政治家の成長を感じる時
「ふるさと」という政治を支える基盤
国会議員経験者の首長選挙への転身
若い世代の政治・選挙の捉え方を学んだ夜
2025年の参院選について愛知選挙区を中心に選挙運動の視点から感じたこと
2025年の参院選について愛知選挙区を中心に選挙運動という視点から感じたことを書き残しておきたい。
毎年、7月頃は、様々な事業が本格的に動き出すため自由に動ける時間がほとんどないことが多い。今年は例年と比べても忙しく、仕事の合間に足を運んだが結局、すべての陣営の選挙運動を見ることはできなかった。
10年以上前になるが、若い頃は、僅かでも選挙運動の実戦的な知識を得るために各陣営の選挙事務所を訪ね歩いたりしていた。そんな時代があったことが懐かしい。
【自民党】
・石破総理と酒井候補の演説を聞くことができた。先日も書いたが、私にとっては王道の内容で選挙運動としては違和感は感じなかったが、その後、全国の情勢調査を見ると世間の感覚とズレ始めているのだろうと思った。
・石破総理自身は昔と変わっていないのだが、世の中が変わってしまった。そんな感想を持った。かっては、自民党随一の人気応援弁士だった時代もあったのだが。
・石破総理の演説のトーンが選挙の演説と言うよりは平時の雰囲気に感じられて、安定感はあるのだが評価は分かれるかもしれないと思った。
・総理大臣を演説会に呼ぶと極めて厳しい警備体制が敷かれると聞いていたが、持ち物だけでなく全身を金属探知機らしき機械での検査し徹底していた。
・地元選出の国会議員や地方議員の挨拶を何人も聞くことができたのも面白かった。複数の議員の話を一緒に聞ける機会はなかなかないと思う。国政選挙の演説会に参加する醍醐味のひとつだと思う。
【公明党】
・安江候補の街頭を聞くことができた。候補者と握手し少し話もできたのは貴重な経験だった。現職であり、演説は実績をPRするスタイル。安定感があると感じた。
・自分は選挙には関わってきたが、事務所で活動することがほとんどで街頭の経験は浅い。たまたま、街頭ポイントの正面のカフェで朝食を食べながら仕事をしていたので、どのように段取りをすすめるのかがわかって勉強になりありがたかった。場所取りなど、相当に早い時間から取り組んでいてスタッフの皆さんの献身には頭が下がる。
・名刺型(二つ折りの名刺)の証紙ビラは配りやすくてよいと思った。証紙を貼るのが少し職人芸になるかもしれないが、複数で取り組んで貼り具合のクオリティを競い合うと盛り上がるかもしれない。
【立憲民主党】
・当初、田島候補の街宣日程をネット上で見つけることができず、候補者の姿を見ることはかなわないかと思っていたが、仕事で出かけた先で運よく選挙戦の最終日のマイク納めを見ることができた。
・最後の演説ということで、候補者本人が一番大切にしたいと考えていることを聞けたと思う。主要な争点が経済政策になる中で、今一度戦争と平和について考えさせる演説だった。
・証紙ビラだと思うが、候補者の名前を目立たたせたビラを看板代わりに使って多くの支援者が街頭に立っていて誰の街宣かがわかりやすかったと思う。
・知事を始め、国会議員や地方議員、支援団体の関係者が集まっており、豪華な布陣のマイク納めだった。立憲だけでなく自民や公明、国民などもそうだが、これまでの歴史の積み重ねの上にできている政党は、街頭の運営にそつがなく、安心して見ていることができる。選挙運動とはこういものだと私が経験的に思っているイメージからズレない安心感がある。ただ、こうした感覚は一般からはズレたものなのかもしれない。
・他にも友人たちが応援している候補者の事務所を訪問したが、こちらはうまくタイミングが合わず活動を見ることはできなかった。
【国民民主党】
・玉木代表と水野候補の演説を聞くことができた。候補者と握手し少し話もできたのは貴重な経験だった。水野候補は、私はお会いし事はなかったが広い意味でのNPO関係者で有名な方。ご自身は、演説の中で私のことは皆さん知らないと思うと話していたが、そんなことはないのではないかと思った。演説は、新人のため思いを中心に話していた。率直に言って上手いと思った。
・党首が入るということで、国会議員や地方議員も多く集まっていた。制服姿の中高生の姿や20代ぐらいの若者の姿が見えたことには驚かされた。話には聞いていたが、若い世代に支持する人が多いのだと思った。
