女性地方公務員の
ワークスタイル
事例集
令和2年3月
はじめに 目 次
平成27年に
「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律」
が制定さ
れ、
各地方公共団体においても、
女性職員の採用・登用の拡大や、
働き方改革に
よるワーク・ライフ・バランスの実現に向けた取組が進められています。
総じて見れば、
地方公共団体における女性職員の採用割合は約4割となり、各役職段階に占める女性割合も着実に増加するなど、
女性職員の採用・登用は進
みつつあります。
一方で、
女性職員は、
仕事と家庭の両立について様々な不安を抱え、
悩んだり
迷ったりしながら日々の業務や生活を送っているという話も伺います。
また、
総務省が実施した
「女性地方公務員の活躍推進に係る取組状況等調査」
(平成28年)
の結果においても、
女性職員の活躍に関する課題として、
「ロール
モデルの不足」や「リーダー候補の女性職員の少なさ」
を挙げる団体が一定規模
見受けられます(注記)。 そこで、
総務省では、
地方公共団体で活躍する女性職員の方々の仕事への取り
組み方や、
困難に直面した際の乗り越え方などを紹介する
「女性地方公務員の
ワークスタイル事例集」
を平成30年度より作成しています。
本事例集が、
全国で働く女性地方公務員の皆様にとって、
自らのキャリア形成
の一助として活用いただけるものとなれば幸いです。
また、
男性のパートナーや上司、
同僚の皆様にも、
女性職員の不安や悩みを理
解し、
キャリア形成支援や、
女性が働きやすい環境づくりの参考としていただけ
ますと幸いです。
最後に、
本事例集の作成に御協力いただいた関係者の皆様に厚く御礼申し上
げます。
令和2年3月
総務省自治行政局公務員部
(注記)
「地方公務員における女性活躍・働き方改革推進のためのガイドブック」 (平成30年3月 総務省)
01 三浦 徳美 宮城県登米市市民生活部国保年金課長
02 大瀧 亜樹 山形県総務部学事文書課課長補佐
03 大森 智美 栃木県那須町環境課副主幹兼環境保全係長
04 松本 明子 東京都産業労働局観光部長
05 香川 智佳子 神奈川県福祉子どもみらい局長
06 齊木 弘子 富山県総合政策局少子化対策・県民活躍課課長補佐
07 湯本 千登勢 長野県長野市保健福祉部地域包括ケア推進課
課長補佐
08 中岡 久美 三重県伊賀市教育委員会伊賀市上野図書館長
09 為永 智子 滋賀県長浜市総合政策部秘書課長
10 荒田 多津子 京都府乙訓保健所次長
11 安藤 万有実 京都市行財政局人事課職員力・組織力向上担当課長
12 山本 紀子 鳥取県農林水産部農業振興戦略監
とっとり農業戦略課長
13 中谷 佐多子 徳島県北島町地域包括支援センター所長
14 坪根 千恵子 福岡県福祉労働部子育て支援課長
15 大庭 千枝 福岡県北九州市子ども家庭局総務企画課長
16 幸地 美和 沖縄県うるま市教育委員会指導部学務課長
女性地方公務員のキャリア形成〜自分らしいライフキャリアをデザインしよう〜
堀江 敦子 スリール株式会社 代表取締役
.....................01‐02
...........................03‐04
...............05‐06
....................................07‐08
...........................09‐10
......11‐12
......................................................13‐14
............15‐16
...........................17‐18
....................................19‐20
...21‐22
.......................................23‐24
..................25‐26
........................27‐28
...............29‐30
...............31‐32
..............................33‐42
01 02
旧町時代の頃
30 代まで出納室や税務課、給与などを担
当し、採用当初の全て手書き・手計算による
方法から財務会計システムや申告システムへ
の転換期を経験しました。計算が好きで、税
の制度や導入されたシステムを覚えることも
楽しかったので、昨日よりも今日、先月より
も今月、去年よりも今年と、期限内に正確に
仕事をこなし、知識を積み重ねていくことを
目標に仕事をしていた時期でした。
子育て時期のため寝不足との闘いと、仕事
も育児も中途半端だと悩む事が多かったので
すが、同僚や先輩方から「より良い仕事をし
ていこう」という働きかけがある職場だった
ので、仕事に行くのが楽しい日々でした。
子育て期の頃
長男の出産後、当時は、育児休業制度はな
く1時間の育児時間のみでしたが、完全母乳
だったにもかかわらず両立ができたのは、夫
や義母の協力は勿論ですが当時は珍しいイク
メンの係長の理解があったからだと思います。
係長は、
「我々の仕事は誰でもできるけれ
ど、子どもにとっては親でなければならない
時があるから遠慮しないで休むように」、「そ
の時に迷惑をかけないためには、常に他の人
が仕事をできるようにしておくこと」と言っ
て快く休ませてくれる方でした。
それからは、
自分が不在になっても滞りなく業務が進むよ
う、上司や同僚への報告と誰が見てもわかる
書類づくりを意識して仕事をするようになり
ました。
長女の出産の前年に配属された税務課で
は、1日5回のお茶入れが若手女性職員の仕
事という、今では考えられない慣例がありま
した。女性の配置が補助的業務以外の業務に
拡大していく中で、性別を問わず同じ成果を
上げるためには労働環境を同じにすることが
必要だと考え、勤務時間内にお茶入れに1時
可能性を信じて、
宮城県登米市市民生活部
国保年金課長三み浦う ら 徳と く美み
<プロフィール>
昭和 58 年 登米郡東和町入庁
出納室 主事
昭和 62 年 長男出産
昭和 63 年 税務課主事
住民税、国保税担当
平 成 元 年 長女出産
平成 14 年 総務課主査 給与担当
平成 16 年 福祉保健課
国民健康保険係長
平成 17 年 合併
平成 19 年 企画部市民活動支援課
市民参画支援係長
男女共同参画推進担当
平成 23 年 米山総合支所市民課
課長補佐兼市民係長
平成 28 年 教育部学校教育課長
平成 30 年 議会事務局次長
令 和 元 年 市民生活部国保年金課長
(現職)
間も時間を使っている現状と、自分の業務に
要する時間を説明し、始業前は私がお茶を入
れ、その後はそれぞれ対応していただきたい
と上司に相談し、理解と協力を得て業務にあ
たりました。
壁を乗り越える方法
一 番 の 困 難 を 味 わ っ た の は、 合 併 後、
NPO や男女共同参画を推進する係長になっ
た時です。新設課で前任者はなく、加えて男
女共同参画の必要性はおろか言葉すらあまり
認知されていない状況の中で、施策について
庁内の部長や課長へプレゼンを行い市民参加
で男女共同参画条例を策定するという業務内
容でした。総合計画に位置付けられている施
策を推進する「初の女性係長」ということで
使命感を持って臨んだものの、プレゼンのノ
ウハウも全くなく、伝えなければならないこ
とが伝わらないことを実感し、自信を無くし
ていく毎日でした。
そんな時に、条例策定に関わっていただい
た大学の女性学長や教授の方から「立場が人を
育てるもの」
「推されたのには理由があるから
推してくださった人と自分を信じて頑張ってみ
なさい」
「女性だから子どもがいるからという
理由であきらめないこと、できない理由ではな
くできる方法を考え、そのために何をすべきか
ピックアップし、優先順位をつけて実行するこ
とが大切」と言っていただいたのです。
そこで、まず自信を持つためには実力をつ
けることが必要だと考え、プレゼン力を向上
させる民間のセミナーに 1 年間参加しまし
た。声の出し方から間の取り方、説明の順序
など研修を重ねるにつれて良い評価をいただ
くようになり、市民参加の条例策定に至るこ
とができました。今でもプレゼンは苦手です
が、ノウハウが全くない時と違って手法を
知っている安心感があります。
壁を乗り越えるには、前向きな気持ちで広
い視野と客観的な視点を持ち、情報収集と分
析をしながら、自分を信じ、行動することが
大切だと思っています。
管理職の魅力
課長は、課長補佐までの時とは違う視点で
仕事に向き合うことが必要になるので、その
分視野を広く持つようになったことや、課長
でなければ折衝できない場面も経験するの
で、自分自身の成長という点でも意義がある
と思います。
また、職員が高いモチベーションを保った
まま個々の能力を発揮できるよう環境整備を
行い、自分の経験値を後輩に引き継いでいく
ことが役割のひとつでもあるので、それも管
理職ならではだと思います。
女性職員へのメッセージ
課長に昇格した時は、高校の同級生2人の
女性もほぼ同時に昇格したこともあり、本稿の「管理職の魅力」と「女性職員へのメッセー
ジ」には2人の想いも盛り込ませてもらいま
した。
私たち3人は、合併前は違う町の職員でし
たが、圧倒的に少ない女性管理職の中で、精
神面の支えとなる管理職同士の横のつながり
を持てるのは本当に心強いので、ぜひ、若い
時からの出会いを大切にしてネットワークを
作ってください。
性別に関係なく能力を発揮できる職場は、
男性女性問わず皆が働きやすい職場に近づい
ていると思います。躊躇することなくチャレ
ンジし、女性管理職が孤立しないような環
境を作って
いただきた
いと思いま
す。応援し
ています。
臆せずチャレンジしてみよう01 03 04
若手職員の頃
私は平成4年の採用で、今年で山形県職員
生活28年目になります。
初めは健康診断など職員の福利厚生を扱う
課で、職員の給与や庶務など内部の仕事をし
ていました。
次の課では私立学校等への補助や許認可を
担当し、それまで職員としか関わりがなかっ
たものが一転、外部の方とのやりとりがほと
んどとなり、「県の仕事にはこんなものが
あったんだ」と思うことばかりでした。
心掛けていること
仕事で壁に当たった時は、一人で抱え込ま
ない、上司や同僚に相談しながら解決するこ
とを心がけています。
平成28年に大学への派遣を経験しまし
た。派遣先は県と異なる組織のため、県と雰
囲気や勤務時間も違います。事務職が多い県
庁と異なり、大学の事務局で関わるのは、先
生方や学生の皆さん。オープンキャンパス、
入試などイベントがあれば土日の勤務もあり
ました。
私は大学の規程の改正を担当したのです
が、専門的な規程を改正する中で、自分では
わからない部分や思うように進まない部分が
多くありました。
そんな時は、一人で抱え込まずその分野に
詳しい教官に相談し色々アドバイスをいただ
いて解決していきました。自分だけではでき
ないことも協力すればやり遂げられると感じ
ましたね。
ONとOFFを切り替
山形県総務部学事文書課
課長補佐大お お瀧た き 亜あ き樹<プロフィール>
平成 4 年 山形県入庁 職員厚生課主事
平成 7 年 生涯学習・学事課
平成 8 年 学事振興課
平成 10 年 土地対策課
平成 11 年 地域計画課
平成 12 年 長女出産
(育児休業約9ヶ月)
平成 13 年 企画調整課
平成 14 年 政策企画課
平成 15 年 村山総合支庁税務課 主査
平成 17 年 長男出産
(育児休業6ヶ月、
部分休業 11 ヶ月)
平成 21 年 統計企画課 経済統計主査
