噺し聞かせんや童幾多の苦難をのり越えて北海道の新天地に新十津川村が建設された。奈良県十津川の大洪水については、川村たかし著『十津川出国記』(北海道新聞社・昭和62年)、十津川郷を旅立ち、北海道の新村の建設を記録した続木朝一編著『新十津川治水史』(北海道樺戸郡新十津川町役場・昭和54年)がある。この書によれば、皮肉にも移住先でもまた、石狩川の水害に悩まされた。なお、このような移住については、明治22年7月筑後川大水害によって、下流域の筑後農民たちは、ハワイと大分県九久重高原へ住み着いている。(古賀勝著『大河を遡る−九重高原開拓史』(西日本新聞社・平成12年))
語り聞かせんやよ童
明治二十有二年
吾等祖先の住みなれし
吉野の里の十津川は
前代未聞の洪水に
家は更なり 田も畑も
押し流され 様を
頃は八月十九日
降り続きたる長雨は
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水のあふるるその時に
岸辺の家はながされて
山の麓にすむひとも
川のほとりにすむひとも
声を限りに助けをば
声を限りに救いをば
救はん術もなかりけり
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古郷をあとに草まくら
旅路の空にたちにけり
渡る海路もさはりなく
此処に移りて村をたて
新十津川と名づけたり