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現場第一!

珍しく連日の更新! やることいっぱいだけど、ちょっとやる気復活してきたので書ける時に書きます! 最近、青年海外協力隊の応募について、ちょこちょこ聞かれます。 私の体験談が役に立つかどうか大いに疑問だけど・・・応募前~合格までのこと、試験のことなど書いていこうかなぁ。あぁ、でも記憶がだいぶ薄れております。以前、日本語教師になった経緯はどこかに書いたはず・・・。 さて。話は変わって。 日本に帰ったら絶対に行きたい!と思っていた所に行けました。 地域のボランティア日本語教室。 日本語教師養成講座修了前に、2,3ヶ月だけお世話になったのだけれども、そこでは本当に貴重な経験をさせてもらいました。 そのボランティア日本語教室の学習者は、中国人の主婦が多く、日本に来て間もない人から、何年も日本に住んでいるけれども、日本語の読み書きが出来ずに困ってる人など様々。 みなさん、すごく熱心。 日本語がもうちょっと出来たら、生活が変わるかもしれない。 そんな想いが伝わってきます。 だけどそんな方々に対して、ヒヨコ日本語教師の私に一体何が出来るんだろう。 協力隊に参加出来たら、自分が「外国人」として外国に暮らせる。そうしたらほんの少しは在日外国人の方の気持ちが分かるかもしれない。 そう思ったことも協力隊に応募した理由の一つです。 実際自分が外国人としてウズベキスタンに暮らしてみて思ったことは、やはり語学は出来るに越したことはないということ。 言いたいことが伝えられないというのは、想像以上にストレスのたまることでした。 それにその土地の言葉ができないと、子ども扱いされて一人前に扱ってもらないこともある。 と言っても、日本ではいくら日本語が出来ても「外国人は外国人」として扱われ続ける面があるとも思うけれども。 私は本当にほんの数ヶ月だけそのボランティアに関わらせてもらっただけなのに、今日伺ったら先生方がすごく温かく迎えてくださいました。ありがたいー。ありがとうございます。 帰れる場所があるって本当に幸せなことだなぁ。 次もまた海外での日本語教育の道を選択したけれども、その後は日本で自分に出来ることをしていきたいのです。 まだ渡米してもいないけれどもさー。 初心を忘れないようにって思って、ブログに書きました。今で...

ブログ書かないの?

って色んな方に聞かれました。 ・・・おさぼりブログですみません。もうちょっと、ほんのちょっとでもマメになりたいものです。 本文とは無関係ですが・・・家族で動物園に行きました♪ 帰国後、一番聞かれることは 「アメリカ行きの準備進んでる?」 です。 パスポートとビザをもらって安心して、それからは進んでるとは言い難い状況。 準備しなきゃ~という焦りばかりが募る日々。 ちょっと気分変えて、日本に帰って来て驚いたことを書いてみます。 1.道が平ら!でこぼこしてない!! (その上、白線がずーっと途切れることなく引いてある。なんてこと!) 2.若い子がおしゃれ!若さ全開まぶしい!! (ウズベキスタンの若い子もおしゃれだったけれども、なんだか違うんですねぇ。なんだか若さをすごく感じるの。あ、これってただ単に私が歳をとっただけってことでしょうか・・・。) 3.店員さんの対応が丁寧!! (チップ払いますよ-って言いたくなるぐらい丁寧。マニュアル化されてても丁寧さを感じる。開店直後のデパートの光景といったらもう。) 4.何を食べてもおいしい。 (みんなに太ったね-と言われる私ですが、なんでも美味しいので、日本で痩身計画はうまくいきそうにもありません。) 5.電車の中でみんな携帯とにらめっこ。 (これはねー。なんとかならないものか。) 6.思ったよりWifi使えるところがない。 (日本の携帯会社と契約してないので、出先ではネットにつなげず不便。) 7.思ったより外国人が多い。 (自分が2年間「外人」だったからか、外国の方がすごく気になるのです。見かけると、がんばって!って気分になる) 8.交通費高すぎ。 (ものすごい勢いでお金が飛んでいきます~) 9.湿気ってツライ。 (クーラーなしでも暮らせたブハラの40度超が懐かしいです。クーラーないとムリ・・・) 10.テレビで外国のことよく放送してる (ブームなのかな?「こんなところに日本人が!」という番組をよく見ます。) ざーっと書いてみました。 そんなこんなで、ほそぼそとブログ続けようかなぁと思っています。あぁ、アメリカ、準備しなきゃ。 もしもこんなこと書いて欲しいなぁなんてご要望があったら、直接でもメールでもなんでもお知らせくださいな。 ア...

