2023年3月31日金曜日
【別冊シーサイドももち】〈031〉開局! よかトピアFM(その5)今日のゲスト 7月
埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。
この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。
本についてはコチラ。
この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。
過去の記事はコチラ。
第2回 (「ダンスフロアでボンダンス」)
第3回 (「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
第4回(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
第5回(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
第6回(「最も危険な〝遊具〟」)
第7回(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
第8回 (「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
第9回(「グルメワールド よかトピア」)
第10回(「元寇防塁と幻の護国神社」)
第11回(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
第12回(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回 (「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回 (「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)
第25回 (「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)
第26回 (「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)
第27回 (「開局!よかトピアFM(その3)今日のゲスト 3~4月」)
第28回 (「まだまだあった! 幻の百道開発史」)
第29回 (「開局!よかトピアFM(その4)今日のゲスト 5~6月」)
〈031〉開局! よかトピアFM(その5)今日のゲスト 7月
おなじみのバンド、地元出身ミュージシャン、売り出し中の勢いのある新人に、まさかのあの方まで、多彩なゲストを迎えてアジア太平洋博覧会を音と声で盛り上げた「よかトピアFM」。
今回も引き続きゲスト編です。
季節は夏を迎えて、FM局では旬なミュージシャンをますますたくさん迎えたようです。
【7月】
03日 川嶋みき(川島みき・川島だりあ)
04日 SING LIKE TALKING(シング・ライク・トーキング)
05日 SHOWER(シャワー)
06日 いんぐりもんぐり
07日 GRAND PRIX(グランプリ)
09日 南こうせつ
11日 THE STREET BEATS(ザ・ストリート・ビーツ)
13日 小森田実(コモリタミノル)
14日 LOUDNESS(ラウドネス)
14日 Sheila Majid(シーラ・マジッド)
14日 三宅裕司
16日 徳永英明
19日 ZIGGY(ジギー)
20日 河島英五
24日 桑名正博
25日 高橋研
よかトピアFMに出演されたのは、「川嶋みき」名義での最初で最後のシングル『Winding Road』(6月21日発売)を発売し、アルバム『Natural Hearts』(7月21日発売)のリリースが近付いているときでした。
のちにはバンド「FEEL SO BAD」を結成され、アニメ『地獄先生ぬ~べ~』(テレビ朝日。原作は真倉翔さん)のオープニングテーマ『バリバリ最強No.1』がヒットたことでもよく知られています。
4日のゲスト、シング・ライク・トーキングはミュージシャンから一目置かれる実力派のグループ。現在は佐藤竹善さん(Vo)・藤田千章さん(key)・西村智彦さん(G)で活動されています。ご出演されたのは、3rdシングル『City On My Mind』(6月25日発売)、2ndアルバム『CITY ON MY MIND』(7月25日発売)のころでした。
※オフィシャルサイトにこれまでのディスコグラフィーがアーカイブされています。このブログでも参照しました。
5日のシャワーは、5人組の男性グループ。テイチクから6月21日にアルバム『SUNSET GRAY』を発売したタイミングでのご出演です。大人っぽくて、80年代らしいサウンドが魅力的でした。
この年の5月21日にはシングル『-5cmの愛を抱きしめて』、7月21日にはアルバム『白黒』をリリースするなかでのご出演でした。翌年に解散して、ボーカルの永島浩之さん・前島正義さんがあらたにINGRY'Sとして活動を続けられましたので、よかトピアFMへのご出演はバンドとして充実した活動時期のことでした。
7日はグランプリ。5人組のハードロックバンドです。出演されたときは、7月21日にシングル『Drive On Road』とアルバム『TREASURE HUNTING』の同時リリースを控えていました。『Drive On Road』はミディアムテンポの曲ですが、重厚な演奏にボーカルの山田信夫さんの艶のあるボーカルがよく合っている名曲です。
しかも今回はゲストではなく、パーソナリティとして16:00~20:00のスペシャル番組を担当されています。さすが「おいちゃん」の愛称で、ラジオパーソナリティとしても長年全国のリスナーに親しまれてきた方。長時間の生放送にもかかわらず、7月29・30日に迫った野外フェス「サマー・ピクニック」の話などで盛りあがったそうです。当日はあいにくの雨だったのですが、放送ブースの前には「おいちゃん」の姿を見ようとファンが詰めかけました。まだradikoなどのラジオの配信手段が整っていない時代に、福岡のファンだけの特別な時間になりました。
実はこうせつさんは、2回のラジオ出演だけではなく、4月23日(日)には、よかトピア会場内のリゾートシアターで「KDD 001 シーサイドライブ 南こうせつ亜細亜的音楽園(エイジアンサウンドパラダイス)」というコンサートも開かれています。小倉祇園太鼓との共演や、アジア音楽にも詳しい実力派バンドmar-paをゲストに迎えて、13時半から3時間を超えるステージでした。
さらには、よかトピア閉会後もこうせつさんとシーサイドももちの関係は続くのですが、そのお話はまたの機会に。
キャッチコピーは、海辺の瞬間FMステーション!
