2022年9月30日金曜日
【別冊シーサイドももち】〈007〉開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー
埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。
この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。
本についてはコチラ。
この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。
過去の記事はコチラ。
第1回(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
第2回 (「ダンスフロアでボンダンス」)
第3回 (「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
第4回(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
第5回(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
第6回(「最も危険な〝遊具〟」)
※ 2023年4月28日 一部タイトルを変更しました。
〈007〉開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー
(その1)はよかトピアFM(MOMO)の放送開始前までのお話でした(その1はコチラ )。
今回はオンエアが始まってからのプログラムとパーソナリティー編です。
よかトピアFMは毎日8時から22時までの放送。
博覧会は9時30分~18時(夜間開場の期間は21時まで)でしたが、行き帰りにもラジオでよかトピアを楽しむことができました。
会場周辺の交通情報も1時間に1~3回流していましたので、時間外の放送は車での来場者には特に役に立っていたようです。
福岡市博物館には当時の番組のタイムテーブルが残っています。
番組はシーズンごとに改編されて、タイムテーブルは3~4月、5~6月、7~9月の全部で3種類。
改編では、番組自体に変わりはないのですが、曜日が変わったり、パーソナリティーに入れ替わりがあったりしました。
では、朝から放送を聞いているような気分で、このタイムテーブルを順に眺めてみようかなと思います。
8:00~10:00
よかトピア Today"ピアピアMorning"
3~9月(月~日曜)
(歴代パーソナリティー)清水千晴さん、東美穂さん、的場英利さん、林田真穂さん、安武優子さん
よかトピアFMで唯一の月~日曜を通した帯番組。
おはようコールに始まって、今日の博覧会のメニューを紹介しながら、オールディーズやロックのスタンダード曲をかけていました。
パーソナリティーの東さん・林田さんは、博覧会終了後はKBCラジオでパーソナリティーを続けられ人気でした(KBC-INPAXの時代ですねー、懐かしい)。
林田さんは「またどこかでお耳に掛かったらよろしく」と閉幕の際のインタビューで話されていたのですが(『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』)、その言葉の通り、博覧会終了後によかトピアFMからスライドして、KBCで東さん・林田さんの番組を聴いた方も多かったのだとか。
安武さんは、この時のスタッフ最年少。
のちに、ここでの経験を活かして、「第8回 全国都市緑化北九州フェア(グリーンルネッサンス北九州'91)」のイベントFM局「グリーンルネッサンスFM」でもパーソナリティーを担当されました。
的場さんも当時大学に在学しながらの参加でした。
若いスタッフばかりで放送されていたことにあらためてびっくりです…。
10:00~13:00
Music Channel 76.3MHz
3~6月(月~金曜) 7~9月(月~木曜)
(パーソナリティー)ロッカトピア
ロッカトピアが送るお昼の人気番組。
ロッカトピアは、ダグさん(カナダ)、ローラさん(アメリカ)、マークさん(アメリカ)、マークさん(オランダ)、ニックさん(アメリカ)、ロンさん(アメリカ)、デイブさん(イギリス)、フランクさん(オランダ)、ケリーさん(アメリカ)のグループです。
番組企画・選曲・パーソナリティーまでご自身たちでやっていました。
曲がかかっている間に、パーソナリティーのローラさんが立ち上がって踊り出して、それにあわせてミキサーのロンさんやほかパーソナリティーもステップを踏むような、とてもにぎやかな番組(『西日本新聞』1989年4月22日)。
スタジオの前で、入場者を巻き込んでの真昼のディスコパーティーを開いたこともあったそうです。
途中、ニックさんが怪我で入院してしまったり(無事に2か月半後に松葉杖で番組に復帰されました)、フランクさんがよかトピアのイベント「オークランド~福岡ヤマハカップヨットレース1989」に参加したりと、番組外でも話題が満載。
ロッカトピアは、よかトピアFMの顔ともいえるグループでした。
※オークランド~福岡ヤマハカップヨットレース1989:ニュージーランドのオークランドから福岡までのヨットレース(1万200キロ)。9か国・37艇が参加。4/22にオークランドを出発して、最初に博多港に船が到着したのは6/15。
13:00~16:00
NAGISA MUSIC PAVILION
3~6月(月~金曜) 7~9月(月~木曜)
(歴代パーソナリティー)古賀香織さん、田中ゆきさん
オールジャンルの音楽番組。
よかトピアを訪れたミュージシャン・タレントをゲストに迎えたり、博覧会参加国を紹介したりしていました。
パーソナリティーの古賀さん・田中さんは、ともに博覧会終了後も福岡の放送業界で活躍された方々。
古賀さんは番組制作に関わられ、田中さんは、安武さんと同じく「グリーンルネッサンス北九州'91」のイベントFM局「グリーンルネッサンスFM」でパーソナリティーを担当されたり、その後にはCROSS FMのナビゲーターやディレクターなどをつとめられたりしています。
16:00~19:00
よかトピア Music Sky Walker
3~6月(月~金曜) 7~9月(月~木曜)
(歴代パーソナリティー)田中ゆきさん、木村匡也さん、古賀香織さん
番組では前半はJポップ、後半はアメリカのヒットチャートから選曲。
番組内ではコンパニオンさんを迎えて、パビリオン情報なども紹介してました。
