イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

私を喰べたい、人でなし:第4話『 泡沫の結び目』感想ツイートまとめ

明るく優しく私を照らす、偽物の太陽。
さらば負け幼馴染ポジション、美胡ちゃん大爆裂のわたなれ第3話である。

「このまんま人外価値観で希死念慮に寄り添ってくる新参者に、油揚げかっさらわれちまっても良いのかい!?」と思っていた美胡ちゃんが、獣の正体さらけ出し執着バトルに参陣堂々カマしてきて、大変いい気分である。
比名子が抱え込んだ影の重さを思うと、フツーの幼馴染のまんまじゃ勝負になんない所だったので、愛する人の記憶を書き換えてでも守りたいと願った、重たい親愛の情は良い刃だ。
次回明らかになるだろう、バケモノとしての汐莉との違いと共通点が一つの眼目...かなぁ?

汐莉は比名子を一番美味しい贄に育てるべく、「死ぬ前に生ききってみよう!」というヘンテコポジティブを手渡しているわけだが。
美胡ちゃんもおんなじように料理人目線なのか、それともより人間的(あるいは人外的)な立場なのかが、毛だらけの巨体顕にした後大事になってくると思う。
これを隠したまんま、乳母日傘で死にたがりを守っていても全然人生好転しない様子は、強引に手を引いてより深い影の中へと引っ張っていった、ぽっと出のマーメイ野郎が示しているわけで。
人外バトル要素が濃かろうが、やっぱ女と女の感情綱引きでは、心の根っこを剥き出しにしねーと馬力が出ねぇんですわ。

なので今回汐莉がブッかました、強制真実暴露はいい仕事だったと思う。
口で言ってるおどろおどろしい人喰価値観は勿論本当のことなんだろうけども、食べたい食材の理想があまりに高いので、危険因子は積極的に排除するし、魂が美味しくなりそうなハッピーイベントには積極的だし、怪しい嘘はバンバン暴いて風通しは良くする。
家族を失ってしまった比名子にとって、汐莉はようやく戻ってきてくれた"保護者"であり、バケモンの長い手に抱きとめられることでようやく、人間に必要なものを思い出している感じがある。
でもさぁ...それと同じことを、美胡ちゃんもひっそりやってきてたらどうする!!?

...って状況に、人外探偵・近江汐莉が謎を暴いて、強引に持っていったわけだが。
美胡ちゃんが秘密裏に守りたかった、穏やかで幸せで動きがない人間としての幸せは、それを既に燃える海に飲み込まれてしまった比名子にとっては、やっぱ嘘でしかなかったのだろう。
太陽に守られるより暗い月に抱かれる方が、死んで家族のもとに帰りたいメソメソ女にはシックリ来るのだ。

人間の情や令和のコンプラ意識なんぞ投げ捨て、あっけらかんと真実に踏み込める汐莉の強さが、美胡ちゃんの臆病な優しさを突き飛ばしたわけだが、このまんま鱗くせー新参者にやられっぱなしなのか。
それとも獣の牙に情愛を乗っけて、自分だけの真実を吠えるのか。
次回伊予の夕暮れに描かれるだろう、陸と海の大決戦は大変見ものである。

画像は"私を喰べたい、ひとでなし"第4話より引用

というわけで露骨に撒いてた伏線を回収し、"こっち"側であることを暴かれた美胡ちゃん。
名前とのダブルミーニングで戦闘巫女かな〜とも読んでいたが、バッチリ人外でした!
でも明るく楽しく振る舞うコミカルなSDも、そういう陽性の努力が生み出す比名子の笑顔も、ただ嘘と切り捨てるには眩しいもので、「大事にしてやんなね...」って感じ。

唐突にぶっこまれたゆるふわ番外編+電波EDと合わせて、偽りの日常において美胡ちゃんがどんだけ比名子の太陽だったか、ここで書き直すのは良いなぁと思う。
嘘が暴かれ、顔が見えなくなっても、それが消えるわけじゃないのだ。

そんな汐莉がブン回す真実の刃は、人間の心が解んないバケモンだからこそ鋭い。
ここは美胡が真逆に足踏みしてたところで、多分比名子の痛みが解ってしまうからこそ、彼女は嘘であの子を包んだ。
明るく楽しい人間らしさを演じ、過去を忘れるぐらいの眩しさで何もかもかき消そうと足掻いた過去。
しかしそれは、魂の根本に暗黒をねじ込まれた比名子には、クリティカルな処方箋ではなかったのだ。

海に惹かれる死への意志は、失われてしまった家族への愛と深く結びついて、比名子の根幹をなしている。
その陰りを消すことは、比名子自身を消し去ることにもつながる。
だから汐莉の背負った影が、するりと比名子の胸に深く入った。

画像は"私を喰べたい、ひとでなし"第4話より引用

「んじゃあ自分も比名子と同じく影の住人であることを顕にして、離れたその手をもう一度繋ぎ直すしかないじゃんね〜〜ッ!」という状況に、一気に話が転がっていくぞ!

泣きじゃくる子どもに手を差し伸べたバケモノの優しさは、汐莉が突きつける真実によって引き剥がされ、哀しみから比名子を遠ざけようとついたエゴが、美胡ちゃんのエゴでしかない現状も暴かれた。

比名子自身は暗く死を弄び、それによって死せる家族を近くに感じたかったのに、眩しい光の中ではそれも叶わない。
だがそれは、確かに少女の手を現世に繋ぎ止める、大事な楔にもなっていた。

毛むくじゃらの身体を人の皮に包み、比名子の隣りにいても良い幼馴染の形を保つ、呪の籠もった存在証明。
それが黒い欠片に砕かれていく時、汐莉の繊手は比名子を守るように...あるいは縛り付けるように、靭やかに構えられている。
この指先だけが比名子を守りうるのかと問われれば、美胡ちゃんが積み上げてきた嘘もまた、同じ仕事を果たしてきたのだと、画面は答えてくる。

...正体判明の衝撃を次回に引くために、余った時間をほんわか番外編でウメた構成だと思うんだが、そこで描かれる当たり前な日々の尊さが、シリアスな本編を後ろから補強してもいたな。
前回電波なEDと合わせて、魔球でストライク取ってくるのズルくて良い。

色んなモノを暴き、痛みの奥にあるものをえぐり出さないと、死にたがりがなんで死にたがっているのか...その先にどんな生を望んでいるかは、見えてこない。
そういう真実探求物語もこのお話の顔の一つだと思うが、汐莉が遠慮なく踏み込む真実と、美胡ちゃんの優しい嘘が対置されていることで、なかなか立体的な構図になってきた。