2007年には映画『クローズZERO』(監督:三池崇史さん。原作:高橋ヒロシさん)に劇中歌を提供し、ナレーションやライブシーンへの出演でも参加されました。最近では、かつてメンバーだったエンリケさん(バービーボーイズのベーシスト。浜崎あゆみさんのバックバンドなども担当されています)がツアーメンバーに復帰されて、35年にわたって精力的に活動を続けられています。
ご出演された1989年7月といえば、5日に2ndアルバム『VOICE』をリリ-スされたばかりでした。
※オフィシャルサイトにこれまでの歴史や作品がアーカイブされています。このブログでも参照しました。
グループを離れた後は、1989年6月25日にシングル『夏だけの女神(ディアーナ)』とアルバム『SQUALL』でソロデビューされています。よかトピアFMへのゲスト出演はその直後でした。
ご自身の活動のほかにも、数え切れないほどの楽曲提供を続けられ、SMAPのシングル『らいおんハート』(2000年。作詞は野島伸司さん)の作曲・編曲でも有名です。
その世界での活躍ぶりから、よかトピアには「アジア太平洋」のテーマにふさわしい、うれしいゲスト。ただ、よかトピアFMに出演した1989年は、オリジナルメンバーの仁井原実さん(Vo)がバンドを離れ、大きな変化を迎えた年でした。新しいボーカルにマイク・ヴェセーラさんを迎えて、9月17日にアルバム『SOLDIER OF FORTUNE』を発売しますので、心機一転の直前、バンドにとってもファンにとっても大事な時期に来局されたことになります。
シーラさんは放送の翌日と翌々日には、よかトピアのイベント「アジア太平洋映像まつり」にも出演されています。このイベントは、日本・韓国・中国・マレーシアのテレビ局がそれぞれ自分の国のテレビについて紹介する番組を制作して、1週間にわたって会場内のリゾートシアターで上映したもの。それにあわせて各国の歌手がコンサートを開き、15日・16日にはマレーシアの番組の上映を、シーラさんの歌声が盛り上げました。
さらには、劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」の三宅裕司さんも、この日にゲスト出演されています。出演されたのは、その日の締めくくりを担当する番組「よかトピア Sound Sailing」(19:30~22:00放送 →007)。ラジオ「三宅裕司のヤングパラダイス」(ニッポン放送)やテレビ「平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国」(TBS。ただよかトピアFMへの出演時は、福岡ではまだネットされていませんでした)で大人気の三宅さんをこの日の最後に迎えて、14日は3組のゲストが出演した豪華な一日になりました。
16日は歌手の徳永英明さんがゲスト。徳永さんは福岡県柳川市でお生まれになっています(中学・高校時代は兵庫県に移られました)。1986年にシングル『レイニー・ブルー』でデビューされて以来、第一線で活躍されてきました。出演された年には、5thアルバム『REALIZE』をリリースされています(5月21日)。この年は福岡市制100周年記念の各イベントにも出演されました。
※徳永英明さんのオフィシャルサイトでは、ディスコグラフィーや活動履歴が日付まで詳しくアーカイブされています。このブログでも参照しました。
ドラマの放送が7月3日~9月25日、『GLORIA』の再発売が7月26日ですので、よかトピアFMへのご出演は、まさにブレークのまっただ中のことでした。
