この工事では事故や雪崩によって 300名以上犠牲者が出た。とくに昭和13年12月27日は午前2時志合谷ホウ雪崩は、志合谷宿舎を襲った。強烈な爆発音とともに宿舎の三、四階が人間もろともに消し飛んだ。84人が亡くなったが朝鮮人労働者も犠牲となっている。
なお、工事は進められ、昭和14年8月困難を極めた高熱地帯のトンネルが貫通、15年11月仙人谷ダムは完成した。
前掲書『黒部川』には、「人間は、そのとき現在の進行した(と信じられる)科学の水準を頼り、その限界の、ギリギリまであえて不可能に挑もうとする。人間とはある意味で、そのように悲しい性の持主である。」と述べている。このような科学の限界ギリギリをあえて不可能に挑んだ技術者たちの「志」が、戦後における黒四ダムの建設にもつながっているように思われる。
現在の黒三発電所は昭和48年に無人化され関西電力(株)新愛本制御所(宇奈月町)からの遠距離操作されている。