、抗生物質、ヘパリンなどの緊急処置を行う。(中略)ショックには救急処置(気道確保、呼吸管理、循環管理、救急薬、ECG、フィブリノーゲンなど)を行う」(昭和55年11月『産婦人科治療』)という記載や、DICに対する治療として、「輸血(保存血、新鮮血の新鮮凍結血漿)およびフィブリノーゲン投与」(昭和61年『産婦人科の実際』)という記載がある。また、治療に関する解説書にも、常位胎盤早期剥離の項目に、「線維素原〔注:フィブリノゲン〕欠乏性出血(中略)があればフィブリノーゲン4〜8gの静脈内投与を行う」(『今日の治療指針1977年版』)、「赤沈遅延、凝固時間延長があればフィブリノゲン4g〜8gを使用する」(『今日の治療指針1986年版』)と記載されている。
〔クリオ製剤の代替性〕
なお、フィブリノゲンの補充のために、フィブリノゲン製剤の替わりにクリオ製剤を用いることについては、調査の過程で以下のような考察や見解が明らかになった。
〔非A非B型肝炎(C型肝炎)の予後に関する認識〕
HCVが発見されたのは昭和63(1988)年のことであり、昭和61(1986)年以前、非A非B型肝炎は原因が特定されておらず、その予後についても不明な点が多かったと考えられる。非A非B型肝炎の予後については、昭和50年代後半以降に研究が進み、輸血後非A非B型肝炎の中には肝硬変や肝がんに移行するものがあるとの報告も見られるようになった。現在では、非A非B型肝炎のほとんどがC型肝炎で、キャリアの大部分が慢性肝炎の症状を呈し、一部が肝硬変、肝がんに進行するとされているが、昭和61(1986)年以前においては、以下のとおり、非A非B型肝炎の予後に関する知見の詳細は必ずしも明らかではなかったと考えられる。
「厚生省特定疾患難治性の肝炎調査研究班」においては、昭和58(1983)年に、非A非B型肝炎から肝硬変、肝がんが発生した症例が報告され、昭和60(1985)年には、「長期経過観察例のなかには肝硬変への進展例及び肝癌の合併例もみられており、肝硬変、肝癌に占める非A・非B型肝炎の割合は今後益々増加するものと考えられる」と報告されていた。一方で、同じ昭和58(1983)年の報告書では、非A非B型肝炎から肝硬変、肝がんが発生するという症例は、非A非B型肝炎の全体像を反映しているとはいい難い旨の、また、昭和59(1984)年の報告書では、「非A非B型肝炎ウイルスは肝癌の原因となり得るかは現在不明である」との記載がある。
同時期の教科書でも、非A非B型肝炎のうち輸血後肝炎の多くは慢性肝炎又は持続性肝炎へ移行する旨の記載がある一方で、持続性肝炎は通常、数年の経過をたどるが最終的には治癒するといわれる旨の記載が見られる(『内科学』朝倉書店第3版昭和59(1984)年発行及び第4版昭和62(1987)年発行)。また、「急性非A非B型肝炎の約10〜20%が慢性肝炎に移行している」という記載がある一方で、慢性肝炎のうち「非活動性肝炎の予後は良好で、大部分は非活動性のまま経過するか治癒するが、一部に活動性に移行するものがある」という記載を含む教科書もある(『内科学書』中山書店新訂第3版昭和62(1987)年発行)。
日産婦学会回答でも「当時のC型肝炎に対する理解は不十分で、非A非B型肝炎としてとらえられており、血液製剤投与後に一過性の肝障害がおこるものの、やがておさまる程度の肝炎と考えられておりました。C型肝炎が肝硬変や肝癌の原因と考えられるようになったのはC型肝炎に対する抗体検査が可能となった後のことです」とされており、日産婦医会回答でも同趣旨の内容が記載されている。
一方で、日本肝臓学会からの回答では、同学会の機関誌で発表された研究論文等を根拠に「現時点から振り返れば、C型肝炎の予後が不良であるとの推定は40年前になされており、その実証が約20年以前であったということである」としているが、C型肝炎(非A非B型肝炎)の予防や治療等の対策に関する学会の活動については、「日本の学術団体は、長い間、同好の士が集い、自己の研究結果あるいは考えを提示し、それについての討論の場を提供するものとの伝統的な姿勢があり、一般社会に向けた活動を直接行うことはむしろ行うべきではないとされてきました。この考えが是正され、学術団体がその成果などを、市民公開講座などを通して公表するようになったのは、近年のことです」としている。