平成 23 年 用地課 土地対策主査
平成 26 年 雇用対策課 産業人材育成主査
平成 27 年 工業戦略技術振興課
産業人材育成専門員
平成 28 年 山形県保健医療大学派遣
平成 30 年 学事文書課課長補佐
(私学宗務担当)
平成 31 年 学事文書課課長補佐
(現職)
制度や周囲のサポートで乗り越え
られた子育て期
平成12年に第1子を出産した時は、育児
休業を周囲があまり取っていない、あるい
は、ようやく取り始めるようになったくらい
の時代でした。職場でも女性職員は私ひとり
しかおらず、早く職場に復帰して仕事をしな
ければという思いもありました。
平成17年に第2子を出産した時は、1年間
の育児休業のあと、3歳まで部分休業を取得
しました。この時は総合支庁の税務課に在籍
していたのですが、周りに自分と同じように
育児をしている職員の方が多く、業務をみん
なでカバーし合いながら仕事をこなしていま
した。存分に子育てができる環境においても
らったと思います。
私が仕事と子育てを両立するために大切に
してきたことは、「周りに頼れる部分は頼
る」ということです。自分に与えられた仕事
はこなさなければいけないというのは当然で
すが、職場では業務をサポートしてくれる上
司や同僚がいる。でも母親はその子にとって
は一人ですし、今の成長を見られるのは今し
かない。自分でそのように切り替えて、自分
自身に言い聞かせながらやってきました。
周りに頼れるところは頼るというのは、子
育てだけではなく仕事でも必要なことだと思
います。自分に与えられた業務というのもも
ちろんありますが、チームとしての仕事もあ
ります。「自分だけで解決しなければならな
い」と思わないことが大切です。自分だけし
かできないことは一本芯をもって行い、枝葉
の部分は手伝ってもらうというのは子育てで
も仕事でも通ずることではないでしょうか。
今は女性の管理職も増えてきていますし、
これからは女性だけではなく、男性も育児休
業等を取得していく時代だと思いますので、
「おたがいさま」とみんなでサポートできる
ような職場を増やしていきたいですね。
管理職の魅力
管理職の魅力は全体を見渡すことができ、
自分で全体を調整できるということだと思い
ます。
担当職員は自分の業務については詳しいで
すが、課内であっても他の担当業務について
はわからない部分も多いです。
いざ自分が管理職になると、課内すべての
業務やその繋がりを知ることができるように
なります。
管理職として目配り、気配りをして職員が
働きやすく、うまく調整して全体が回るよう
にするというのは、責任もあり、ある意味プ
レッシャーでもありますが、そこがやりがい
を感じる部分かなと思います。
女性職員へのメッセージ
今までの県庁は男性が多い職場で、そこに
女性が入ってきていたような環境でした。し
かし、女性の採用者も増え徐々に男性中心の
職場ではなくなってきています。
「女性だからこうしなければいけない」、
「女性だからこうならなければならない」では
なく、男女関係なく、あくまでも一人の人間と
して、職員として、仕事をしていけるような環
境になっていくことが必要だと思います。
周りの方と協力しながら、男女関係なく自
分のやりたいことができる、子育てしながら
でも、結婚していなくても自分らしく仕事が
できる場所にしていかなければならないと思
います。
今働いている女性職員にはこれからも頑
張ってほしいですし、将来公務員になりたい
方は、素敵な先輩女性職員もいますので、ぜ
ひ山形県に来てほしいですね。
えて、
子育てと仕事を両立する02 05 06
身近なところにロールモデルが
私の実家は共働きの家庭で、フルタイムで
働きながら3人の娘たちを育てる母親の姿を
見て育ちました。このため、私にとって働き
ながら家事育児を行うことは自然なことであ
り、母親がロールモデルとなっています。
また、社会に貢献する女性を多数輩出して
いる高校に通っていたことから、私は、仕事
を主軸としたライフプランを形成していきま
した。
大学生時代に初めて地元を離れ、自然豊か
で、空気や水がおいしい那須町の素晴らしさ
を改めて知りました。地元に貢献したいとい
う思いが強まり、平成9年に那須町に入庁し
ました。
多くの方々に支えられた子育て期
平成12年に同じ職場で働く夫と結婚し、
長男と長女を年子で出産しました。長男妊娠
中は切迫早産による病気休暇を、長女出産後
は育児休業を取得しました。この間、職場の
皆さんのサポートをいただきながら、何とか
仕事と子育てを続けることができました。出
産期に上司だった先輩には、町職員としての
心構えなどについてもご指導いただき、退職
された今でもお世話になっています。
家族の協力にも感謝しています。残業が続
く日もありましたが、夫、同居する夫の両
親、実家の両親、近所の親戚が、子どもの迎
えや夕食の準備などいろいろな場面で支えて
くれました。特に夫は、私の良き理解者であ
り、仕事の悩みなどを相談できるので助かっ
ています。仕事と家事育児を行っていく上で
は、とても恵まれた環境だったと思います。
自分一人の力には限界がありますし、育児
に完璧はありません。可能であるならば、子
「お互いさま」
の気持
栃木県那須町環境課
副主幹兼環境保全係長大お お も り
森 智
と も美み
<プロフィール>
平成 9 年 那須町入庁 林務畜産課
主事補
平成 11 年 観光商工課主事
平成 14 年 長男出産
平成 15 年 長女出産
(育児休業約1年1ヶ月)
平成 17 年 観光商工課主査
平成 19 年 総務課主査
平成 23 年 農業委員会事務局
主任主査
平成 26 年 総務課広報広聴係長
平成 29 年 教育委員会事務局
学校教育課副主幹
兼学校教育係長
令 和 元 年 環境課副主幹兼
環境保全係長(現職)
育て期は、周囲の人々にどんどん頼ってもい
いのではないでしょうか。日々時間に追わ
れ、イライラすることもありますが、子育て
にはお母さんの笑顔が大切です。
解決できないことはない
地方公務員に異動はつきものです。ある分
野で経験を積み、専門知識を得ても、異動先で
はまた一年生です。交わされる用語すら理解で
きず、悔しい思いをしたこともありました。
そんな時は、業務について一番簡単に書か
れているリーフレットなどで概要をつかみ、
法令等を調べながら実践を積むことで理解を
深めてきました。私たちの仕事は法令等に基
づいていますので、自信を持って仕事をする
ためには、欠かせないことだと思います。
また、私たち地方公務員は、組織で仕事を
していますので、仕事のことは一人で悩まず
に、周囲の先輩や同僚に相談してください。
どんなに困難な仕事であっても、解決できな
いことはありません。
自治会長さんや農業委員さんなど、町民の
皆さんのご協力があったからこそ、乗り越え
られたことも数多くあります。
これまでの経験に無駄なものは一つもない
と思います。私は、補助金交付事務、許認可
事務、契約検査、報道機関対応、ICT整備、
町民からの苦情相談などさまざまな業務を経
験してきました。仕事がうまくいかず、家に
帰って涙を流したこともありましたが、より
良い仕事を目指して努力したことすべてが、
今につながっていると思います。
立場は人を強くする
私は、平成26年に係長になりました。そ
れまでは、係員として自分の仕事が中心でし
たが、係長になり、予算管理、議会対応の準
備、部下の育成と、鳥瞰的に仕事に取り組む
ことが求められるようになりました。自分に
できるのだろうかと不安に思うこともありま
したが、立場は人を強くします。係長という
立場になり、今では、係のことは自分が一番
分かっているんだと、責任感を持って仕事に
取り組んでいます。
良い仕事をするためには、チームワークも
必要です。自分が助けてもらうこともありま
すし、サポートする側になることもありま
す。「お互いさま」の気持ちで、係を超えて
協力することを心掛けています。
女性職員へのメッセージ
性別、家庭の有無、子どもの有無に関わら
ず、機会があれば新たな仕事や役職に積極的
に挑戦してほしいと思います。多様性を享受
するとともに、「できない」と言う前に、ま
ずはやってみましょう。
先に子育てを経験している者として、育児
期の職員が働きやすい環境を整えていきたい
と思っています。職員が気持ちよく仕事でき
ることが、住民サービスの向上につながると
思うからです。
育児中は周囲の方々に助けられることの方
が多いのですが、いずれお返しできるときが
来ますので大丈夫ですよ。
ちで、
より良い仕事を目指そう03 07 08
現場と本庁で学んだ仕事の礎
バブル景気の真っ只中、多くの同級生が民
間企業に就職していく中、公的な仕事に魅力
を感じ、都庁を受験しました。
最初の配属は水道局の営業所。上司や先輩
から初めての仕事を教わりながらお客さま対応
を一つ一つこなす中で、厳しい苦情を受けた
り、逆に嬉しい言葉を頂くこともあり、コミュ
ニケーションの基本を体得していきました。
その後、本庁に異動し、営業所時代の経験
を踏まえ、局全体で使用する広報ツールの制
作や職員の安全衛生を確保する仕事を担当し
ました。
現在に至るまで、都民サービスの最前線で
ある現場と、それを支援し又はリードする本
庁を行き来し、多様な経験を積んだことが仕
事の礎となっています。
周囲のサポートで乗り越えられた
子育て期
本庁の係長時代、仕事に専念したいと考え
ていた矢先、長女の妊娠がわかりました。上
司に報告すると「この1年間は子供のことだ
けを考えろ」と言われ、吹っ切れた思いがし
ました。
次女を出産した時は管理職になっており、
責任も重かったのですが、育休中、上司が事
務取扱をしてくださり、部下の方たちにも支
えられました。
本庁課長として多忙だった時期も、娘が病
気になったと連絡が入った際、上司から「子供
が病気になって一番必要なのは親だから、すぐ
帰ってあげなさい」と追い立てられました。
どの上司も仕事に厳しい熱血漢的な方でし
たが、部下の子育てを最大限尊重してくだ
さったのはありがたい驚きでした。
子育ては、自分と夫のほかに、実家の両親
とシッターさんの力を借りました。夫婦と
もに最も忙しかった時期は、週3日を実家の
親、残りの2日をシッターさんにお願いする
こともありました。
女性の人生は、
挑戦
東京都産業労働局
観光部長松ま つ も と
本 明
あ き子こ
<プロフィール>
平 成 元 年 東京都入庁
水道局労働部職員課主事
平成 6 年 財務局経理部契約第一課主任
平成 8 年 財務局経理部総務課
課務担当係長
<
(株)
富士総研派遣>
平成 11 年 長女出産
(育児休業3ヶ月)
平成 13 年 産業労働局産業政策部
企画調整課課長補佐
平成 15 年 水道局大田北営業所長
平成 16 年 次女出産
(育児休業9ヶ月)
平成 23 年 下水道局職員部
人事課長(統括課長)
平成 24 年 下水道局総務部
総務課長(統括課長)
平成 26 年 都市整備局担当部長
<
(公財)
東京都都市づくり公社派遣>
平成 28 年 下水道局担当部長
<東京都下水道サービス
(株)
派遣>
平成 29 年 環境局政策調整担当部長
平成 31 年 産業労働局観光部長
(現職)
保育園の先生方を含め、多くの大人と接し
ながら子供は育っていきました。
次第に親が働くことを理解し、応援してく
れるようになり、それだけでなく、祖父母に
深い思いやりをもつ子に成長してくれたのが
嬉しい成果です。
失敗を重ねて人は成長する
壁を乗り越えるには、苦労体験を重ねるに
勝る方法はないと思います。特に若いうち
は、どんどん失敗して、反省してリカバーし
て、次に活かすという実体験を積み重ねてほ
しいと思います。
私自身、若い頃から大なり小なり数えきれ
ない失敗をしてきました。十分確認せずに報
告して関係者に迷惑をかけたり、短慮を起こ
