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お休みー!

冬休み。 休みになったら、あれもこれもやろうって思ってたけれども。 Easier said than done! 散歩中に出会ったニャンコ。お休みモードになってしまいます・・・ 一つずつ、やっていかなくてはー。 今喫緊の課題は、アパート探しです。 今回私が参加しているプログラムでは、基本的に赴任後3ヶ月半はホームステイ、その後はホームステイを続けるか、予算の範囲内でアパートに移動するかは、どうぞご自由に・・・ってことになっています。 ホームステイ先に大きな不満があるわけではないのだけれど、私は一人暮らしをしたいので、今家探しをしています。 んー、二年前の年末も家問題が勃発していたなぁ。あの時は、大家さんとの家賃交渉が難航して、家を追い出されそうになっていたのでした・・・。 で、今回も家賃で苦戦中。なんとかします。ふどほふらさ。 さて。冬休み中に他にどんなことをしていたかというと。

Unlearn

ブログ放置して、2ヶ月近く経過してしまいました。 アメリカに来て3ヶ月半。 日々大小様々なことが起きますが、お陰さまで生きて・・・いや、生かされております。 3ヶ月半。 ことある毎に、ウズベキスタン生活と比べてしまうのは良くないなぁとも思うのですが、ウズベキスタンの時より今回の方が、生活に適応するのに時間がかかってしまってるように感じます。 アメリカは先進国だからインフラの問題はほとんどないし、ウズベク語より英語のほうが勉強してきた時間はずーーっと長くて、語学の問題も少ないハズなのに、何だこの、「コレジャナイ感」 今までの経験からくる「こうあるべき」っていう思いが強すぎる。 それと、プライドが高すぎる。そのせいなのかも。 今は、"unlearn"(学びほぐす)時期、と自分に言い聞かせてます。 そんなこんなな、3ヶ月半。 もちろん、嬉しい事、楽しいこともいっぱいあるけれども! 学校生活だと、学生と接するのはやっぱり楽しいです。 ティーンエージャーの生態はまだまだ私にとって謎につつまれた部分が多くて、こちらの予想を大きく裏切られることが多いです。 つまらない授業の時ははっきり、つまらないっていうのを態度に示すし。 授業アンケートに"Horse manure"(馬ふん)って書かれたし。 でもその分、 「日本語を勉強するのが楽しい!嬉しい!」 っていう気持ちが伝わってくると、私も嬉しくなります。 プライベートでは、やっと車の免許とりました。 車の免許取るまでの道のり書いたら、相当長くなるので、割愛。 気が向いたら(たぶん向かない)書きます。 車通勤、おっかなびっくりです。高速を走るんだけど、時速70マイル(約112キロ)出してて・・・恐怖! 日本では、ペーパーゴールドだったので、運転への苦手意識が半端ないけれども、この2年間で克服したいと思います。 ホームステイ先のワンコ 最近写真撮ってないなぁ。ブログに載せるのに適当な写真を見つけられなかったので、取りあえず犬の写真でも。よく脱走して、よく吠えて、ちょっと(かなり)困ったワンコなのだけど、かわいいです。

びっくり異文化体験

強烈な異文化体験をしました。こちらに来てから一番ショッキングな体験だったかも! 今週はHomecoming Weekでした。 始まる前は、(Homecomingって?一体何をするの?)と思っていたのですが、Homecomingというのは、「卒業生を母校に迎えて、ダンスパーティーやスポーツの試合などの各種イベントを楽しむ」ことで、今週は毎日、「パジャマの日」「スクールカラーの日」などテーマを決めて、多くの生徒がテーマに沿った洋服を着て登校していました。パジャマの日には、大きなぬいぐるみを抱えてくる子などもいて、びっくり! で、生徒の服装以上にびっくりしたのが、ダンスパーティー。 「ダンスパーティーで、Chaperoneをしてくれる先生を募集しています。時間は金曜日の9時半~12時半です」 っていうお知らせがあり、(Chaperoneってなんぞや?でも午前中だったらいいかなぁー)と思い、参加してみることにしました。 同僚の先生に聞いたら、Chaperoneとは、生徒を監視する人のことだそうで、 「ダンスパーティーに行ったら、きっと大きなカルチャーショックを受けると思いますよ」 とのこと。 今回はダンスパーティー中に悪いこと(アルコール、ドラック、過度な接触など)をする生徒がいないかを監視するという任務だったのだけども。 今回のイベントで私は大きな勘違いを二つしていました。

グローバル!