以上のことから、昭和61(1986)年以前の状況においては、
〔BPL処理の効果について〕
なお、昭和61(1986)年以前に旧厚生省が認識した肝炎の症例数が極めて少なかったと考えられる理由としては、旧ミドリ十字社のフィブリノゲン製剤の製造工程に導入されていたBPL処理及び紫外線照射処理が有効であり、実際の肝炎発生例が極めて少なかった可能性が考えられる。その根拠としては、
他方、BPL処理及び紫外線照射処理のウイルス不活化効果は、BPLの濃度、温度、pH、処理時間などの条件設定に影響されると考えられることから、旧ミドリ十字社のフィブリノゲン製剤の製造工程において、実際に効果を発揮していたかどうか即断することは困難である。このため、BPL処理及び紫外線照射処理のウイルス不活化効果及び安全性を明らかにすることを目的として、第3回報告命令において三菱ウェルファーマ社に対し、当時の不活化処理工程におけるウイルス不活化・除去能力に関する実証データの報告を求めたところ、同社からは、第3回報告書において、BPL処理及び紫外線照射処理の実証データの作成に当たっては、当時の製造工程を明らかにし、さらにそれを実験室スケール工程に変換して設計を行うことが必要であり、1年間の期間を要するとの回答があった。同社の回答について、ウイルスバリデーション、有機化学の専門家に確認したところ、技術的にやむを得ないとの評価が得られたことから、第4回報告命令において、平成15(2003)年7月25日までに実証データ等を提出するよう求めたところである。
〔不活化工程の変更に関する薬事法上の位置付けについて〕
旧ミドリ十字社が、フィブリノゲン製剤の製造工程において昭和60(1985)年8月までBPL処理を実施していたことは、第1回報告書及び第2回報告書で確認したものである。
薬事法上、ウイルス不活化処理工程等の重要な製造工程の変更は、承認の一部変更の対象となるが、旧ミドリ十字社のフィブリノゲン製剤に関しては、BPL処理の開始及び終了に際して、一部変更承認申請の手続きがとられていなかった。その結果、BPL処理が承認書に記載されることはなく、昭和62(1987)年の肝炎集団発生当時において、旧厚生省がBPL処理に注意することもなかったと推測される。
他方、昭和48(1973)年に旧厚生省が血液製剤等の添付文書の全面的な見直しを指示したと推測されることは先述のとおりであるが、このときの改訂前の添付文書、すなわち、昭和47(1972)年1月版までの添付文書にはBPL処理についての記述があった。第4回報告書の中には、旧厚生省が、このときの添付文書の改訂作業の過程で、社団法人日本血液製剤協会を通じて旧ミドリ十字社よりBPL処理及び紫外線照射処理のウイルス不活化効果に関する文献を提出させたことをうかがわせる資料が含まれている。したがって、当時、添付文書上のBPL処理の記載について、旧厚生省と旧ミドリ十字社との間で何らかのやりとりがあった可能性が推察される。
しかしながら、当時既に薬事法違反を問われる可能性のあったBPL処理について、旧ミドリ十字社が旧厚生省に対しどのような説明を行ったのか、また、旧厚生省が旧ミドリ十字社に対してどのような指導を行ったのか記憶している者がおらず今回の調査では明らかにできなかった。なお、このときの添付文書の改訂に当たっての基本的考え方は、承認事項の範囲内で添付文書を作成させるというものであり、また、改訂後の添付文書からBPL処理に関する記載がなくなっていることは第1回報告書から確認できる。
ちなみに、第4回報告書によると、昭和57(1982)年の時点で、BPL処理を実施していることが承認書に記載されておらず、それが公になると問題になることを、旧ミドリ十字社が認識していたことがうかがえる。
〔肝炎集団発生の報告を受けての対応〕
