2021年12月14日火曜日
福岡の歴史を象徴する金印と元寇防塁
シリーズ最終話(といっても3回だけですが)は、きわめてお堅い話です。
金印が最初に国指定文化財に指定されたのが、昭和6年、国宝保存法によってです。
昭和6年と言えば、日本国内は政党政治まっさかりの時ですが、中国東北地方において、満州事変が勃発した年です。翌昭和7年には五・一五事件が起こります。軍靴の響きが次第に大きくなっていく頃です。
この昭和6年に、博多湾岸にある元寇防塁が国の史跡指定を受けました。元寇防塁の史跡指定には「国威発揚」という時代的な背景もありそうですが、福岡の歴史を象徴する「金印」と「元寇防塁」が同じ年に指定されていることは、大変意義深いものがあります。
さて、金印が昭和6年に国宝に指定された時の説明書(文部省)を見てみましょう。
「この金印は天明四年二月二十三日筑前志賀島から発見されたと伝えらるるものである。これを作法の上からみると印文白字の態正しく彫法鋭く蛇鈕の形にも古体を窺うべく、蛇体に施されたる斑文にも力ある技法を示して居る。なほ印に関しては漢代の制に蛮夷は蛇、其の字は白文とあることとも一致している。惟ふにこれは印文並に製作等によって漢代の作と認められるもので、我国古代に於ける大陸交渉の徴証となるべき重要なる遺品である。」(カタカナはひらがなに、旧字体は新字体にあらためた。)
この説明書きを読むと、金印の形態・印文等を正確にとらえ、この金印は「蛮夷」印であると言い切っています。「蛮夷」とは、当時の中国「漢」からみて、野蛮な国、というほどの意味ですが、最初に述べたような時代的な背景にも関わらず、文部省は金印の持つ意味を正確に記述していると言えそうです。
昭和6年に国宝に指定された「金印」、国史跡に指定された「元寇防塁」、ともに歴史の証人として、福岡の歴史のシンボルとして今後も輝き続けることでしょう。
江戸時代以来、金印を保護してきた紫檀製の箱や、上記の文章を記載した「文部省の指定理由説明書」などを、常設展示室で初公開中(12月26日まで)です。
年内の開館も12月26日(日)までです。年明けは1月5日(水)からの開館です。
令和4年も、福岡市博物館をよろしくお願いします。
(学芸課 米倉)
2021年12月9日木曜日
緊張の瞬間~金印の取り扱い~
福岡市博物館では現在、NHK福岡放送局が金印を8Kカメラで撮影し、制作した『国宝へようこそプチ「漢委奴國王」金印』を8Kモニターで上映中です。また、これに合わせ、常設展示室にてミニ企画展示『「金印」旧国宝指定90年』を開催中。この期間中、本ブログでは金印にまつわるちょっとしたお話を紹介していきます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
福岡市博物館で金印のことを担当していると、お客様から「本物の金印に触ってみたい。」というお話を聞くことがよくあります。そんなとき、私たちは心の中で「いやいや、金印を触るのって、ものすごい精神的ストレスですから!!」と言いたくなる。今日はそんなお話です。
国宝 金印「漢委奴國王」は、平成2年の福岡市博物館の開館以来、常設展示室の目玉のひとつとして展示されてきました。数年に一度、他館に貸し出すとき以外は基本的に本物を展示しており、動かすことは稀ですが、調査や撮影などの際に動かさなければならないことがあります。その手順は以下のようになります。
①厳重な警備のスイッチを切る(詳細は秘密です)
②展示ケースを開ける(やはり、詳細は内緒です)
③金印を手で持ち上げ、専用の箱に収納する
(この箱は常設展示内ミニ企画展示『「金印」旧国宝指定90年』で初公開中です!)
④運ぶ
まず緊張するのは持ち上げるとき。息を止め、ゆっくりと持ち上げます。もし落としたり、どこかにぶつけでもしたら、どうなることか……想像したくもありません。高さは2.2㎝で、印面幅は2.3㎝。単独の指定としては最も小さい国宝である金印は、非常に持ちづらく、おまけに見た目よりも重い(金なので)。2000年前の製作時には、ツマミの部分に紫色の帯紐がつけられ、それ無しで持ち上げることなんて想定されていません。しかも、近年はマイクロスコープによる詳細な観察・記録がなされており、少しでも新しい傷がつこうものなら、すぐにわかってしまいます。
さらに、ほぼ純金ということで、意外と傷つきやすい金印。すでにいくつかある目立つ傷のうち、いくつかは弥生時代や江戸時代のおっちょこちょいな人が落としてつけた傷かもしれません。
さて、箱にいれた後も緊張は続きます。運ぶ作業は必ず複数人で行い、箱を持つ人とサポートする人に分かれます。持つ人は箱を両手でしっかりと持ち、絶対に転んではいけません。階段は使いません。絶対エレベーターです。絶対です。作業中もひとときも目が離せません。
そんな感じで、意外と楽しいものではない金印を扱う作業。
最新の8Kカメラは、そんな金印を扱う学芸員の手の緊張まで捉えることができたのか!?
