四万十川、「名声とダム」の・・・・なぜ?

四万十太郎さんから毎日のように、時には1日に何通も、メールで「四万十川新聞」が送られてきます。短い文章で、写真が付いていたりして、おもしろく読めます。
これは、四万十川新聞の「江戸」と題された号にあった『「名声とダム」の・・・・なぜ?』という記事を転載させていただいたものです。写真は他の号に掲載されていたものを使わせていただきました。


降って湧いたような名声は、時として「苦難」の源となる。

「日本最後の清流」が、「日本で最も美しい」と、曲解されてしまった四万十川には、堰高8mの取水堰が在る。河川法では15m以上を「ダム」と呼び、それ未満を「堰」とすることより「四万十川にダムはない!」となっているが、8mの構造物は在るのである。...これは発電用の取水堰である。

川の水を使って電気を造るには許可が必要となっている。なぜなら川の水の所有者は「国」で、その土地も「国」の所有地だからである。その許可は30年の期限付きである。

30年前は問題にもならなかったこの作業が、今の四万十川では大きな問題となっている。

この騒動の原因は、「30年間の歳月に社会が変化した」ことがあるが、最も大きな原因は現在の「四万十川の名声」にある。

この名声を盾として「ダム撤去」「環境問題提起」が唱えられているが、昔の無名の四万十川では起こり得なかった問題である。


さて、水力発電ダムには二つの見方がある。一つは「人間社会からの視点」もうひとつは「自然社会からの視点」である。

どちらも無視することが出来ないのは「人間も自然の一部」だからであろう。

「人間のために、電気は必要!水力発電は原子力、火力に較べて将来も必要だ!」、という見方をすれば「ダムは必要!」となり、「自然環境のためには、、」という見方をすれば、「ダムは不要!」となる。

平成の現在どちらか一つのみを選び、他方を全面否定するという、「二者択一」の道をとる事は出来ない。従って「将来への考え方」と「自らの生活スタイルの改善」を提起した中間色の問題として処理されることになる!


*古人曰く「道は近くにあり、されど悩める人はそれを遠きに求む!」

(2006年9月作成)
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