して相手を怒らせてしまったり、本当に落ち
込んで、食事が喉を通らないこともありまし
た。そんな私を責めることなく、冷静に事態
の収拾を図ってくださった上司に救われた思
いがし、二度とこのようなことはするまいと
誓ったものです。
中堅職員になって、業務レベルが上がって
くると、壁にぶつかることも多くなりました。
何とか乗り越えてこられたのは、とにかく逃げ
ずに対応したからだと思います。真摯に向き
合っていけば、それは周囲にも自然に伝わり、
サポートを得られることもあるし、自分の中で
も徐々に自信が回復してくるのです。
そうした経験を重ねていくと、次第に応用
力や胆力が身についてきて、次の壁は、それ
までより容易に乗り越えることができるよう
になるはずです。
管理職の魅力
仕事が行き詰まっていた時、新たな視点を
提示してくださった上司や、生き生きと働
き、管理職試験に合格していく先輩の姿に憧
れ、管理職を目指しました。
どんな立場にあっても、意欲的に取り組め
ば仕事は面白くなるものですが、とりわけ管理
職は、行政・職場の課題解決や施策の立案に、
より深く、主体的に関わることができます。困
難なことも確かにありますが、乗り越えた時に
得られる達成感はひとしおなのです。
かつて、職場の重い懸案事項を、職員と力
を合わせて解決できた経験があります。皆で
協力し解決できた時、その途中の不安や葛藤
も懐かしく思え、最後の職員の笑顔は貴重な
財産となりました。これからも、そのような
宝物を増やしていきたいと思っています。
女性職員へのメッセージ
昔、上司から「人が嫌がる仕事をしなさ
い」と言われたことがあります。当時はピン
と来なかったのですが、経験を積むうちにそ
の言葉の真の意味を理解できるようになって
きました。
行政は社会のあらゆる側面と接点を持つ、
実に幅広い仕事です。たとえ希望した職場で
なかったとしても、裏を返せばそのような職
場にこそ予想し得ない面白さややりがいが
待っています。まずは目の前の仕事をしっか
り前に進めてください。必ずどこかで喜ぶ住
民の方がいて、皆さんの成長にもつながって
いきます。
また、子供を持つと、保健医療、保育、教
育、地域活動など、行政サービスや地域との
つながりが格段に広がります。このことは、
皆さん自身の仕事を客観視したり、多様なラ
イフワークバランスを理解するきっかけにも
なります。
女性の人生は、挑戦するほどバラエティに
富んで、楽しいものです。ぜひいろいろな
チャレンジをしてみてください。
するほど楽しさが広がる04 09 10
若手職員の頃
入庁した頃は、まだ、お茶くみや雑用は
「若い女性」がやるのが当然といった雰囲気
でした。一方、当たり前ですが、担当業務で
は戦力となることもしっかり求められまし
た。幹部はほぼ男性でしたが、女性もゼロで
はなく、入庁した年に男女雇用機会均等法が
施行されたこともあり、女性でも認められる
人は然るべき立場になるのだろうと漠然と
思っていました。
仕事は丁寧に教えていただき、これからい
ろんな仕事をする、変えるところは変えると意
気込んで、面白く楽しい日々を過ごしました。
出産・子育て期
入庁4年目に副知事秘書に異動。翌年結
婚、その翌年に第一子を出産しました。当時
の女性秘書は、未婚が不文律と思い、結婚・
出産したいと所属長に相談したところ、こう
言われました。
「結婚や出産は君の人生で当たり前の大事
なこと。それに伴う組織運営を考えるのは私
の仕事だ。心配するな。」
その後、副知事秘書のまま、生後6ヶ月ま
で産休・育休を取得し、復帰後さらに4年間
秘書を続けました。その間に"随行"もさせ
ていただくようになり、若い頃に県という大
きな組織のトップの動きを垣間見られたこと
は、貴重な経験としてその後の仕事の財産に
なりました。
秘書という立場で長期の休暇をいただいた
ことには賛否があり、異動してからにすべき
だったというご意見もありました。しかし、
「子どもを産みたいのでそれができる職場
4 4 4 4 4 4 4 4
に異
動する」というのは当事者にとっても、職場・
同僚にとってもおかしいと思いませんか。
副知事秘書の後も、水産行政の企画、土木
関係の許認可など、「残業のない職場」では
周りを信頼して、
神奈川県
福祉子どもみらい局長香か川が わ 智ち か こ
佳子
<プロフィール>
昭和 61 年 神奈川県入庁 統計課
平 成 元 年 秘書室
(副知事秘書担当)
第一子出産
(産休・育休約 8 ヶ月)
平成 7年 水産課 海業・企画班
第二子出産
(産休・育休約 8 か月)
平成 11 年 横浜治水事務所
許認可指導課
平成 14 年 秘書課
平成 17 年 広報県民課
平成 19 年 NPO協働推進課
平成 23 年 横須賀三浦地域県政総合
センター企画調整課長
平成 25 年 同 企画調整部長
平成 26 年 広報県民課長
平成 28 年 知事室長
平成 29 年 県土整備局副局長
平成 30 年 福祉子どもみらい局長
(現職)
ありませんでした。それでも、平日は定時退
庁しますので、周囲には子どものこと、工夫
していることをいろいろ話しました。こちら
が話すと、同僚も話してくれて、互いの状況
を共有できるので、お手伝いできることはで
きるだけしました。
残業必須の時は、夫がお迎えに行くのです
が、私が帰宅すると夫は再出勤する、という
日もありました。仕事にも子どもにも急な出
来事は多く、日々綱渡りです。でも、夫とと
もに精一杯・一生懸命。だから、というのは
手前勝手ですが、私の職場にも夫の職場にも
家族にも理解("仕方ないなぁ"という諦め
だったかもしれませんが)と協力をいただけ
たと思っており、今でも関わってくださった
皆様に深く感謝しています。
管理職になったのは
上に行けば行くほど大変そう。それでも宮
仕えだから、辞令が出たらやらざるを得ない
のだろうなぁと、ただただ受け身でした。そ
こに、管理職登用試験が創設されたのです。
ちょうど受験可能な層にいたため、管理職に
なりたいかを問われましたが、自ら手を上げ
る覇気・勇気・覚悟はなく、受験を見送りま
した。
ところが、居心地がよくないのです。責任
を回避し、ほかの人に押し付けているよう
な、逃げているような後ろめたさを感じまし
た。担うに足るor育てるに値すると判断さ
れるかどうか、まな板に乗るくらいはしてお
くべきではないか。女性は負うべき責任から
逃げる、などと言われたくはない。次世代を
担うのは恩返しでもある。そういった思いか
ら、翌年は受験しました。
受験を悩んで相談した上司等からもらった
言葉をお伝えします。
「順番だ。逃げるな」
「チャンスがあるのだからやってみろ。
自分のためにも、後輩のためにも」
「管理職に女性がいないのは女性が受験し
ないせいだということになるぞ」
「立場が変わると見える景色が変わる。
やってごらん」
これからもがんばろう
大人になったら、仕事をもつのは当たり
前で、自分の食い扶持は(女性でも)自分で稼
ぎ、自分の身の回りのことは(男性でも)自分
でするものと思い、いわゆる「両立」に悩ん
で仕事を辞めることを考えたことはありませ
んでした。
続けてこられたのは、職場と家族、保育
園・学童・保護者仲間・ご近所の助けがあっ
たからです。感謝を忘れず、時には甘え、次
には支え手となり、順番に役割を果たすこと
で、世代の流れを受け継いでいきます。
仕事における役割も立場によって変わりま
す。立場が変わると、物事が実現していく局
面や周囲の景色が本当に変わるのです。今の
立場からは、組織のあらゆるところで皆がそ
れぞれの役割を懸命に果たしているのが見え
て、有難いと思うとともに、彼らの仕事に報
いるべく、私は私の役割をしっかり果たそう
と思います。
自分としての中身は若い頃とそうそう変わ
らず、毎日力不足を感じ、不安になり、挨拶
ひとつにも緊張し、落ち込みます。それで
も、背筋を伸ばし、明るく声を掛け、笑いが
出て前向きになれるよう心掛けます。自己演
出ですが、そうしていれば、なりたい自分を
少しずつでも実現できるのではないかなと。
仕事も暮らしも楽をさせてはくれません
が、一人で抱え込まなければ必ず何とかな
る。プライベートなことだからとか、相手
が忙しそうだからとか遠慮せず、周りを信
頼して、素直に自分を語り、困ったら相談
する。関わりのある皆さんと共に、そうし
た関係の中で、これからも頑張っていきた
いと思います。
コミュニケーション。
そして感謝を。05 11 12
経験を積ませてもらった新人の頃
現在は男女半々程度で採用されています
が、私が入庁した時は、女性は約4分の1で
した。女性は、庶務といわれる仕事をし、結
婚後は、時間的に余裕のある部署に異動して
産休・育休を取得し、その後も男性中心の
「ステージ」から一段降りたところで働くの
がスタンダードなイメージでした。そのた
め、上のステージで働く女性は、よほど優秀
でバリバリ働ける人、自分とは縁のないこと
と思っていました。
しかし、最初に配属された職場の上司は、
まさに上のステージで働く女性でした。常に
前向きに仕事に取り組む方で、右も左もわか
らない新人の私に、いろいろな仕事を経験さ
せてくれます。そして、次第に自分もそれに
応えたいと思うようになりました。
今になってわかるのですが、新人に仕事を
任せるのは、とても勇気のいること。きっと
周囲も多大な目配りとフォローをしてくれて
いたに違いありません。
子育て期を経て恩返しする立場へ
私が長男を出産したのは38歳、次男は41
歳主任の時です。いろいろな職場での経験を
積み、ある程度責任ある仕事を任されていた
ので、産休・育休を取得することによって職
場に迷惑がかかってしまうという意識が強く
ありました。
復帰後も、頻繁にかかる保育所からの呼び
出しや子どもの入院、皆が残っている中での
定時退庁、周りに申し訳ないという気持ち
と、自分自身思うように仕事に時間がさけな
い苛立ちが募っていきます。「ステージ降り
ようか」との思いが浮かんできました。
そんな中、力になってくれたのが、上司や
肩の力をぬいて、自富山県総合政策局
少子化対策・県民活躍課課長補佐齊さ い木き 弘ひ ろ子こ
<プロフィール>
平成 6年 富山県入庁
文書学術課主事
平成 21 年 教育委員会事務局
教育企画課主任
平成 22 年 長男出産
(育児休業約1年2ヶ月)
平成 25 年 次男出産
(育児休業約1年)
平成 27 年 教育委員会事務局
教育企画課
管理広報係長
平成 29 年 総合政策局
少子化対策・県民活躍課
県民協働係長
平成 31 年 総合政策局
少子化対策・県民活躍課
課長補佐・
県民協働係長(現職)
周りの方々です。長男、次男とも育休復帰時
の上司は女性。その他にも県庁での男性育休
取得第1号の上司もいました。子育ての様々
な事情も話しやすく、その都度理解を示して
くれ、配慮してくれました。ある上司は、
「時間をかけることが重要ではない、時間は
コストだ」との意識をはっきりさせてくれま
した。私も、短い時間でより大きな成果を出
すことに集中するようになりました。
その時の上司、周囲の方々には感謝しかあ
りません。係長、課長補佐となった今、その
恩返しをしていく立場です。子育てに限ら
ず、職員一人ひとりに様々な事情がある中、
そうした事情を話しやすい職場、それを理解
し働きやすい環境をつくることを心がけてい
ます。
多くの壁を乗り越えて
子育てと仕事を両立していく中で、いくつ
かの壁を体験してきました。
第1の壁は育休復帰後、何もかも手探り
だった時、子どもの体調次第で綱渡りの毎日
でした。第2の壁は長男の小学校入学。保育
所とは異なり預ける時間の短い学童、夏休み
明けの登校しぶりに右往左往しました。第3
の壁はまさに今、長男の4年生進級に伴う現
在の学童退去、次男の小学校入学で新たな放
課後対策を求められています。これからもい