帰って来ました

帰国歓迎会にて お刺身!日本!! 実は極秘で一時帰国していたので、2年ぶりではないのですが。 いやー、でも今、日本にいるのですね。 2年間ウズベキスタンにいたことも、こうやって日本にいることも、なんだかまだ信じられません。フワフワした気分。 帰国する前も(ほんとに帰るんだ)っていう実感もなく。学生や配属先の人に挨拶しても、ほんとに終わりって気がせず。 自分の最終報告のプレゼンを終えても、2年間の活動が終わったって気がしなくて。 送別会でも、自分が帰るって気になれず。いつものように送別会が終わったら、ブハラに戻って仕事・・・のような気がしていました。 送別会後はブハラには戻らず、タシケントで過ごしてから、日本に帰って来ました。 このサボってばっかりのブログも、サボりすぎて書き方を忘れてしまいました。書くことが全くまとまりません。こんなブログにお付き合いくださった皆様、本当に本当にありがとうございました。 2年間で何かを成し遂げたっていう達成感はありません。 2年間で自分が大きく成長したという実感もありません。 でも、2年間で今まで知らなかった世界を知ることが出来た。 たくさんの素敵な人に出会うことが出来た。 そのどれもが宝物。 帰国直前、(ウズさん、そう来ますか・・・!!!)っていうことが次々と降りかかってきて、(ほんとに帰国できるのかな・・・)っていう気持ちが強かったこと、帰国するっていうことを心のどこかで認めたくなかったこともあって、今まだ帰国の実感がないのかもしれません。 2年間は確かに終わったけれども、ウズベキスタンの人たちとの関係が終わったわけじゃない。私の配属先の日本語教育も終わりじゃなくて、むしろこれから!です。 ウズベキスタンでのこと、忘れたくないし、忘れちゃいけないと思う。 いろんなことがあって、ウズベキスタンもウズベク人も嫌いになりかけた(っていうかなった?)こともあったけど、嫌いじゃないです。 ウズベキスタンで出会ったすべての人、日本で支えてくれた家族、友人、ほんとにほんと皆さんに感謝してます。 帰国前にご挨拶出来なかった方もたくさんで申し訳なかったです。また地球のどこかでお目にかかれたら嬉しいです。 このブログを読んでくださっていた方、本当にありがとうございまし...

お祭りだ!

Asrlar sadosi    Navoiy 2013 行ってきました! “Asrlar sadosi” は直訳すると、 “Echoes of Centuries ”   「世紀の木霊(こだま)」という名前のお祭りです。 2008 年に始まって、今年で6回目。 ウズベキスタンの歴史的な場所で年に1回、 Fund Forumという団体とユネスコによって 開催されています。 以下、写真中心のレポートです。