今回のゲスト出演は、よかトピアのイベントにあわせたもの。会場内のリゾートシアターでは、7月19日(水)~23日(日)の5日間、「日本のまつりパート2 四国・中国編」というイベントが開かれていて、河島さんは19日・20日に出演されています。四国でお遍路しながらライブをやったことがあるという河島さんは、このステージでヒット曲『酒と泪と男と女』などを歌われました。
なお、手元の資料によると、ゲスト出演は13時のようですので、番組は「NAGISA MUSIC PAVILION」だったはずです(→〈007〉 )。
ちなみに河島さんも出演された「日本のまつり」は、よかトピアで日本全国の祭りや芸能を紹介するシリーズもののイベントでした。かなり演目が盛りだくさんですので、またあらためて調べて、このブログで紹介したいと思っています。
24日は桑名正博さん。桑名さんも翌日によかトピアのイベント「パオパオロック」に出演されるのにあわせて、ゲストにいらっしゃいました。この不思議な名前のイベントについては、このブログの第3回でご紹介しましたので、ぜひあわせてご覧ください(→〈003〉 )。
楽曲提供も多く、作詞を共同でおこなったアルフィー『メリーアン』『星空のディスタンス』、小泉今日子『The Stardust Memory』、作曲を担当したおニャン子クラブ『真っ赤な自転車』『じゃあね』、作詞・作曲・編曲の『翼の折れたエンジェル』など、ヒット曲をたくさん手がけられています。よかトピアFMにゲストに来られたときは、6月21日にご自身のアルバム『PATROLMAN』を発売ばかりでした。
※オフィシャルサイトにディスコグラフィーや楽曲提供リストがアーカイブされています。このブログでも参照しました。
ここまで数えてみると、7月は実に16組ものゲストを迎えています。4月と並んで一番ゲストが多い月になりました。
14日には、ラウドネスとシーラ・マジッドさんと三宅裕司さんを迎えるなど、博覧会ならではのバラエティにとんだ顔ぶれになっています。
会場への入場者も夏休みに入ってどんどん増えていきましたので、ゲストを一目見ようと、放送ブースの前はさらににぎやかになっていったようです。
このゲスト編のブログも、今回は博覧会の閉会まですべてご紹介するつもりでしたけど、そのゲストの多彩さで、まったく8・9月までたどり着きませんでした…。残りのゲストを数えてみたら、8・9月であと11組もありました…。
もう一息。次回こそは完走したいと思います…。
【参考文献】
・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)
・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)
・『radio MOMO よかトピアFMの記録』(FMよかトピア事務局、1989年)
・『よかトピアFMタイムテーブル』VOL1~3((財)アジア太平洋博覧会協会)
#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #よかトピアFM #シング・ライク・トーキング #南こうせつ #ザ・ストリート・ビーツ #コモリタミノル #ラウドネス #シーラ・マジッド #徳永英明 #高橋研
[Written by はらださとし/illustration by ピー・アンド・エル]
※ 2023年4月28日 タイトルを変更しました。
2023年3月30日木曜日
2023年3月28日火曜日
福岡市史講演会「西島伊三雄と都市福岡のデザイン」を開催しました
このような絵がチラッと見える所が粋なんです。
図案屋として初期に関わったお仕事だそう!
こちらもステキなお着物でのご登壇です。
左が一度は決定した西島伊三雄デザインのマーク。下の2つもカッコイイ!
「うまかっちゃん」というネーミングの発案も実は伊三雄さん!