・玉木代表の演説はわかりやすかった。聞いた内容のポイント(基礎控除の引き上げ、投資減税等)をメモを取らなくともかなり正確に書き起こすことができそうだった。聴衆に上手にブリッジをかけて一体感をつくりながら演説を運ぶ技術に長けていると感じた。
【参政党】
・杉本候補の街頭を聞くことができた。結党5年の政党だが想像以上に選挙運動としての型ができていて驚いた。街頭が始まる前の段取りの段階から見物していたが、運動員に選挙慣れした動きの人が多く率直に言って手強いと思った。ウグイスが上手に現場を仕切ってトラブルを起こさないようにコーディネートしていたことも印象に残った。
・候補者以上にウグイスの力量が印象に残った。上手いのだが、いわゆるプロのウグイス臭さがなく、学校の先生のような語り口だった。カウンター側と支援者でシュプレヒコール合戦になって場があれかけた時に「皆さん、STOP!」止めたのは見事だった。
・候補者も政治家感があまりなく素人的な感じがあることは好意的に捉えられるのではないか。
・候補者が演説の中で自分たちは差別はしていないと何度も繰り返していたことが頭を離れない。ダイバーシティや多文化共生といった言葉に内心で違和感を持つ人には響くのだろう。実はそれが差別の芽なのだがそのように捉えれていないのではないか。私はそうした考えを持たないので想像でしかないが。
【チームみらい】
・山根候補と比例の候補の個人演説会に参加することができた。セミナーのような雰囲気で、いわゆる個人演説会の設えではなかった。例えば、司会の方が詳しく自分の自己紹介をしたことやslidoで質問をオンラインで受付けて質疑をおこなったこと(そもそも質疑自体をやることは珍しい)、候補者がノートパソコンを持って入ってくる、スライドを多用する、お揃いのポロシャツを着ないなど。印象に残る場面が多かった。
・私の知る「選挙」ではない形で選挙に取り組んでいると感じた。時代は変わったということなのか。私のような既存の選挙の垢にどっぷりつかり毒された人間からすると最終日としては極めて緩い雰囲気にも感じられたが、新しい試みに挑戦しているとも思った。候補者が政治家然としていないところは私が知る範囲では令和になってから20代で当選した若い地方議員の雰囲気に近いと感じた。
・あまり個別の政策には触れず、候補者が自分の「原体験」を語ったことも強い印象に残った。また、政党という言葉に抵抗感があり、党員と言う言葉にゾッとする。党員を勧誘していくことがイメージできない。これまでの政治のあり方は怖い、敵を作っているといった発言は興味深かった。
【その他】
・れいわや減税、社民党の候補者の話も聞いてみたかったが、残念ながらタイミングが合わなかった。街宣車は何度か目にする機会があった。れいわと減税については職場のある中区を走っていることが多かった印象がある。偶然かもしれないが。
【Youtube】
・選挙情勢に関する番組が増えた。テレビのニュースも配信される。夜仕事をしながら時折ラジオ代わりに聞いていたが、毎晩のようにいくつも動画が追加されるのですべてを見ることができる人はいないだろうなと思った。
・選挙の情報を毎日チエックしていた若い頃ならYoutubeに張り付いていただろうと思う。今は、そういう情熱は失ってしまったが。
政治家を支援するということ。関りを続けること
継続して政治家と関わって来て感じていることについて書きたい。数か月前から何度も内容を書き直してきて、結局論理的な文章に落とし込むことはできなかった。50歳近くになったおじさんが悩むようなことではなく、こうしたことを書き残すこと自体が恥ずかしいと思うが、書かずにいれなかった。
友人から、政治家を支援すると何か得なことがあるのかと問われることがある。特に余禄のようなものはなく、持ち出しばかりと答えるが、なかなか信じてもらえない。現実的な利益が得られるわけではなく、ただ、共に活動に関わる仲間たちができ、彼らとの絆が深まるだけだと思う。政治家を核として損得無しで結びつく。それ以上に得るものはなく、私はそれがよいと思っている。
先日、ある友人の政治家と話していて胸を打たれる話を聞いた。手のかかる支援者との付き合いについて、自分が政治家になる時に大きな役割を果たしてくれて、それからも共に戦ってきた仲間だから、どんなに迷惑をかけられても付き合いを断つことはできない。そんな対応をとってしまったら自分が政治家として立っていけない。