木村さんは、今もテレビのナレーションでご活躍ですので、ご存知の方が多いのではないでしょうか(『電波少年』『めちゃ×2イケてるッ!』『芸能人格付けチェック』『ちびまる子ちゃん』などなど)。
西南学院大学の4年生のときによかトピアFMに参加されて、流ちょうな英語を交えた放送が大変人気でした。
博覧会期間中の7月16日に、FM東京「アメリカンTOP40 イングリッシュDJコンテスト」でグランプリを受賞したことで、今のキャリアをスタートされましたが、そのオーディションの音源は、よかトピアFMを使ったものだったそうです(→その1)。
19:00~22:00
Fukuoka Night ピア
3~6月(月~金曜) 7~9月(月~木曜)
(歴代パーソナリティー)クレッグさん(アメリカ)、キャロンさん(イギリス)、ジャニスさん(カナダ)、トムさん(アメリカ)、的場英利さん、木村匡也さん
夜の雰囲気にあった音楽はもちろん、博覧会の明日の見どころも紹介する番組でした。
クレッグさんはアメリカでラジオパーソナリティーを経験し、来日後は福岡の情報誌に記事も書かれていたのだとか。
惜しまれながら6/26の放送を最後に、大学院での勉強のために帰国されました。
トムさんもパーソナリティーの経験者。
トムさんのお名前はトーマス・ハッチさんなのですが、福岡に住んでいればおなじみの福さ屋のテレビCM(ぴしゃっと時刻を伝えてくれる、あれです)の初代出演者さんと同じお名前です。
CMで見たお姿もよく似ていらっしゃいます(ちなみに現在のCMは2代目のマイケル・ロドリゲスさん)。
はたしてよかトピアFMのトムさんなのか、まだ確認がとれていないのですが、もしご存知の方がいらっしゃったら、ぜひ教えてください。
ここまでが平日のプログラム。
8:00~10:00だけは変わらず、よかトピア Today"ピアピアMorning"でスタート。
10:00~13:00
よかトピア Music Brunch
3~6月(土~日曜) 7~9月(金~日曜)
(パーソナリティー)ロッカトピア
平日に続いて、この時間のパーソナリティーはロッカトピア。
邦楽・洋楽のヒットチャートから選曲しながら、土曜日には電話リクエストも受け付けていました(電リク! ラジオの電リクってなかなか繋がらない分、リクエストできたときのうれしさが忘れられないのですよね…)。
13:00~17:00
よかトピア Music Heat Wave
3~6月(土~日曜) 7~9月(金~日曜)
(歴代パーソナリティー)トムさん、スティーブさん(アメリカ)、キャサリンさん(イギリス)、木村匡也さん
スティーブさんはアメリカの大学で日本語を4年間専攻して、長年空手もやっている日本通。
キャサリンさんはジャズや演劇が大好きな明るい方でした。
1人のパーソナリティーが番組を担当することが多いよかトピアFMでしたが、日曜のこの時間は、スティーブさん・キャサリンさん・木村さんの3人が担当していました。
番組は、リゾートシアターからの中継や会場内でのインタビューがあったりして、入場者との一体感がある内容。
ハガキ・FAXで、曲のリクエストも受け付けていました。
17:00~19:30
よかトピア Seaside Walker
3~6月(土~日曜) 7~9月(金~日曜)
(歴代パーソナリティー)トムさん、東美穂さん、KBCアナウンサーさんほか
ブラックコンテンポラリー(なつかしい響きですよね。ブラコン!)なども選曲するおしゃれな時間帯。
よかトピアが開催された1989年のブラコンだと、ボビー・ブラウンやジャネット・ジャクソンなどがよく聴かれていたころでしょうか。
近年はダンス人気もあって、このころのニュージャックスウィングを思い起こす曲が流行っていますよねー(ブルーノ・マーズは言うまでもなく、アイドルの曲にも多いですよね)。
今こそ聴きたい番組です。
パーソナリティーには、放送局の運営に協力していたKBC九州朝日放送のアナウンサーさんも参加されていました。
現在も放送されているKBCラジオ「PAO~N」のなかで、たびたびパーソナリティーの沢田幸二さんが、よかトピア会場に行ってラジオの放送をしたことがあると話されているのですが(その話題の流れで出てくる、太平くん・洋子ちゃんの声を聞いたという話が最高なのですが、それは置いておいて)、もしかすると、この番組だったのかなと思っているところです。
19:30~22:00
よかトピア Sound Sailing
3~6月(土~日曜) 7~9月(金~日曜)
(歴代パーソナリティー)スティーブさん、福山智美さん、田中ゆきさん、古賀香織さん
人気アーティストを特集しながら、博覧会の明日のおすすめや見どころも紹介していました。
福山さんはバイリンガルだそうで、よかトピアの国際的な雰囲気にぴったりですよね。
ざざっとプログラムを眺めてきましたが、各番組のなかでは、ニュース・天気予報・交通情報に加えて、博覧会のリアルタイムの情報や会場内での中継もやっていました。
会場にいるリスナーには、番組を通して今どこで面白いことがおこっているのかがすぐに分かり、会場の外のリスナーにとっては、まるで会場にいるかのようによかトピアを楽しめる番組ばかりです。
さらには、豪華なゲストの登場や、既存のラジオ局に負けないパーソナリティーのキャラクター・選曲は、ラジオファンにとっても、番組として魅力だったようです。
こうなると、ゲストのラインナップや、ラジオには欠かせないリスナーの反応なども気になってきます…。
ゲスト編・リスナー編は、また追々。
#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #よかトピアFM #木村匡也 #KBC #CROSS FM #福さ屋 #ぴしゃっと
【参考文献】
・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)
・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)
・『radio MOMO よかトピアFMの記録』(FMよかトピア事務局、1989年)
・『よかトピアFMタイムテーブル』VOL1~3((財)アジア太平洋博覧会協会)
[Written by はらださとし/illustration by ピー・アンド・エル]」
※ 2023年4月28日 タイトルを変更しました。
2022年9月23日金曜日
【別冊シーサイドももち】〈006〉最も危険な〝遊具〟
埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。