また、広告を発注する側とそれを受けて作る側の両方に、「支店が多く小売業や流通業が盛んである」という福岡独自のまちの特徴も、大きく影響しているようでした。
これまでご講演いただいた皆さまに加え、ファシリテーターとして福岡市史編集委員会の有馬学(ありま・まなぶ)委員長が参加し、テーマである「西島伊三雄と都市福岡のデザイン」について、西島伊三雄をはじめとしたデザイナーの仕事が都市のイメージ形成に与えた影響に迫りました。
2023年3月24日金曜日
【別冊シーサイドももち】〈030〉百道の浜に舞いあがれ! 九州初の伝書鳩大会
埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。
この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。
本についてはコチラ。
この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。
過去の記事はコチラ。
第2回 (「ダンスフロアでボンダンス」)
第3回 (「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
第4回(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
第5回(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
第6回(「最も危険な〝遊具〟」)
第7回(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
第8回 (「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
第9回(「グルメワールド よかトピア」)
第10回(「元寇防塁と幻の護国神社」)
第11回(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
第12回(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回 (「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回 (「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)
第25回 (「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)
第26回 (「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)
第27回 (「開局!よかトピアFM(その3)今日のゲスト 3~4月」)
第28回 (「まだまだあった! 幻の百道開発史」)
第29回 (「開局!よかトピアFM(その4)今日のゲスト 5~6月」)
※ 2023年4月28日 一部タイトルを変更しました。
〈030〉百道の浜に舞いあがれ! 九州初の伝書鳩大会
書籍『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』という本をつくった際、西新にかつて存在した「百道海水浴場」のことを調べていて、毎日毎日気が遠くなるほどの新聞記事をひたすらめくって記事をチェックしていたのですが、その中で気になるイベントを見つけました。
それがこちら。
_人人人人人人人人_
> 伝 書 鳩 大 会 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
そう、伝書鳩大会。なんじゃそりゃ……??
主催は海水浴場と同じく福岡日日新聞社(現在の西日本新聞社)のようですが、本書の中の「百道海水浴場年表」という超絶ニッチな年表には収録したものの、詳しい内容までは掲載できず。
というわけで、その後もずっと気になっていたこの不思議な大会について、ちょっと調べてみました。
* * * * * *
この社告にあるとおり、「九州伝書鳩大会」と銘打ったこの大会は大正14年に開催され、主催が福岡日日新聞社、「九州はとの会」が賛助として加わり行われました。
そもそも、通信社と伝書鳩の縁は深く、今のようにインターネットがない時代、もっとも早く写真などの画像を届ける通信手段として、伝書鳩が使われていました。西日本新聞社にも昭和33年までは屋上に伝書鳩を飼育する鳩舎があったそうです。
(※写真はイメージです)
さて、こうして百道で開催されたこの「九州伝書鳩大会」、当時の久留米師団など軍部をはじめ、九州一円の「愛鳩家」たちがこぞって参加、「本日の百道海水浴場は鳩の国と化する盛況を呈するであろう」と報じられました。
それもそのはず、調べてみるとなんとこれが九州で初めて開催された伝書鳩レース!
そんな事もあり、皆さん気合が入っていたようで、なかでも久留米第十二師団参謀本部は、その年に生まれた幼鳩16羽を連れ、移動訓練も兼ねて「移動自転車曳鳩舎」とともに大会前から「百道テント村」(→第16回・第17回 )に滞在して百道の浜で飛翔訓練を行うという力の入れようだったそうです。
記事によれば、レースはまず午前7時に急行電車福岡駅に参加鳩を持ち寄り、午前10時には二日市駅、続いて久留米駅からそれぞれ放鳩。ハトが各自の鳩舎に帰着したものを百道海水浴場事務所前に設置した決勝点に持ち寄り、その到着順で決勝とした、とありました。
通常、鳩レースのルールは、同一の場所から飛ばしたハトが各地にある自分の鳩舎に戻るまでの時間を測り、その時間と距離から分速を算出して順位が決まります。ですが本大会では鳩舎を百道に持ち込み、そこをゴールとしたようです。
しかしそのメカニズムはまだよく分からないのだそうです。
(※写真はイメージです)
またそれとは別に、百道から福岡県水産場へ通信を搭載したハトを飛ばしたり、お昼からは百道―久留米間、百道―志賀島間の往復リレーが行われたり、福岡日日新聞社の熊本支社や、その他若杉山など県内の林間学校からハトがやって来たり、とにかくこの日の百道はハト三昧!! まさしく「鳩の国」です。
ちなみにこの時、熊本支局から3時間かけて運ばれたニュースは、南九州中等学校野球大会優勝戦の結果や当地の天気で、これらは海水浴場内に設けられた展示会場に展示されたそうです。展示会場では、レース鳩の展示や鳩具等の展示即売会なども行われ、これは一般の人たちも見学することができました。
久留米駅→百道(直線約38㎞)
さてさて、肝心のレース結果はというと、とくに二日市から飛ばされた福岡市の中島自動車商会が飼育する「アキヅキ1号」が、久留米―福岡間約38㎞を所要時間25分で飛翔、分速1520mの好成績を納めました!
