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21世紀フォーラムについて

21世紀フォーラム

「21世紀フォーラム」は、1978年4月から2008年3月まで37年間にわたり刊行されてきた、財団法人政策科学研究所の機関誌です。

「21世紀フォーラム」が創設に向けて動き出したのは1976年当時、産官学にメディアを加えた数名の識者の念頭に、エネルギーや原子力問題に関して専門家と一般国民との間にギャップがあり、また知識層の間でも基本的理解に大きな幅が生じている状況下において、国民的合意形成が困難になっている との共通認識が生まれたことが発端となりました。

当初はエネルギー問題を扱うことを狙いとして、「プロメテウス((注記)1) ・クラブ」と名付けられましたが、その後、「より良い国づくりのために、エネルギー問題にどのような解決の仕方が要請されるか」というコンセプトに発展していきました。 当時、財団法人電力中央研究所に事務局を置く産業計画会議が松永安左ヱ門理事長の理念にしたがって、「国づくり、人づくり」を目指して活動していました。これに倣い、1979年4月に9名の発起人連盟のもとに「21世紀フォーラム」設立趣意書が発表されました。

発起人は内田忠夫((注記)2) 、加藤秀俊((注記)3) 、加藤芳郎((注記)4) 、茅誠司((注記)5) 、小松左京((注記)6) 、東畑精一((注記)7) 、中山伊知郎((注記)8) 、松本重治((注記)9) 、向坊隆((注記)10) の諸氏であり、当時の一流文化人のサロンとして設立されました。趣意書の末尾には「来るべき21世紀を展望しつつ、我が国と人類社会のあり方を考えるひとびとの集まりという意味をこめて、この集まりを『21世紀フォーラム』と称することとします」と結ばれています。

「21世紀フォーラム」の問題意識は21世紀に向けて日本的なものを追及していくことであり、それが真の国際化につながるというものでした。そこには日本人自らの価値観を発掘し、これを世界の中で育てたいという願いが強くこめられていました。各部会・研究会の活動は科学技術の討議に社会科学や人文科学の領域も取り込んで検討・研究してきたユニークな歩みであり、既存の枠組みにとらわれない画期的な試みであったといえます。

21世紀を迎え、まもなく10年が経過しようとしています。「21世紀フォーラム」での議論は現在の混迷した日本社会にとっても依然解決されずに残された様々な課題にも参考になるイシューを多く取り扱っています。政策科学研究センター・アーカイブスでは、このたび、財団法人政策科学研究所機関誌「21世紀フォーラム」をすべて電子化し、開示することにいたしました。先人達の知的好奇心の旺盛さと、その当時の時代背景の中での苦悩について、ご賢察いただければと願ってやみません。

(注記)1:ギリシャ神話の神。神々の姿に似せて創造された人類に、「火(=エネルギー)」を伝えたとされる。
(注記)2:東京大学名誉教授。専門:計量経済学。
(注記)3:評論家、社会学者。1979年当時、学習院大学教授。
(注記)4:漫画家。代表作「まっぴら君」(毎日新聞連載)。
(注記)5:東京大学名誉教授。東京大学総長、日本学術会議会長を歴任。専門:物理学。
(注記)6:作家。代表作「果てしなき流れの果てに」、「日本沈没」等。
(注記)7:東京大学名誉教授。農林省農業総合研究所所長、アジア経済所長を歴任。財団法人政策科学研究所第2代理事長。専門:農業経済学。
(注記)8:一橋大学名誉教授。専門:純粋経済学。
(注記)9:ジャーナリスト。国際文化会館理事長等を歴任。代表作「上海時代」、「近衛時代」等。
(注記)10:東京大学名誉教授。東京大学総長、原子力委員会委員長代理、日本原子力産業会議会長を歴任。財団法人政策科学研究所第5代理事長。専門:応用化学。

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2009年04月01日 更新

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