ろいろな壁を経験するでしょうが、一人で乗
り越えられるものではありません。
夫は同じ県職員で年も上、一般的には育児
や家事の分担に消極的と言われる世代です。
ところが実際は全く異なり、育児は授乳以外
すべて、家事も私以上に手際よくできます。
保育所や学校の対応などは私が主となって
いますが、常に相談し、お互い子育ての同志と
して関わっています。そして時には離れて住む
親や親戚の力も借りながら対応しています。
仕事の面では、若い頃から一つのことに対
しいろいろ考え逡巡し、なかなか進めない面
がありましたが、保育所からの電話一本で帰
らなければならない、明日休まなければなら
ないかも、といった中では、そんなことを
言っていられません。常に段取りを考え、決
断を早く仕事をまわしていくことを意識し、
できるだけ周囲と情報を共有して巻き込んで
いくことを心がけています。
女性職員そして男性職員へのメッセージ
〜育児休業のすすめ〜
子育てと仕事の両立は大変だと思われるか
もしれませんが、とくに肩に力をいれてがん
ばらなくても大丈夫、周りに相談すれば必ず
助けてくれます。助けてもらった恩は逆の立
場に立った時に返していけばいい、そう思い
ます。
育児休業や復帰後に経験する様々な壁は、
自分を成長させるまたとない機会です。段取
り力や周囲と連携する力など、仕事にも活か
せる能力が身につきます。また、子どもを通
して見る世界、職場以外のいろいろな体験
は、自分自身の視野を広げ、仕事において新
たな発想を生み出す糧となります。そして、
それはきっと男性も同じなのです。
女性職員には決して仕事のブランクだと
焦ったりせずに、男性職員には是非育児休業
を取得し、どっぷりと育児につかって、自分
を成長させる機会を楽しんでください。
分を成長させる機会を楽しんで06 13 14
若手職員の頃
私は平成3年に採用され、市民課に配属さ
れました。市民課では住民窓口、戸籍窓口を
経験しました。毎日、大勢の市民の皆さんと
接し、迅速・正確を心掛けて業務にあたって
いましたが、この頃は組織で仕事をするなど
ということは、全く考えていませんでした。
幸い接客に向いていたこともあり、また、当
時はちょうど長野冬季オリンピックを招致し
ていた頃で、同じ年頃の職員が大勢いて、楽
しく仕事をしていました。
係長の頃
2度目の市民課に異動して1年半後に係長
に昇任しました。この時期は庁舎引っ越しに
あわせて総合窓口化をすることが決まってお
り、課名も市民窓口課に変更になりました。
総合窓口開始前の1か月半の間に10人程の
非常勤職員が窓口担当として雇用されまし
た。その職員の教育をどうするかということ
や、新システム導入後の業務の流れの摺合
せ、更に、ちょうど個人番号法の施行も重な
りましたので、その取扱いの確認等、多忙な
日々が続きました。
以前経験したことのある仕事でしたので、
基本的な流れなどは理解できているつもりで
したが、新しいことも多く、とにかく職場の
皆さんと協力して助け合い、何とか乗り越え
ることができました。その当時のメンバーは
今でもとても仲良しです。
その後、公民館に異動しました。ここは地
域の方達とのつながりがとても重要で、球技
大会や文化祭を共同で行いました。また、地
区のイベント以外の主催講座では企画、広
報、運営などすべてを館長を含めた4人で行
うので、企画力や交渉力、段取り力などが鍛
多くの人とのつなが
長野県長野市保健福祉部
地域包括ケア推進課課長補佐湯ゆ本も と 千ち と せ
登勢
<プロフィール>
平成 3年 長野市入庁 市民課
平成 8年 防災課(消防局駐在)
平成 10 年 第一子出産
(育児休業約 1 年)
平成 11 年 古里支所
平成 14 年 第二子出産
(育児休業約 1 年)
平成 15 年 監査委員事務局
平成 18 年 第三子出産
( 育児休業約 2 年)
平成 20 年 国民健康保険課
平成 23 年 市民課
平成 25 年 市民課(市民窓口課)
係長
平成 29 年 古牧公民館係長
平成 31 年 地域包括ケア推進課
課長補佐(現職)
えられました。公民館で2年ほどお世話にな
り、現在の職場へ異動と同時に課長補佐に昇
任しました。
周囲の人たちに助けてもらった子
育て
私は平成10年に第1子を出産し、4年ず
つ離れて3人の子供がいます。一番上の子と
真ん中の子の時は1年、一番下の子の時は2
年の育児休業をいただきました。一番下は中
学1年生ですので、まだ子育ての最中です。
子供が小さい頃はよく熱を出したので、職
場を突然休んだり、保育園や学校からの呼び
出しなどで早退したりと周囲に迷惑をかけて
しまい申し訳ない気持ちで一杯でした。それ
でも、職場の皆さんは嫌な顔をせず「気にし
ないで」と言ってくださりとても感謝してい
ます。
また、家族も協力してくれ、特に係長に
なったのが、一番下の子の小学校入学と同時
でしたので、残業している間、同居している
夫の両親にずいぶん助けてもらいました。
管理職になって
私はこの4月に課長補佐になったと同時に
現在の課に異動しました。昇任してまだ半年
なうえ、今まで、議会はもとより福祉部門と
も全く縁がなかったので、右も左もわからな
い状態で課長や先輩管理職の皆さん、同じ担
当の専門職の皆さんに様々なことを教えてい
ただき、助けてもらっている毎日です。
まだ、管理職としてお話しできることはあ
りませんが、職場で大切なのは「組織として
仕事をすること」と、「人を大事にするこ
と」だと思っています。そして、どちらも周
囲とのコミュニケーションが大切です。
こんな私が管理職になったきっかけは昨年
度、以前お世話になった上司から「管理職登
用に向けた研修に行かないか」と声をかけて
いただいたことです。このお話をいただい
た時に「自分は10年後、今のままで良いの
か?」と考えました。管理職への自信があっ
たというわけでは全くなく、ただ、心配事を
数え上げても仕方がない、やってみないとわ
からないと考えて、一歩踏み出すことにしま
した。
このことが現在につながっていると思って
います。
女性職員へのメッセージ
女性は、仕事だけでなく、家庭のことなど
抱えているものが沢山あり、ストレスも多い
と思います。また、簡単に「今日、飲みに行
こう」などとはできないのも女性です。です
が、ストレス発散や心配ごとの解消には、同
じ悩みを抱えている人との情報交換や相談は
とても大事です。それにはたくさんの人との
つながりが大切だと思います。最近は女性職
員の交流研修などもあるので、そういった機
会も活用してネットワークが広がると働きや
すくなってくると思います。
最近は女性職員が増えているので、お互い
に助け合いながら、頑張っていければいいと
思います。
りが大切07 15 16
看護師の先輩から学んだ若手時代
公務員としての最初の職場は、市民病院で
の医療事務、先輩は看護師さんでした。そこ
での先輩の仕事に対する姿勢は、今の私の姿
勢そのものと言っていいほど、強い影響を受
けました。「男女平等」の活字がごく当たり
前に使われる前の時代に、女性のみの組織の
中で、適切な判断力と迅速な行動力で職務を
こなされていた姿は、憧れでした。新米の私
は、徹底して仕込まれ、可愛がっていただく
中で、いつか私もこんな風に仕事をこなせる
ようになりたいなあと願ったことを思い出し
ます。
また、仲の良い友達はもちろんですが、若
い頃は、野球、バレーボール、硬式テニス
等、現在は陸上部と、いろんなクラブに入部
させていただいている中で築かせてもらった
人間関係や、同期メンバーとの付き合いは、
これまで、仕事面以外でも私を支え続けてく
れた強い「絆」となっています。今、私が頑
張れている原点は、そのたくさんのつながり
を構築させてもらえたことであり、とても
ラッキーだったと実感しています。
家族・仲間の支えがあってこそ〜
福祉分野での9年間
私にとって仕事と子育ての両立は、職場の
方々、そして、家族の応援無しにはあり得ま
せんでした。
育児休業制度が法制化された年の5月に1
番上の子を出産しました。しかし、産後4ヶ
月で復帰し、育児時間を取得しながら昼休み
と合わせ、授乳のために車で自宅に帰り、ま
た職場に戻って仕事に就くという毎日でし
た。2人目からは、1歳になるまで休暇をい
ただいていましたが、復帰すると新システム
いつも
「ひと」
のつな
三重県伊賀市教育委員会
伊賀市上野図書館長中な か お か
岡 久
く み美<プロフィール>
昭和 60 年 上野市入庁 上野総合
市民病院医療業務課
昭和 62 年 出納室
平成 4年 長女出産
(育児休業2ヶ月)
平成 5年 市民生活部市民課
平成 6年 次女出産(育児休業1ヶ月半)
平成 7年 総務部庶務課依那古
地区市民センター
平成 9年 保健福祉部厚生児童課
平成 10 年 長男出産
(育児休業3カ月)
平成 14 年 三女出産
(育児休業10ヶ月)
平成 16 年 合併 伊賀市
健康福祉部福祉政策課
平成 18 年 水道部業務課
平成 22 年 健康福祉部介護高齢
福祉課地域福祉係長
平成 26 年 健康福祉部医療福祉政策課 副参事
平成 27 年 上野支所振興課長
平成 28 年 健康福祉部こども未来課長
平成 30 年 教育委員会
上野図書館長(現職)
が導入されており、アナログからデジタルへ
の変更にスムーズに対応できず、ほとんど役
に立ちませんでしたから、職場の上司や仲間
にはサポートしていただいてばかりでした。
家に帰れば、4世代同居世帯である家族か
らの応援が必須の毎日でした。特にパートナー
はとても協力的で、その頃はまだ「イクメン」
という言葉はなく、父親の育児参画が珍しかっ
たにも関らず、家事育児をサポートしてくれた
ことは、精神的にも体力的にも助かりました
し、その姿を見ていた上の子どもたちも、当た
り前のように手伝ってくれて、私の大きな心の
支えになっていたと思います。
そんな子育て期に、子ども分野の業務に9
年間携わったことで、身近に直面する課題に
取り組むことができました。市民生活に密接
する福祉分野の様々な業務を経験させていた
だけた9年間は、悩みながらも、その後の、
仕事に対する大きな原動力になっていったと
感じています。
「ひと」とのつながり
私が歩んできた道のりは、何かしら改革が
必要な職場や、新たに設置された職場が多
かったように思います。そのことを、「大変
な職場」とマイナスに受け取るか、初めて取
り組むのだから失敗はつきもので、「自分の
想いをぶつけてみよう」とプラスの意識を働
かせるかでは、大きな差がでます。私は後者
のポジティブ思考なので、楽観的に考えまし
たが、それでも落ち込み、泣いてしまったこ
とも数えきれないくらいありました。でも、
その時々に友人に相談し励まされ、乗り越え
ることができました。
幸いにも、私はどの職場でも「ひと」に恵
まれていました。ご指導いただいた上司は厳
しくもありましたが、成功することを信じ、
前に進むよう導いてくださったことに感謝し
ています。そう思うと、やはり「ひと」のつ
ながりによって、いくつもの困難や壁を乗り
越えることができたのだと思います。どんな
困難な業務に直面しても、ひとりで悩まず、
上司にアドバイスをいただきながら、仲間と
一緒に「どうすれば解決できるか」を話し合
える環境があれば、きっと乗り越えられるの
ではないでしょうか。
若手女性職員へのメッセージ
採用された時代を思い返すと、女性の管理
職がこんなに増えるとは想像もしていません
でした。でも、ずっと、「男性と同じことは
できるはずもないけれど、女性にしかできな
いことはきっとある。」と思っていました。
そして、このことは、管理職になって、より
意識するようになり、どんな立場であって
も、いつも「自分に何ができるか。どんなこ
とが役に立つか」を考えていけばいいのでは
ないかと思っています。性別ではなく、「ひ
