佐賀県の東部に位置し、福岡県とも隣接する基山町。一見全国のどこにでもあるような地方の田舎町のようですが、お話をうかがっているとちょっと他とは違う、未来の可能性に満ちた魅力ある町のようです。この記事は私たち福岡移住計画の"外からの目線"で見た基山町のリアルをお届けします。
福岡移住計画の連載最後となる3回目にご登場いただくのは、海外からの移住者である春園カノックワンさん(トップ写真左)と、海外の方をサポートする「日本語きいまん」の中村静佳さん(トップ写真右)のお話です。海外の方に人気の東京や京都ではなく、なぜ佐賀県基山町なのか? 海外の方も増えているという基山町の実情も踏まえお話をおうかがいしてきました。
― おふたりは海外の方をサポートする団体「日本語きいまん」で一緒に活動されているとうかがいました。まずは春園カノックワンさんから簡単に自己紹介をお願いします。
カノックワンさん(以下、ノックさん):私はタイの北部にあるパヤオ県出身で、日本の男性と結婚して、3年前に基山に移住してきました。みんなにノックさんと呼ばれています。タイではもともと家族でレストランをしていたのですが、日本に興味があり、28歳でタイの大学の日本語学科へ入学。4年生のとき、大阪教育大学に1年間留学しました。そして帰国する際、当時付き合っていた彼にプロポーズされて... あー、恥ずかしい(笑)... 結婚を機に、基山に引っ越してきました。今は通訳やガイドの仕事をしていて、祐徳稲荷神社などでボランティアガイドもしています。
― ノックさんは日本語がお上手ですね。留学中に彼と知り合ったのですか?
ノックさん:いえ、私がまだタイにいるとき、仕事で1年間駐在していた彼に出会いました。彼は鹿児島出身で3歳年下。日本に帰ってからは鳥栖に住んでいて、私が日本に留学中には一緒にいろんなところに行きました。そして結婚することになり、どこに住むか探しているとき、基山は便利で素敵なところだと知って、ここに住むことにしました。
― 基山に移住してきて、中村静佳さんと出会ったのですね。中村さんは基山のご出身ですか?
中村さん:はい、生まれも育ちも基山で、29歳から3年間アメリカに住んだのを除いて、ほぼ基山や近郊で暮らしてきました。日本語教師の養成講座を修了して、今は基山町をはじめ、鳥栖などの佐賀県内で日本語コーディネーターとして働いています。その傍ら、2017年4月に「日本語きいまん」を立ち上げました。
― 「日本語きいまん」とはどんな団体ですか?
中村さん:多文化共生社会の実現を目指すボランティアグループです。基山町の人口は約1万7,000人で、そのうち約1%にあたる183人が海外の方です(2018年9月末現在)。そこで、商店街の「まちなか公民館」などで定期的に日本語教室を開いたり、小学生に日本語を教えたりしています。メンバーは日本人8人と、タイ出身のノックさん、台湾の方の計10人です。町に住む海外の方はこれからもっと増えると予想されていて、私たちは海外の方と地域との架け橋になりたいと思っています。
― 意外に基山町は海外出身の方が多いのですね。どんな方が住んでいるのでしょう?
中村さん:例えば、日本語教室の昼の部に通われているのは、ベトナムから来た技能実習生の女性たち、夜は日本企業で研修している中国とマレーシアから来た男女です。あとはフィリピンから来た子どもたちとお母さんなど、合わせて20人くらいに教えています。ほかにも、ノックさんが先生として活躍するタイ料理教室、餅つき大会、交通マナー教室など開いて、海外の方と地元基山の方々との交流を図っています。
― 中村さんはなぜ「日本語きいまん」を設立されたのでしょう?
中村さん:アメリカに3年住んでいたとき、言葉が通じずになかなか友だちができなかったという自分の経験が大きいですね。英語教室はいくらでもあるけど、日常生活の些細なことを聞ける人、友だちとして付き合える現地の人を探すのって、実はとても大変なんです。だから、私はここで出会った海外の方に日本語を教えるだけじゃなくて、最初に「友達になりましょう」と伝えて、何でも相談してもらえる関係性を作ろうと心がけています。
例えば、宅急便の不在連絡票が入っていたけどそれが何かわからないとか、電話番号を持っていないから通販で物を買えないとか、私たち日本人から見たら簡単なことでも、海外の方からすると難しくて困ってしまう。だから、私はLINEなどでやり取りして、生活のサポートもしています。「助かった」「友だちができて生活が楽しくなった」と言ってくれる人が多くて、とてもやりがいを感じています。
ノックさん:私も一昨年、初めて中村さんに会ったとき「友達になりましょう」と言ってもらって、とてもうれしくて心強かったです。
― ノックさんは基山で暮らしてみて、いかがですか?
ノックさん:基山に来て本当によかったです。スーパーや学校が近くて、交通の便がよくて、博多まで30分で行ける。高速バスのバス停があって、乗り換えなしで福岡空港へ行けるし、九州各地へ行くバスがここを通るのでどこに行くにも便利です。それでいて自然が豊かで、夏は川に蛍がいたり、秋はコスモスがすごくきれいだったり、景色も空気もよくてリフレッシュできます。
息子はタイ語しか話せなくて、小学校になじめるか不安でしたが、静佳さんに日本語を教えてもらったりして、すぐにたくさん友だちができました。今は友だちと自転車で魚釣りに行ったり、サッカークラブで活動したり、毎日とても楽しそうです。
― 海外の方が増えてくると、もともと住んでいた高齢者などは戸惑うことがあると聞きます。基山町ではどうでしょう?
中村さん:海外の方が近くに引っ越してきたら、戸惑ってしまうのは当たり前だと思います。でも、たとえ言葉が通じなくても、顔を合わせてコミュニケーションを取ると、一気に距離が近づくんです。だから、料理教室や餅つきなどを企画して、いろんな人と直接話せる機会を作っているのです。おじいちゃんおばあちゃんも、自分の孫くらいの子が目をキラキラさせて一生懸命つたない日本語で話してくれたら、親しみを感じますよね。
餅つきのときなんて、ついているのを見て「そがんじゃなか、貸してみらんね」って佐賀弁で話しかけて、やってみせてくれました。「きなこって何ですか?」と聞かれて、「えっと、きなこはきなこたい。食べてみて」とすすめて、「おいしい」と言われたらみんなで喜んで大笑いして... そういう交流っていいですよね。
ノックさん:私は今アパートに住んでいるのですが、大家さんが自分で作った野菜をわけてくれます。大きな白菜とか大根とか、とてもありがたいし、その気持ちがうれしいですね。基山の人たちは皆さんあたたかくて優しいなと思います。
― 基山町に海外の方が増えると、未来はどのようになると思いますか?
中村さん:もともと基山の人は情が厚くて、面倒見がいいんですよ。だから、海外の方にとっても住みやすいんじゃないかなと思います。町のスーパーでは、高齢者を送り迎えしてくれるサービスもあって、基山町らしい取り組みだなと思います。私は「やさしい日本語」を教えていますが、日本語がわかりやすいというのは、海外の方だけではなくて、お年寄りや子どもにとってもいいことですよね。海外の方が住みやすい町になるということは、誰もが住みやすい町にもつながります。国籍や年齢、性別も関係なく、みんなで協力しながら、さらに住みよい基山町を作っていけるといいなと思います。
ノックさん:私は基山町がとても気に入っていて、ずっと住み続けたいので、今は家を建てる土地を探しているところです。佐賀はもちろん福岡で仕事をしている人にも、基山町はおすすめですよ。基山なら福岡のマンションくらいの価格で自分の好きな一軒家を建てることができますし、便利で自然豊かで人があったかい。大好きな基山で、みんなが楽しく暮らせるような活動をしていきたいです。
基山町は、その交通の便の良さから多数の企業が立地しており、そこでは海外の方が多く働かれています。さらに、基山の方の情が厚くて面倒見がいいという気質から受け入れてもらいやすいという背景もあって基山が選ばれているのかもしれません。
国籍も関係なく"ソトモノ"を受け入れる土壌がある基山は、まさに移住先として良い選択肢だと思います。
(福岡移住計画)