はい、ご命令通り読みました。
わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: この本がスゴい2007読め(命令形)
で、読んでみた感想。
読め(命令形)
コミック14巻を5巻に再収録した本書は、一冊600ページ+。合計3,000ページは、まさに年末年始に読むのにふさわしい。
本作品「真説 ザ・ワールド・イズ・マイン」には、二種類の怪物が出てくる。モンとヒグマドン。うち、モンの方は、怪物といってもホモサピエンスであり、ヒグマドンの方は怪獣である。どちらも理不尽に人を傷つけ殺すが、殺傷力からいけばヒグマドンの方が桁違いに大きい。が、ヤバイのはモンの方だ。なぜならモンの狂気、あるいは野生は伝染性があり、人はその影響力を受けずにはいられないのだから。
本書はそんなモンの狂気の虜となった普通の気弱な男の子、トシとモンの逃避行兼殺戮ツアーを一つの軸に、そしてデカイくせして隠れるのも上手なヒグマドンをもう一つの軸に話が進んでいく。「俺たちに明日はない」的な逃避行モノが好きな人には、それだけでも堪えられないだろう。
しかし本書のキモは、そんな彼らのアクションもさることながら、「ザ・ワールド」の方のリアクションにある。この二つの狂気に同時に教われた日本は、そして世界はどうなっていくのか....
「デビルマン 」(映画はなかったことにしておこう)と比べるというのはなかなかいい着目点だと思う。トシとモンのコンビは、了と明を彷彿とさせる。さらに美樹に相当するマリアというキャラクターも出てくる。しかし、本書はページ数で「デビルマン」の三倍ある。この豊富なページ数のおかげで、主人公たちだけではなく脇役たちを描写するだけの余裕がある点が素晴らしい。デビルマンの簡潔さも素晴らしいが、あれだけ壮大な物語をコミック五巻では、どうしても登場人物たちは「ロール」を演じるのに忙しくてキャラクターにまではなりがたい。サタンの王にしろデビルマンたちの長にしろ、リーダーというのはキャラクターが立てにくいのだ。「デビルマン」でも、キャラという点では脇役であるシレーヌの方がずっと立っていた。本書のインタビューで作者が「漫画はキャラクター」と言っていたが、その作者が「黙示録」を描くのであれば、どうしてもこの分量は必要だったのだろう。
ただ、エンディングの畳み掛けの小道具として、核兵器というのは当時としてもどうか、とも思う。この小道具は、冷戦が当たり前の時代に育った1960年代生まれぐらいまでは、問答無用、説明抜きで使える小道具ではあるのだが、冷戦終結後しばらくして描かれた本書の場合、もう少し別の小道具を持って来た方がよかったように思う。実際核兵器は、文明を滅ぼす程度であれば足りるのだが、人類を滅ぼすのにもちょっと微妙で、ましてや地表をキレイにしてしまうにはとても足りないことが今では分かっている。実際のところ、この点において核兵器は小惑星一個にも敵わないのだ。
そもそも、ああいうエンディングにすべきか、という意見もまたありうる。実際、「怪物モノ」としては外すことができない「寄生獣」では、日常に手をつけずにきちんとシメている。私はむしろ「寄生獣」のエンディングこそ凄いと思ったが、しかし「火の鳥 未来篇」から「デビルマン」まで、みんな逝って大団円というのはこれはむしろ一つの伝統であり、私もこの伝統は嫌いじゃない。伝統だけに、陳腐化しないよう細心の注意も必要なのだけど、本書は成功例だと私は読んだ。
それにしても、こんなに凄い作品を描いた新井英樹を、私はほとんど知らなかった。「愛しのアイリーン 」を見かけた程度で、それすら全巻読んでない。漫画ワールドの、とてもマインには出来そうにない広大さを、改めて思い知った次第である。
Dan One of the Worlds
コメント一覧 (10)
あの終わり方もやむなし、かと。
確かにあれは秀逸ですね。
あの部分しか記憶に残ってない。
もしかして意図的ですか? 襲われた?
町山智浩氏の批評も興味深いのです。
podcastでどぞー
http://www.eigahiho.com/podcast.html
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/