NHK制作『国宝へようこそプチ「漢委奴國王」金印』は、12月26日(日)まで福岡市博物館2階にて、8Kモニターで上映中です。
(学芸課 朝岡)
2021年12月7日火曜日
しらけ鳥 飛んできた♪
12月7日は小松政夫さんの一周忌。生まれ育った博多の街をずっと愛してこられた小松さんの穏やかな笑顔が思い返されます。
当館総館長による追悼ブログはこちら
平成25(2013)年に当館常設展の映像に出演していただいたご縁で、先日ご遺族や関係者の方々から、小松さんゆかりの品々が博物館に届けられました。その中にはこんなパペットが…。
おぉ! しらけ鳥。
テレビ朝日系の人気バラエティー番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」(1976-78)のなかでも、小松政夫さん、伊東四朗さん、キャンディーズによるコント「悪ガキ一家の鬼かあちゃん」は衝撃的でした。(裏番組であった水戸黄門のオーソドックスなルーティンの向こうを張ったというわけではないのでしょうが)毎週繰り出されるエキセントリック・ルーティンとも言うべき掛け合いは、世の中に中毒的な笑いをもたらしたのでした。
このコントから生まれたのが「しらけ鳥音頭」です。小松さん扮する息子・政太郎がお母たま(伊東さん)にお仕置きされ、虚勢を張るものの場が白けたとみるやコタツの上に乗って歌い始めるこの歌は、当時大ヒットを記録しました。政太郎が右手にさし持ったしらけ鳥のパペットを「みじめ、みじめ」と肩に寄せるしぐさは、今も記憶に鮮やかです。
小松さんは晩年に至るまで「しらけ鳥音頭」を大切にし、さまざまな場面で披露されていたと聞いています。その右手にはいつも、このしらけ鳥がありました。眉毛ピクピクの淀川長治メガネとともに、小松政夫というコメディアンを象徴し、テレビの時代を象徴する小道具といってよいでしょう。
福岡はこれまでに数多くの芸能人を輩出してきた土地柄です。活躍の場がテレビであり、舞台であった小松さんの芸も、じつは深いところで故郷の気風につながっていたと思います。人々が芸どころを自認し、新奇なものをおもしろがる文化が、福岡の地でどのように受け継がれてきたのか、小松政夫さんの人生は、私たちにいろいろなヒントを与えてくれるような気がします。(松)
※Facata124号には「常設展示室の小松政夫さん 博物館より感謝を込めて」を掲載しています。
2021年12月3日金曜日
いつでも会いに行ける国宝
みなさま。
本日はあらためて声を大にしてお伝えしたことがあります。
「福岡市博物館で展示している金印は国宝の実物ですよ~!!」
そうなんです。実物なんです。
なのですが・・・
「あっ、これの本物、太宰府で見た~」なんて会話が聞こえてくる常設展示室。
当館に常設展示している国宝 金印「漢委奴国王」は、複製(レプリカ)と間違われることがよくあるんです。
もちろん、実物を他館に貸し出す際に、代打を務めてくれる金印レプリカちゃんも、当館にはおります。
こっちが実物で・・・↓
こっちが当館所蔵のレプリカ↓
こっちが実物で・・・↓
こっちが当館所蔵のレプリカ↓
そっくりですね。(実物から型を取っているので当たり前ですが。)
ちなみに、ミュージアムショップで販売しているものはこちら↓
みなさま、福岡市博物館(福岡市早良区百道浜)の常設展示室では、
国宝 金印「漢委奴国王」(実物)をいつでも見ることができます(他館貸出中をのぞく)。
いつでも会いに行ける国宝。それが金印。
年内は12月26日(日)まで開館しております。
そして年始は1月5日(水)から開館しております。
また、12月26日(日)までは、常設展示室前にてNHK福岡放送局が制作した超高精細8K映像にて金印をご覧いただけます!
当館では年末詣も初詣もできませんが、
お隣にある福岡タワーには、龍が天に昇っている鳴き声のように聞こえる「鳴き龍」現象が体験できる不思議スポット(https://www.fukuokatower.co.jp/blog/archives/43 )や、恋人の聖地(https://www.fukuokatower.co.jp/blog/archives/16 )もあるそうで、何やら縁起が良い様子。
ぜひあわせてお越しくださいませ。(FUK)
2021年11月16日火曜日
聴耳図鑑 いよいよ100巻目!