と」としての魅力を仕事に生かすことができ
れば、きっと自分自身、結果として満足のい
く仕事ができたと振り返ることができるので
はないかと思います。
今の若手女性職員の皆さんは、とても優秀
で、企画力も発言力もあり素晴らしいなあと感
じます。仕事を続ける上では、いろんな選択肢
がありますが、ぜひ、たくさんの「ひと」のつ
ながりの中で、お互いに、支え合えるような人
間関係を作って欲しいと思います。
がりの中で支えられたことに感謝08 17 18
大学を卒業して
大学時代は地元を離れ一人暮らしで、実家
に帰ることなど毛頭考えておらず、人生を謳
歌していました。当時は、バブル真っ只中
で、就職先で公務員を選択することは考えら
れなかった時代でした。
就職4年目にして、第一回目人生の転機を
迎えました。
転機1:家族の介護
平成6年頃、私の周りは結婚ラッシュで、
結婚→出産の嵐でした。そのころ、ほとんど
病気とは縁がなかった母が体調不良を訴え、
検査の結果「膠原病」と診断され、入院を余
儀なくされました。
母の体力、筋力とも衰え、1年半の寝た
きり生活、それに加え98歳の祖父の世話、
介護というものが私の身に降りかかってき
ました。
転機2:市役所臨時職員へ
2年ほど介護をしていた私も、28歳・無
職という肩書で、何のとりえもないものの、
何とかして生活をしなくてはいけない状態と
なり職を探していたところ、運よく長浜市役
所の臨時職員に採用されました。周りの上司
に恵まれ、右も左もわからない私に、根気よ
く、丁寧にご指導いただいたことには感謝し
かありません。
転機3:長浜市役所入庁
市役所正規職員採用条件として、民間企業
3年以上経験のある者が受験できる「経験者
枠採用試験」が設けられ、その採用試験に
チャレンジしました。
これもまた運よく合格し、晴れて平成14
年度新規採用職員となったのは、33歳のと
きでした。
建築指導課、道路課、農林水産課等と事業
系の職場を転々とし、農林水産課に所属した
時の流れに身をまか
滋賀県長浜市総合政策部
秘書課長為た め な が
永 智
と も子こ
<プロフィール>
平成 14 年 長浜市入庁
建築指導課主事補
平成 16 年 学校教育課主事
平成 17 年 道路課主事
平成 18 年 農林水産課主査
結婚、妊娠発覚
平成 19 年 死産 6月産休復帰
平成 21 年 子育て支援課主査
平成 24 年 幼児課主幹
平成 26 年 幼児課副参事
平成 29 年 人権政策推進課
課長代理
平成 30 年 秘書課長(現職)
38歳のときに結婚・高齢妊娠をしました。
妊娠 ・ 死産から職場復帰
平成18年10月に妊娠が発覚し、順調に
育っていたはずが、6か月健診時に、先生か
らお腹の子が育っていないと言われ、出産で
きても生きられないと宣告されました。その
時どうやって病院から家まで帰ったか未だに
記憶がありません。
平成19年4月、出産予定日を待たずに死
産しました。出産という扱いをしていただ
き、出産後8週間の産休をいただいた後、職
場復帰しました。
結婚、妊娠、死産を経験し、職場異動が
あっても正直、子どもに関わる仕事をしたく
ないなぁと内心思っていましたが、平成21
年度に子育て支援課に異動し、保育所関係の
担当となりました。
自分の思いと裏腹な異動に、戸惑うばかり
でした。
保育所担当7年間
平成21年から平成28年までの7年間保育
所関係に携わらせていただいたのは、何かの
運命なのかと感じました。
自分の子どもにできなかったことを、長浜
市に住む子どもや保護者のために何かできれ
ばと思いながら仕事をしていました。
どうすれば、子どもや保護者のためになる
のか、子どもが健やかに育つには、希望の園
に入園できなければ、どうすればよいのか。
日々市民の皆さまに対して、手続きをわかり
やすく、丁寧に説明することを心掛けていま
した。
毎日が忙しく、家のこともほとんどできな
いまま、ひたすら、仕事に没頭。でも、年1
回の海外旅行も忘れずに行っていたので、一
番充実していたのかもしれません。
管理職への昇任
その当時、管理職へ昇任するには、受験資
格要件をクリアした希望する職員が管理職試
験を受験し、合格した者が管理職になるとい
う方式でした。
部長から呼び出しを受け、「為永さん、受
験資格があるので、管理職試験を受けてくだ
さい」と一言言われました。受かるわけない
と思い、ダメもとで受験し、これもまたまた
運よく合格してしまったという感じでした。
合格後、これからどうなるのかという不安
ばかりでしたが、課員全員のおかげで何とか
業務をこなすことができたと思います。
平成30年からは秘書課長として配属さ
れ、毎日が自問自答と葛藤の日々です。
女性職員へのメッセージ
私から偉そうにアドバイスをすることは何
もありませんが、一言で言うと、「なるよう
になる。」という心持ちで!
「女性管理職だから」、「ロールモデルに
ならないと」、そんなことを気にしていた
ら、仕事はできません。それより、市民が幸
せに暮らせる方法を考えて、部下の幸せのこ
とを考えて、自分の幸せも考えて仕事に臨ん
ではいかがでしょうか。
先日、保育所の仕事をしていた時の保育園
の園長先生にお会いし、久しぶりにお話しまし
たが、園長先生から「為永さんによく注意さ
れたけど、愛があったわ。あの時はありがと
う。」と言われ、あぁ、仕事していてよかっ
た!と涙が出ました。「こちらこそ、言いたい
こと言ってすみません。先生のおかげです。あ
りがとうございます。」と伝えました。
仕事ってこういう
ことなのかなと思い
ました。いろんな方
とめぐり合い、仕事
をします。出会った
人たちはきっと力に
なっていただけます
ので、愛をこめて接
してください。
せ、
なるようになる。
という心持ちで!09 19 20
若手職員の頃
私が採用された時代、府庁の職員は圧倒的
に男性が多く、事務分担に書かれていない
「お茶出し」「掃除」なども女性の重要な仕
事となっていました。
社会に足を踏み入れたばかりの私も一日も
早く先輩のように美味しいお茶が煎れられる
よう、まずは職員の湯飲みの柄を覚えること
から教わった気がします。
最初に正式に配置された職場は、主に広聴
業務で、府民からの相談や質問について回答
したり、府庁見学の案内に小学生を連れて
回ったりするのが面白く、毎日職場へ行くの
が楽しみでした。
異動の度にさまざまな業務を経験し、中に
は大きな失敗をしたり、人に怒られたり、同
僚や上司に迷惑をかけてしまったり...思うよ
うに行かないことも多かったですが、それで
も仕事を辞めたい!と思ったことはなかった
です。
楽しかった技術職場
これまで多くの職場を経験しましたが、私
の場合は、同じ部署で長く勤務するよりもさ
まざまな分野の職場に、しかも専門職員が大
半の職場に配属されることが多かったです。
農林水産や土木、健康福祉などの技術職の
方の仕事を間近で見るにつけ、3年〜5年の
短い周期で異動していく事務職にはない、彼
らの技術へのこだわりやその分野への強い思
い入れに触れ、大いに刺激を受けました。
また、その分野の業務に関わることで、そ
れまで知らなかった専門的な知識を得られた
ことは、私にとって大変貴重な蓄えとなりま
した。
ほんの一時期だけの接点であったにも関わ
らず、現在も飲み会など当時の職場のメン
バーとの交流が続いていることは大変有り難
いことです。
これからも、この多くの方々とのご縁を大
事にしていきたいと思います。
仕事も育児もポジ
京都府
乙訓保健所次長荒あ ら田た 多た づ こ
津子
<プロフィール>
昭和 57 年 京都府入庁
府民相談室主事
平成 元 年 労働部労政課
平成 3 年 第一子出産
(育児休業 0.5 ヶ月)
平成 5 年 出納局会計課
平成 6 年 第二子出産
(育児休業 9 ヶ月)
平成 16 年 農林水産部水産課主任
平成 20 年 農林水産部農政課主査
平成 23 年 建設交通部監理課主査
平成 26 年 健康福祉部
薬務課副課長
平成 29 年 府民生活部
男女共同参画課
女性地域活動
推進担当課長
平成 31 年 乙訓保健所次長(現職)
家事・子育てと仕事
「なぜ赤ちゃんがいるのに働くの!?」育
休復帰の直前に近所の方から掛けられた言葉
は、普段ポジティブ思考の私でさえ、落ち込
ませるのに十分でした。
あの時代、子育てをしながら働いている先
輩達はごく少数で...周りを見ると結婚や出産
を機に退職する女性職員がほとんどだったた
め、共働きの両親には子供を預かってもらえ
ない状況であった私も「そういう時期がくれ
ば、退職するだろう」と考えていました。
第1子誕生の翌年4月に施行された「育児
休業制度」が導入されなければ、退職してい
たかもしれません。
今にして思えば、仕事も家事も育児も完璧
にはほど遠かったし、息子達はどのように受
け止めていたのかな、と思う時もあります
が、なんと言っても育児で重要なことは、
「頼れるべき人」を、身近に作ること!だと
実感しています。
当時は、庁内で最も残業が多いと言われる
部署に配属されていた夫ですが、私が残業や
出張中には、ダッシュで帰宅してくれました
し、盆正月の保育所が休み中には親兄弟のお
世話になりました。
また、息子が小学生の頃、家の鍵を忘れて
帰った日は、おやつ付きで預かってくださる
近所のお宅の存在も有り難かったです。
多くの方にお世話になってきたからこそ、
仕事を続けてこれたと思います。
管理職になって
長年、上司のアシスト役に徹してきた私
が、まさかリーダー役を任されるとは思って
もみませんでした。
未だに、管理職としての仕事が十分果たせ
ているのかと自問自答することも多い毎日で
すが、最近ようやく、職員のマネジメントを
する立場に慣れてきたところです。
管理職の仕事は、「所管の業務を確実に進め
ていくこと」と「所属職員の仕事の進捗管理、
体調管理」の2点に尽きると考えています。
また最近は、事案によっては、良い意味で
独断的な部分も管理職には必要じゃないかと
感じます。
府民の生活に寄り添う保健所という職場に
いると、社会の矛盾や課題を感じる場面も多
いですが、「この仕事は必ず誰かのために
なっている!」と信じることが日々の原動力
になると思っています。
女性たちへ
男女問わず、人それぞれの持つ能力は違う
し、やりたい仕事も違います。
女性が「結婚する、しない」や「子供を持
つ、持たない」によって本当にやりたい仕事
ができない時代は、そろそろ終わりを告げる
でしょう。
「仕事」も「プライベート」も充実させた
い!それは欲張りでも何でもなく、支えてく
れる制度と職場全体の理解があれば可能とな
るはずです。
最後に、私が毎日実行しようと努めている
ことを紹介します。それは有名な童話の「赤
毛のアン」の中で主人公のアンがやっている
1日1つの「幸せ探し」。
「幸せ」は何でもよくて、例えば朝の出勤
途中であれば、「今日は青空だから幸せ」だ
とか「朝、信号が青だったから幸せ」など、
本当にちょっとしたことを見つけて「だから
私は幸せ〜」って思うだけです。
単純な私は、よし今日も頑張ろう!という
気分になれます。
ややもすれば、ストレスやプレッシャーに
流されそうな時代ですが、どんなことでも前
向きに捉えることで、その日が楽しい一日に
なるかもしれません。
ティブシンキングで!10 21 22
採用〜係長昇任まで
わたしは、平成13年度に京都市に採用さ
れ、最初は建設局の広域幹線道路課に配属に
なりました。最初は正に右も左も分からぬま
ま、採用後数年は周りの皆さんに助けられて
何とかやってきたような感じでした。最近で
は職員が自身のキャリアを考えることが重要
視されていますが、当時のわたしには目の前
のことをこなすのに精一杯で将来のヴィジョ
ンなど全く描いていませんでした。自分で考
えて動けるようになってきたのが採用後5年
目以降の頃。上司や先輩のやり方を見て、資