この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。
本についてはコチラ。
この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。
過去の記事はコチラ。
第1回(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
第2回 (「ダンスフロアでボンダンス」)
第3回 (「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
第4回(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
第5回(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
※ 2023年4月28日 一部タイトルを変更しました。
〈006〉最も危険な〝遊具〟
なかなか旅行や里帰りなどが難しい昨今だけに、最近では屋外施設であるアスレチックやレジャープールの人気が高いようです。
福岡でも海の中道サンシャインプールや今宿野外活動センターなど、福岡市民には昔からなじみのある施設だけでなく、海の中道には新しく巨大アスレチックタワー「シー・ドラグーン」もできて、話題となっています。
シー・ドラグーンは、高さ16.8mの展望デッキを有する国内最大級の巨大アスレチックタワーで、「自己と対峙し、勇気を持って困難を乗り越えた者だけが希望を掴むことができる」がコンセプトのアスレチックなんだそうです。壮大!
規模も大きく危険が伴うため、遊ぶためにはいくつもの注意事項があり、また参加同意書も必要です。安全第一ですもんね。
とはいえ、遊園地の絶叫系マシーンなど、遊具において〝高くて大きくて怖い〟という要素は、人の好奇心を刺激するようです。
それは昔から変わらないようで、今から約100年前、大正~昭和初期の百道海水浴場では、ある意味現代に勝るとも劣らないような、というか現代では考えられない、ちょっとレベルが段違いな巨大遊具がつくられて、来場者の人気を博していました。
それがこちら。
ちなみにこれ、すべり台です。……え、すべり台???
いまでいうところのウォータースライダー的な遊具だと思うのですが、どう考えても角度と高さがおかしい……。
しかもこれ、素材は明らかに木の板。いや、絶対ケガするでしょ……。
さらにこちらは海上につくられたブランコです。
インスタ映えするフォトスポットとして話題の西区北崎海岸「#ジハングン」にある巨大ブランコをほうふつとさせるような存在感です。
まあ、現代の巨大ブランコと違って、当時は別に写真映えを気にしてのサイズではないでしょうが、このように絵葉書の被写体としてたくさん残っているところを見ると、当時の人も本能的に「これは映える!!」と感じていたのかもしれません。
一方、こちらは遊具ではなく、海水浴場のシンボルでもあった大桟橋です。
潮の満ち引きによって海面からの高さが変わるとはいえ、これらの写真を見ただけでも相当な高さということが分かります。
桟橋の形は、当初約30mの橋が1本海に向かってのびていましたが、大正11(1922)年からは1辺約55mのコの字型へと巨大化。この2枚の写真もコの字型期のものじゃないかと思います。
当時の新聞でもこの桟橋について「浮城のような壮観を呈して居る」(大正11年7月1日『福岡日日新聞』朝刊より)と書かれており、写真を見るとそれも納得です。
これはその桟橋のさらに沖にあったやぐらです。
このやぐらは鉄骨製で、具体的な高さは分かりませんが、昇っている人と比べると10mくらいはありそうに見えます。
さらには上からの景色を楽しむだけではなく、そこから飛び込む人も多かったようです。
実はこちらは広告塔としても機能しており、よく見ると「福助足袋」の文字が見えます。
余談ですが、大正12年~昭和9年(1923~1934年)まで、中洲には福助足袋の広告塔が建てられていました。この時期は福助足袋が全社的にこうした広告塔による宣伝に力を入れていたため、写真もほぼ同時期のものと思われます。
こちらは桟橋の沖にあった飛び込み台です。
美しい放物線を描いて今まさに飛び込もうとしている人と、それを見守るギャラリー。
これ、本当に大丈夫なんでしょうか……?
やぐらや飛び込み台から飛び込む遊びは、バンジージャンプのように度胸試しの要素もあったようです。
これらの〝最も危険な〟巨大遊具には、どれもとくに柵や命綱などの安全装置はなかったようですが、そのスリルもまた人気の理由の一つだったのでしょう。
※百道海水浴場の設備については『シーサイドももち 』の「2 遊びに行こう!ー百道の海水浴場ー」で解説しています。
※所蔵表記のない画像はすべて福岡市史編集委員会所蔵、年代は推定です。
#シーサイドももち #百道海水浴場 #巨大遊具 #絶叫系マシーン
[Written by かみね/illustration by ピー・アンド・エル]
2022年9月16日金曜日
【別冊シーサイドももち】〈005〉思い出のマッスル夏の陣 in 百道
埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。
この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。
本についてはコチラ。
この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。
過去の記事はコチラ。
第1回(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
第2回 (「ダンスフロアでボンダンス」)
第3回 (「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
第4回(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
※ 2023年4月28日 一部タイトルを変更しました。
〈005〉思い出のマッスル夏の陣 in 百道
最近はコロナ禍によるおうち時間の増加もあって、筋トレに目覚めたという人も多いそうです。
筋肉は裏切らない!!(らしい)
ところで9月17日は何の日かご存知でしょうか。
そう、福岡市東区出身でいまやトップオブ筋肉芸人でもある、なかやまきんに君さんのお誕生日です! ヤー!!