2013年 6月 ウズベキスタン 7月 日本 8月 アメリカ にいました。 アメリカに来て早1ヶ月ちょっと! 渡米前にウズベキスタンに2年間住んでいたせいか、今、外国にいるっていう実感はあまりないのです。敢えて言うならば、大げさかもだけど、「地球に住んでる」って感じがする。 こうやって書くと、私、なんだか地球規模、グローバルな人みたいだなぁ。 でも自分が「グローバル人材なのか?」というと、そんなことは全然ないと思います。 何を持ってグローバル人材というのかも疑問だけれども。 アメリカに来て、様々な場面で、「違い」を痛感するけれど、比べる対象が日本とアメリカではなく、ウズベキスタンとアメリカ、になっているのが自分でもオカシイ。 アメリカの印象は、「すべてが大きい」 人も物も街も。スケールが違います。 高校も始まりました。 日本語の教室 やっぱり学生に会えると、「がんばろー!」って気分になります! 日本語を履修している学生は、中国系の子が多いですが、他にもヴェトナム、韓国、日本、ソマリア、エチオピア、ヒスパニックなど様々なバックグラウンドを持つ学生がいます。 私の派遣先の学校は、同僚の先生によると ・3分の1は、良く出来る子 ・3分の1は、普通の子 ・残り3分の1は、大きな問題を抱えている子 だそうです。 この地区で一番、家がない子の割合が高い学校です。 学校には警察官が常駐しています。私がいる州はマリファナが合法なので、授業中にトイレに行って吸っている子もいるみたいです。 毎日毎日、色んな経験をして、周りの人にいっぱい助けてもらってます。 いつも書いているけれども、ありがたいです。皆さん、ほんとにほんとありがとうございます。 特にホストマザー。 彼女はユダヤ教徒なのですが、非常に合理的に物事を考える人で、英語が拙い私を子ども扱いせず、対等に接してくれてます。 休日はハイキングに連れ出してくれたり。 また行きたいなぁ どこだったかなぁ・・・ 昨日はユダヤ教の新年をお祝いする行事があって、シナゴーグに連れて行ってくれました。 ちなみに今日もシナゴーグで礼拝があったようなのですが、ちょっと休みたいなぁと思ったので、今日はパスしました。 ちょっとずつ、生活のリズム...

Oh say・・・!

アメリカ来ましたー。 最初の1週間はLAで研修。 同僚の先生とも、どきどきの初対面。 「第一印象が大事!!」って言われてたのに、なんと初対面の場所は・・・ トイレでした。 昼食食べ終わって歯を磨いてるところで出会い、(ん?もしかしてこの人かな?そうだったらいいなぁ・・・)と思いながらも、歯磨き中で声をかけられずに教室に入ったら、 ビンゴ! でした。 嬉し恥ずかし♡ LAでの研修はなかなかハードで毎日ぐったりだったのだけど、同期の皆のことが大好きになりました。それにとても有名な先生の講義を受けることも出来ました。 ほんとにほんと有り難い限り。 なのに、研修が終わった後の私はというと。 「不安が服を着て歩いてる」状態に。 不安の塊。 英語も学校もホームステイ先も車の購入も・・・もー全部!! なんだってこんながっちんごっちんになってるんだろうって自分でも思うぐらい。 ホストマザーもね、言葉が不自由な私を子ども扱いせずにいてくれるんだけど、(あぁ、なんで私英語こんなに出来ないんだろうー)って情けなくなることがあります。 言葉が出来ないって思い込んでるから、銀行や携帯会社に電話かけるのすら怖い。バスに乗るのも怖い。 研修中、同期の子たちと、 「3ヶ月後にワープしたいねぇ」 ってよく話してました。が、それはムリなので、前に進んでいかなくてはー!です。 任地に来て少しずつ不安の塊が解凍されつつあるし! 英語もESLの先生探そうって思ってます。 がんばろー!! 癒しの場。ここに自分の車で来られるようになりたいなぁ 街で見かけた看板♪