先述のとおり、昭和62(1987)年の青森県における肝炎の集団発生を契機にフィブリノゲン製剤を巡る状況は一変する。青森県三沢市のA医院における肝炎の集団発生に関して旧厚生省が最初に情報を入手した時期については、昭和62(1987)年1月と記載されている文書があるが、同医院に残されている旧厚生省への連絡に関する最も古い記録は昭和62(1987)年3月24日のものであった。
聴き取り調査の結果、同日以前の連絡について具体的な日付等を特定できる記憶を有する者はおらず、A医院における肝炎集団発生について、旧厚生省が第一報を受けた日等を特定するには至らなかった。
また、3月24日にA医院から肝炎集団発生の連絡を受けて以降については、旧厚生省は、全国調査の指示をはじめ、旧ミドリ十字社に対して頻繁に報告を求め、対応を指示していたことがうかがえ、速やかに対応していたと考えられる。
〔加熱製剤への切替え〕
聴き取り調査の結果、フィブリノゲン製剤に関する加熱製剤への切替えは、肝炎対策を契機としていたものの、当時問題となっていたHIVへの対応も念頭にあり、血液凝固第VIII因子製剤及び第IX因子製剤でHIVの不活化に効果のあった乾燥加熱処理の導入により、当時ウイルスが同定されていない非A非B型肝炎についても、ウイルス不活化効果を期待していたことの回答が得られた。
旧厚生省で加熱製剤を承認する際の内部決裁文書には、「優先審査を実施する理由」として、「62年1月肝炎の発生報告が青森から報告され、安全性の高い加熱製剤への切り換えを早急に行う必要があるため」という記載があり、また、昭和63(1988)年3月23日の参議院予算委員会において、当時の薬務局長が加熱製剤の安全性に関し、「この血液製剤〔注:フィブリノゲン製剤〕につきましてはやはり加熱をして安全性を高めた方がよいであろう、こういう考え方のもとにその後加熱製剤の開発をいたしたわけでございます」との答弁を行っていることから、当時、加熱製剤への切替えによるウイルス不活化効果を期待していたことがうかがえる。
〔加熱製剤の不活化処理条件〕
昭和62(1987)年4月20日に旧ミドリ十字社から提出された加熱製剤の承認申請資料では、6種類のモデルウイルスを用いて定量的にウイルスの不活化効果を評価した結果、当該モデルウイルス中で最も強い耐熱性を示すウイルスに関しても、60°C、96時間以上の乾燥加熱処理を行えば、感染性を消失できることが検証されている。
また、別の資料では、HIVを添加したフィブリノゲン製剤に対して、60°C、96時間以上の乾燥加熱処理を行えば、感染性を消失できることが検証されている。
当時の血液製剤調査会の委員に対する聴き取り調査の結果、当時のことは憶えていないが、今の時点で考えても、HCVが同定できていなかった当時としては、ウイルス肝炎の防止に効果があると考えたことはやむを得なかったと考えられるとの回答が得られた。
以上のことから、結果として加熱製剤への切替えにより肝炎の発生を防止することはできなかったものの、HCVが同定できていなかった昭和62(1987)年当時としては、非加熱製剤から加熱製剤への切替えはやむを得ない判断であったと考えられる。
〔非加熱製剤の自主回収〕
加熱製剤への切替えに伴い、旧ミドリ十字社は、旧厚生省の指示により、非加熱製剤の自主回収を実施したと考えられる。当時の薬事制度には自主回収の報告に関する仕組みがなく、また、現在の厚生労働省及び三菱ウェルファーマ社には、自主回収の結果を確認できる資料は残されていないため、旧厚生省が自主回収の状況について報告を求めていたかどうかは確認できなかった。
なお、平成6(1994)年には薬事制度において不良品等の自主回収着手の報告を義務付ける仕組みが創設され、さらに平成9(1997)年以降はすべての自主回収について報告が義務付けられている。
また、現在では、自主回収の着手報告が提出されれば、回収の進捗状況について適宜報告を求めているほか、回収が終了した場合には速やかにその旨を文書で報告するよう指導している。
〔旧ミドリ十字社の対応〕
今回の調査により、旧ミドリ十字社は、
(3)フィブリノゲン製剤の再評価に関する対応