料の作り方や説明のポイント、言い方等を真
似たりして吸収していった時期でした。今思
うと、係長になる直前の時期というのは非常
に大事で、その時期に周りの人に恵まれたの
は幸運だったなと思います。
係長昇任と子育て期
入庁からちょうど10年目で係長に昇任し
ました。まだ早いかな、自信がないなあと感
じていた矢先に妊娠が発覚。周りのサポート
を得ながら、あっという間に産育休に入るこ
とになりました。そして1年半後、別の所属
で復帰。経験者が皆おっしゃるように、復帰
後は試練の時期でした。まず慣らし保育で、
復帰早々から年休が続きました。出勤して
も子の急な発熱による早退があり不安定な
日々。遠方の母や義母にヘルプを頼んだこと
も何度もあります。係員であれば他のメン
バーで分担することもできますが、係長にな
るとそうはいきません。実際、早急な判断が
必要なものは課長が引き上げてくださいまし
たが、「上司や部下はわたしが係長で配属さ
れて、ハズレだと思ってるだろうな。」とい
うことばかり考えました。また、復帰当時の
気負わず、
自然体の
京都市行財政局人事課職員力・
組織力向上担当課長安あ ん ど う
藤 万
ま ゆ み
有実
<プロフィール>
平成 13 年 京都市入庁
広域幹線道路課
平成 15 年 まち美化推進課
平成 17 年 建設総務課
平成 21 年 人権文化推進課 主任
平成 23 年 地域づくり推進課
担当係長
同 年 第 1 子出産
(育児休業約1年2ヶ月)
平成 25 年 住宅供給公社派遣
担当係長
平成 28 年 会計室庶務係長
(30 年同室課長補佐)
平成 31 年 行財政局
人事課職員力・組織力
向上担当課長(現職)
所属は子育て中の職員が周りにいなかったた
め、事業所や区役所にいる係員で、子育て中
の人が周りにたくさんいる同期や先輩を羨ま
しく思ったりしました(それはそれで大変な
こともあると思うのですが)。ただ、当時の
ドタバタはなぜかあまり記憶に残っていませ
ん。人間の脳はしんどいことを忘れるように
できているのでしょうか(笑)。
仕事については、時間を無駄にしないとい
う意識がさらに高まりました(元々残業が好
きではなかったのもありますが...)。またス
キマ時間の使い方を工夫したり、明日休まな
ければならないかもしれない、と思って業務
にあたるようになりました。
ここまで読んで、これから子育てをしよう
という方には大変すぎるのではと感じた方も
いらっしゃるかもしれません。確かに大変は
大変ですが、思わぬ効用があって、オンオフ
の切替えがはっきりできることで、意外にも
ストレス解消になっている部分があります。
仕事で嫌なことがあっても、家に帰り子ども
の顔を見て世話をしているうちにすっかり忘
れていますし、子どもにイライラしても、出
勤すればさっぱり忘れていますので、引きず
ることがなくなりました。そういう意味で、
どちらか一方だけしているより、私にとって
は精神衛生上もいいのではと思うようになり
ました。
またある時、仕事と子育ての両立支援の研
修の講師を依頼されたことがありました。最
初は業務も忙しいし、両立もできていないの
で断ろうかと思いましたが、思い切って引き
受けてレジュメを作る内に、自分の頭の中が
整理されることに気づきました。そして自身
のことは案外自分で分かっていないんだなと
思い、アウトプットすることが自分のために
もなるということに気付きました。ですの
で、そういう機会があれば、是非積極的に引
き受けてみてください。
女性職員の昇任について
女性は、何でも完璧にこなさないと気が済
まない人が多いような気がします。だから昇
任したがらない人が多いのかなとも思うので
すが、一人で仕事も育児・家事も完璧にこな
すことは不可能です。可能な限り周りに頼り
ながら、それぞれで満点を目指すのではな
く、合わせて100点で良いのではないでしょ
うか。また、子育てが落ち着いてから(昇任
を)考える...という方もよく聞きますが、成
長につれて学校生活や部活動、受験等それぞ
れのステージで様々なことがあるので、落ち
着く時って中々ないですよね。組織として要
請されていると受け止め、あまり深く考えず
チャレンジしてほしいし、仲間が増えるのは
とても嬉しいです。
今年度になり、課長職に昇任しました。自
分の中で係長職が一番面白い職層かなと思って
いたこともあり、とまどいがあったのと、育休
期間があったにも関わらず早く昇任したこと
で、自信が持てませんでした。が、ある時上司
に「自然体だね」と言われたことがあり、それ
がきっかけで、気持ちが楽になりました(今思
えば、良い意味でおっしゃたのかは不明ですが
...(笑))。自分を大きく見せたり、必要以上
に恐縮しなくていい。今の自分のままで良い、
と思えるようになりました。
管理職になっても、分からないこともあ
るし、弱い部分もある。
そういう部分も認めなが
ら、チームとしての力が
最大限に発揮できるよう
にマネジメントを楽しも
うと思います。
ままでいい11 23 24
若手職員の頃
私が農業職として採用された頃は女性が少
なく、15〜6名の同期の中で女性は4名でし
た。初めての職場では、農業の技術とは直接
関係なく、地方機関で農林水産省所管の地域
活性化のための施設整備の補助事業事務等を
担当しました。
中山間地域で都市との交流施設の設置等に
より地域を活性化することに、とてもやりが
いを感じていました。
当時の職場は女性が私だけで、上司や相手
方の市町村の担当は自分の倍以上の年齢の男
性ばかりでしたが、新規採用の女性だからと
甘やかされたくなかったため必死で仕事を覚
えました。
この後本庁で同種の業務を行う課に異動
し、2年目に同じ県職員の夫と結婚し妊娠し
て地方機関に異動になりました。
異動先は、農業者の技術や経営を支援する
農業改良普及所で、初めての農業現場での業
務のため、妊娠中にも関わらず必死に現場に
出て田畑を走り回って農業者と関わっていま
した。その無理がたたって切迫早産で入退院
を繰り返す生活を経て、出産、産休、育休を
過ごしました。
周囲のサポートで乗り越えられた
子育て期
育休明けに1歳の長男を保育園に預けてい
ましたが、風邪からくる中耳炎で鼓膜切開を
繰り返し、耳鼻科の先生から子どもの耳を守
るために保育園をやめるよう勧められまし
た。他に預け先はなく自分が仕事を辞めるべ
きか悩みましたが、当時教員をしていた私の
母に早期退職するよう頼み、近所に住む母に
子どもを預けて安心して働けるようになりま
した。
その後長女を出産し、2回目の産休・育休
が明けて1年が経過した時の異動で、本庁に
新しくできた中山間地域対策を行う課内室に
異動になり、新規事業の企画等残業を伴う激
今しかできないこと
鳥取県農林水産部農業振興戦略監
とっとり農業戦略課長山や ま も と
本 紀
の り子こ
<プロフィール>
平成 4 年 鳥取県入庁 日野地方農林振興局
農業振興課農林技師
平成 6 年 農林水産部農村整備課 農林技師
平成 8 年 八頭農業改良普及センター
改良普及員
平成 8 年 長男出産
(育児休業1年)
平成 11 年 長女出産
(育児休業1年)
平成 13 年 企画部企画振興課 農林技師
平成 14 年 企画部地域自立戦略課 農林技師
平成 15 年 企画部地域自立戦略課 主任
平成 16 年 農林水産部経営支援課 主任
平成 19 年 農林水産部耕地課 主任
平成 20 年 商工労働部兼農林水産部
食のみやこ推進室 副主幹
平成 21 年 総務部財政課 主計員
平成 25 年 農林水産部経営支援課 課長補佐
平成 29 年 元気づくり総本部元気づくり推進局
とっとり暮らし支援課 課長補佐
平成 31 年 農林水産部農業振興戦略監
とっとり農業戦略課長
(現職)
務の日々を過ごしました。当時、子どもは2
歳と4歳でしたが、両親の協力により子ども
の夕食、入浴等の世話をしてもらい、夫と協
力してどちらかが夜遅くに子どもを実家に迎
えに行く、という生活が続きました。土日も
仕事で地域に出かけていくことも多く、甘え
たい盛りの子どもにはとても寂しい思いをさ
せましたが、短時間でも愛情を注ぐことで親
子の絆を深めるよう努めました。
数年後、県組織で最も残業が多いとされる
財政課に異動した時、子どもは小学4年生と
6年生で、まだ母親とのふれあいを求める年
齢でした。深夜に帰宅すると子どもから労い
と励ましのメッセージのメモが置いてあり、
その返事を書くなど、接する時間が少ない中
でも別の手段でコミュニケーションをとりま
した。掃除、洗濯等の家事と子どもの世話
は、夫が一手に引き受けてくれていました。
育児との両立に苦労しつつも、財政課の業
務はとてもやりがいがあり、県政全体を見渡せ
る貴重な経験ができました。本県の財政課は事
務職以外に土木、福祉、農業等専門職も配置さ
れており、苦楽を共にした多職種の同僚や、総
務省から出向された課長等たくさんの方と出会
えたことは大切な財産となりました。
管理職となって
今春の異動で初めて管理職になりました。
農林水産部の本庁では初めての女性の課長と
いうことで、プレッシャーはありますが、優
秀で協力的な職員のみなさんのおかげでなん
とかがんばることができています。農業職で
ありながら企画部門や財政部門等、他部局で
経験させていただいたことや人脈を活かし、
幅広い視野で業務に取り組むよう心がけてい
ます。
子育て中の職員もいるので、これまで自分
が職場の上司や同僚に協力していただいた恩
送りのつもりで、お子さんの病気や健診、行
事等の際には気兼ねなく休める雰囲気づくり
に努めています。
これまでの上司に女性はいませんでした
が、何人もの理想の上司といえる方々に仕えて
きました。仕事のごほうびに次の仕事を与え部
下の向上心をくすぐるのがうまい方、相談しや
すい雰囲気を作り的確な指示をくださる方など
の部下のマネージメント手法をお手本にして、
精進していきたいと思っています。
ワークライフバランスの実現
現在は2人の子どもは県外の大学に進学し
て手が離れ、鳥取の綺麗な海でサーフィン、
サップ、シュノーケリング等のマリンスポーツ
を楽しんだり、フットサル、スキー、スポーツ
ジム、ウクレレ等、休日の時間が足りないほ
ど、様々な趣味を楽しむ余裕ができました。ス
トレスを発散できるだけでなく、趣味を通じて
知り合ったたくさんの異業種の多世代の方々と
の交流を通じて、柔軟な発想を養ったり仕事の
アイデアをもらったりできて相乗効果がありま
す。これまでは、仕事と育児に追われる生活で
したが、やっとワークライフバランスの実現に
近づいてきたと思います。
女性職員へのメッセージ
以前上司に、30±3才の頃にどれだけ仕事
に打ち込み、実績を残したかでその後の生き方
が決まると教わりました。仕事がおもしろく
なって没頭したい時期と、結婚、出産をする時
期が重なる場合、どちらを優先するべきかで悩
まれることがあるかもしれません。その時は、
ご家族とじっくり話し合ったり、職場の方々に
も相談したりして、今しか、自分にしかできな
いことを優先する等自分なりの基準で判断し、
自分の気持ちに正直になって決めれば後悔する
ことは少ないと思います。
に精一杯取り組む12 25 26
若手職員の頃
昭和60年に北島町に保健師として入庁し
ました。保健師のひとり設置から複数設置へ
という時期での入庁で、先輩保健師や周りの
事務職の方に助けられながら仕事をしていま
した。こんな仕事がしたいという提案にも先
輩は相談に乗ってくださり、やりがいも感じ
ていました。
しかし、自分は保健師に向いてないのでは
とずっと心の中で思っていました。「保健師
です」と名乗ることについて、私は、保健師
としての仕事が出来ているのだろうかと自信
が無く、恥ずかしく感じていました。その気
持ちを埋めるためにいろいろな研修会に参加