2021年10月6日水曜日
福岡市博物館が『縁結び大学』に紹介されました!
2021年9月21日火曜日
9月21日は「世界アルツハイマーデー」です。
1994年、「国際アルツハイマー病協会」(ADI)は、世界保健機関(WHO)と共同で9月21日を「世界アルツハイマーデー」と定め。2012年には、9月を「世界アルツハイマー月間」とし、期間中、認知症へ理解を呼びかけるさまざまな取り組みが行われています。
博物館と認知症との関わりのひとつに、「回想法」を活用した事業があります。回想法は、懐かしい生活道具などに触れ、自らの体験や思い出を語り合うことで脳が活性化され、精神・感情の安定や対人交流の活性化、認知機能の改善、参加者の生活の質(QOL)の向上につながるとされています。近年では、保健福祉の分野と連携して回想法に取り組む博物館も増えています。
福岡市でも昨年度、福岡市博物館・福岡市美術館・福岡アジア美術館の3館が各館の収蔵品を活用した高齢者向けの回想法プログラム「福岡ミュージアム・シニア・プログラム」を実施しました。回想法はふつう対面で行いますが、今回は新型コロナウイルス感染症感染防止のためオンラインで行いました。
このプログラムは、「家族の日常・非日常」をテーマに、週1回1時間ずつ計5回実施し、同じ高齢者施設に通われる3名(みなさん症状は違いますが軽度の認知症を患っていらっしゃいます)に参加いただきました。
1回目は、参加者との顔合わせを兼ねたご本人たちのことを知るためのヒアリング
2回目は、福岡市博物館のレコードと写真を使って日々のくらしについて語るプログラム
3回目は、福岡アジア美術館の家族にかかわるコレクションのアートカードを使って家族について語るプログラム(https://faam.city.fukuoka.lg.jp/manager/wp-content/uploads/2021/07/Ajibi-News-85.pdf)
4回目は、福岡市美術館の桜が描かれたコレクションや桜の木を活用して花見の思い出を語るプログラム(https://www.fukuoka-art-museum.jp/blog/13609/)
5回目は、3・4回目の後に制作した絵画の披露と振り返りを行いました。
ここでは2回目に行った博物館の回想法プログラムをご紹介します。当館では、出身も市内在住歴も異なる参加者が共有できそうな収蔵品として1970年代の歌謡曲のレコードと1960年代の天神の街並みが写る写真を使いました。
はじめはみなさん緊張した様子でスタッフとの会話も短めだったのですが、レコードプレーヤーから歌謡曲が流れだすと、歌を口ずさんだり、手でリズムをとったりと、それまでにはなかった動きや参加者同士の会話がみられました。好きな音楽の話になると、故郷にゆかりの民謡を歌ってくださる方もいました。 その後、福岡市でのくらしについて話が進んだところで、かつての天神の街並みの写真をお渡ししました。
← 博物館の回想法の様子(中央は進行役)
しばらく写真を凝視したあとの「懐かしい」の声をきっかけに、「デパート(玉屋や井筒屋など)に買う物がなくても行っていた」、「戦後の大きな建物がないとき、(天神の町に)まだ馬車が通っていた」、「中洲の市場で働いていた」など積極的な発話が続き、近くの施設の職員さんに声をかける姿や、他の方の語りにうなずく様子もみられました。中洲の映画館の話題では、「東映」「大洋」などの映画館名がでたり、近くにバーやキャバレー、料理屋があったなど、街の風景を詳細に語られていました。
← かつての天神の街並みが写った写真を見てもらい当時の思い出を語っていただきました。
ふり返れば、使った資料が多すぎ、後半はみなさんに疲れがみられたことなど課題も残りましたが、声が聞き取りにくい方へのサポートを参加者同士が自然にされる姿や、身振り手振りで思い出した情景をまわりに説明される場面もありました。最後には「気持ちが穏やかになった」、「懐かしくて涙がでるくらい」などの感想をいただき、大きく手を振りあって終了しました。
高齢者施設の方によると、プログラム終了後に職員さんやご家族との会話に深みが出た方もおられたそうです。また利用者同士の交流が生まれるなど、記憶の回想以上に大きな行動の変化につながったとのお話にはスタッフ一同うれしく感じました。また、博物館にとっては、福岡の街の貴重な情報を教えていただくと同時に、デジタル化した博物館資料の活用や高齢者向け事業の可能性を考えていく貴重な機会となりました。
(学芸課 河口)