これまで、フィブリノゲン製剤によるHCV感染に関して、当時の事実関係や関係者の認識状況について調査した結果を示してきたが、本章では、まとめとして、本調査結果を踏まえつつ、厚生労働省における医薬品等の安全性を一層確保するための制度面・運用面の取組や今後の課題を示すとともに、今後の肝炎対策の推進について言及する。
(1)医薬品等の安全性の確保に向けた取組
〔製薬企業の責任の明確化〕
今回の調査では、旧ミドリ十字社が、昭和40(1965)年及び昭和60(1985)年にウイルス不活化処理に関する承認事項の一部変更の申請を行っていなかったほか、昭和62(1987)年に実施した肝炎調査の結果等を過少に報告していた可能性が高いことなど製薬企業として安全対策等に十分に意を尽くしていなかったことが明らかになった。この点については遺憾である。
先の通常国会で成立した薬事法等一部改正法においては、企業における責任の所在の明確化や市販後安全体制の充実等への対応として、医薬品等の市場への供給を開始する者を新たに製造販売業者として位置付け、製品に対する責任の所在の明確化を図るとともに、製造販売業者の許可要件に市販後安全要件を追加する等の措置を講じたところである。また、それに加えて、今回の改正により、製造販売業者には、医薬品等による保健衛生上の危害発生時における廃棄、回収、販売停止、情報提供等の措置に関する責務があることが法律上も明確にされたところである。
なお、人の生命に直結した医薬品を取り扱う製薬企業が、こうした法令を遵守することは当然であるが、それに加え、高い倫理性に根ざした万全の安全確保体制の構築が必要と考えており、厚生労働省としても、製品の特質を踏まえた一層の取組を指導していく必要がある。
〔安全確保体制の強化等〕
他方、旧厚生省においても、当時、外国情報に関する製薬企業の報告制度や、旧厚生省が自ら外国情報等を収集する仕組み、本省と施設等機関との間の情報伝達の仕組みが構築されていないなど、体制に不十分な点があったと言わざるを得ない。また、今回の調査においては、旧ミドリ十字社がウイルス不活化処理に関する承認事項の一部変更の申請を行っていなかったことや、肝炎調査の結果等を過少に報告していたと考えられることについて、旧厚生省が当時それらの事実を認識できなかったことも明らかとなった。
このため、3.(1)(1)に先述したとおり、これまで情報収集体制の充実や関係機関との連携強化を図ってきたところであるが、さらに、今回の薬事法等一部改正法において、薬局、病院等の医薬関係者を対象に、医薬品副作用等症例の厚生労働大臣への報告に関する規定を創設した。これにより、万が一企業による副作用等報告の提出が履行されない場合であっても、より確実に行政として安全性情報を把握することが可能となる。
なお、同改正法においては、併せてこれらの副作用等報告や回収の報告を受けた行政側においても、その報告の状況を薬事・食品衛生審議会に報告し、意見を聴いた上で、医薬品等の使用による保健衛生上の危害の発生又は拡大を防止するために必要な措置を講ずることとするよう定めている。
一方、承認内容と実際の製造工程との相違といった点については、近年の薬事監視の充実によりある程度の対応が可能となってきているが、すべての製造所等においてあらゆる製品の製造工程を常時行政が検査することは実際には不可能である。このため、あくまでも企業が承認内容を遵守することを前提としつつも、フィブリノゲン製剤のように高度な製品管理を要する医薬品については、出荷前に製造記録を確認するなど最終製品の段階で承認内容を逸脱していないことを確認する方策を検討することが必要である。
さらに中長期的には、情報収集や安全確保のための組織体制等の更なる充実を目指していくことが考えられる。これについては、「特殊法人等整理合理化計画」(平成13(2001)年12月19日閣議決定)の方針に沿って、医薬品副作用被害救済・研究振興調査機構を廃止した上で、医薬品医療機器審査センター等と統合し、新たに医薬品調査等業務等を行う独立行政法人を設置することとされており、現在所要の法案の提出に向けた検討作業を進めているところである。今後、国と独立行政法人との機能分担・業務分担の整理や、安全確保体制の強化という観点も踏まえ、組織体制の在り方について検討を進める必要がある。