その嘘の奥に一体何があるのか、美胡ちゃんを突き動かす比名子LOVEはまだまだ暴かれていないわけで、バトルの勢いでそこに踏み込み突き崩すことで、見えてくるモンは大きいんじゃないかな〜と思ってます。
やっぱよ〜、底抜けの太陽気取って泣いてる女の子を包み込みたかった嘘つきが、心臓に秘めた湿り気をぶっ放す瞬間ほど気持ちいいもの、世の中にないからな!
それが美胡ちゃんの中の真実だってんなら、今までの関係を壊すとしてもぶっ放して、その爆心地から新しく始め直すしかないじゃんねぇ...人生の結構な部分、比名子を守るための白々しい嘘のために、注ぎ込んでくれてるのは事実なんだし。

そういう好みの食材を手渡してくれたって意味でも、汐莉の容赦ない真実探求主義はいい仕事したと思う。
死にたがりな思いを隠して暗く生きてきた、比名子の嘘。
それは暴かれるべき矛盾であると同時に、そうならざるを得なかった事実の一部でもあって、複雑に絡み合ってあの子を支えている。

「その生きたがりな嘘に寄り添う仕事は、ぽっと出の海産物じゃなくて嘘つき狐がになってきたでしょ!」つう話でもある。
こういう込み入った事情を暴き立て、捻れた感情を素直に戻すには、ちょっと暴力的な踏み込みも必要だよね!!
...汐莉さんはもうちょい、生き延びるためには時に嘘を必要とする人間存在の機微ってのに、丁寧に寄り添ってみるのもいいと思うよ。

生と死、日常と非日常が背中合わせに絡み合って、簡単には切り離せない場所で、この物語は進行している。
その真ん中に立つ比名子の明暗は前回、汐莉によって深く踏み込まれ晒されたわけだが、嘘で日常を満たしてでも比名子を守りたかった、美胡ちゃんのねじれは、一体どんな業と愛に満ちているのか。

そこが汐莉との超常バトルの果て、しっかり見えてきそうで次回、大変楽しみです。
血腥い戦いを作品の中に練り込むことで、日常ではめんどくさく抱え込んでる感情を暴くだけの熱を生み出しているのは、面白い作りだなぁ...。
太陽小町の湿った感情、たっぷり食えるだろう次回...とっても楽しみです!

ワンダンス:第3話『オーディション』感想ツイートまとめ

相変わらず息苦しい海の底から、夜空の高さを知っていく。
音を食べて育つ青春の一歩一歩を刻む、ワンダンス第3話である。

相変わらずカボくんのナイーブな内省に、素人離れしたスピードで踊り手になっていく身体が追いついてきて、物語の少し勢いが出てきた。
やっぱ主役の才能と努力が手応えを得て、周囲に認められるだけの結果が出てくるとグッと面白くなってくる。
周りを伺いながらフツーに部活している同級生に比べて、カボくん達が独自の視座と態度でダンスに向き合ってる様子も、ここまで描かれてきたわけだし、オーディション合格は素直に嬉しい。

海を翔ぶには抵抗が大きい独自のフォルムで、それでも溺れず生きてるタツノオトシゴが、カボくんのトーテムであることも示された。
それはいつか空を高く翔ぶ龍になれる可能性でもあり、語りたい言葉を沢山自分の中に閉じ込めてきた、彼らしいヴィジョンだと思う。
自分が口を開けば場の空気を淀ませ、スムーズでナチュラルなコミュニケーションを崩してしまう後ろめたさが、彼に周りを見させ海の中に放り込むわけだが。
それでも彼は、色んな人がいる海に自分の位置を見つけたいと願っているし、ワンダちゃんの特別な輝きは、そんな願いを高い場所へと導いてくれる。
その特別さに、羊宮さんの声は説得力をくれるぜ...。

部内オーディションを通じて、顧問と部長を兼任している恩ちゃんの凄みも削り出されてきた。
第1話冒頭では肥大化した自意識に邪魔され、ちゃんと見つめることが出来なかった"先生"の凄さを、カボくんも二週遅れでようやく目に入れられる。
卓越したスキルと観察眼、何が「良いダンス」を成り立たせているかという認識と言語化
自分だけが巧いことを価値とせず、ド素人からダンス巧者までしっかり視て、しっかり伝えられる高校3年生がいればこそ、カボくんも才能を開花させていく。
そんな恩ちゃんもワンダちゃんと同じく、カボくんの背負ったハンディを気にしてない。
大事なのは眼の前の個人が生み出す、たった一つのダンスだ。

同時に基本的な技術を身に付けずに、個性が形をなすことなどあり得ないシビアなルールで、このお話は動いてもいる。
カボくんは恩ちゃんが教えてくれるダンスの基礎を、自分なり咀嚼しながらシコシコ練習し、手持ちの武器を組み合わせながらオーディションにて表現する。
音を聞き、音に動かされる根本に飛び込む体験は、彼が地道に練習を重ねたからこそたどり着けた高みだ。
喉の奥で絡まる音声言語の代わりに、ようやく見つけた自由な言葉を身につけるための切実さに背中を押されて、カボくんは常人以上の努力を積み重ねて、どんどん成長する。
そう出来るのは、ともすれば横に広がりすぎる視界を一心不乱に狭めてくれる、かけがえない仲間がいてこそだ。

オーディションの最中、あるいは目を瞑ってのヒットの練習において、二人のリズムは狙わず重なっていく。
場の空気を読み、合わせようとして合うディレイドな重なり合いではなく、手前勝手なセンスと欲望が、同じ音に乗っかって動き出した結果のユニゾン
それは何かと周りを見すぎてしまうカボくんが、手に入れた自由を濫用するのではなく、誠実に使いこなした結果の共鳴だ。
カボくんはずっとそこに行きたくて、周りの顔色や空気を必死に伺い馴染めなかったが、ダンスは彼に身勝手であることを要求し、肯定する。
隣り合う人、見つめる人との共鳴は、鳴り響く音楽が勝手に生み出してくれる。

それもエゴから生まれた思い込みで、自分の体が生み出す言葉を濁さなければ...の話ではあって。
真っ白なド素人だったからこその純粋さが、練習して解ってくるからこそ削れていく中で、また見えず聞こえずの深海に引きずり込まれていくだろう。
そうやってままならなさに潜り、踊ることで自分の体と...それを見つめる誰かのリズムと対話して、新しい舞踏を見つけていく。
カボくんの甘酸っぱい青春と、ダンサーとしての語彙の拡張が重なっているのは、やっぱ良いなと感じる。
部活モノとしての勝負論をちょっと遠くに離して、カボくんが自分のダンスを探すウロウロを丁寧に書く筆致もね。

