sasakikemonjo 佐々木家に伝わる257点の古文書が指定されています。佐々木家は江戸時代に釜地区の庄屋を務めた家柄で、近江源氏佐々木氏の末裔ともいわれる旧家です。最も古いものとしては慶長12年(1607)の「隠岐国嶋後内釜村検地帳」をはじめ、当時の隠岐の様子を詳細にまとめた「隠州視聴合記(1667)」など、幕末から明治にかけての隠岐を伺いを知る歴史資料が存在しています。
随身像は神社参道の左右の随神門に安置される像を指します。八王子神社に所蔵される2つの随身像で、材は檜、寄せ木造りになっています。製造年代は不詳ですが、素朴で地方的なおおらかさが漂っています。
isemikotojinja 伊勢命神社は『延喜式』(延長5年(927))の神名帳に、隠岐国に4社ある名神大社の1社として記載があります。本殿は、久見村のほとんどを焼き尽くした天保9年(1838)の大火により焼失した後、天保12年(1841)に再建されたものです。建築様式は、隠岐独特の隠岐造で、身舎は茅葺の切妻造妻入で、それと連続しない片流れの向拝を持ち、平面プランも三間社とよばれるもので、同じ形式では、玉若酢命神社本殿、水若酢神社本殿に次ぐ大規模なものです。
siratorijinja
白鳥神社の現在の本殿には享和元年(1801)の棟札があり、そのほかの棟札や修理の痕跡などから享和年間(1801-1804)に本殿が建造されたと考えられています。もとは現在の今津港近くに位置していましたが、平成17年(2005)に現在の場所に移築されました。建築様式は、隠岐造の一間社で、同時代に建てられた玉若酢命神社本殿(寛政5年(1793))、水若酢神社本殿(寛政7年(1795))などの大規模な隠岐造の三間社と比較して小規模ながら、当時の隠岐造の流行の一端を知ることができる貴重な建築となっています。
takadajinja 高田神社本殿は、棟札により文化3年(1806)の建築とされ、建築様式は隠岐造の一間社です。拝殿は、改変されて現在は全て床が張られていますが、建築当初は中央に土間通路を設けその両側に床組部分を持つ、隠岐では珍しい割拝殿でした。境内に建つ若宮社は一間社見世棚造で、これらの三棟が周囲の地形とともに独特の景観を形成しています。
賀茂那備神社本殿は、棟札により文政11年(1828)の建築とされ、その建築様式は隠岐造です。本殿の規模は桁行が3間(3.96m)、梁間が2間(3.17m)、棟高が地面から約8mです。隠岐造の特徴の一つである正面の向拝には、中央部に唐破風が付いています。令和2年(2020)の修理の際に本殿の棟札が整理され、文政11年に現在の本殿が建てられたことが確認できたほか、それ以前の寛永14年(1637)、元文6年(1741)に建て替えられていたことがわかりました。
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