〔関係部局間相互における連携の確保〕
旧厚生省本省は、当時、旧予研職員の把握していた情報を十分に活用できていなかったと考えられるが、施設等機関を含めた関係部局間相互での緊密な情報交換や健康被害が発生した際の一体的な対応は、現在においてますます重要なものとなってきている。
この点については、平成9(1997)年1月に「厚生省健康危機管理基本指針(現:「厚生労働省健康危機管理基本指針」)」を策定し、幅広い健康危機事案に対する健康危機管理体制の確立を図るとともに、同年3月に「医薬品等健康危機管理実施要領」を定め、安全対策の実施に至るまでの手順や基準及び各段階における責任の所在を明確化し、医薬品の副作用等による健康危機に迅速かつ適切に対応することとしているところである。本要領に基づき収集された情報を医薬局で集約するとともに、本指針に基づき開催している健康危機管理調整会議において必要に応じ情報の共有や健康被害の発生、拡大の防止のための調整を行っており、今後とも、これらの体制に基づく関係部局間の連携が有機的になされるよう、最大限の努力を傾注する必要がある。
〔血液製剤の安全性の確保〕
今回の調査結果は、血液製剤のように人・動物等の組織・細胞等を用いて製造される医薬品等における安全性確保の難しさ及びこれらの医薬品の制度的な安全対策の必要性を再確認させることとなった。
今回の薬事法等一部改正法においては、現行の採血及び供血あつせん業取締法を「安全な血液製剤の安定供給の確保等に関する法律」として抜本的に見直し、法律の基本理念として、血液製剤の製造・供給等における安全性の向上への配慮や国内自給の原則等の規定を盛り込んだところである。
また、薬事法においても、生物由来製品の原料採取から製造、販売、市販後に至るまでの包括的な安全確保のための各般の施策を導入したところであり、今後これらの仕組みの適切な運用を通じ、安全な医薬品等の供給を図っていくことが必要である。
(2)肝炎対策の推進
C型肝炎については、C型肝炎に係る知見や検査法のなかった時期における輸血治療等により、我が国にも多数の持続感染者がいると推定されるが、感染の自覚がない者が多く、さらに近年の知見によれば、感染者の中から肝硬変や肝がんへ移行するものがあることが判明している。こうした観点から、厚生労働省では平成14(2002)年度から「C型肝炎等緊急総合対策」として、国民に対する普及啓発・相談指導の普及、老人保健事業など現行の健康診査体制を活用した肝炎ウイルス検査の実施、「肝炎等克服緊急対策研究事業」などによる予防・治療方法の研究開発と診療体制の整備、予防や感染経路の遮断などを柱とする総合的な対策を実施しているところである。 これらの取組は、フィブリノゲン製剤によるものを含め、公衆衛生上の観点から総合的に実施されているものであり、今後とも、肝炎のウイルス検査や新たな治療法の開発等の取組を強力に推進していく所存である。
これまで厚生労働省は、HIV感染等の健康被害の発生を真摯に受け止め、各般にわたる医薬品等の安全確保対策の拡充に努めてきた。その結果、現行の薬事制度においては、承認審査・市販後対策・薬事監視等のあらゆるフェーズにおいて、本報告書が主に扱ってきた昭和50年代、60年代と比べ、格段に充実した医薬品等の安全確保体制が構築されるに至っている。
しかしながら、こうした体制が十分な機能を発揮し、安全確保が確実に行われるためには、業務に携わる職員一人ひとりがその職務を自覚し、制度の意義を理解した上で、適切な制度の運営に努めていかなければならない。
加えて、21世紀を迎え、バイオ技術の進展に見られるように科学技術の発達による技術革新が加速度的に進展する中で、医薬品等の安全性を恒常的に確保していくためには、構築した制度の上に安住することなく、その時々の医学・薬学の知見の向上を踏まえて、制度の不断の見直しを図っていかなければならない。