なかやまきんに君さんは1978年9月17日福岡市生まれ。NSC(吉本総合芸能学院)大阪校の22期生で、同期には南海キャンディーズの山里亮太さんやとろサーモンの久保田かずのぶさんなどがいます。
これまでに2度の〝筋肉留学〟を経て、2021年には「筋肉活動を優先したい」として独立。現在はお笑いタレントやYouTuberとして活躍しながら、本気で筋肉と向き合うボディビルダーでもあります。
最近では「JBBF第34回日本マスターズ選手権」というガチのボディビル全国大会に出場され、40歳以上級で6位に入賞し話題になりました。
個人的なことで恐縮ですが、筆者はなかやなきんに君さんとは同級生。
とはいえ、住んでいた区が違うので、昔も今も一切何の接点もありませんが、同じ時代を同じまちで過ごしてきたと思うと、勝手な親近感が湧くのが人情。数万人いた福岡市内の同級生の一人として、勝手に応援している次第です。
そんな筋肉芸人さんたちの活躍もあり、すっかりメジャーになったボディビルですが、かつては海水浴場のイベントの一環として、大会を開いていたことがありました。
日本でボディビルディングが本格的に普及したのは戦後になってからのこと。
昭和31(1956)年に現在の社団法人日本ボディビル連盟の前身である「日本ボディビル協会」が誕生しました。
協会本部は東京でしたが傘下のジムが全国にあり、福岡にも東中洲に「福岡ボディビルセンター」という福岡で最初のボディビル専門ジムがあったようです(その後、住吉などに移転)。
協会はボディビル普及のため、「ミスター日本コンテスト」というボディビル大会を毎年開催、これに新聞社やテレビ局が協賛したことでマスコミにも取り上げられ、ボディビルブームが起こります。
大会審査員には当時大人気だったプロレスラーの力道山や、作家の三島由紀夫などを招き、こちらも大きな話題となりました。
当初、大会は公会堂などを会場に行われていましたが、昭和32(1957)年の第3回大会では、江の島西浜海水浴場のステージを会場に、「ビーチ・コンテスト」として開催されました。
はい、出ました海水浴場!
百道海水浴場でも、昭和33(1958)年から「ミスター百道撮影(ボディービル・コンテスト)」として、ボディビル大会が開催されています。
当日の新聞記事には、
「(略)福岡はもちろん熊本、長崎からはせ参じた体格に自信のある十六人の男性が自慢の筋肉を披露した。〝動く彫刻〟さながらのたくましい筋肉の躍動に黒山の観衆も大かっさい。」(昭和33年8月3日夕刊『西日本新聞』)
と、写真付きで紹介されており、その盛り上がり具合がうかがえます。
こうして福岡のボディビル大会は、昭和41(1966)年まで毎年百道海水浴場で開催されていました。
ところで「ビーチ・コンテスト」や「ミスター百道撮影」という名前だけ見ると、何となく気軽な夏のイベントのようですが、実はそうではなく、どうやら協会主催の本気(マジ)の大会だったようです。
昭和35(1960)年大会に出場した富永義信さんという方が、ボディビル専門誌に寄せた手記の中で、当時の様子を次のように振り返っています。
どうでしょう、この熱…アツい…。とても海水浴場の一イベントの回想とは思えません。
市内でも有数の海水浴場として知られていた昭和30年代の百道の浜では、レジャーを楽しむ人々をよそに、九州の筋肉自慢たちが集まる本気の〝マッスル夏の陣〟が繰り広げられていたのでした。
パワー!!
#シーサイドももち #百道海水浴場 #ボディビル #なかやまきんに君 #筋肉は裏切らない
【参考文献】
・太田実「ボディビルと私~情熱と試練~」/[PHYSIQUE ONLINE]https://physiqueonline.jp/specialist/executive/page2359.html
・田鶴浜弘「日本ボディビル史〈その3〉」(『月刊ボディビルディング』1975年10月号)/[PHYSIQUE ONLINE]https://physiqueonline.jp/specialist/page3346.html
・田鶴浜弘「日本ボディビル史〈その4〉」(『月刊ボディビルディング』1975年11月号)/[PHYSIQUE ONLINE]https://physiqueonline.jp/specialist/page3352.html
・田鶴浜弘「日本ボディビル史〈その5〉」(『月刊ボディビルディング』1975年12月号)/[PHYSIQUE ONLINE]https://physiqueonline.jp/specialist/page3367.html
・「ミスター全日本選抜コンテストの採点簿」(『月刊ボディビルディング』1972年9月号)/[PHYSIQUE ONLINE]https://physiqueonline.jp/specialist/page3064.html
・「☆ボディビルと私☆ボディビルと共に歩んだ二十年 1976年6月号」(『月刊ボディビルディング』1976年6月号)/[PHYSIQUE ONLINE]https://physiqueonline.jp/specialist/page5709.html
[Written by かみね/illustration by ピー・アンド・エル]
2022年9月13日火曜日
未来の学芸員を育てる「博物館実習」
福岡市博物館ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
今回は、未来の学芸員を育てる「博物館実習」についてのお話です。
皆さんは、「学芸員」という職業をご存じですか?