画像は"ワンダンス"第3話より引用

今回もカボくんは深い海の底で息苦しくしていて、緊張で音を遠ざけていく。
それは自分のままならなさに苦しめられ、周りをよく見て口ごもる生き方を続けてきた、彼なりの生息域だ。
そこで空に飛び上がったり陸を駆けたり、海以外の場所に進みだそうとするのではなく、龍の子になってどうにか海で生きる道を探ろうとするのが、とても生真面目な少年らしいと思う。

そして泳ぎ方も息の仕方も、今は思い出させてくれる人がいる。
あの時約束させてくれたように、ワンダちゃんだけ見て踊れるなら、カボくんは音の海で自在に泳げる。

頭と言葉でこねくり回した「あるべきダンス」に縛られると、音を聞きそびれて早取りが起こる。
何も考えられないくらいに緊張して、何も考えなくて良い所までたどり着いたカボくんは、自動的かつスムースに流れる音楽と繋がり、それが同じ音を聞いているワンダちゃんとの共鳴を生み出す。

それは防音扉の向こう側、ひょいと覗き込んだホトにも届いていて、踊りを知るものだけにダンスという言語は届くわけではない。
ダチがハマりかけてたクソダサさを突き放し、飛び込んでみた新しい領域で溺れかけ息をして、生み出した鮮やかな波紋は、確かなメッセージを知らず発している。
そういう強さが、身体表現には確かにある。

カボくん独自の音の食べ方を、ちゃんと見ている恩ちゃんもそうだけど。
自分だけ見る特別な狭さを手渡されて、一心不乱であるがゆえに無意識で自由になれているカボくんの動きは、知らない間に二人の外側へ波紋を押し出している。
カボくんとしては自分自身とワンダちゃんだけで手一杯かもしれないが、部活という小さな社会に身を置き、閉ざされても中の様子は伺える扉の向こうから、「ダンスと出会ってしまった小谷花木」を誰かが見ている。

ずっと繋がりたくて、でも上手く泳げなかった海は、確かに彼の前に広がっているのだ。
だから彼が何かを掴んだ時の表現が、美しい飛沫が舞う水の中だったのはとても良かった。

画像は"ワンダンス"第3話より引用

カボくんを見つめる視線は双方向に開かれたもので、カボくんもまた先輩に声をかけられて輪に混じり、つっかえつっかえながら言葉を交わす。
アニメになってみると、カボくんが言葉を補うように身振り手振りを会話に交えていたり、相手や状況によって吃音の度合いにグラデーションがあるのがよく見えて、面白いなぁと思ったりするけど。

無心になれた時に彼の言葉はスムーズになって、ワンダちゃんはそういうカボくんをよく引き出すのが、声と動きがついてみると目立つ。
そうでない時の、難しさやぎこちなさも。

ワンダちゃんが家庭の事情でこれなかった練習で、カボくんは空が見えない狭苦しい場所に閉じ込められる。
苦手なはずの電話で、ずっと待っていた言葉が届いた時、ワッと視線が上に上がり、美しい星と開放感が世界に宿る。
ここの演出は、カボくんが一人だと身を置いてしまう場所の息苦しさと、そこから連れ出してくれるワンダちゃんの特別さを、上手く演出したなぁ、と思う。
前半水底のイメージが強かったからこそ、カメラがグイッと上に動いて空に動き、星を捕まえる流れも対比でよく聞いた。
海だけが、己と他者と世界のあり方に悩む青年の周りに在るわけじゃない。

知り合いにすぐ捕まってしまう、息苦しい牢獄として田舎を描くこのお話が、牢屋の壁にしている山嶺はとても綺麗だ。
カボくんが感じている息苦しさと真逆に...あるいはそれに寄り添いながらそびえる、青い揺り籠のような山間の町。
そこで出会ったダンスの妖精は、病弱な父一人抱えて当たり前に不自由で、だからこそ一緒に隣り合って歩ける生身の人間で、色んな難しさと自由を抱えている。
カボくんとは違ったリズムで、でも同じ足取りで。

その一個一個に思い悩みながら、身体でぶつかっていくことで拓けていく道。
悩み苦しんで探りあてた動きの一つ一つが、生み出す自分だけの舞踏(ワンダンス)

タツノオトシゴのアイコン、ウケて良かったね」と思える回で、とても良かった。
次回も楽しみだ。

忍者と極道:第3話『第二章 燃える仁義のカブチカ』感想ツイートまとめ

人外の闘いは、心臓抉られ首級が翔んでからが長いッ!
燃え上がる歌舞伎町地下を舞台に、規格外のグロテスクが暴れ狂う"忍者と極道"第3話である。

グラスチルドレン編までやりきるためか、ここまでかなり一気に走ったわけだが、それが結果として異様な圧縮力を生み出して、真顔で異常やりまくる作品独自の味が濃縮されていた。
一般人食い物にするド外道行為に勤しんでるくせに、自分たちを「孤独な弱者」と憐れむ極道共のズレっぷりとか、それはそれとして奴らなりに譲れぬ意地と矜持があったりとか、強者認定されてる忍者も油断一つでサクッと死んだりとか、この作品の基本ルールがよく見える闘いだった。
...ひどいチュートリアルだなぁ!(残骸に散乱する生首と、崩壊した歌舞伎町の惨状を見つつ)

暴力も笑いも悲哀も、ありとあらゆるボリュームが振り切れたイカレ味全部載せな仕上がりの作品であるが、タイトルに「忍者」を選んだのは伊達ではなく、敵の能力を看破し戦い抜く、忍法帖テイストはかなり濃い。
極道技巧VS暗刃、奇想天外な秘技を駆使して互いの命を狙う戦いは、ちょっとの油断や情が命取りになり、さっくり人は死んでいく。
手前勝手な憐憫に溺れつつ、他人の血で自分のアイデンティティ書き記そうとしてるクソ迷惑な外道どもを狩る忍者も、今回の陽日のようにあっさり斃れるのだ。
お互い刃を手に取った者同士、どっちがくたばるかの天秤は平等に揺れていて、そこには情も容赦もない。

なのだが、人外の殺戮マシーンなはずの忍者も極道も、胸の奥には深い傷と赤い血が流れており、イヤんになるほど"人間"である。
仲間を思い、哀歌を捧げる情の後ろでは歌舞伎町が大崩壊し、無辜の民がバンッバン死んでいるわけだが、そこに共感する神経残ってるなら、極道は極道にならない。
愛が極めて一方通行にしか作用せず、情が暴力としか繋がっていない欠陥人間どもが、血みどろの寂しさブン回して虐殺カマす以上、同じ異能を携えた忍者が殺して止めるしか無い。
それは異形の獣同士の潰し合いであり、誰が死ぬかわからないからこそフェアだ。
あるいはその公平性を生み出すべく、極道さんは"地獄の特急券"バラ撒いたのか。

