三ツ森溜池

三ツ森溜池
昭和5年に結成された安達太良普通水利組合の最大の取り組みは、本宮・玉井地域の水問題の解決、特に旱害の解決であった。大正13年の「鳴俣騒動」事件に象徴される様に、杉田川、百日川、安達太良川いずれの川においても上流地域である大山、玉井地区と下流地域である本宮町との水争いは絶えず、こうした状況から、旧玉井村と本宮町が協議して、玉井村守谷山の麓、三ッ森の地に一大貯水池を構築することになった。この工事は「安達郡本宮町外一ヶ村水利改良工事」と銘打つ県の事業として、当初、昭和6年に工事着手し7カ年の継続事業として計画された。水利問題の解決だけでなく、農村不況にあえぐ農民の救済事業としての性格を有するものでもあった。工事人夫として働き現金収入を得るためにも、この工事に寄せる村民の期待は大きかった。(当時の人夫賃金は一日一人50〜60銭であった。人夫は地元のみならず他県からも来ており、朝鮮人労働者も雇われた。)
予定より遅れること1年、昭和7年7月工事着工、総事業費452,392円を注ぎこんで昭和14年6月に完成した。
この池は七瀬川上流を提長205メートル高さ29メートルの築堤によってせき止め、8.42ヘクタールの面積に、72万1千立方メートルの水が貯水される。受益面積は本宮町247ヘクタール、玉井村512ヘクタール、合わせて759ヘクタールである。(『大玉村水利事業史』より)
周辺の緑豊かな美しい風景を、満々と溜めた水に映し、三ッ森溜池はひっそりとたたずむ。秋の紅葉、春の新緑の名所であり、山菜の宝庫としても知られている。

工事中の作業風景

所在地

福島県安達郡大玉村玉井字三ツ森
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