そう、博物館や美術館で見学できる展示を企画し、つくっている博物館の職員のことです。
学芸員は、博物館法で資格要件を定めている専門職です。
このため、学芸員の資格を取得するためには、大学で博物館に関する知識を得た上で、博物館活動を実地で学ぶ必要があります。
そこで、福岡市博物館では、毎年夏に、県内外の大学から学芸員を目指す大学生を受け入れ、実際に学芸員の仕事を学ぶ「博物館実習」を実施しているのです。
今年も、10の大学から12名の大学生を受け入れ、のべ7日にわたって、古代・中世、近世、近現代、美術、民俗、考古、教育普及の各分野の学芸員・職員が、実習の指導にあたりました。
資料の展示だけが学芸員の仕事ではありません。
実習生の皆さんには、資料の収集や管理、調査・研究、市民の皆さんに歴史文化に親しんでもらうための普及活動など、普段学芸員が行っているあらゆる業務について、学習・体験してもらいました。[Aグループ]
[Bグループ]
課題:博物館と地域が連携するためには、どのような事業を行ったら良いか?[Cグループ]
課題:博物館に来たことがない若年層に来館してもらうためにはどうしたらよいか?また、市民のくらしと結びつく情報発信を充実させ、休憩スペースを拡充することで居心地良くし、若い世代が気軽に楽しめるような環境づくりをする案が示されました。
実習生の皆さん、本当にお疲れさまでした。
当館の学芸員たちも、何事にも真摯に取り組む実習生の皆さんと一緒に仕事をすることで、新たなパワーをもらいました。
博物館の未来につながる「博物館実習」。
これからも続けていく、大切な博物館活動のひとつです。
(文責:博物館実習担当 松尾奈緒子)2022年9月9日金曜日
【別冊シーサイドももち】〈004〉開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン
埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。
この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。
本についてはコチラ。
この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。
過去の記事はコチラ。
第1回(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
第2回 (「ダンスフロアでボンダンス」)
第3回 (「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
※ 2023年4月28日 一部タイトルを変更しました。
〈004〉開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン
1989年3月1日、まだ開会していない「アジア太平洋博覧会―福岡'89(よかトピア)」の会場で、FMラジオの放送局が開局しました(博覧会の開会は3月17日から)。
よかトピアのためにつくられたイベント放送局、「よかトピアFM」です。
(コールサイン JOBZ-FM、周波数 76.3MHz、送信出力 100W)
愛称は「MOMO」。
応募853通のなかから選ばれたニックネームです。
場所は今の福岡市博物館の西口あたり(福岡市総合図書館がある方向ですね)。
ここはよかトピアのときには、メーンストリートに面していて、目立つ場所でした。
こういう放送局は、これまでも「国際科学技術博覧会(つくば万博)」(1985年)などでつくられたことはあったのですが、それは試験放送扱い。
なので、正規の放送局のようには運営できず、CMも入れられませんでした。
ところが、よかトピアの前年に放送法が改正されて、大きなイベントがおこなわれる間に限って、その情報などを提供する臨時目的放送局(イベント放送局)を開くことができるようになりました。
これで正規の放送局と同じように活動できます。
博覧会を主催するアジア太平洋博覧会協会は、さっそく国に免許を申請して、1988年10月27日に受理されました。
「よかトピアFM」が新設されたイベント放送局の第1号でした。
1989年1月26日にスタジオの建物が完成すると、次々と機材の搬入が始まって、2月6日にはもう試験電波が出されています。
22日に免許証を受け取り、3月1日の開局を無事に迎えました。
放送エリアはおおむね、東は宗像、西は糸島、南は小郡あたりまでを想定していました。
当時はFMの音楽番組が人気の時代です。
80年代の前半には、『FM Fan』『週刊FM』『FMレコパル』『FM STATION』といったFM雑誌で、事前に番組でかかる曲を調べて、ラジカセでカセットテープにエアチェックするのが、音楽ファンの楽しみでしたが(懐かしい)、よかトピア開催時はそのなごりがまだあったころ。
『FM STATION』は鈴木英人さんのイラストをつかったりしていて(イラストレーベルがほしくて毎号買ってました…)、FMがおしゃれな媒体だったのですよね。
ところが、福岡にはFM局がNHKとエフエム福岡くらいしかまだなくて(CROSS FMの開局は1993年)、そこに突然「よかトピアFM」が現れたわけです。
「よかトピアFM」のタイムテーブル(3~4月)。
「よかトピアFM」は、「海と夏」をイメージした音楽パビリオンとして、ロック・ポップスを中心に選曲する、おしゃれな番組づくりを目指しました。
そのため、スタッフは大学生・専門学校生・外国人など若い世代が中心。
若いスタッフが、はじめてのことが多いなかで、企画・技術・パーソナリティーとして、国際色豊かで既存の放送局とは違った番組をつくっていきました。
「よかトピアFM」の運営に協力していたのは、九州朝日放送(KBC)です。
若いスタッフの研修にあたったのは、KBCの岸川均さんでした(当時50歳・KBCラジオ局制作部副部長)。
岸川さんといえば、ラジオ「歌え若者」で福岡から多くのミュージシャンを世に送り出したディレクター。
福岡内外の多くのミュージシャンから信頼が厚く、退職されたときには、山下達郎さん、浜田省吾さん、スターダスト・レビュー、海援隊、チューリップ、甲斐バンド、サンハウス、ARB、ロックンロール・ジプシーズほか、たくさんのミュージシャンが集まって、福岡サンパレスでわざわざコンサートを開いたほどでした(1998年2月26日~3月1日の4日間!)
