miyabiiseki
縄文時代の遺跡で、西郷湾内の宮尾半島付近にあります。昭和46年(1971)に発掘調査が行われ、大量の縄文式土器や、石鏃、石斧などが出土しました。石鏃は島後北西部の久見産黒曜石でできており、土器は縄文時代前期(約7000〜6000年前)のものも発見されています。
minatoiseki
縄文時代後期から弥生時代前期にかけての遺物が出土する遺跡で、湊地区の水源地がある辺り、ゆるやかな段丘斜面が海岸線に伸びた東斜面に存在しています。昭和31年(1956)に島根大学と関西大学が合同で行った調査では、動物の骨、黒曜石の石鏃や石斧などの石器、縄文時代後期の土器が発見されています。
kounohara2goufun
全長約30m、6世紀後半の築造と考えられる前方後円墳です。一部が道路整備や住宅のために削られています。すぐ南には二宮神社古墳(前方後円墳)、付近には能木原古墳群や白髪古墳群、斎京谷古墳群など多数の古墳が存在しています。
imazushokubutu
オキノアブラギクやオキタンポポなど、1万年の間に進化した隠岐固有亜種の植物が多く確認されるほか、オオエゾデンダ、トウテイラン(写真)など、隠岐の海岸周辺の植生を観察できます。
mukuroji
元屋の山中、建福寺の上方に存在する樹高10〜18mの11本のムクロジの群生地帯です。ムクロジは、熱帯や亜熱帯、国内では本州中部以南に分布するとされていますが、これほどの巨木が群生するのは珍しいとされています。ムクロジの果実は、旧来より羽根つきの球や石鹸として利用され、約2000にもおよぶ同族品種の中には、清涼飲料として馴染み深いライチやガラナなども含まれています。
inugusii
犬来地区から津井の池に向かう林道わきに生育する2本のシイの巨木です。1つは樹高13m、幹周8.6m、もう1つは樹高15m、幹周4.4mです。シイはブナ科の常緑高木でアジアに約100品種、日本では暖帯沿岸地方を中心に2品種の自生分布が確認されています。特にスダジイは、国内では縄文時代以来の食料で、隠岐でもツマミやお菓子として食べる習慣が残っているほか、椎茸のホダ木としてよく利用されています。
昭和50年10月に御客神社境内の杉2本、ケヤキ1本が旧西郷町の文化財指定を受けましたが、平成9年に台風により枝や幹が損傷し、2本の杉(当時:樹高35m、幹周5.6m/樹高32m、幹周4.6m)が伐採されました。一方で、現在も残るケヤキは樹高23m、幹周5.2m。御客神社上手の小山に今でも残り、見事な樹幹を広げています。
原田の物忌神社境内に生育する樹高25m、根元周囲9m、幹周6.4mの杉の巨木です。地上2.5mの部分から寄生した2株のケヤキが伸びています。現在は、安全上の理由からケヤキの幹は伐採されましたが杉の中に根を張っている様子を確認できます。
大満寺から山頂に向かう登山道に見られる独特の成長を遂げた樹高23mの杉の木です。一般的に樹木は幹の外周が活発に成長し、芯の部分から成長が止まり場合によっては芯が腐ってしまいます。マドスギは腐った芯の部分が露出し、窓のような形をしていることから、その名が付けられました。
yuisuisen
油井地区の道路脇一帯のスイセン群と併せて、隠岐固有亜種のオキノアブラギク、モクゲンジ、チョウジガマズミ、ミツバイワガサ、ハマダイコンなどの隠岐の特徴的な植生が見られる植物群落です。スイセンの開花時期は12〜3月、原産地は地中海沿岸とされ、日本には中国から伝わり、もともと栽培品種であったものが野生化したと考えられます。
misakijinjanomori 暖地性植物のタブノキの巨木群を中心に、クロマツ、シイ、隠岐が北限であるイヌマキの巨木、隠岐で減少しているヒメコマツの大木などが神社の杜を構成しています。
togoomomi
東郷の集落から2キロほど北に登った林道の三叉路に生育しています。樹高28m、幹周4.8m、根元周囲6.6mで幹はノキシノブ、コケ等の着生植物が見られます。
ooyamakeyaki
布施地区、大山神社の御神木でもある杉の巨木は樹齢800年といわれ、樹高45m、幹周7.1m。一方でケヤキは2本あり、1本は樹高30m、幹周4.3m、もう1本は樹高32m、幹周4.5mです。隔年4月初午の日に行われる山祭り神事では、この杉の御神木にカズラを巻く「帯締め神事」が行われます。
推定樹齢400〜500年、樹高9m、幹周2m。嶽山に向かう山道の途中、横山寺の脇の薮道を徒歩で200mほど登った山中に生育しています。イスノキは暖地性の常緑高木で、古くから染料、家具、木刀、杖、陶磁器の融剤として使われてきました。また、虫が抜けた虫えいや堅い実の殻に風が当たると「ヒョウヒョウ」と音が鳴ることから、別名「ヒョンノキ」とも呼ばれます。
kouzanji 光山寺の創建は、宝亀年間(770-780)とされ、小野篁ゆかりの寺として知られています。篁は、遣唐使船への乗船を拒むなどして承和5年(838)に隠岐への遠流の刑に処せられました。当初の配所は島前中ノ島の豊田とされていますが、その後に島後に渡り承和7年(840)に許されて帰京するまで、この光山寺で過ごしていたといわれています。古い堂宇は明治初期の廃仏毀釈で焼失し、往時を偲ばせるものは礎石のみとなっています。再建された小堂には、篁の作と伝えられる焼けた仏像が安置されています。
karakasanomatu
祭場の松、宝蓋松とも呼ばれ、樹高16m、幹周4.75m、隠岐島後の三大祭の1つ武良祭が執り行われる中村地区の祭り場に位置しています。かつては30m離れた場所に明神の松(昭和2年 国指定天然記念物)と呼ばれる巨木があり、対をなしていましたが、明神の松は危険木とみなされ伐採されてしまいました(昭和27年 指定解除)。
kuromatugun 全長約370m、幅約50mの広い規模で大規模なクロマツの大木群が生育し、白砂青松の景観となっています。海苔田ノ鼻が見える中村海岸の砂浜周辺に位置し、かつての防風林と考えられます。
akagasi
壇鏡神社から横尾山に続く標高約400mの斜面一体の常緑広葉樹林が指定を受けています。自然状態が維持されてきたという意味で、隠岐の植生について参考となる植物群落だと言えます。アカガシ、スダジイ、ネズコ(クロベ)、ヒサヌキ、シキミ、イヌツゲ、イヌガシ、アオキ、ヤブツバキ、ヤブコウジなどが確認されており、隠岐の極相林(自然状態の森林の限界到達点)の1つと考えられています。
樹高9m、樹幹巾10m、目通り幹周1.72m、山田地区の個人宅の庭にあり、推定樹齢は400年ともいわれます。ツバキは日本原産の常緑樹で、野生種はヤブツバキと呼ばれます。比較的寿命の長い樹木ではありますが、椿油や材木、木炭などに利用されるため伐採されることが多く、これだけ長く残されているものは稀です。県下でも有数の大木で、単木としては類を見ない巨木です。
両生類であるサンショウウオには、止水系と流水系の2つのタイプが存在しますが、オキサンショウウオは、急流の多い隠岐の環境に適応し、止水系から流水系へと進化してきた過程がみられるのが特徴です。絶滅が心配される世界の希少種の1つとして選定されており、レッドデータブックでも絶滅危惧2類に指定されています。
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