こうした場面で理よりも情を取る彼のような政治家の振る舞いが自分にとっては好ましい。これまでにも似た話を私は少なからず聞いてきたが、その度に心を打たれている。
支援者の側から見て、疑問符が付く行動を政治家が取ることがあると思う。そこで関係が終わることもあるし、終わらないこともある。諦めながら諦めない。政治家との関係を継続するには、そうした心構えが重要なのだと思う。
劇作家の山崎正和が、政治家との関係について長く関係を続けるには分をわきまえること、期待をしないこと、自分の政治的な考え方を実現するために政治に参加しないこと、いろんな意見は必要に応じて述べるが、それが取り入れられることは望まない。一部でよいので後でなんらかの形で活かされればよいと回顧録で述べていたことが強く印象に残っている。山崎氏が語ったこうした姿勢、考え方は、私自身が政治家に関わる中で行き着いた結論めいたものとほぼ同じである。
実のところ政治家と強く関係を結べば結ぶほど、コスパやタイパとは真逆の出来事がおこる。4半世紀政治家と関わっていると、支援した政治家がスキャンダルを起こして恥ずかしい思いをしたことは何度もある。実質的な迷惑をかけられたり、政治的なスケープゴートにされて責任を押し付けられそうになったりもした。ひどい時は、君と付き合って何か私に得があるのかよくわからないと面と向かって言われたことにもある。
話はズレるが、私は政治家だけでなく、学識者や社会運動家からこうした言葉をかけられることがある。よほど考えが浅い人間に見えるのか、言っても許してもらえそうな人に見えるからなのかはわからないが。まあ、私に軸となる考え方がないことは認める。こうしたことにはもう慣れっこになってしまい、腹立たしく思う気持ちがないわけではないが、特に気にしなくはなった。
最近、政治家と支援者の関係性は変わってきたように思う。関係性にコスパやタイパと呼ばれるようなものが求められているように感じる。自分の思い通りにならないとすぐに離れていったり、敵対する。
SNSで政治家と気軽につながれるようになったことが大きな影響を与えている。気軽につながり、簡単に関係を清算する。濃密な個人的な人間関係や中間集団を介した利益配分が軸になってきた政治の世界には変化が訪れつつあるのだろうか。
実際に顔を合わせて関係をつくっていた時代から、ネットでつながることができるようになったことも影響しているのかもしれない。政治家の側もそうした変化を意識してネットでつながることを意識した活動にシフトし始めている。
社会の各領域でコミュニティを形成してきた中間集団がどんどん弱くなり、政治家は中間集団を介して有権者と顔を合わせて深い関係を結ぶことが難しくなっている。
個別に接触しようとしても在宅率が低くなり、地方であっても戸別訪問をしても有権者に会うことができない。そもそも個人情報を提供することを嫌がる有権者が多くなった。個人に呼びかけることが難しくなったからか集会が成立しないという話もよく聞く。
そもそもそうした活動で接触できる層は、元々、かなり偏っていた。社会の構造の変化がすすむ中で、ネットでつながろうと市民も政治家も工夫することは無理もないことで、それが悪いことばかりとは思わない。
20代の若い政治家が、従来型の有権者との接点の作り方とインターネットを介したコミュニケーションのバランスよくとりながら活動がしている例について話を聞く機会があった。彼らは、これまでの政治家の活動手法もよく学んでいて、インターネットの活動だけを重視していない。私が10年以上かけて現場で学んだことを短期間で吸収し実践しているのは、多種多様な情報源を活用してリソースを得ながら行動することが自然にできるデジタルネィティブ世代の強さを感じる。
政治の現場には、どんなに裏切られても、政治家に期待することをあきらめない人たちがいる。そうした皆さんは、私にとっては眩しすぎる。至誠通天という言葉が頭に浮かぶ。私にはとてもたどり着けない領域だが、美しいと思う。
翻って見ると今の自分にあるのは政治家への執着のようなものなのかもしれない。もうかなわないと解っていながら、政治家とともに理想を追うような生き方をしてみたいという気持ちが心のどこかに残っている。