ちなみに、「FMよかトピア」の開局パンフレットには、山下達郎さんが写真入りで、「いつも心がわき立つような楽しいFMであってほしい」とコメントを寄せています。
もしかしたら、これも岸川さんと山下さんの音楽を愛する交流から実現したことだったのかもしれません。
岸川さんが亡くなってからも、岸川さんの音楽への思いを受け継ぐイベント「風音」が、毎年開催されていました(ARBの石橋凌さんが発起人)。
「風音」はコロナ禍の前までは、毎年秋ごろに西南学院大学のチャペルで開かれるのが恒例でした。
MCのスマイリー原島さんの進行で、西南学院高校出身の杉真理さんが毎回ギター1本でご出演されたり(賛美歌と「ウイスキーが、お好きでしょ」が定番)、Charさん・麗蘭(RCサクセションの仲井戸麗市さんとザ・ストリート・スライダーズの土屋公平さんのバンド)・チバユウスケさん(The Birthday)などゲストも豪華。
石橋凌さんが客席に降りて観客と目を合わせて歌ってくださったり、最後は出演者全員と観客が一体になってセッション大会になるなど、岸川さんの人柄や音楽への向き合い方を追体験できる、とてもあたたかいコンサートでした(またやってほしいなぁ)。
岸川さんはこの西南学院大学の卒業生(1956年卒業)。
在学中はグリークラブに所属されていて、建てかわってはいますが、チャペルはたくさんの練習・本番をおこなった思い入れのある場所なのだそうです。
岸川さんの在学中は、キャンパスから少し北に歩けば、すぐそこが百道の海でした。
その海が埋め立てられ、よかトピアの会場になって、そこで若者・音楽を中心とする新しいラジオ局を一からつくることには、岸川さんも特別な思いがあったのではないでしょうか。
開局5日前の岸川さんは「ほぼ完全な状態で本番に入れそうだ」と自信を見せています(『日刊スポーツ』1989年2月24日)。
実は福岡市博物館のアジア太平洋博覧会の資料には、博覧会閉会後に岸川さんからいただいた物もいくつかあります。
『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』に写真を載せている、よかトピアFMのTシャツ(P128)、カード型ラジオ(P137)もそうです(岸川さんに改めて感謝致します)。
さて、こうして始まった「よかトピアFM」。
岸川さんのおかげもあって評判がよく、人気パーソナリティーも生まれていきました。
今もテレビのナレーションで活躍されている木村匡也さんも、そのお一人。
先日RKBラジオにご出演されていたのですが、学生時代に優勝したDJコンテストのオーディションテープは、「よかトピアFM」の機材でつくったのだそうです。
このときの優勝が現在のお仕事に繋がっていったと聞いて、びっくりでした(RKBラジオ「田畑竜介 Grooooow Up」)。
開局後の話はまだまだ尽きませんので、また今度に。
#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #よかトピアFM #MOMO #KBC #岸川均 #山下達郎 #石橋凌 #風音 #木村匡也
【参考文献】
・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)
・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)
・『radio MOMO よかトピアFMの記録』(FMよかトピア事務局、1989年)
[Written by はらださとし/illustration by ピー・アンド・エル]
※ タイトルを一部変更しました(2023年4月28日)
2022年9月2日金曜日
【別冊シーサイドももち】〈003〉よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。
埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。
この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。
本についてはコチラ。
この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。
過去の記事はコチラ。
第1回(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
第2回 (「ダンスフロアでボンダンス」)
〈003〉よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。
アジア太平洋博覧会(よかトピア)の「ヤングフェスティバル1」は、男闘呼組の登場で大人気でした(→男闘呼組の記事はコチラ )。
この「ヤングフェスティバル」、「1」があるということは「2」もありました(「3」はないです…)。
その名も「ヤングフェスティバル2 ニッサン・パオパオ・ロック」。
「1」と同じリゾートシアターを会場にして、7月24日(月)~29日(土)に開催されています(博覧会入場料のみで、イベントは無料)。
よかトピアは、7月1日から毎日夜間開場を始めたため(21時まで)、イルミネーション・光のパレード・花火などを目当てに、夜の入場者も増えていました。
今回の「ヤングフェスティバル2」は、そういう夜のよかトピアでの開催。
24日(月)19時30分からの前夜祭でスタートしました。
前夜祭は、リゾートシアターを巨大ディスコに見立てた「トワイライト・ディスコ・パーティー」。
MCは永淵幸利(BUTCH)さん、DJは吉田俊二さん、今も福岡のFM局などでご活躍のお二人を迎えて、音楽・おしゃべり・仮装大会でイベントのスタートを盛り上げました。
ディスコというのがバブルっぽい企画で、いいですよねー。
海沿い会場はやっぱりこちら、ビーチに面したリゾートシアター!