健康診断♪

ウズベキスタンで生活してると、日々思いもかけない様々なことが起こります。 ですが、1年10ヶ月も経つと、赴任当初感じたほどの驚きはなくなってきます。 だけど、今日は 「おー、さすがウズベキスタン!」 って思ったので、小ネタですが・・・ブログに書きます。 首都にあるクリニックで、健康診断を受けて来ました。 任地の病院だと、英文診断書を書いてもらうのが難しいので、わざわざ上京して、外国人もよく利用するクリニックをJICAを通じて予約を取ってもらいました。 血液検査、心電図は日本と変わらず。 しばらく待たされてから、身長、体重測定。 「あなたが今日来るって知らなかったから、測るもの用意してなかったのよ。」 とお医者さん。 (いや、私予約してたし)と思うも、言えず。 靴を履いたまま壁際に立たされて、お医者さんが鉛筆で壁に印をつけ、床から印までの高さを20センチ定規で計測。 「158センチね!いつもは何センチぐらい?」 と聞かれたので、 正直に 「156センチです。あの、靴・・・」 と答えたら用紙に「156センチ」って記入してました。自己申告制。測った意味なし。 体重も、 「いつもは何キロ?」とこれまた自己申告。 視力は、 「手で片目を抑えて!」 と言われて、キリル文字(ш,н,и,лなど)を読み上げます。発音に自信がなかったうえに、間違えると舌打ちされるので、答えが当たるまで、当てずっぽうで答えました。 そしたら、両目ともに視力1.0。 私小学生の時から視力1.0いったことないんだけどな・・・。 聴力が一番衝撃的でした。 部屋の片隅に片耳を抑えて立つように言われ、お医者さんは私から一番遠いところ、つまり対角線上に立ちます。 「私が今からささやくから、それを繰り返して言って!」 「うち!(3)」 「べし!(5)」 と数字を読み上げるお医者さん。で、復唱する私。 用紙には、左耳も右耳も、 「100%」 って書いてました。問題ないってことね・・・。笑いをこらえるのが大変でした。 検査結果は、ありがたいことに、体重と貧血以外は問題なし。 貧血はねー、体質なのか何なのか。造血剤を飲まないといけないなぁ。 あと、かさかさの肘を見て、 「ヨードマリンを飲むように」 とも言わ...

サッカー大会!!

同期の R くん開催のサッカー大会を見に、フェルガナに行ってきました。 フェルガナへは 3 度目の訪問。フェルガナはウズベキスタンの東部にあり、緑が豊かで人が穏やかな町です。私もブハラの次に好きな町。 R くんは体育隊員で、マクタブ(小中学校)に派遣されていて、学校の授業外で子どもたちにサッカーを教えています 子どもたちの励みになるようにと、 1 年以上の準備期間を経て、近隣の学校を集めてこのサッカー大会を開催したそうです。 R くんの派遣先は、フェルガナ市から車で 30 分弱のところにある、クヴァのシュレーデル村。 ほんとに「村」 彼はウズベキスタン唯一の村隊員なんじゃないのかなぁ。 インフラが厳しく、水道、ガス、電気すべてなしということもよくあるようです。冬は薪割り必須。 このシュレーデルこそ、「青年海外協力隊」と聞いて多くの方が想像される場所なんじゃないのかなぁと思ったり。 にしてもね。 R くん、溶け込んでるね。村の一員。 村人さんや学校の先生方に R くんの評判を聞くと、 「ルスタムジョン( R くんのウズベク語名)は、すばらしい!働き者で頭が良くて。私の親戚なの。」 と。 学校をほんのちょこっと見学させてもらったのでその写真を。

折り紙コンテスト

配属先にて、第4回折り紙コンテストを開催しました。 写真が暗い~ 運営は完全に現地スタッフに任せて。私はちょこっと口出しただけ。 当日は、後輩隊員さん二人が審査員をしてくれました。本当にありがとう! 折り紙コンテスト直前になっても、準備が終わってないようでしたが、 同僚のギリギリ力には目を見張るものがあるので、何とかなって(して)ました。 真剣勝負! コンテストは、3つの課題があって 1) 事前課題 「箱」の折り方のインストラクションを事前に渡しておいて、参加者は家で練習。 コンテスト当日は、速さ・正確さを競います。 2) 当日課題 難易度の異なる5つの折り紙のインストラクションを書いた紙を配布。 制限時間内に、出来るだけたくさん、難易度の高いものをきれいにつくった人ほど高得点に。 3) 自由課題 制限時間内で自由に作成。 をしていました。 普段日本語の授業ではひらがなに大苦戦している子が、箱を一番に作り上げてとっても満足そうな顔をしているのを見たり。 彼は文字は苦手なんだけど、習字の時に書くイラストも上手だし、きっと芸術に長けた子なんだろうなぁって思います。 私が知っている子どもたちの姿は、「日本語の授業中」だけ。 だからテストの点だけで、その子を測ることなんて出来ないんだなぁって改めて思わされました。 長年センターに通っている子たち さて。話が変わって。