殺すべき相手をちゃんと見据え、不幸しかもたらさぬはずの異能と悲惨な過去を、誰かを守るための刃に変える。
忍者は人間の側に立つことに成功できた極道だし、極道は己を刃と鍛えられなかった忍者だ。
お互いに通ったものを抱えているから愛で殺す事もできるし、暴力しか握ってないから語り合いより殺し合いが生まれてしまう。

マトモな判断なんぞお呼びじゃない、異常テンションで奇怪シチュエーションが踊り狂う戦場の中、鏡合わせの潰しあいは激しく熱く、そして哀しく転がっていく。
まーそれにしたって、極道共の被害者意識と共感能力のなさは凄いけどな...改めて声付きで描かれると、頼むから死んでおいてくれ感が溢れるね!

画像は"忍者と極道"第3話より引用

夢澤 VS 陽日、恵介 VS 忍者が同時並走するカブチカ大決戦。
酒と涙に酔いつぶれて忍者くんの初動が遅れなければ、特大チート持ちつつ冷静さが足りない陽日も、足元にしがみつかれる事はなかったかもしれない。
ここら辺、心を殺さなければ仲間が死んでいく忍者非情の掟を改めて変奏している感じもあって、個人的にはとても面白い。
珍妙語彙とイカレバトルを暴れさせているが、なんだかんだ古典をちゃんと踏まえた作品なのだよ...。

それにしたって、首飛び腹に大穴相手からが長すぎだけどな!
スナック感覚の人体損壊からしか、生まれねぇ熱ってのがあるわけよ!!

所詮無能力者と対手を侮っていた陽日に対し、夢澤は仲間との絆、燃え盛る意地、極道への信頼を総身にみなぎらせ、チート野郎を打ち取る大金星を成し遂げる。
友情・努力・勝利のヒロイズムを愛刀に照らし、なんかいい感じの本懐果たして死んでった感じが漂うけど、まー仲間がカタギ食い散らかすの気にしない、結構なカスだからねコイツ!
一応"侠"という規範が胸に残っているだけ、夢澤さんは比較的人間よりの極道であり、だからこそ八極道最弱なんだろうなぁ...。
人非人になればなるほど強いが、真実人間辞めれてないからこそ湿った情を抱えて外道頑張り、おかげでドンドン人が死ぬ。
や、厄介すぎるぜ極道の自己実現...。

首がぶっ飛んでからが長い、悲しき獣たちの過去回想。
みんなそれぞれ事情ってのは抱えていて、人間の輝きを信じられなくなるだけの傷も背負っているが、それは忍者たちも同じである。
どんだけ地獄を見たからって、世界や他人に噛みついて良い道理は何処にもなく、それでも噛みつかなきゃ生きていけない...噛みついてでも生きていたいのが、極道の救いがたき業だ。
そんなどーしょうもなさに、対等にぶっ殺し上から嘲笑わないことで、忍者は隣に並ぶ。
解り会えるはずもない正義と悪なんだが、悪を滅して人を嗤わず、愛で殺して外道を止める。
「罪を憎んで人を憎まず」という綺麗事に、ヤリ過ぎな暴力と異様なユーモアを携え全身で飛び込んで、描き切ろうと足掻くお話なのだ。
だからプリキュアだったら綺麗になって生き残る浄化技が、首チョンパにしかならないの!

それは、対等であるがゆえに凄惨だ。
極道が顔のない災害ではなく、確かに生きて間違えきった人間のなれはてだと認めているから、戦いの前に名乗り合いもする。
自分がどんな存在であったか、極道も解って欲しいから己を語り、哀しみと怒りを刃に乗せて襲いかかってくる。

「いや、フツーに話し合えよ...」というマトモさは、ここではもはや通用しない。
似た者同士でありながら、決定的に道を違えた獣たちの畢竟は、死んでなお止まらない極限の殺戮にこそあるのだ。
リヲタ同士楽しく話し合う日常は、忍者くんと極道さんに待ち構える地獄の未来を救うでなく、より悲惨に燃やす火種にしかならんわけだな。

同時にぶっ殺し合うからって、忍者と極道が抱えた愛やら哀しみやらが全部ウソになるわけではなく、むしろそれがあるからこそ世界に噛みつき、撒き散らされる悪行を殺して止めようとする。
どう考えても間違ってる殺戮の連鎖は、本来人間の一番キラキラした宝物であるはずの慈しみや優しさ...それが眩しいまま輝けない現世の地獄でこそ、芽を出す毒種だ。
プリンセスが綺麗な夢を守ってはくれない場所で、極道は自分たちが抱えた歪さのまま突っ走り、忍者はそれを刃に変えて誰かを守る。

殺し以外に道がない、亡者たちの煉獄。
そのやるせなさを中和するのに、真顔でトンチキぶち込みまくる独自の味わいは、かなりいい仕事をしている。
これで自分たちが抱えた悲惨さ、撒き散らされる殺戮の重たさに背筋を曲げて、笑えねー調子でぶっ殺し合いされてたんじゃぁ、飲み干すのは結構難儀だと思う。

やり過ぎ感満載のまま突っ走り続け、その狂いを嗤わない大真面目あってこそ、相当に救いがないお話が食べれてる感じはあるよね。
極道どもがさんざんぶっ殺しておいて自分たちを「弱者」呼ばわりする、歪な憐憫も、真顔過ぎて笑えてくるヤバさで書いてて偉い。
どう考えても間違ってんだが、それを正せる正気ってのが欠片も残ってんなら、真っ当に生きることを諦めた弱虫なんぞに堕ちてないからなぁ...。
それでも救われたいから、極道無明は抜けがたいって話よね。

画像は"忍者と極道"第3話より引用

児童臓物売り飛ばされそうになった陽日は、己の異能で世界を焼き、忍者に手を取られて闇から這い上がる。
地獄の業火も涼しい風と嘯けるほどに、己を鍛え上げた(鍛え切らなきゃ死ぬだけだった)忍者がいなけりゃ、陽日は最悪の極道になっていただろう。
そこで優しい誰かの手が伸びてくるかは運でしかないし、よりにもよって極道に手を差し伸べられたからこそ、夢澤は仲間との絆で殺しに励む、優しいヤクザになってしまった。