25日からは、毎日アマチュアバンドのコンテストとゲストミュージシャンのコンサートの組み合わせ。
このころは「三宅裕司のいかすバンド天国」(通称「イカ天」)の放送が1989年2月に始まって、空前のアマチュアバンドブームです。
福岡からもたくさんのバンドがイカ天に出場していきました(「THE KIDS」「たけのうちカルテット」「F.E.W.」「SOLID BOND」etc.)。
(ただ福岡ではイカ天の放送開始が遅れたため、番組初期に次々と現れた人気バンドをリアルタイムで見られず、悔しかったことを思い出します。「パオパオ・ロック」がおこなわれた7月といえば、コミカルなのに演奏は実力派だった「宮尾すすむと日本の社長」が勝ち抜いていたころでしょうか)
そうしたバンドブームにのって、「ヤングフェスティバル2」はプロ・アマをまじえたロックバンドのお祭りとなりました。
毎回16時(26日は17時)から始まるコンテストで出場者を応援して、19時からはゲストのコンサートを楽しむというスケジュールです。
ゲストは25日(火)が桑名正博さん。
「セクシャルバイオレットNo.1」の大ヒットで有名ですよね。
よかトピアへの出演は、シングル「そこからがパラダイス」(しっとりした名曲)、アルバム「For Paradise」の発売を予定していた時期でした。
つづく26日(水)は池田政典さん。
今では俳優や声優(アニメ『るろうに剣心 明治剣客浪漫譚』の志々雄真実など)として活躍する池田さんですが、当時はアイドルなみに大人気の歌手です。
アニメ『きまぐれオレンジ☆ロード』の主題歌にもなった、軽快な曲調の「NIGHT OF SUMMER SIDE」がヒットしました。
よかトピア出演直前にはシングル「冷たいベッドでDance」を発売していて、こちらはベースのスラップ(チョッパー)が印象的で、重厚な80'sアレンジがかっこいい曲です。
ゲストがなかった27日を経て、28日(金)はシーナ&ザ・ロケッツ(シーナ&ロケッツ)。
いよいよ福岡ロック界の大先輩の登場です。
シナロケはこの翌月にアルバム「DREAM & REVOLT」を発売するのですが、このアルバムは、作曲を鮎川誠さん(G&Vo)、作詞をかつて鮎川さんとバンド「サンハウス」を組んでいた柴山俊之さんが担当された名盤。
福岡のファンにとっては特に大事なアルバムの発売を間近にしたタイミングでの、よかトピアのステージとなりました。
29日(土)は、かまやつひろしさんが出演してトリを飾りました。
元ザ・スパイダースのメンバー(G&Vo)で、「バン・バン・バン」「あの時君は若かった」などたくさんのヒット曲をつくったかまやつさんは、「ムッシュ」の愛称で親しまれた日本ロック界の大御所。
よかトピア出演時には、シングル「キスの下手な男」のリリースを控えていました(9月21日発売)。
こうしてふり返ってみると、はやりのバンドコンテストを取り入れたり、ゲストに近い時期にシングル・アルバムを発売する旬のミュージシャンをブッキングして、絶好のプロモーションの場にしたりと、観客・演者の双方が楽しめる企画になっていました。
ところで、イベントの名前「パオパオ・ロック」って、かわいいですけど、全然ロックっぽくないですよね…。
このイベントの協賛は福岡県日産自動車グループ。
日産といえば、1989年1月に〝パイクカー〟の第2弾「PAO(パオ)」を発売したばかりでした。
テーマは「冒険心」、車名は遊牧民の移動式家屋を意味する「包(パオ)」から名付けられたそうです。
この車、無骨なのに丸目をしたかわいい外観、棒状の素朴なハンドルの向こうに見える愛らしい丸いメーター、パチパチと上下させる操作が楽しいスイッチ類、鉄なのにあたたかみを感じさせるダッシュボードなど、乗っているだけで楽しい車でした。
見た目はレトロですが、ベースが日産マーチでしたので、運転免許をとって間もなく友達に乗らせてもらったときに、意外に乗りやすいなーと感じたのを覚えています。
今でも大事に乗っている人が多く、若い世代にも人気がある車ですよね。
よかトピアが開かれた1989年の日産は「PAO(パオ)」推し。
「パオパオ・ロック」はこの車名から名付けられたものでした。
博覧会ではパビリオンだけでなく、イベントも企業が新商品をアピールする絶好の場になっていたわけですね。
ところで、バンドコンテストですが、応募した250組からテープ審査を経て(オリジナル曲のみ)、57バンドが会場での予選・決勝に出場しました。
2200人収容の会場、ゲストと同じステージ、最高の音響・照明で演奏できるのは、どのバンドもうれしい思い出になったはすです。
さてそのなかで優勝したバンドは…。
残念…。実はその記録がまだ見つからないのです…。
全力で探しているのですが、今のところ表彰式の写真1枚のみ。
その写真から、あのバンドではないかとあれこれ想像してはいるのですが、決め手はなく…。
優勝したご本人の方、「私たちが優勝しました!」とご連絡くださらないでしょうか…。
#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #日産パオ #パオパオ・ロック #私たちが優勝しました
【参考文献】
・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)
・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)
・Webサイト「日産ヘリテージコレクション」 https://nissan-heritage-collection.com
[Written by はらださとし/illustration by ピー・アンド・エル]
2022年8月26日金曜日
【別冊シーサイドももち】〈002〉ダンスフロアでボンダンス
埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。
この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。
本についてはコチラ。
この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。
第1回はコチラ(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)。
第2回は、さらに時をさかのぼり、昭和の時代にあった海水浴場でのお話です。
〈002〉ダンスフロアでボンダンス
お盆といえば、なんといっても盆踊りですよね!