分速約1.5㎞ということは、時速にすると約90㎞……早ッ!!
それぞれの部門の優勝者には、福岡日日新聞社寄贈の賞状とメダル、それに東京大日本鳩具製作所寄贈の「銀足鐶」(鳩の足につける輪っか)が贈られたそうです。
最後は百道の空に300羽の「鳩笛」をつけたハトを一斉に飛ばし、まるで「空中オーケストラ」のように「百道の空に乱舞して異様の音楽を合奏しつつ一斉に帰還して行」ったそうです。帰還していったのか……。
かくして九州初の伝書鳩大会は大成功のうちに幕を閉じたとのことでした。
* * * * * *
いかがだったでしょうか?
いま考えるとなかなかカオスなイベントにも感じますが、当時の伝書鳩は報道でも軍事でも第一線の通信手段として広く使われていたため、一般へのハト人気も高く、想像以上に盛り上がったようです。
しかし九州で初めて開催された鳩レースが百道で行われたとは驚きでした。
ちなみに最後の「鳩笛」を付けた鳩を飛ばす「空中オーケストラ」、2014年の札幌国際芸術祭のオープニングセレモニーとして、あの坂本龍一さんが監修した「Whirling noise(ワーリング ノイズ) – 旋回するノイズ」として実施されていました。すごい!
このほかにも百道の浜では昔からまだまだ不思議なイベントが山ほど開催されています。引き続き紹介していきたいと思いますので、どうぞお楽しみに!
【参考文献】
・『鳩』第3年20号(大正14年8月15日、鳩園社)
・西日本新聞社史編纂委員会編『西日本新聞社小史』(1962年、西日本新聞社)
・一般社団法人日本鳩レース協会ホームページ「鳩レースって何?」/http://www.jrpa.or.jp/general/index.html
大正14年7月30日『福岡日日新聞』朝刊3面「本日百道海水浴場で九州伝書鳩大会 久留米師団からも参加 競翔と展覧会と飛行機放鳩」
大正14年7月31日『福岡日日新聞』朝刊3面「百道海水浴場 九州伝書鳩大会 各地よりの放鳩大成功 三百羽の空中オーケストラ」
#シーサイドももち #百道海水浴場 #伝書鳩 #鳩レース #鳩の国
[Written by かみね/illustration by ピー・アンド・エル]
2023年3月20日月曜日
博物館出前学習 玄界小学校編 その1
福岡市博物館ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
今回は、福岡市西区玄界島で行った出前学習のお話です。出前学習とは、博物館のスタッフが市内の小中学校を訪れ、授業や体験プログラムを行う取り組みのことです。
令和5年1月中旬、玄界小学校の先生から、博物館資料を活用した学習ができないだろうかというご相談をいただきました。対象は、小学校3年生。昔の道具や生活の知恵などを調べることを通じて、道具とともにくらしが変化してきたことを学ぶ、という社会科の単元です。
玄界島は、18年前の今日、平成17(2005)年3月20日に起こった福岡県西方沖地震に見舞われ、全島避難を余儀なくされるほどの大きな被害を受けました。島の皆さんの団結力が功を奏し、わずか3年で希望者全員の帰島が実現しましたが、この震災をきっかけに、島の歴史や生活の様子を伝える多くの資料が失われました。現在、玄界小学校に通う生徒さんは震災後に生まれており、先生方は震災後の島の環境や生活の在り様を踏まえつつ、震災前の島の歴史や文化をどのようにして子どもたちに伝えていくのか、という玄界島ならではの地域学習の課題をお持ちでした。
そこで先生と相談しながら、「玄界島の昔のくらし」という授業を計画し、学校への出前学習としては初めて博物館資料を館外に運び出すことになりました。
島の将来を担う子どもたちに本物をみて、触れて、五感で島の歴史文化を学んでもらいたいという先生方の熱意がかたちとなりました。45分の授業ですから、持ち込むのは昔と今の島の生活につながるもの、島のくらしを象徴するもの、安全に運搬が可能な3点に絞り込みました。
これであとは渡船が欠航しないよう天に願うだけです!