不倶戴天の敵同士を切り分ける境目は結構危うくて、歪んだ鏡合わせでバケモノ達が踊る。
はー...アニメのガムテかなりイイな...。

この歪な鏡像関係は、仲間の死体から絞った血涙でしか泣けない極道さんと、戦場に身を置いて受けた傷から赤い涙を流す忍者くんの対比にも鮮烈だ。
そこで己の虚無を隠さない不思議な誠実さが極道さんにはあって、でもそれは誰も救わない。
自分自身絶望していた陽日の異能に、燃やされることなく手を添える強さと優しさを持っていた10歳の忍者とは、真逆の奈落が広がっている。
逆にいうと、ここで泣けてしまえることが殺戮機械ギリギリの救いであり、忍者くんがこのお話の主役をやっている理由なんだと思う。
誰かの骸を前にして泣けるからこそ、心から笑いたい。
その好機は、本当に死ぬ瞬間にしか来ないのか。

今回夢澤が成し遂げた金星によって、忍者と極道は魔薬の力借りて対等ってのがよく見えた。
殺して殺して死んで死んで、敵も味方もあっさり倒れていく血みどろの道に、安全圏はない。
戯けた態度と無限の殺意を兼ね備えた、主役の影たる殺戮道化もいい感じに存在感を主張し、歌舞伎町が崩壊しても物語は続く。
自己憐憫に酔っ払ったクズどもが、なんかいい感じのお歌がなり立てる隣で、バンッバン一般人死んでるのちゃんと書くの、ピーキーながら独自のバランスだなぁと思う。

愛もある、悲しみもある。
でもテメーらの外道が、まかり通っていい理由は何処にもない。
そう信じればこそ、忍者の眼は血と涙に染まるのだ。

極道たちも、自分たちがブン回してる外道がまかり通って良いはずがねぇと解りつつ、ブレーキ踏めずに地獄に真っ逆さまな、はた迷惑なボケカスである。
忍者の異能が自分たちを愛でぶっ殺してくれることは、地獄の鬼に成り下がったクズども最後の希望であり、それを全霊で受け止めるためには黙って殺されるわけには行かない。

自分の全部を絞り尽くし、眼の前の鏡に叩き込んで吐き出しきって、ようやく自分じゃたどり着けない奈落の底へと、ゴミは自分たちを投げ捨てられる。
「テメー自身で始末しろよッ!!」としか言いようがないが、しょーがないじゃん自分じゃできないんだからッ!
忍者たち、地獄の公共事業頑張って偉いね...。

殺し以外に救いの手立てを持たない忍者が、極道に殺される対等さを手に入れてしまったのは、厄介でありある意味幸せでもあるな、と思う。
"地獄への特急券"がなけりゃ、クズどもが被害者ぶってるとおり、一方的に殺されるだけの弱者のままだ。
「んじゃあテメーらが一方的に殺し奪う、フツーの人たちはどうなんだよ!」って話ではあるんだが、そういう人の牙になるために、忍者は異能を刃に鍛える。

マトモな社会を成り立たせるそういうシステムに、狂った牙を突き立てた極道の反逆は、夢澤の荼毘を狼煙にまだまだ続く。
一人一殺地獄絵図、油断も隙もありゃしない。
次回、どんな血みどろが描かれるか。
楽しみですね!

ワンダンス:第2話『ダンス部の男女比』感想ツイートまとめ

見る/見られる、語る/語りかけられる。
聞き届け/言葉を返す。
音なき身体言語の自由さに惹かれたはずが、付きまとう誰かの視線と自意識の鎖。
木石ならぬ人間だからこその難しさを、引きちぎるための悪戦苦闘を追う、ワンダンス第2話である。

男女比95:5の完全アウェーに飛び込み、ガチガチに体を固めつつ自分なり音を聞き、体を動かす。
ダンスと出会ってしまったカボくんの地道な努力を、彼が受け入れられる他者であるワンダちゃんの眩しさと混ぜ合わせながら描くエピソードとなった。
柔らかな態度でダンス部を主導しつつ、当人が気付いていない初心者の特長に目をやってる恩ちゃん部長の凄みには、まだ気付けないカボくんであった。

カボくんの吃音が周りを見すぎ、聞きすぎ、何かを語りたがり過ぎているからこそ生まれるものだということは、前回しっかり描かれた。
ダンス部に足を運び、疑問と緊張まみれの初心者なりに体を動かす中で、その過剰な感受性が武器になりうることが、だんだんと見えてくる。
音をしっかり聞いてニュアンスを取り、自分がその身体でどう"喋っている"かを、一人きり鏡に向き合う時カボくんは先鋭化させていく。
それは結構非凡な才能で、フリーを嫌がる経験者たちにはない個性になりうる。
...んだが、カボくん自身はそういう特殊性になかなか気づけず、無明の中で一人もがいている。
少なくとも、これまではそういう状況だった。

しかし出会ったときから目を奪われ、憧れとして追い続けるワンダちゃんを鏡にすることで、カボくんは自分に何が出来るのか、だんだん掴んでいく。
ワンダちゃんもそうやって縋るカボくんを置き去りにせず、彼が見えていない自己像を照らし、捕まえて視野を狭めてくれる。
見え過ぎ、聞こえすぎてしまうことが鎖になるのなら、私だけを見て踊れば良い。
一見独善とナルシシズムが匂う言葉だが、ひたすら無心に踊れるワンダちゃんから出てくると、相手をよく見た優しさから出ていることが判る。
そういう人と出会い、ダンスで繋がれているのは、過剰な感受性に振り回されてきた青年にとってラッキーだなと感じる。

音を聞ける感受性以外にも、ストイックに努力し工夫できる才能もカボくんにはある。
ホトが振り回したフツーなヤバさを跳ね除け、ダンスに向かって突っ走ったように見えても、バスケに費やしていた時間が培ってくれた感性が、カボくん独自の踊りに繋がってもいる。
まだまだぎこちないけど、たった一つカボくんだけが綴れる言葉が彼の中には眠っていて、しかしそこにたどり着くには一人きりでは難しい。

孤独に深く沈み込むと同時に、そこで見つけた自分を広く解き放つ。
カボくんが出会った「喋らなくていい言葉」は、ともすればフツーに喋るより難しく、だからこそ自分だけの語彙を身体に喋らせることが出来る。

自分でいいと思えたことを信じてやり続けるのと同じくらい、誰かが見つけてくれた未発見の良さを取り込むことがそこでは大事で、カボくんは自己と他者、考えることと聞くことの難しいバランスを、踊りに夢中になりつつ探っていくことになる。
その探求が、なかなか上手く回ってくれず他人と繋がる障害にもなる個性と、どう向き合っていくかの助けにもなるだろう。
上手く踊れるようになって、吃音を"倒して"ハッピーエンド...というより、吃音である自分が他者性の海原の何処にいて、何を求めているかを知ること、それを踊りで語ることを、遠い目標に据えての旅である。
この内省に、内山くんの抑えた芝居がよく刺さる。

その旅は周りを伺わず、ひたすら自分の願いに素直なダンスの妖精がいればこそ成り立つ。
今はカボくんに与えてばかりのワンダちゃんに、何かを手渡し返せるだけのダンサーになることも、こっから本格始動するカボくんの旅路の大事な目標だ。
一方的に追いすがり、与えられて見つけるだけのアンフェアな関係では、瑞々しいはずの青春もいつか膿んで腐っていくだろう。(その不健全な難しさも、青春の醍醐味ではあるんだけど)

幸いカボくんには豊かな(豊か過ぎる)感受性と、それをフィジカルで独特な表現に変える個性があるわけで、シコシコ修行に励む中で、自分だけの言葉を手渡し、恩返しするチャンスもあるだろう。
つーかそうならなきゃ、ワンダちゃんの人間としての顔も、良く見えないしね。

画像は"ワンダンス"第2話より引用

そこら辺は先の話として、出会いを終えた後も続く日常の中、ダンスと出会ってしまった青年は夢中になって自分を踊らせる。
ごぽりと息苦しい深海に囚われつつ、一人きり鏡の中の自分に向き合って、ダンサーとしてハラを固めた自己像を探っていく。
キョロキョロ周りを見渡して、自分を縛る視線の鎖が無いことを確認してから、窓ガラスの鏡にレッスン頑張る姿は、とても良かった。

そんなダチの変化に、ちょっとぎこちない姿勢でホトが近づいてくれるのも。
迸る熱さで道が隔たれたように見えても、全然修復可能な柔軟性が彼らの青春にはあって、その自然な柔らかさが俺は好きだ。

女社会の異物として、ただでさえ苦手な誰かからの視線を否応なく意識せざるを得ない状況に折れず、カボくんはシコシコ地道なトレーニングに励む。
誰かの視線がない孤独の中で、彼は自分の体がどう動くかを確認し、未知なる身体と語り合う。
ホトと一緒にボールを追った経験が、拍を取る感覚に繋がっている描写でもそうだけど、カボくんは内面的な身体感覚を鋭敏に言語化して、一瞬のひらめきではなく再利用可能な技術に変えていく能力が高い。
センスとスキル両方が必要な、身体表現競技に挑むには、かなりの強みと言えるだろう。
そうやって自分の体と会話するのが、苦にならない青年でもあるわな。

この内的対話が外に発音されるとき、ギシギシ軋んでしまうのがカボくんの難しさでもある。
音声では意図してないノイズが乗ってしまう想いを、ダンスという言葉なら自由に伝えられると憧れて始めたわけだが、当然そこには個別の難しさがあり、初心者の身体はなかなか思い通りには動かない。
だが汗一つかくごとに、確かに何かを見つけてダンスの語彙を増やせた実感があればこそ、カボくんは馴染のない技術体系に己を投げ込み、夢中になっていく。
ここら辺の前のめりな感じが、寡黙で朴訥な青年が思いの外体温高い描写に芯を入れていて、なかなか面白かった。

後にワンダちゃんが見つける、言いたいことが身体の中に詰まっていて、でも言葉にならない苦しさ。
ダンスという大系、己の身体、流れる音楽を感覚しながら汗を流す時間は、それを飛び越えさせてくれる身体言語を、確かにカボくんの中に積み上げていく。
そうやって自分だけの辞書を編み上げていく喜びが、カボくんを突き動かしている爽やかな快楽が、抑えめなトーンの中で元気だったのは良かったと思う。

周囲の人にはなかなか解られにくいんだろうけど、ダンスと出会って汗を流す日々は、とても楽しいはずだ。
やっぱなー...ホトがそれを解ってくれてる感じで、ぎこちなく距離探り探り近づいてくる姿が好きだ。

画像は"ワンダンス"第2話より引用

カボくんは瞳を閉じて外界を遮断し、音を浴びる時に上手く...あるいは自分らしく踊れる。
その特異なセンスを恩ちゃん部長は既にちゃんと見ていて、アドバイスで縛り付けず自由に羽ばたくのを見守る余裕もある。

こういう人が"部長"だったのは、ワンダちゃんと出会えたのと同じくらいのラッキーなのだが、ダンスと出会ってしまった自分、その視線の先にある妖精に夢中なカボくんは、まだそこに目を開けれない。
でも感性が鋭く、他人が自分にしてくれていることに敏感な青年なら、ちゃんと告げるべき言葉を告げ返せると思う。
そのための言葉を、今必死に身につけつつあるわけだ。

カボくんは根暗なダサ坊ってわけではなく、好みの音楽や拍子があり、それにどう乗っかればいいのかを考える頭もある。
周りの目を気にしている時は、どう踊るのが「正しい」のかを過剰に考えすぎてしまうけど、自分だけのセンスとフィジカルに向き合った時は、どう踊るのが「気持ちいい」かに潜れる。
この自己洞察力と感性は、一般的に認識されてる「ダンスっぽさ」とは真逆に見えて、舞踏という表現の心臓なんだと思う。
自分の外側に流れている音を聞き、それが自分の中でどう響くか、どういう動きとして語りかけたいのかを、体を動かしながら確かめていく行為は、身体的であると同時に思弁的だ。

同時に自分が今まさに高鳴らせている心臓が、どういう機序で動いてるのか自覚できていない難しさも、カボくんに深く突き刺さっている。
ワンダちゃんに言われるまで、多分彼は自分に伝えたいことが沢山あって、それが言葉にならないから苦しいということに、思い至ってなかったと思う。
それを言葉にして伝えてくれる、かけがえない鏡と出会えたことは、彼を深く暗い海から引っ張り上げて、自由に羽ばたける空へと連れて行く...のか?
ワンダちゃんと一緒に、スキルを磨き感性を豊かにする修行を頑張る中で、カボくんはもっと自分らしい自分へと、己を解き放っていくのだろう。

そんな旅の仲間として、「私だけを見なよ」とほっぺた掴んで語りかけてくれるワンダちゃんは、優しいし強いなぁと思う。
カボくんが彼女に救いを見出したのと、釣り合う重さなのかは判らんけども、彼女なりカボくんに期待し受け取るものがあってこそ、ここまでしてくれるのだろう。

それがどんな形をしているかも、「ダンサーである自分」を世界に解き放つ覚悟を固めつつある青年たちは、踊りながら探っていく。
何をするにしても体を動かし、体に聞き、体に喋らせながらのフィジカルな足取りは、ダンスという身体表現に出会ってしまった青年たちに相応しくて好きだ。

俺は花木という主人公のネーミングは、本当に面白いなと思う。
花も木も喋らないと一般的には思われているけど、生け花が生業の一環である自分の感覚としては、彼らはとても良く喋る。
季節のこと、自分が育ってきた必死さ、命がそこにある手触りを、鋏で断ち切り花器に生ける中で、確かに聞き届ける感触があるのだ。
この花木の豊かな言葉は、多分聞こうと耳を開けている人にしか届かない声で、でも開け放ってみると極めて雄弁で豊かだ。

カボくんも、そういう音にならない言葉を常に発している。
自分自身聞き届けられなかった声を、周りを気にしていない自由人は、しっかり聞き届けて手を伸ばしたのだ。
ワンダちゃんが花木の無声を聞き届けたからこそ、カボくんは実はお喋りな自分を見つけられた。
そんな自分を解き放つのに、周りの視線が気になるというのなら、狭く深くたった一つ、自分だけを見つめて踊れば良い。

そうやって、不自由で不器用な青年がもっと自分らしく生きるための処方箋を、ぎゅっと手渡してくれる人は、偉いし凄いなぁと思う。
空気読めてない不思議ちゃんのようでいて、ワンダちゃんもよく聞き語りかけれる人よね...。
そんなふうにお互い向き合いながら、彼らは自分だけの表現を、身体の言葉を探していく。
そんな自己探求が、"大会"という社会活動と繋がるのが部活ってもんだが...さてどうなるか。

東島丹三郎は仮面ライダーになりたい:第3話『嫌いが好きになるとスゴク好き』感想ツイートまとめ

四十年分の情熱が引き裂いた、現実の裂け目から這い出す魔人どもの声を聞け。
空想と現実の境界線がどんどんあやふやになっていく、"東島丹三郎は仮面ライダーになりたい"第3話である。

リアル戦闘員降臨の衝撃も冷めやらぬまま、蜘蛛男が出てきて人間泡に変えるし、新たなコンタクティーがファミレスで接触してくるし、そいつを監視する女戦闘員が正体表すし、怒涛のような展開である。
なのだがそれに翻弄されてるはずの東島が、一番テンション高く頭おかしいので、クレイジー比べで全然負けていないという...。
ほっぺプクプクお目々キラキラのとっつぁん坊やが、スゲー興奮してる姿はキモくあり可愛くもあり、複雑な味だ!

ユリコとのライン交換に超キョドる東島には、エロ妄想で頭パンパンにしている高校生のような下心はない。
とにかくライダーが大好きであり、その気持ちがようやく現実となって自分に追いついてきてくれた現状が嬉しくてしょうがなくて、同志たるユリコと気持ちを共有できるのが楽しい。
成人男性がフツーに持ってるはずの打算や計算を、全部投げ捨てて本気のごっこ遊びになれる、髭面のピーターパンこそがこのお話の主役である。
眼の前で人間泡になってんだから、もうちょいビビっても良さそうなところだが、黄金色の悦楽の前には人死(自分の命含む)なんぞ些事である。
まー狂っとるわな。

しかし戦闘員も怪人もゾロっと世界に溢れ出してきて、実際投げたり蹴ったり勝ったり出来る相手になった以上、狂気こそが正常であり、マトモであることはなんの役にも立たない。
燃え盛る情熱を抱え、どんだけ自分を突き動かす狂気に純粋になれるかが問われる話になってきた以上、東島がキラキラお目々でぶん回す純粋さは、間違いなく状況を打破していく武器(あるいは凶器)であろう。
ここら辺、一応教職につけてるユリコが常識とクレイジーのまだら模様なのに対し、ピュア狂気一本で突き進む東島とのかき分けが出来てて、ライダー狂いにも色々あるな! 人生だな!!」って感じになる。

同時にクレイジー生命体を観察してゲラゲラ笑うだけで終わらない、怪奇でおぞましい感触もしっかり出てきて、地獄のライダー志願兵どもが世界の裏側で蠢く影に抗えるのか、いい感じにビリビリしてきた。
まぁファイルーズさん渾身の病み演技で、「あ、戦闘員側も相当キテるな...」と思わされる、ユカリスとの対決がどうなるか次第って部分も、結構あるけどさ。
店長の爽やかな狂いっぷりを飲み干した直後に、それを上回るショッカー側の脳髄ピキピキ人間が乱入カマしてきて、全然テンション落ちる気配がないの、キマった話運びで大変いいと思う。
醒める気配は、画面の外側においていけ!
今はこの狂気に飛び込めッ!!

そんな感じでスーパー狂人大殲の様相を呈してきたわけだが、ショッボいショッカー強盗で世界の関節が外れるきっかけを使ったヤクザも、相当なショッカーキチっぽい匂いが漂っており、こっちに「入門」してくる気配濃厚。
東島を筆頭にこの作品の正義の味方ワナビー、「ライダーが背負っていた正義や哀しみを、自分の人生に引き受けてしっかり生きてくぞ!」とかいう、バランス取れた生き方なんぞ欠片も出来ず、ひたすら「あるがまま、生のライダーに為る」ということに囚われている、超実践主義者ばかり。
なのであのツダケン声が、悪の改造人間に"為る"物語を背負ってくれると、話が多角的になって面白そう。

まぁその前に、愛が高じて狂った女戦闘員をぶっ飛ばさなきゃならんのだが...。
想定していたより、人生の大部分ライダーに"為る"事に費やした狂人たちの功夫が、理外の魔人に通じていたので結構やれるかな、という印象。
やっぱリアルな肉体スペックだの、怪異なる人体改造の成果だのより、一本気な狂気を貫き通す灼熱のロマンティシズムこそが、このお話での"強さ"を決めるんだと思う。
どんだけ本気で狂えるが大事になってくる世界で、誰かを愛しすぎて擦り寄る女をボコる狂熱は大変いい感じだと思うので、ユカリスには出落ちで終わらぬ活躍を期待したい。
つーかアニメだと、ヨクサル絵がちゃんと可愛くなってビビるね...。

画像は"東島丹三郎は仮面ライダーになりたい"第3話より引用

というわけで待ってましたの青天の霹靂、遂に現実へと抜け出した本物ショッカーとの初戦は、仲間割れも合体攻撃もアリアリの大騒ぎ。
フツーの犯罪をつまんなそうにやってたヤクザは、蹴り一発で天井に埋めるのに、発酵に発酵を重ねた40年物のライダーオタクのパンチには、戦闘員も思わずガードを固める描写が、この物語での"強さ"がどこから絞り出されるのか、良く語っていた。

つまり、ノーモーションで味方を殴り飛ばし、絶対に受け身が取れない投げを硬い床の上でぶっ放せる女が、一番やべーって話。
その頭部固定はヤバいッ!

