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日経社説 柔軟な発想で公教育の再生を図れ

東京都心の区立小学校では、地元の公立中学校に進学する児童が6割ほどしかいない。実に4割前後が私立の中高一貫校などに流出する事態だ。都内の小学校全体の平均でも約17%が私立校に進む。都市部で顕著な現象だが、受け皿さえあれば公立を避ける保護者がいかに多いかを示している。背景には大学進学に有利という親の計算はあろう。しかし、それだけが原因ではない。

極東ブログ: 東京の私立中学受験が厳しいのだそうだ

朝日社説 敬老の日 引き算の介護もいいね

あれもこれも、とお世話を重ねる足し算の介護よりも、残っている力や意欲を生かす引き算の介護に目を向けたい。
高齢者の自立と尊厳を支える介護とはどのようなものか。そこに立ち返って考えてみるのも悪くはない。

うっぷす、すげ〜文章。

ネットから次なる書籍化なるか

+  + \\ ライスボウルワッショイ!!/+ 
               + 
.   +  /しかく\ /しかく\ /しかく\ + 
    ( ́∀`∩( ́∀`∩)( ́∀`) 
  + (( (つ  ノ(つ 丿(つ つ )) + 
     ヽ ( ノ ( ヽノ ) ) ) 
     (_)し' し(_) (_)_) 

ワッショイ⇒[教えて!goo] 性体験が遅く悔しい
ちなみに私がもし回答すると↓と同じ

50代主婦です。
(中略)
過去は戻りません。変えようのないことは変えられません。
それよりもどうか理性をお持ちになって、これからの長い人生を「中身たっぷり」にお過ごしになって下さい。

ま、そんなとこ。
ネタ出しの人28歳とのこと。
ちなみに私は49歳。その差21年。
ま......以下略。

17日のダルフール・デーの写真

BBC NEWS | In Pictures | In pictures: Darfur rallies

Many argue that the international community ignored the genocide in Rwanda and should now live up to its promise of 'never again'.
国際社会はルワンダ・ジェノサイドを無視してしまったが、今度は「二度とそうさせない」という約束を果たそうと多数の人が唱えた。

【ワインポイント英熟語】
live up to a promise of
〜するという約束を果たす
ニュース的には。
CNN⇒CNN.com - Protesters around world plead: Intervene in Darfur - Sep 17, 2006
CNN⇒CNN.com - Activists around the world focus on Darfur - Sep 17, 2006
各国のニュースは⇒Global Day for Darfur - Google News
国内ソースでは見かけなかったように思うけど。

困ったことがあったら極東通信

というわけでもないが。
私の困ったこと解決法をご紹介。
困ったことというか悩み解決のゴールデンルールというか。
では。
悩んでいることの最悪の事態が現実である可能性を考えて、それが70%以上の蓋然性なら、それを現実として受け入れるように考える。というか悩みをその現実受容の方向に変えていく。
たとえば、私は馬鹿ではないか、劣等感とか悩むとか......で、ゴールデンルール......私はたぶん(70%)馬鹿なんだろう。だったら、それが現実というものであって、劣等感とか持つ必要ないんじゃないかとか。
で、ここでちょっと微妙なんだけど、開き直りじゃないんですよ。無理しないこと。ええ、俺は馬鹿でぇと居直るというのではないんですよ。
だいたい悩むっていうのはいやな現実への対処方法のミスなわけですね。現実に対して思考とか幻想で抵抗しているわけですよ。でも世の中は現実の力学で成り立っているわけです。
たとえば、俺はモテない......一生(注記)(注記)かもとか......で、それの蓋然性できるだけ客観的に考えて現実を受け入れていく。
で、その現実に対して改善策があるか、ないか? ないときは、諦めるんですよ。
そういえば、すげー昔。
ある重要な試験に合格するか落ちるかとか悩んでいるとき、一生懸命悩んでいて、ふと思ったのですが、悩むという努力は試験結果にどのような影響を持つか? 答え、否定的。つまり、悩むだけ無駄なんですね。悩むというのは間違った努力なんで、ダメならダメだし、できるならできるだけのことをするだけのこと。努力のエネルギーの無駄。
よくスポーツなんかで精神力とかいうけど、あれは体力とか技術にsignificantな差があれば、精神力なんて意味ないんですよ。どんなに早く走れる人間がどんなに精神力があっても、チーターにはかなわない。そんだけのこと。
ま、しかし。
カネがないとかいう悩みはそう解決できはしないか。実際に追い詰められているとなにかとダメだけど、そうでなければ、カネがなくても生きられるように生きているだけでよいのでは。
愛されたいのに愛されないというのは、つらいし、それが現実だとさらにつらいものでもす、が、でも、人によってはただの現実だったりするわけです。
あと、......悩んでいるとき、けっこう、自分に嘘ついていることが多いですね。そういう言い方もなんですが。ただ、虚飾のない自分というのを見つめるのは惨めなもので、まあ、そういう惨めさに少しずつ慣れていくのがいいのかという感じはしますが、これはあまり他人に勧められるものでもないけど。
ああ、あと......以下略。
追記
蓋然性というのは確率っていうことで、ただ、これは当たるか当たらないかというより、現実というのものを確からしさとして再認識しようということ。
で、これっていうのは、幸運とか奇跡を期待しないことです。幸運とか奇跡みたいなことは長く生きているとなんどかあるんだけど、それでうまくいくのに賭けるのは愚かだろうと思います。まあ、このあたりは人生観の問題かもしれないけど。

そう簡単にはいかないタイプの悩み......

人が信じられないとか裏切られるとか、そういう悩みというのは、かなりつらい。
裏切られたのが現実だとして、それでも、その人への愛情とか残っている惨めさとか、これはかなりつらい。
ある男がこの子は自分の子だろうかと疑うような悩み、あるいはこの親は私の親だろうかといった悩み。これも現実の蓋然性と見ることもできないではないけど、なんというか、オイディプスの悲劇というか、確実に知ることが悲劇になっても知りたいという悩みはある。
こういうのは、ひどい言いかただけど、ただの悲劇なんでしょう。
自分の生き方が現実を決める(この現実を自分の人生として引き受けることで現実とする)という場合は、「現実を受け入れましょ」とはいかないというか矛盾。
悲劇的なことというのがあるという現実ですね。そういう悲劇的な悩みみたいのは解決できません。
逃げがたい悲劇というのに直面してしまうというのがある。
うーむ、すみませんとか言ってしまいそ。
ついでにいうと、「悪」「悪しき者」というものに人は打ち勝つことはできなのではないかと私は考えます。そうしたものから免れて生きていられたらラッキーだったなくらいなのが人生なのでしょう。

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