授業の会場となった音楽室に博物館から持ち込んだ資料を並べ、それを布で隠して出前学習のスタートです。講師は民俗担当学芸員の河口。
授業ではまず、さきほどお借りした玄界島の航空写真と、昨年夏に撮影した島の写真を見比べながら、何が変化しているか子どもたちに問いかけました。昔は砂浜があったこと、遠見山の頂上付近まで畑があったこと、車が通れる道が今のようにないことなど、子どもたちが次々に気づいたことを発表します。では、「昔はどんな道だったのか」、「荷物はどのように運んでいたのか」を問うと、子どもたちは「手で運んでいた?」と自分なりの考えを発表してくれました。
これを受けて、博物館で準備した昔の玄界島の生活の様子を写した写真を見ながら解説です。震災前までは、雁木段とよばれた石段で島の人びとみんなが上り下りしていたこと。そして荷物は「オイ」(背負い梯子)を使って運んでいたことなど、写真を見ながらかつての島の生活環境について学びました。
「オイ」について紹介すると子どもたちは「小屋にあるやつだよね」と身近に残る「オイ」の存在に気づき、今と昔で道具の大切さに違いがあることを実感したようでした。
後半では、テーブル上に並べた資料にかけた布をひとつずつめくりながら授業を展開します。
まず細長い鉄の棒「カナテコ」という道具。子どもたちに、棒の先端の形を観察したり、実際に手に持って重さを体感してもらい、「どうやって使うものか」、「何に使った道具であるのか」を問いました。
昔の写真を見ると家の周りが石垣になっている、という子どもたちの気づきから、「カナテコ」は、石垣を造際にテコの原理を使って石を動かすための道具であることを導き出しました。今でも島に残る石垣がどのようにして造られていたのか、石垣を造ることがなくなると道具も必要とされなくなることを伝えることができました。
続いて、古い着物を再利用して作られた昭和時代の手袋や、海士が潜水漁の際に使用した「ハチオ」と呼ばれる藁でできたベルトも紹介しました。なかでも手袋については、「分厚い」「あんまり暖かくない」などさまざまな反応がありました。
手袋の素材にも注目し、木綿布のハギレを組み合わせて作られていることや、中には綿がたくさん詰められていることなど、普段使っている手袋との違いを考えてもらいました。
最後に紹介したのは、昔と今の子どもたちとをつなぐものです。手持ちで島へ運ぶことが難しいこの資料については、様々な角度から撮影した写真を使って問いかけ、それが何の道具か当ててもらいます。
いろいろな言葉が挙るなか、途中で「あかり」という発言が出たところで、資料の全体像を映し出します。それは明治時代に島の夜回りで使用されていた「火の要心」を書かれた手持ちの行灯でした。家々が密集するかつての玄界島にとって火災は大きな脅威の一つでした。一人一人の火に対する意識は、今もずっと受け継がれています。このことを伝える一枚の写真を、ここで子どもたちに見てもらいます。それは午後5時の島内放送の写真です。そこに写っているのは5年前の子どもたちの姿。玄界島ではこの時間になると島の子どもたちが当番で拍子木を打ち「火の用心」と島内放送を通じて家々に呼びかけるのが慣例となっています。行灯と島内放送。昔のくらしは途絶えるばかりではなく、かたちが変化しても今なお受け継がれているものがあることを伝えたかったのです。これからも午後5時の島内放送が続くことを願っています。
最後のまとめでは、子どもたちから先生たちと一緒に島内にある昔のくらしの道具を探しに行きたい、もっと島のことについて知りたいという希望が出されました。
ものに直接触れることによって、子どもたちが島の過去と現在が結びついていることについて深く考えるきっかけになったのならば、この出前学習は成功です。
これから先、島の写真などを一緒に整理してはどうだろう、島内のいろいろな場所を子どもや先生たち、博物館スタッフが一緒に歩いてみるのはどうだろうと、アイデアは膨らむばかりです。
玄界小学校へ資料を館外に運び出す取り組みは、これまでの玄界島での調査や里帰り展示の経験を通じて、現地で資料を安全に輸送するための手段や環境を把握できていたことが大きな後押しとなりました。これまでの玄界島と博物館の活動については、ブログの「その2」でお伝えしますので、お楽しみに。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
(文責:河口綾香 補助:松尾奈緒子)