したり、本を読んだりしていました。保健師
の仕事は、住民の方にお会いして、顔を覚え
ていただいてこそだと思います。振り返る
と、充分なことが出来たか心許ないですが、
仕事を通じて関わった住民の方の反応から少
しずつ自信をつけていけたのだと思います。
周囲のサポートで乗り越えられた
子育て期
私が、こども2人を出産した時期は、育児
休業制度導入前で、産後8週間での職場復帰
でした。その当時の職場は、それが当たり前
で、女性職員は皆8週間で復帰していまし
た。幸いなことに私たち夫婦の実家が近くに
あり、両家の全面的なサポートで子育て時期
を過ごせました。
はじめてこどもを実家に預け出勤した時
の、子どもに対して一緒にいられないことへ
の申し訳なさ、離れることの寂しさを感じた
気持ちは、今でも思い出されます。そんな気
持ちを感じながらでも仕事に行くことを選ん
だのだから、「子どもに恥ずかしくない仕事
どの道を進んでも、
徳島県北島町
地域包括支援センター所長中な か た に
谷 佐
さ た こ
多子
<プロフィール>
昭和 60 年 北島町役場入庁
厚生課保健師
昭和 63 年 長女出産
(産後休暇8週間)
平成 2 年 長男出産
(産後休暇8週間)
平成 3 年 保健相談センター
平成 18 年 地域包括支援センター
主査
平成 20 年 保健相談センター所長
平成 26 年 民生児童課長
平成 29 年 保険福祉課長
令 和 元 年 地域包括支援センター
所長(現職)
をしよう」と決心したことも覚えています。
その子どもたちも成人し、最近娘に子ども
が生まれ、1年あまりの育児休業を取得しま
した。孫であるせいかもしれませんが、毎日
出来ることが増え、かわいい様子を見るにつ
け、育児休業という制度は素晴らしいなと思
いました。子どもとの輝くような一瞬一瞬を
ともに過ごせる時間を持てるということは、
何ものにも代えがたいものだと思います。
また、夫の家事協力や、私の仕事への理解
があったことも仕事を続けてこられた大きな
力になります。子どもが2人出来てから「家
庭は、キャンプみたいだから、そのとき出来
る人が出来ることをしたらいい。」と言っ
て、ゴミ出しや洗濯など我が家の環境大臣と
してがんばってくれています。県外への研修
等も仕事に必要だからと快く送り出してくれ
たことも本当に感謝しています。
仕事をしていくうえで感じていること
どんな仕事をするにおいても「感謝」の気
持ちを忘れないことだと深く思い至りまし
た。若い頃は、自分のことで必死だったので
目に見えるサポートには感謝していました。
年数を重ねると目に見えないところで協力し
てくださっていることにも気づけるようにな
りました。
住民の方を支援するといいながら、自分が
支えてもらっていることもたくさんありまし
た。また、連携をとる関係機関の方とともに
仕事をすることで、良い関係が作られまし
た。支援をする際に一つの機関で出来ること
は少ないですが、話し合い連携することで、
それぞれの協働の中で課題を解決に繋げてい
けたと思います。
うまく出来なかったこともありますが、専
門職や援助職という職種は、顔を合わせて仕
事していくことでより深い連携が生まれ成果
が出ると思います。そこに関わった方への感
謝はもちろんですが、自分の職場の仲間にも
たくさんサポートしてもらっていることへの
感謝の気持ちが大切だと感じます。
ただ、同じ専門職に対しては、自分の期待
が大きい分、厳しかったのではと反省してい
ます。平成26年度より事務の多い部署へ異
動となり事務の奥深さについて感じることが
ありました。自分の専門職のスキルで多少貢
献出来るところはあっても、周りの職員の力
の大きさには、感謝しかありませんでした。
感謝の気持ちを持ち、そのことを伝えていく
ところが大切だと感じました。
役場での仕事の終了もカウントダウンに
入った現在、自分が仕事をしていく上で、職
場の仲間はもちろん、全ての方に感謝の気持
ちでいっぱいになっています。
後輩へのメッセージ
後輩へのメッセージというとおこがましい
ですが、まずは健康であるということが大切
だと伝えたいです。若さ故に生活習慣で無理
をしたり、仕事でのストレスを抱え込まない
ようにしてほしいと思います。
人生の大きな岐路や、仕事の上でどちらか
を選ぶ判断が必要な時があります。自分や周
りのためになるようにと決めたときには、も
う一つは手放すこともあります。自分が一生
懸命考えてどちらかを選び、その進んだ方
で、その結果が失敗や無駄だと思うこともあ
るかもしれません。しかし、時間がたったと
きに今の自分のためになっていることがたく
さんあることに気がつきます。
仕事をしていく上では、住民のためになる
かどうかを考え、勇気を持って決断して前に
進んでいってほしいと思います。
それは自分の最善の選択です。13 27 28
これまでの仕事のこと
昭和63年に入庁しました。男女雇用機会均
等法が施行され、性別に関わりなく働けるよう
になるという期待感はあったものの、民間企業
では女性が長く働き続けることは難しい状況も
あり、県職員の道を選びました。と言っても、
特別高い志があったわけではなく、ただ、広い
社会を見てみたい、社会と関わり続けたい、そ
んな思いだったと思います。
最初の職場では、秘書業務をしながら啓発
関係の事業も任されました。当時の上司が若
い人の感覚が大事だと、重点事業だった啓発
冊子の作成を任せてくれ、勉強しながら企画
を練り、先輩の支援もいただきながら完成さ
せたことを覚えています。
これまで様々な業務に携わってきました
が、どの職場においても様々な出会いと学び
があったと感じています。所属長として初め
ての職場である子育て支援課は大変忙しい職
場ですが、出会い・結婚の応援から保育や地
域の子育て支援まで、県民の生活に直接関わ
る仕事にやりがいを持って、日々取り組んで
います。
子育てと仕事の両立
両立ができていたかと問われると、どうで
しょうか。ただひたすら、がむしゃらに走り
続けていた気がします。
入庁2年目で結婚し、最初の職場で長男
を、2番目の職場で長女を出産しました。延
長保育を利用し、いつもお迎えが最後になっ
てしまう私を、息子が泣いている0歳児の妹
を抱っこして待っていました。
息子が小学校にあがるのを機に、私の地元
に引っ越してからは、ずいぶん実家に助けられ
ました。夫も残業の多い職場でしたし、私自身
も出産前と変わりなく、どちらかと言えば仕事
に軸足を置いた働き方をしていました。それが
さあ、
一緒に、
前に
福岡県福祉労働部
子育て支援課長坪つ ぼ根ね 千ち え こ
恵子
<プロフィール>
昭和 63 年 福岡県入庁
同和対策局調整課主事
平成 3 年 第一子出産
(育児休業5ヶ月)
平成 6 年 通商観光課主任主事
平成 8 年 第二子出産
(育児休業5ヶ月)
平成 11 年 出納課主任主事
平成 15 年 出納課事務主査
平成 16 年 県民情報広報課事務主査
平成 20 年 県民情報広報課広報係長
平成 23 年 国際交流第一課企画主幹
平成 26 年 人事委員会事務局
任用課企画主幹
平成 27 年 福岡県 70 歳現役
応援センター長
平成 30 年 子育て支援課長(現職)
できたのも、実家の支えがあったおかげです。
娘の保育園のお迎えは母に頼みましたし、小学
校の間は二人とも学童保育後、祖父母宅に帰る
という生活が続きました。
仕事も育児も自分がやれることはしっかり
やりたいと、睡眠時間を削って頑張っていた
のですが、今振り返ると、それが両立といえ
るのか、もっと別のやり方があったのではな
いか、と思います。
平日、子どもたちと過ごす時間は、本当に
わずかでしたが、自分なりにルールを持って
いました。「おかえり」を言ってあげられな
いから、「いってらっしゃい」は欠かさない
ようにする、病院へは親が連れていく、そし
て、二人のことが大事なんだということを態
度や言葉で示す。そんなわずかなことです
が、それによって子どもたちも、忙しい私の
ことを理解してくれていたように思います。
子育ては、乳幼児期を過ぎても、学校生活
や友人関係、受験など心配事が絶えません。
でも、間違いなく、子育てをすることで私は
成長させてもらえたし、今も、子どもたちか
ら力をもらっていると思います。
これまでに何人かの部下が出産し、育児休
業後復帰しています。男性職員も小さな子ど
もを持つパパがいます。今の私の課題は、ど
のようにすれば、職員の子育てを応援する職
場にできるのか、ということです。職員の思
いにできるだけ寄り添い、無駄を省き、効率
的に仕事を進められるよう、私ができること
をやっていきたいと考えています。
心がけてきたこと
仕事をするうえで、心がけてきたことが2
点あります。
一つは、謙虚であること。様々な事業に携
わってきましたが、知らないこと、苦手なこ
と、経験したことのないことも山ほどありま
す。もちろん、所属長になれば、場面によっ
ては知っている風で堂々としておくことも必
要ではありますが、知らないから学ぶし、他
人にも優しくなれる気がします。
もう一つは、前向きであること。前向きに
考える、捉えることで、仕事も楽しくなりま
す。何ができるのか、変える必要はないの
か、考えて行動すること。当たり前のことで
すが、多忙を理由に流してしまうこともある
でしょう。公務員の仕事は、何かを変える力
も持っています。大きな魅力でもあり、責任
でもある、と肝に銘じて仕事をしています。
女性職員へのメッセージ
私には、尊敬する女性の先輩がいます。仕
事には厳しいですが、細やかな心配りのでき
る方で、常に温かな声で励ましていただきま
した。そして、自らの言葉で堂々と施策を語
る姿が素敵な方です。足元にも及びません
が、私も少しでも先輩に近づきたいと思いま
す。
管理職になるのに性別は関係ないと思いま
すが、一方で、管理職に女性が増えると、社
会が変わる気もしていて、仲間が増えること
を期待しています。
私は、これまで自分ができることをやって
きただけですが、多くの方の手助けがあっ
て、今、この立場にいます。女性は、ついつ
い頑張ってしまう方が多い気がしますが、少
し気楽に、たまには愚痴も言って、また前を
向けばいい。その手助けをしたいと思いま
す。皆さん、一緒に、一歩一歩、前に進みま
しょう。
進みましょう14 29 30
若手職員の頃
最初の職場は、区役所の総務課で庶務担当
でした。何もかもが新鮮で、色々と勉強にな
りました。現職含め、総務の業務は3回目で
すが、課長から「総務課は縁の下の力持ちの
仕事だよ。」と言われたことは、今でも心に
留めています。
また、区の新たな活性化事業では、各課若
手職員によるプロジェクトチームが編成さ
れ、私もその一員として、企画や事業実施に
従事しました。区長から仕事の楽しさや前向
きな姿勢を直接教わったことは、自分の仕事
に対する考え方に大きく影響しました。
その後、コンベンション誘致、教育委員
会、新たに開設される学術研究都市を運営す
る財団法人設立業務に携わりました。財団法
人設立の仕事は忙しく、残業続きでしたが、
職場全体で、ゴールに向かって突き進んでい
き、やり終えた時に大きな達成感を得ること
ができました。
家族のサポートで乗り越えられた
子育て期
出産は、係長になってからです。過去に係
長で出産した人は、ほぼおらず、育休を取得
したら、自分の代わりに誰が仕事をやってく
れるのか市に明確なルールがなく、不安でし
た。結局、産休含め1年間、課長と係員2名
とで自分の役割を分担していただき、有難
かったです。
夫は単身赴任中で週末に戻ってくるという
状況だったので、平日は、近くに住む母に頼
りっぱなしでした。保育所の送迎は、朝は
私、夕方は母で、夕食も実家で済ませること
が多かったです。母のサポートなしには乗り
切れなかったと思います。感謝の一言に尽き
ます。
