現在位置:
  1. asahi.com
  2. ライフ
  3. 教育
  4. 小中学校
  5. 小中学校ニュース
  6. 記事

「夢の架け橋」20年、足元の島で小中廃校 瀬戸大橋

2008年4月10日

印刷

ソーシャルブックマーク

写真与島にあり、かつて石を切り出していた丁場に立つ尾崎隆文さん。瀬戸大橋の橋げたが見える=香川県坂出の与島で、川田写す地図

10日で開通20年を迎えた瀬戸大橋。「夢の架け橋」の橋脚となった香川県坂出市の与島、櫃石(ひついし)島、岩黒島は人口が減り続け、なかでも与島は143人(72世帯)に半減した。同島に未成年者はおらず、20代の若者も4人だけ。地場産業の採石業が衰退し、期待を集めた観光事業も振るわない。新たに児童が入学するめども立たず、与島の小中学校は3月31日付で廃校になった。

大橋の橋脚がある島は五つ。このうち人が暮らす島は櫃石島、岩黒島、与島だ。

開通後と比べて、櫃石島は約3割減の231人(102世帯)、岩黒島も約2割減って89人(31世帯)。与島の減少が特に著しい。

与島は周囲6.9キロ。島北端の観光施設「瀬戸大橋フィッシャーマンズワーフ」が集客の目玉だった。地元海産物の土産物店が並び、開通当初の利用客は年500万人を超えたが、ここ数年は50万〜60万人に激減。約500人いた従業員も60人になった。

施設の遊覧船(384トン)は今年1月に運航をやめ、船着き場に係留されたまま。隣の小与島のリゾートホテルは11年前から閉鎖されている。

施設の売店でじゃこ天ぷらを売っていた笹野緋子さん(75)は「最初はどんどん人が来た。1週間で700個売り切ったときはうれしかったなあ」。だが、3年ほどすると一つも売れない日もあり、「給料をもらうのが気の毒で辞めた」と言う。いま、夫と2人暮らしで、娘4人は坂出や丸亀市に住んでいる。

◇ ◇

小高い丘に与島小学校があり、囲むように二つの集落が広がる。路地の両側の民家には空き家が目立つ。一人暮らしの那須忠義さん(83)の長男一家は開通前から坂出で暮らしている。

坂出までの普通車の通行料金は片道1900円、島民は割引があり片道712円。バスは片道520円で、平日は7往復ある。

那須さんは2日に1回は通院や買い物のためバスで橋を渡って坂出に行く。「橋ができて気楽に坂出に行けるようになった。ただ、島には仕事がないんやから、(若い人が戻って来ないのは)仕方ない。通行料金がもっと安かったら島から通えるが」

◇ ◇

与島は明治期から採石業が盛んで、70年代には35の業者がいた。だが、採石資源が減少し、さらに石を切り出す場所が大橋の橋脚の土台となって採石の範囲が狭まり、いま島に残る業者は一つだけ。

兄弟で唯一の採石業を営む尾崎隆文さん(27)は、小学2年の時の大橋開通式の感想をこう書いた。「でっかいせと大はしの/きょうはたんじょう日/空いっぱいにひろがっていく風せんは/まるでおよめさんのおいりのようだ」

当時の児童は全校で16人。小学校は00年度、中学校は02年度から休校に。尾崎さんは「しゃあないなという感じ。でも、自分は採石業がだめになっても、何でもやって島を守っていきたい」と話す。(川田惇史)

検索フォーム
キーワード:

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /