2023年4月2日日曜日
博物館出前学習 玄界小学校編 その2
福岡市博物館ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
前回に引き玄界島と博物館の活動のこれまでのあゆみをご紹介します。
前回のブログはこちら → 福岡市博物館ブログ: 博物館出前学習 玄界小学校編 その1 (fcmuseum.blogspot.com))
玄界島の皆さんと博物館とのお付き合いは、昭和47(1972)年に開館した福岡市立歴史資料館時代まで遡ります。同資料館は、昭和53年に玄界島の考古・歴史・民俗資料の所在確認調査を行い、昭和60年に企画展「海に生きる」を開催しました。
これらと並行して、玄界島の皆さんのご協力をいただき、くらしの聞き書き調査や付近の海底調査を行う中で、漁具や生活道具などの民俗資料が福岡市に寄贈されました。
これらの資料は平成2年の福岡市博物館の開館に伴い引き継がれ、さらに新たな寄贈資料も加わって、今日に至るまで玄界島の歴史と文化を伝える資料が少しずつながらも拡充されてきました。
それまでの取組みに大きな変化が起こったのは、平成28(2016)~29年度に博物館が実施した「博多湾岸《金印ロード》プロジェクト」がきっかけでした。この事業では、島の皆さん特に子どもたちと博物館が協同して、市内の島しょ部の歴史・文化を博物館から、あるいは現地から発信する取り組みを行いました。
平成29(2017)年3月11日は、玄界島の文化が震災を機にどのように変化したのかを考えるシンポジウムを開催し、同日と翌週18日は「玄界島DAY」と銘うち、島の子どもたちを博物館に招いて、常設展示室で玄界島の歴史を学び、震災以前に玄界島から寄贈されたさまざまな資料を直に見てもらいました。子どもたちは初めて目にする島の生活道具を前に「これは何?」と尋ね、同行の保護者が懐かしそうに「これは荷物を運ぶ道具」などと答える姿が印象的でした。この時、参加者の多くから、震災前の島の様子を伝えてくれるこうしたものを、足腰が弱った高齢者や、日中は海で働いている漁師の人たちにも是非見せたいという声が寄せられました。
そこで翌年3月には、福岡市博物館として初めて、寄贈された資料を里帰りさせる取り組み「おでかけ博物館in玄界島『玄界島の記憶と記録』」を行いました。
玄界島の集会所を会場に、2日間にわたって里帰り資料の展示、福岡市立歴史資料館時代に海底調査を行った当時の職員らを招いての水中考古学講座、小学生よる高齢者への聞き書きワークショップなどを行いました。
里帰り展示の時間は、漁師さんの生活リズムに合わせて初日は午後2時から夜の9時までに設定し、2日目は午前9時から午後3時までとしました(両日ともに開場前から玄関で待機されていた方も!)。会場では、かつて実際に道具を使っていた皆さんが、それらの道具の使い方を子どもたちに身振り手振りを交えながら熱心に語る姿がみられました。
またこの時、地震の被害から免れた古文書や武具、あるいはかつてのくらしの道具をお持ちいただいた方々もあって、それら貴重な資料が博物館へ新たに収蔵されることになりました。
こうした事業を通して、玄界島の皆さんと博物館は、着実に新たな関係を深めてきました。(削除) (削除ここまで)
もうひとつのエポックは、令和3(2021)年8月15日に行った玄界島の盆綱引き調査でした。折しもコロナ禍にあって、博物館職員にとっては久しぶりの玄界島でした。
偶然お会いした玄界中学校の校長先生とお話しをするうち、博物館資料の特別観覧制度の話題になりました。これは博物館に保管されている現物の資料を、調査研究等のために特別に見ることのできる制度です。玄界中学校ではさっそくこの制度を利用し、10月に生徒さんたちが、恒例の博物館体験学習に来館された際に、玄界島沖の海から引き揚げられた磁器や、島の生活資料を見ていただきました。
この日は、玄界島にいらっしゃる先生方にも参加していただくために、オンラインで中学校とつなぎ、ハイブリッドの閲覧形式をとりました。資料の中には生徒さんたちが初めて見るものもありますが、素材を変えて今も使用されている漁具もあります。生徒さんが道具を手に取り「ウニの中身をこうして分けるための道具です」と引率の先生方に説明する場面もあって、普段とはまた違う生徒の一面を見て先生方が驚かれる場面もありました。
その1でご紹介した玄界小学校への出前学習は、これまでの博物館との交流のなかで形となったものでした。
私たち博物館職員にとっては、資料や聞き書きの情報などを活用した新たな交流を通して研究につながるヒントを得られています。それらの集まった情報は、地域の歴史文化の財として形になることもあります。
地域の課題に、博物館が持つ文化財や知財などをどのように役立てることができるか。玄界島の皆さんとの交流をさまざまな形で続けながら、博物館ができることをこれからも一緒に考えていきたいと思います。
玄界島についてはこちらから 玄界島自治協議会ホームページ http://genkaijima.com/
玄界島に関係する展示のアーカイブはこちらから 企画展示「島とくらし-玄界島-」http://museum.city.fukuoka.jp/archives/leaflet/512/index.html
(文責:河口綾香 補助:松尾奈緒子)
2023年3月31日金曜日
【別冊シーサイドももち】〈031〉開局! よかトピアFM(その5)今日のゲスト 7月
埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。
この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。
本についてはコチラ。
この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。
過去の記事はコチラ。
第2回 (「ダンスフロアでボンダンス」)
第3回 (「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
第4回(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
第5回(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
第6回(「最も危険な〝遊具〟」)
第7回(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
第8回 (「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
第9回(「グルメワールド よかトピア」)
第10回(「元寇防塁と幻の護国神社」)
第11回(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
第12回(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回 (「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回 (「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)
第25回 (「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)
第26回 (「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)
第27回 (「開局!よかトピアFM(その3)今日のゲスト 3~4月」)
第28回 (「まだまだあった! 幻の百道開発史」)
第29回 (「開局!よかトピアFM(その4)今日のゲスト 5~6月」)
〈031〉開局! よかトピアFM(その5)今日のゲスト 7月
おなじみのバンド、地元出身ミュージシャン、売り出し中の勢いのある新人に、まさかのあの方まで、多彩なゲストを迎えてアジア太平洋博覧会を音と声で盛り上げた「よかトピアFM」。
今回も引き続きゲスト編です。
季節は夏を迎えて、FM局では旬なミュージシャンをますますたくさん迎えたようです。
【7月】
03日 川嶋みき(川島みき・川島だりあ)
04日 SING LIKE TALKING(シング・ライク・トーキング)
05日 SHOWER(シャワー)
06日 いんぐりもんぐり
07日 GRAND PRIX(グランプリ)
09日 南こうせつ
11日 THE STREET BEATS(ザ・ストリート・ビーツ)
13日 小森田実(コモリタミノル)
14日 LOUDNESS(ラウドネス)
14日 Sheila Majid(シーラ・マジッド)
14日 三宅裕司
16日 徳永英明
19日 ZIGGY(ジギー)
20日 河島英五
24日 桑名正博
25日 高橋研
よかトピアFMに出演されたのは、「川嶋みき」名義での最初で最後のシングル『Winding Road』(6月21日発売)を発売し、アルバム『Natural Hearts』(7月21日発売)のリリースが近付いているときでした。
のちにはバンド「FEEL SO BAD」を結成され、アニメ『地獄先生ぬ~べ~』(テレビ朝日。原作は真倉翔さん)のオープニングテーマ『バリバリ最強No.1』がヒットたことでもよく知られています。
4日のゲスト、シング・ライク・トーキングはミュージシャンから一目置かれる実力派のグループ。現在は佐藤竹善さん(Vo)・藤田千章さん(key)・西村智彦さん(G)で活動されています。ご出演されたのは、3rdシングル『City On My Mind』(6月25日発売)、2ndアルバム『CITY ON MY MIND』(7月25日発売)のころでした。
※オフィシャルサイトにこれまでのディスコグラフィーがアーカイブされています。このブログでも参照しました。
5日のシャワーは、5人組の男性グループ。テイチクから6月21日にアルバム『SUNSET GRAY』を発売したタイミングでのご出演です。大人っぽくて、80年代らしいサウンドが魅力的でした。
この年の5月21日にはシングル『-5cmの愛を抱きしめて』、7月21日にはアルバム『白黒』をリリースするなかでのご出演でした。翌年に解散して、ボーカルの永島浩之さん・前島正義さんがあらたにINGRY'Sとして活動を続けられましたので、よかトピアFMへのご出演はバンドとして充実した活動時期のことでした。
7日はグランプリ。5人組のハードロックバンドです。出演されたときは、7月21日にシングル『Drive On Road』とアルバム『TREASURE HUNTING』の同時リリースを控えていました。『Drive On Road』はミディアムテンポの曲ですが、重厚な演奏にボーカルの山田信夫さんの艶のあるボーカルがよく合っている名曲です。
しかも今回はゲストではなく、パーソナリティとして16:00~20:00のスペシャル番組を担当されています。さすが「おいちゃん」の愛称で、ラジオパーソナリティとしても長年全国のリスナーに親しまれてきた方。長時間の生放送にもかかわらず、7月29・30日に迫った野外フェス「サマー・ピクニック」の話などで盛りあがったそうです。当日はあいにくの雨だったのですが、放送ブースの前には「おいちゃん」の姿を見ようとファンが詰めかけました。まだradikoなどのラジオの配信手段が整っていない時代に、福岡のファンだけの特別な時間になりました。
実はこうせつさんは、2回のラジオ出演だけではなく、4月23日(日)には、よかトピア会場内のリゾートシアターで「KDD 001 シーサイドライブ 南こうせつ亜細亜的音楽園(エイジアンサウンドパラダイス)」というコンサートも開かれています。小倉祇園太鼓との共演や、アジア音楽にも詳しい実力派バンドmar-paをゲストに迎えて、13時半から3時間を超えるステージでした。
さらには、よかトピア閉会後もこうせつさんとシーサイドももちの関係は続くのですが、そのお話はまたの機会に。
キャッチコピーは、海辺の瞬間FMステーション!
2007年には映画『クローズZERO』(監督:三池崇史さん。原作:高橋ヒロシさん)に劇中歌を提供し、ナレーションやライブシーンへの出演でも参加されました。最近では、かつてメンバーだったエンリケさん(バービーボーイズのベーシスト。浜崎あゆみさんのバックバンドなども担当されています)がツアーメンバーに復帰されて、35年にわたって精力的に活動を続けられています。
ご出演された1989年7月といえば、5日に2ndアルバム『VOICE』をリリ-スされたばかりでした。
※オフィシャルサイトにこれまでの歴史や作品がアーカイブされています。このブログでも参照しました。
グループを離れた後は、1989年6月25日にシングル『夏だけの女神(ディアーナ)』とアルバム『SQUALL』でソロデビューされています。よかトピアFMへのゲスト出演はその直後でした。
ご自身の活動のほかにも、数え切れないほどの楽曲提供を続けられ、SMAPのシングル『らいおんハート』(2000年。作詞は野島伸司さん)の作曲・編曲でも有名です。
その世界での活躍ぶりから、よかトピアには「アジア太平洋」のテーマにふさわしい、うれしいゲスト。ただ、よかトピアFMに出演した1989年は、オリジナルメンバーの仁井原実さん(Vo)がバンドを離れ、大きな変化を迎えた年でした。新しいボーカルにマイク・ヴェセーラさんを迎えて、9月17日にアルバム『SOLDIER OF FORTUNE』を発売しますので、心機一転の直前、バンドにとってもファンにとっても大事な時期に来局されたことになります。
シーラさんは放送の翌日と翌々日には、よかトピアのイベント「アジア太平洋映像まつり」にも出演されています。このイベントは、日本・韓国・中国・マレーシアのテレビ局がそれぞれ自分の国のテレビについて紹介する番組を制作して、1週間にわたって会場内のリゾートシアターで上映したもの。それにあわせて各国の歌手がコンサートを開き、15日・16日にはマレーシアの番組の上映を、シーラさんの歌声が盛り上げました。
さらには、劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」の三宅裕司さんも、この日にゲスト出演されています。出演されたのは、その日の締めくくりを担当する番組「よかトピア Sound Sailing」(19:30~22:00放送 →007)。ラジオ「三宅裕司のヤングパラダイス」(ニッポン放送)やテレビ「平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国」(TBS。ただよかトピアFMへの出演時は、福岡ではまだネットされていませんでした)で大人気の三宅さんをこの日の最後に迎えて、14日は3組のゲストが出演した豪華な一日になりました。
16日は歌手の徳永英明さんがゲスト。徳永さんは福岡県柳川市でお生まれになっています(中学・高校時代は兵庫県に移られました)。1986年にシングル『レイニー・ブルー』でデビューされて以来、第一線で活躍されてきました。出演された年には、5thアルバム『REALIZE』をリリースされています(5月21日)。この年は福岡市制100周年記念の各イベントにも出演されました。
※徳永英明さんのオフィシャルサイトでは、ディスコグラフィーや活動履歴が日付まで詳しくアーカイブされています。このブログでも参照しました。
ドラマの放送が7月3日~9月25日、『GLORIA』の再発売が7月26日ですので、よかトピアFMへのご出演は、まさにブレークのまっただ中のことでした。
今回のゲスト出演は、よかトピアのイベントにあわせたもの。会場内のリゾートシアターでは、7月19日(水)~23日(日)の5日間、「日本のまつりパート2 四国・中国編」というイベントが開かれていて、河島さんは19日・20日に出演されています。四国でお遍路しながらライブをやったことがあるという河島さんは、このステージでヒット曲『酒と泪と男と女』などを歌われました。
なお、手元の資料によると、ゲスト出演は13時のようですので、番組は「NAGISA MUSIC PAVILION」だったはずです(→〈007〉 )。
ちなみに河島さんも出演された「日本のまつり」は、よかトピアで日本全国の祭りや芸能を紹介するシリーズもののイベントでした。かなり演目が盛りだくさんですので、またあらためて調べて、このブログで紹介したいと思っています。
24日は桑名正博さん。桑名さんも翌日によかトピアのイベント「パオパオロック」に出演されるのにあわせて、ゲストにいらっしゃいました。この不思議な名前のイベントについては、このブログの第3回でご紹介しましたので、ぜひあわせてご覧ください(→〈003〉 )。
楽曲提供も多く、作詞を共同でおこなったアルフィー『メリーアン』『星空のディスタンス』、小泉今日子『The Stardust Memory』、作曲を担当したおニャン子クラブ『真っ赤な自転車』『じゃあね』、作詞・作曲・編曲の『翼の折れたエンジェル』など、ヒット曲をたくさん手がけられています。よかトピアFMにゲストに来られたときは、6月21日にご自身のアルバム『PATROLMAN』を発売ばかりでした。
※オフィシャルサイトにディスコグラフィーや楽曲提供リストがアーカイブされています。このブログでも参照しました。
ここまで数えてみると、7月は実に16組ものゲストを迎えています。4月と並んで一番ゲストが多い月になりました。
14日には、ラウドネスとシーラ・マジッドさんと三宅裕司さんを迎えるなど、博覧会ならではのバラエティにとんだ顔ぶれになっています。
会場への入場者も夏休みに入ってどんどん増えていきましたので、ゲストを一目見ようと、放送ブースの前はさらににぎやかになっていったようです。
このゲスト編のブログも、今回は博覧会の閉会まですべてご紹介するつもりでしたけど、そのゲストの多彩さで、まったく8・9月までたどり着きませんでした…。残りのゲストを数えてみたら、8・9月であと11組もありました…。
もう一息。次回こそは完走したいと思います…。
【参考文献】
・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)
・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)
・『radio MOMO よかトピアFMの記録』(FMよかトピア事務局、1989年)
・『よかトピアFMタイムテーブル』VOL1~3((財)アジア太平洋博覧会協会)
#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #よかトピアFM #シング・ライク・トーキング #南こうせつ #ザ・ストリート・ビーツ #コモリタミノル #ラウドネス #シーラ・マジッド #徳永英明 #高橋研
[Written by はらださとし/illustration by ピー・アンド・エル]
※ 2023年4月28日 タイトルを変更しました。
2023年3月30日木曜日
2023年3月28日火曜日
福岡市史講演会「西島伊三雄と都市福岡のデザイン」を開催しました
このような絵がチラッと見える所が粋なんです。
図案屋として初期に関わったお仕事だそう!
こちらもステキなお着物でのご登壇です。
左が一度は決定した西島伊三雄デザインのマーク。下の2つもカッコイイ!
「うまかっちゃん」というネーミングの発案も実は伊三雄さん!
また、広告を発注する側とそれを受けて作る側の両方に、「支店が多く小売業や流通業が盛んである」という福岡独自のまちの特徴も、大きく影響しているようでした。
これまでご講演いただいた皆さまに加え、ファシリテーターとして福岡市史編集委員会の有馬学(ありま・まなぶ)委員長が参加し、テーマである「西島伊三雄と都市福岡のデザイン」について、西島伊三雄をはじめとしたデザイナーの仕事が都市のイメージ形成に与えた影響に迫りました。
2023年3月24日金曜日
【別冊シーサイドももち】〈030〉百道の浜に舞いあがれ! 九州初の伝書鳩大会
埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。
この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。
本についてはコチラ。
この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。
過去の記事はコチラ。
第2回 (「ダンスフロアでボンダンス」)
第3回 (「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
第4回(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
第5回(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
第6回(「最も危険な〝遊具〟」)
第7回(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
第8回 (「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
第9回(「グルメワールド よかトピア」)
第10回(「元寇防塁と幻の護国神社」)
第11回(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
第12回(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回 (「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回 (「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)
第25回 (「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)
第26回 (「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)
第27回 (「開局!よかトピアFM(その3)今日のゲスト 3~4月」)
第28回 (「まだまだあった! 幻の百道開発史」)
第29回 (「開局!よかトピアFM(その4)今日のゲスト 5~6月」)
※ 2023年4月28日 一部タイトルを変更しました。
〈030〉百道の浜に舞いあがれ! 九州初の伝書鳩大会
書籍『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』という本をつくった際、西新にかつて存在した「百道海水浴場」のことを調べていて、毎日毎日気が遠くなるほどの新聞記事をひたすらめくって記事をチェックしていたのですが、その中で気になるイベントを見つけました。
それがこちら。
_人人人人人人人人_
> 伝 書 鳩 大 会 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
そう、伝書鳩大会。なんじゃそりゃ……??
主催は海水浴場と同じく福岡日日新聞社(現在の西日本新聞社)のようですが、本書の中の「百道海水浴場年表」という超絶ニッチな年表には収録したものの、詳しい内容までは掲載できず。
というわけで、その後もずっと気になっていたこの不思議な大会について、ちょっと調べてみました。
* * * * * *
この社告にあるとおり、「九州伝書鳩大会」と銘打ったこの大会は大正14年に開催され、主催が福岡日日新聞社、「九州はとの会」が賛助として加わり行われました。
そもそも、通信社と伝書鳩の縁は深く、今のようにインターネットがない時代、もっとも早く写真などの画像を届ける通信手段として、伝書鳩が使われていました。西日本新聞社にも昭和33年までは屋上に伝書鳩を飼育する鳩舎があったそうです。
(※写真はイメージです)
さて、こうして百道で開催されたこの「九州伝書鳩大会」、当時の久留米師団など軍部をはじめ、九州一円の「愛鳩家」たちがこぞって参加、「本日の百道海水浴場は鳩の国と化する盛況を呈するであろう」と報じられました。
それもそのはず、調べてみるとなんとこれが九州で初めて開催された伝書鳩レース!
そんな事もあり、皆さん気合が入っていたようで、なかでも久留米第十二師団参謀本部は、その年に生まれた幼鳩16羽を連れ、移動訓練も兼ねて「移動自転車曳鳩舎」とともに大会前から「百道テント村」(→第16回・第17回 )に滞在して百道の浜で飛翔訓練を行うという力の入れようだったそうです。
記事によれば、レースはまず午前7時に急行電車福岡駅に参加鳩を持ち寄り、午前10時には二日市駅、続いて久留米駅からそれぞれ放鳩。ハトが各自の鳩舎に帰着したものを百道海水浴場事務所前に設置した決勝点に持ち寄り、その到着順で決勝とした、とありました。
通常、鳩レースのルールは、同一の場所から飛ばしたハトが各地にある自分の鳩舎に戻るまでの時間を測り、その時間と距離から分速を算出して順位が決まります。ですが本大会では鳩舎を百道に持ち込み、そこをゴールとしたようです。
しかしそのメカニズムはまだよく分からないのだそうです。
(※写真はイメージです)
またそれとは別に、百道から福岡県水産場へ通信を搭載したハトを飛ばしたり、お昼からは百道―久留米間、百道―志賀島間の往復リレーが行われたり、福岡日日新聞社の熊本支社や、その他若杉山など県内の林間学校からハトがやって来たり、とにかくこの日の百道はハト三昧!! まさしく「鳩の国」です。
ちなみにこの時、熊本支局から3時間かけて運ばれたニュースは、南九州中等学校野球大会優勝戦の結果や当地の天気で、これらは海水浴場内に設けられた展示会場に展示されたそうです。展示会場では、レース鳩の展示や鳩具等の展示即売会なども行われ、これは一般の人たちも見学することができました。
久留米駅→百道(直線約38㎞)
さてさて、肝心のレース結果はというと、とくに二日市から飛ばされた福岡市の中島自動車商会が飼育する「アキヅキ1号」が、久留米―福岡間約38㎞を所要時間25分で飛翔、分速1520mの好成績を納めました!
分速約1.5㎞ということは、時速にすると約90㎞……早ッ!!
それぞれの部門の優勝者には、福岡日日新聞社寄贈の賞状とメダル、それに東京大日本鳩具製作所寄贈の「銀足鐶」(鳩の足につける輪っか)が贈られたそうです。
最後は百道の空に300羽の「鳩笛」をつけたハトを一斉に飛ばし、まるで「空中オーケストラ」のように「百道の空に乱舞して異様の音楽を合奏しつつ一斉に帰還して行」ったそうです。帰還していったのか……。
かくして九州初の伝書鳩大会は大成功のうちに幕を閉じたとのことでした。
* * * * * *
いかがだったでしょうか?
いま考えるとなかなかカオスなイベントにも感じますが、当時の伝書鳩は報道でも軍事でも第一線の通信手段として広く使われていたため、一般へのハト人気も高く、想像以上に盛り上がったようです。
しかし九州で初めて開催された鳩レースが百道で行われたとは驚きでした。
ちなみに最後の「鳩笛」を付けた鳩を飛ばす「空中オーケストラ」、2014年の札幌国際芸術祭のオープニングセレモニーとして、あの坂本龍一さんが監修した「Whirling noise(ワーリング ノイズ) – 旋回するノイズ」として実施されていました。すごい!
このほかにも百道の浜では昔からまだまだ不思議なイベントが山ほど開催されています。引き続き紹介していきたいと思いますので、どうぞお楽しみに!
【参考文献】
・『鳩』第3年20号(大正14年8月15日、鳩園社)
・西日本新聞社史編纂委員会編『西日本新聞社小史』(1962年、西日本新聞社)
・一般社団法人日本鳩レース協会ホームページ「鳩レースって何?」/http://www.jrpa.or.jp/general/index.html
大正14年7月30日『福岡日日新聞』朝刊3面「本日百道海水浴場で九州伝書鳩大会 久留米師団からも参加 競翔と展覧会と飛行機放鳩」
大正14年7月31日『福岡日日新聞』朝刊3面「百道海水浴場 九州伝書鳩大会 各地よりの放鳩大成功 三百羽の空中オーケストラ」
#シーサイドももち #百道海水浴場 #伝書鳩 #鳩レース #鳩の国
[Written by かみね/illustration by ピー・アンド・エル]