食糧増産計画と愛知用水
敗戦国の最大の緊急課題は、食糧確保とそのための農地開拓(農地拡大)であった。24年の土地改良法制定などにより、戦後の農政改革に即し耕作地中心主義の大規模な用排水事業の根拠となる法律が生まれた。食糧増産計画は既耕地の改良へ重点を置くようになった。ここで戦後復興の象徴のひとつ・愛知用水事業を取上げる。
敗戦国・日本は大規模事業を実施する資金がなく、事業はいずれも世界銀行を通じて外資導入によった。第一号は愛知用水事業の資金調達であった。愛知用水事業は、昭和25年公布の国土総合開発法によって指定された木曽川特定地域の最大プロジェクトで、事業主体として30年に愛知用水公団が設立された。同事業は愛知県と岐阜県の一部に農業用水を供給する計画であった。設計施工に当たっては、ここでもアメリカ技術陣の支援があった。(27年サンフランシスコ講和条約が発効した。日本は6年8ヶ月に及ぶ占領統治から解放されて「独立」した)。