ここ数年はコロナ禍ということもあり、人が集まるお祭りなんかは中止を余儀なくされましたが、今年は3年ぶりに行動制限のないお盆休みということで、開催されたところもあったようです。
盆踊りといえば、提灯が飾られたやぐらの上に太鼓やお囃子、そして歌い手が立ち、その周りをみんなでぐるぐる、一定のリズムに乗って同じ踊りを踊る…。
この音頭のリズム、もはやDNAに深く刻まれているのでは? と思うほど、正確な振付を知らなくても、自然と身体が動いてしまいます。
盆踊りは日本に限らず、今ではハワイやマレーシアなどでも「ボンダンス」として広まっていて、時には数万人が集まって盛り上がるのだそうです。
そんな一体感も楽しい盆踊りは、今も昔もまさに夏の風物詩です。
ところで昭和初期、当時の福岡市内で初めて盆踊り大会が開催されたのは、実は百道だったという話があることをご存知ですか?
それは昭和3(1928)年のこと。会場は、当時百道にあった海水浴場でのことでした。
百道海水浴場を運営していた福岡日日新聞社(西日本新聞社の前身)はこの年、姪浜町の炭鉱から踊り手を呼んで、盆踊り大会を開催しました(姪浜は昭和8年まで福岡市ではなく早良郡でした)。
これが当時の新聞紙面で「福岡市内で最初の盆踊り」と報じられています(「福岡日日新聞」昭和3年8月15日夕刊)。
盆踊りはそもそも、村や町内など、ごく限られたコミュニティの人々による、死者の供養や地域の娯楽のための行事でしたが、西新で初めて行われた盆踊りは、別の地域から踊り手を呼んだ〝イベント盆踊り〟だったんですね。なんて都会的…。
盆踊りが普及していった背景には、レコードやラジオの存在が大きな意味を持っていました。
昭和8(1933)年に「東京音頭」が大ヒットしたことで音頭ブームが起こり、戦後は昭和23(1948)年に発売された赤坂小梅の「炭坑節」の大ヒットなどにより、民謡ブームが巻き起こります。そして、これらのヒット曲が盆踊りに採用され、広まっていきました。
こうして広まった盆踊りですが、昭和20年代後半になるとさらに大きな進化を遂げていきます。当時のレコード会社は、戦後に各所で設立された民謡(民踊)団体と提携し、制作した音頭や民謡に振付をして「踊る音楽」として売り出しました。今でいう、ダンスミュージックです。
そうしたダンスミュージックが求められた背景には、戦時中の厳しい抑圧から解放された若者の間でフォークダンスやスクエアダンスなど、みんなで踊る〝ダンス〟(レクリエーション)が流行していたこともありました。
その中で、盆踊りもレクリエーションの一環として広まり、年齢を問わず楽しまれたのでしょう。
さらに、レコード会社はプロモーションのため、また協会は民踊普及のため、新曲レコードを流して日本舞踊の一流の師匠が踊りを教えるという、その名も〝ボンダンス講習会〟を、全国各地で開催します。
百道海水浴場は夜も営業していたので、こうしたボンダンス講習会や、またフォークダンスなどのダンスパーティの会場として頻繁に利用されました。百道の浜は、夜な夜な若者が集まる場所でもあったようです。
最近話題になる、Bon Joviやサカナクションの曲に合わせて盆踊りを踊るという、いわば〝盆踊りアップデート〟ですが、実は昨日今日に始まったものではなく、約50年前の若者も同じように、盆踊り会場をダンスフロアにして、みんなでボンダンスを楽しんでいたんでしょうね。
ところで、戦後の〝民謡ブーム〟ではさまざまな「音頭」が作られますが、今でも知られている「サザエさん音頭」もその一つです。
「サザエさん音頭」は昭和29年にキングレコードから発売。B面は「かっぱ踊り」で、歌詞カードには2曲の振付解説が付いていました。
そして発売から5年後、百道で開催された「海浜フォークダンスパーティと盆踊り」では、ついに百道でも「サザエさん音頭」が踊られたのです!(昭和34年8月4日、キングレコード・日本ビクター・講談社協賛)
ご存知の方も多いでしょうが、百道の浜は長谷川町子さんがサザエさんの構想を練った「サザエさん誕生の地」としても有名です。
町子さんが「サザエさんうちあけ話」(昭和53年「朝日新聞」日曜版で連載、翌年に姉妹社より刊行)で百道のお話をするずっと前に、百道の浜ではサザエさん音頭が踊られていた…そう考えると、偶然にもサザエさんは思ったよりも早い時期に、百道に〝里帰り〟を果たしていたのでした。
#シーサイドももち #海水浴場 #盆踊り #ボンダンス #サザエさん音頭
[Written by かみね/illustration by ピー・アンド・エル]