殴られてなお陶酔する東島くんのエクスタシーとか、自称タックルのやりたい放題とか、コミカルな部分もあるコンビニ地獄絵図だったが、戦闘員とは一線を画する実力を垣間見せた、蜘蛛男さんがしっかり怪奇にシメてもくれた。
ライダーが好きすぎて頭がおかしい男女がドタバタやるだけだと、やっぱユルくなりすぎる感じなので、容赦なく目撃者も敗北者も泡に消していく怪人のシリアスさは良かった。
東島たちがここで死ななかったのは、怪人の気まぐれってだけなんだが、それがこの後の未来にどう影響してくるのか...リアルショッカーとのせめぎあいも楽しみである。

東島もユリコも、怪物的に肥大化したエゴゆえに、空想存在と互角に戦える強さを得ている。
手前勝手で社会の規範からぶっ飛んでいるからこそ、面白くもねぇ常識をはみ出すショッカーと殴り合い、生き延びられるのだ。
つまりは警察に連絡したり手を取り合って協力したりする、フツーの解決法から縁遠いって話でもあり、今後も極限ライダーオタクたちは自分たちの望むままに、こだわり満載で死地に赴くことだろう。
「その結果死んだとしても、ロマンに殉じた結果であって悔いなし!」と、真顔で言い切れるくらいの狂気がないなら、この闘いに参加する資格はないのだろう。
...ヤクザ、そろそろつまんねぇ犯罪止めて"証"見せろ。

画像は"東島丹三郎は仮面ライダーになりたい"第3話より引用

そして堂々と"証"を見せびらかすライダー狂人たちが、スルッとファミレス入り込んでコンタクティー仲間と楽しく語らってるの、作品世界全体のイカれ度たけーなって感じだ。
テンション高く内面をモノローグしてる時には気にならないものが、ファミレスという日常の象徴に場面が写った途端、あり得ない異物として立ち上がってくるの、良いシュールさだった。

やっぱコイツラ、社会に馴染めない強火のイカれであり、しかし狂った妄想こそが世界の真実だった時、戦えるのは逸脱者だなぁ...。
ちょっと"Changeling: the Dreaming"っぽいね。(TRPGプレイヤーの感想)

初対面のお客様(街中で堂々のライダーコス)相手に、六時間大長編ぶっ放せる店長もまぁ相当なイカレであるが、彼の回想が不思議なノスタルジーとリアリティを宿して、独自の手触りあったのはとても良かった。
人間社会に潜り込む...にしてはどっかぶっ壊れてて、結果ヤクザ殴って家燃やす凶行に及んだ戦闘員は、それでも美味しいトマトを手渡してくれる人だった。
あのやり取りからは、人喰のバケモノが人の皮被って社会に紛れている怖さよりも、バケモノなり人間を装って不器用に生きていたペーソスの方を感じる。
まぁ結局、人外の膂力で手足を捻じ曲げ、被害無視してボーボー家燃やす、人間サイズの猛獣としてしか生きられないけど。

世の中の数多の子どもが、テレビの中の英雄を絵空事だと思い知り、それでもいい思い出として胸に刻んで、フツーに小さな正義を守って生きていく。
東島はそういうフツーに収まらず、ほっぺた真っ赤な髭面ピーターパンとして、夢を叶えるチケットを暴力的にもぎ取った。
この狂気一本槍な自己実現に対し、店長は唐突に世界の歪な真実に遭遇してしまった側であり、フツーに生きれたかもしれない人生を捻じ曲げられた側である。
どーも家庭菜園屋敷炎上事件は、彼の英雄戦記においては序章でしかない感じで、どういう地獄を経てリアルライダーになったのかは、大変気になる。
この人も職業を得て、人間のフリが出来てる狂人かなぁ...。

ファミレスで一息ついたことで、社会の中での自分の立ち位置を冷静に観察できてしまえるユリコと、ずーっとアクセル踏みっぱなしでとっくにそこから脱落している東島の違いが、良く見えた気もする。
でもその逸脱が、ひたすらにライダーが好き過ぎる純粋さの結果だということも、ライン交換に超キョドる東島の姿から見えてくる。

ようやく出会えた"本気"を共有できる仲間と、喋りたくて喋りたくて仕方がない落ち着きのなさが、髭面に似合わぬピュアさを強調しててキモかわいい。
どんだけヤバくても、東島の純粋さに嘘はないのだ。
...嘘がないからこそヤベーわけだが、そういう正気を保って戦える場所じゃないの!

画像は"東島丹三郎は仮面ライダーになりたい"第3話より引用

んでそういう発狂聖域に、狂愛の女戦士がエントリーだッ!
明らか命が絡む異常事態が発生してるのに、エロ妄想一本で一生ハァハァ出来てるマサオも大概だが、やっぱ戦闘力と洗脳を伴うモノホンは違うな!

...コンビニや菜園屋敷の戦闘員の、冷えてズレた非人間感に比べると、ユカリスのヤンデレ血液はだいぶボコボコ沸騰した温度してて、戦闘員の中でも異常個体なんじゃねぇの? という気はするが。
つーか店長、バイトのJK喰っちゃってるんで、そっち方面でも逸脱者じゃないの!
涼しげな印象だけで判断しちゃダメだなやっぱ!

コンビニからファミレスまで、あらゆる場所にショッカーが潜んでいて、狂気の真実を知ったものには唐突に牙を向いてくる感じは、なかなかにヒリツイていて良い。
このホラーな手触りを、パンパンに膨れ上がったエゴと狂気でぶん投げるギャップがまた痛快なわけだが、さて女の戦いの行方はどうなるのか。

たかがヤンデレ純愛程度、二代目タックルを自称するぶっ壊れ人間の"熱"を飲み込むには足りない感じもあるが、情念系同士のぶつかり合いを通じて、作品がどういうルールで動いているのかも次回見えてくるだろう。
基本イカれてるほど強い精神主義で進んでいくんだろうけど、それを冷徹に殴り飛ばす圧倒的な強さのリアリティを、誰かが体現してくれるとより面白い感じもある。
それはライダー志願の狂人どもが、しばらく暴れまわった後の話になるかな?

狂気VS狂気...どう考えてもマトモには収まらない。
そういう話だからおもしれぇんだよなぁ...次回も楽しみ!

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