再びいってきます

本日渡米。 なのに!!渡米準備、8割終わりましたが、まだ細かいことが残ってます。 世界水泳を見て、一眠りしてからガンバル!! 今回の日本滞在は1ヶ月ちょっと。 前半はアメリカ行きの準備に必死でしたが、後半は日本(主に実家と和食)を満喫してました。 帰れる場所があるって本当に本当にありがたいなぁ。 帰れる場所があるからこそ、飛び出していけるんだなぁ。 「日本帰って来たと思ったらすぐにまた海外なんて、日本がイヤなの?」 って色んな人に聞かれました。 全くイヤじゃありません。 むしろ日本は私にとって、とても暮らしやすいところです。 だけど、もうちょっと海外で武者修行してこようと思います。 今、私の頭の中はウズベキスタン、日本、アメリカを行ったり来たり。 アメリカ行って、大きくなって帰って来たいな。・・・体重じゃなくて、人間的に、です。 では、いってきます!! 夢の国行ってきました♪

現場第一!

珍しく連日の更新! やることいっぱいだけど、ちょっとやる気復活してきたので書ける時に書きます! 最近、青年海外協力隊の応募について、ちょこちょこ聞かれます。 私の体験談が役に立つかどうか大いに疑問だけど・・・応募前~合格までのこと、試験のことなど書いていこうかなぁ。あぁ、でも記憶がだいぶ薄れております。以前、日本語教師になった経緯はどこかに書いたはず・・・。 さて。話は変わって。 日本に帰ったら絶対に行きたい!と思っていた所に行けました。 地域のボランティア日本語教室。 日本語教師養成講座修了前に、2,3ヶ月だけお世話になったのだけれども、そこでは本当に貴重な経験をさせてもらいました。 そのボランティア日本語教室の学習者は、中国人の主婦が多く、日本に来て間もない人から、何年も日本に住んでいるけれども、日本語の読み書きが出来ずに困ってる人など様々。 みなさん、すごく熱心。 日本語がもうちょっと出来たら、生活が変わるかもしれない。 そんな想いが伝わってきます。 だけどそんな方々に対して、ヒヨコ日本語教師の私に一体何が出来るんだろう。 協力隊に参加出来たら、自分が「外国人」として外国に暮らせる。そうしたらほんの少しは在日外国人の方の気持ちが分かるかもしれない。 そう思ったことも協力隊に応募した理由の一つです。 実際自分が外国人としてウズベキスタンに暮らしてみて思ったことは、やはり語学は出来るに越したことはないということ。 言いたいことが伝えられないというのは、想像以上にストレスのたまることでした。 それにその土地の言葉ができないと、子ども扱いされて一人前に扱ってもらないこともある。 と言っても、日本ではいくら日本語が出来ても「外国人は外国人」として扱われ続ける面があるとも思うけれども。 私は本当にほんの数ヶ月だけそのボランティアに関わらせてもらっただけなのに、今日伺ったら先生方がすごく温かく迎えてくださいました。ありがたいー。ありがとうございます。 帰れる場所があるって本当に幸せなことだなぁ。 次もまた海外での日本語教育の道を選択したけれども、その後は日本で自分に出来ることをしていきたいのです。 まだ渡米してもいないけれどもさー。 初心を忘れないようにって思って、ブログに書きました。今で...