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交流都市の紹介
姉妹都市を結ぶ山形県鶴岡市藤島、友好交流都市を結ぶ東京都杉並区との交流拠点となる「北国雪国ふるさと交流館」には、広く市民の皆様にご覧いただけるよう交流の様子を写真や映像、さらには特産品の展示をして紹介しています。
ページ内目次
山形県 鶴岡市藤島
名寄市に初めて開拓の鍬が入ったのが明治33年(1900年)。この時、山形県東田川郡東栄村字添川から太田豊治氏を団長とする開拓団が、曙地区に入植したのが名寄市の開基とされています。
名寄市開拓90年の平成2年(1990年)に、当時の名寄市長と藤島町長が相互に訪問したのがきっかけとなり、平成8年(1996年)8月1日「なよろのおどり」の開催に先立ち、大勢の市民が見守るなか、名寄市と藤島町は姉妹都市の盟約を結びました。母村と姉妹都市盟約を結ぶことは北海道ならではですが、全国的にはあまり例がありません。
また、両市町に「名寄藤島交流友の会」「藤島町名寄交流友の会」が発足し、市民が主体となり交流活動を推進しております。
平成17年(2005年)10月1日に藤島町は、山形県庄内地方の南部6市町村(鶴岡市、藤島町、羽黒町、櫛引町、朝日村、温海町)で合併し、「鶴岡市」となりましたが、今後も市民レベルで様々な交流が行われ、友好の輪が更に広がることが期待されます。
名寄市開拓90年の平成2年(1990年)に、当時の名寄市長と藤島町長が相互に訪問したのがきっかけとなり、平成8年(1996年)8月1日「なよろのおどり」の開催に先立ち、大勢の市民が見守るなか、名寄市と藤島町は姉妹都市の盟約を結びました。母村と姉妹都市盟約を結ぶことは北海道ならではですが、全国的にはあまり例がありません。
また、両市町に「名寄藤島交流友の会」「藤島町名寄交流友の会」が発足し、市民が主体となり交流活動を推進しております。
平成17年(2005年)10月1日に藤島町は、山形県庄内地方の南部6市町村(鶴岡市、藤島町、羽黒町、櫛引町、朝日村、温海町)で合併し、「鶴岡市」となりましたが、今後も市民レベルで様々な交流が行われ、友好の輪が更に広がることが期待されます。
東京都 杉並区
旧風連町が交流都市として、この間、交流してきたのが東京都の杉並区です。そのきっかけとなったのは、杉並区を選挙区とする元北海道開発庁長官の粕谷茂代議士が昭和20年5月から約1カ月、風連町の下多寄地区で援農生活を送ったことが縁となり、杉並区と旧風連町の結びつきができたことでした。
その杉並区との友好交流提携は、風連町開基90周年記念式典前日の平成元年7月13日、関係者が見守る中で、当時の谷風連町長と、本橋杉並区助役が協定書にサインし締結されました。
以来、杉並区との本格的な交流を進め白樺まつりへの高円寺阿波おどり参加、杉並区の名物行事である高円寺阿波おどり大会への参加者派遣、冬まつりでの雪像づくり参加など各種イベントでの参加交流、農産物の杉並区での販路拡大PR、小中学生の交流などを通して相互交流の輪が広まってきました。さらに、都市と農村部の機能を生かして、平成7年には防災相互救援協定を結び緊急災害時には協力しあうことにしています。
合併後においても、平成18年6月に新名寄市として島市長と山田杉並区長が新たに交流協定を締結し、また、同年7月には防災相互救援協定を新たに結んでいます。
その杉並区との友好交流提携は、風連町開基90周年記念式典前日の平成元年7月13日、関係者が見守る中で、当時の谷風連町長と、本橋杉並区助役が協定書にサインし締結されました。
以来、杉並区との本格的な交流を進め白樺まつりへの高円寺阿波おどり参加、杉並区の名物行事である高円寺阿波おどり大会への参加者派遣、冬まつりでの雪像づくり参加など各種イベントでの参加交流、農産物の杉並区での販路拡大PR、小中学生の交流などを通して相互交流の輪が広まってきました。さらに、都市と農村部の機能を生かして、平成7年には防災相互救援協定を結び緊急災害時には協力しあうことにしています。
合併後においても、平成18年6月に新名寄市として島市長と山田杉並区長が新たに交流協定を締結し、また、同年7月には防災相互救援協定を新たに結んでいます。
お問い合せ・担当窓口
総合政策部 交流推進課 交流推進係
- 住所:郵便番号096-8686 北海道名寄市大通南1丁目1
- 電話番号:01654-3-2111
- ファクシミリ:01654-2-5644
- メール:ny-koryuu@city.nayoro.lg.jp