区の生涯学習係長の仕事は、地域行事等で
休日出勤が多く、その時は、夫にほとんどの
家事と子どもの世話を担ってもらいました。
「小1の壁」は感じました。学童は開始時
自分の可能性を信じ
福岡県北九州市子ども家庭局
総務企画課長大お お庭ば 千ち え枝<プロフィール>
平成 2年 北九州市入庁
小倉北区役所総務課
平成 13 年 (財)
北九州産業学術
推進機構総務課
平成 15 年 (財)
北九州産業学術
推進機構総務課長
(産業学術振興局
産学政策課主査)
平成 16 年 第一子出産
(育児休業 10 ケ月)
平成 21 年 若松区役所まちづくり
推進課生涯学習係長
平成 24 年 産業経済局雇用開発室
人材開発担当係長
平成 26 年 八幡西生涯学習
総合センター所長
平成 28 年 企画調整局
国際政策課長
平成 30 年 子ども家庭局
総務企画課長(現職)
間が遅く、4月、入学式までの約2週間は、
時間休を取って対応しました。子どもも環境
が一変し、学校や学童に慣れるかどうかも心
配でした。
子育てで、家族のサポートが受けられない
方は、自分だけで抱え込まず、有料サービス
を活用したり、ママ友だったり周りに助けを
求めて欲しいと思います。
仕事も子育ても自分が助けてもらったら、
次は誰かを助ける。そうすれば自分が困った
時、きっとまた誰かが助けてくれる。お互い
さまの精神、大事だと思います。
壁を乗り越える方法
私は仕事で行き詰ったら、自分の置かれて
いる状況を俯瞰的に見るようにし、何が問題
になっているのか考え、解決策を探り、それ
を頭の中でシミュレーションして行動に移し
ます。
仕事や子育てについて、悩みを聞いてもら
える友人や同僚、あるいはメンター的な存在
も大きいと思います。昨年、相談相手だった
同期の課長が亡くなり、心にぽっかりと穴が
あきました。あらためて相談できる人がいる
ことの大切さを知りました。人は誰かに話を
聞いてもらうだけで、気持ちがすっきりし、
あらためて頑張ろうと思える気がします。
ロールモデルがいると、さらに良いのではな
いでしょうか。
気持ちを切り替えることも大事です。私
は、本屋に立ち寄る、美味しいものを食べる
等、自分のための時間を持ちます。また、気
が沈んで下ばかり向いていると感じたら、空
を見上げて、意識的に視線を上げるようにし
ています。
管理職の魅力
管理職になれば、自分がやりたいことが実
現できる可能性が高まるとともに、自分自身を
より高めていくことができます。今年、子ども
や子育てに関する総合計画を策定しました。子
どもたちの幸せのためにどのような取り組みが
必要か、自分の考えを計画に反映させていくこ
とに、大きなやりがいを感じました。
本市は、主査、係長と2つの昇任試験が実
施されます。主査はいいが、係長は、責任が
重く自信がないと、受験を躊躇する声をよく
聞きます。実際に係長、課長を経験して思う
ことは、その立場になれば、何とかなるも
の。立場がその人を作っていくように思いま
す。違うステージに上がってみれば、何か新
しい景色が見えてくると思います。
女性職員へのメッセージ
結婚、出産など、ライフイベントの選択は
人それぞれ。子育て中の人は、時間に追われ
る毎日でしょう。それぞれのワークライフバ
ランスがありますが、共通して言えるのは、
1日の3分の1は仕事をしている時間だとい
うこと。せっかくなら、楽しく仕事をするた
めにも、どんな小さなことでもいいので、目
の前にある仕事に対して、自分なりの価値を
見出して欲しいと思います。
また、「誰のために何のために働いている
のか」を考えること、「できない理由」を考
える前に「できる理由」を探してみることも
必要ではないかと思います。
そして、アンテナを高くしつつ、短期、
中長期と、自分なりの目標やゴールを定め
てみることも良いと思います。目標を達成
した時に味わう充実感を積み重ねていくこ
とは、きっと自分自身の成長につながって
いきます。
全速力で走り続けることは大変なことで
す。時々スピードを緩めたり、立ち止まっ
たりしながらも、気負わず、自分の可能性
を信じて、自分
らしく一歩ずつ
前に進んでいっ
て欲しいです。
私自身、そうあ
りたいと思って
います。
て、
一歩ずつ前に進んでいこう15 31 32
若手職員の頃
男女雇用機会均等法が制定された頃、女性
で10年ぶりに採用されたこともあり、女性
の先輩方にとても喜ばれたことを覚えていま
す。仕事は、今のようにメンター制度が充実
していない時代でしたので、見様見真似で
行っており、分からないことは積極的に先輩
方に教わっていました。仕事でミスをして上
司に怒られ、自己嫌悪に陥ることもありまし
たが、「誰でも最初からできる人はいない、
失敗は成功のもと」とポジティブに考えいろ
んな経験を積み重ねてきました。
異動先では、改善できる事や、新規事業な
ど積極的に実行に移していきました。社会福
祉事務所時代は、地域での子育て支援を充実
させるために子育て支援サポーターを育成
し、NPOの立ち上げに関わりました。
合併後は、児童虐待防止担当として「県内
でもトップクラスのケース数」を抱え、多忙
な業務により午後9時を過ぎた頃、帰宅する
日々が続きました。その中でも子育てに役立
つ情報誌の作成など関係機関と連携し、市民
サービスに繋げる事ができたのは大きな喜び
でした。
私も"お母さん"です
結婚して3名の子育てをしてきました。私
自身とても恵まれた環境で、夫や両親も子育
てにとても協力的でした。しかし子どもが幼
児期と思春期の頃に、夫の単身赴任が6年間
あり、その頃がとても大変でした。当時は、
育休を取得する職員はおらず、毎朝、着替え
やオムツ等を入れた大きなバックを抱え、泣
いている子を保育所へ預けて仕事に向かうの
は、とても辛いことでした。元気なうちは良
いのですが、病気になった時が大変でした。
特に3番目の子は、生後6か月の頃に難病を
患い入院治療を行うことになりました。半ベ
ソをかいている私に、上司は「仕事の事は心
配しなくてよい。親なのだからしっかりと子
どもの治療に専念してください」と励まして
挑戦してみよう。 沖縄県うるま市教育委員会
指導部 学務課長幸こ う地ち 美み わ和<プロフィール>
昭和 60 年 旧石川市入庁
企画部企画課主事補
昭和 61 年 総務部国体事務局
昭和 63 年 総務部総務課
昭和 63 年 水道部水道課業務係主事
平成 5 年 第一子出産
平成 6 年 教育委員会教育総務課学校教育係
平成 8 年 第二子出産
平成 11 年 民生部社会福祉事務所
福祉係主事
平成 12 年 第三子出産
(育児休業約2ヶ月)
平成 13 年 同係主任主事
平成 17 年 合併
うるま市福祉部児童家庭課
平成 18 年 市民部市民健康課
平成 22 年 企画部財政課主査
平成 24 年 福祉部障がい福祉課支援係長
平成 25 年 同課副主幹兼支援係長
平成 26 年 同課主幹兼支援係長
平成 29 年 教育委員会指導部
学務課長(現職)
くださり、感謝の気持ちで一杯でした。ま
た、長男が中学生の頃は、やんちゃが過ぎて
学校から何度か呼び出しも受けていました
(笑)
子どもの病気や学校でのトラブルは日常茶
飯事でしたが、その度に、周りの先輩方が
「自分たちもそうだったよ」と共感し、応援
してくれました。仕事や子育ては持ちつ持た
れつであり、一人で抱え込まずに協力し合う
事が大切だと実感しました。思い起こせば、
仕事が忙しくなるほど、しっかりと子どもを
ハグし、話を聴いてあげ、寝かしつけていま
した。絵本の読み聞かせもあまりできません
でしたが、子どもは、あの頃に読んだ絵本の
事を覚えていました。
多忙な時ほど、子どもに関わるのは時間の
"長さ"ではなく"濃さ"なのかなと思いま
す。食事やお弁当作りも買ってきたお惣菜を
容器に移し替えて、食べさせたことも何度も
ありましたが、子ども達が「お母さんはいつ
も忙しそうだけど、お仕事楽しそう。私もそ
んな仕事がしたい」と言ってくれた時は本当
に嬉しかったです。
成功体験や失敗体験で学ぶ
仕事を続けていくと、「やりたくない仕
事」や「得意でない仕事」が増えてきます。
その結果、思うように仕事が進まず凹んでし
まうことも度々ありました。そんな時は、な
んくるないさ〜(どうにかなるさ)と楽観的
に考え、臨機応変に柔軟に対応するように心
掛けていました。
自分のキャリアを振り返ったとき、その
時々で人との「縁」や「出逢い」が多くあっ
たと感じています。人との出逢いによって新
しい道が拓かれ、いくつかの事業提案ができ
ました。指針となったのは、その方々からの
アドバイスによるものが大きかったと思いま
す。成功体験や失敗体験等の「出来事」か
ら、何を学ぶかで自分が成長でき、学び続け
る姿勢が自己成長していくうえで大切なこと
だと思います。いろんな出逢いや出来事を、
前向きに考えることでキャリアアップ(持っ
ている能力を高める)に繋げる事ができるの
だと感じています。
また、仕事以外でも職場の雰囲気を盛り上
げることは大切だと感じています。障がい福
祉課時代は、新年会や忘年会等で全員参加の
「THE余興大会」を行い皆で大爆笑(笑)。
その度にコミュニケーションが図られ「仕事
は大変だけど楽しい職場」と言われるように
なりました。
女性職員へのメッセージ
仕事と子育てを両立していくことは大変な
ことです。私自身いろんな方々の助けを得な
がら過ごしてきました。子どもが手を離れた
時、「バトンタッチだ。次は自分がサポート
していく番。」と思っています。安心して下
さい。皆さんを応援してくれる方は大勢いま
すよ!
行政の現場では、様々な出来事や出逢いが
あります。それをキャリアアップに繋げ、何
事にもまずは挑戦してみよう!それは「次の
扉を開くこと」に繋がっていくと思います。
そして、「オープンマインドを持ち続ける」
「出来事や出逢いを大切にする」これらを大
切にする姿勢が、「自分のキャリアを良いも
のにしよう」とするポジティブな考え方に繋
がっていくものと感じています。これからの
社会は、世界でも類を見ない超高齢化、そし
てAI社会になっていきます。働き方や生き
方などの様々な多様性に触れ、柔軟な思考や
可能性を広げ、自分らしくいきいきと働いて
ほしいと思います。
人生100年時代。
「 命 ど ぅ 宝 、 し ん
か ( 仲 間 ) 宝 、 そ
してエンジョイマイ
ライフ」です。チバ
リ ヨ ー ! イ ナ グ ン
チャー(頑張ってい
こう!女性たち)
そして、
次の扉を開いていこう!16 33 34
女性地方公務員のキャリア形成 〜自分
スリール株式会社
代表取締役 堀江 敦子
<プロフィール>
大手 IT 企業勤務を経て、2010 年に 25 歳で起業。
200 人以上の子どものベビーシッターや 20 代での父
親の看護と仕事の両立の経験を生かし、
「子育てしなが
らキャリアアップする人材・組織を育成する」をテー
マに、企業の研修やコンサルティング、大学・行政向
けにライフキャリア教育を実施する。
内閣府男女共同参画会議専門委員、厚生労働省イクメ
ンプロジェクト委員、東京都文京区ぶんきょうハッピー
ベイビー応援団委員、千葉大学教育学部非常勤講師も
務める。
キャリアには、プライベートも含まれている
2016 年に女性活躍推進法が制定され、国としても女性に対して活躍を求める声が出てきまし
た。女性の中には「キャリアアップ・活躍」を求める声に対して、違和感を感じている人もい
るかもしれません。
「自分は役職に就きたいわけではない」
「プライベートも大切にしていきたい」
「そもそもイメージが湧かない」などです。実際に、私が多くの女性の行政職員の方と関わって
感じることは、大変優秀な方にも関わらず、ライフイベントがあることでキャリアアップに二
の足を踏んでいる人が多くいらっしゃるということです。
皆さんは「キャリア」というと、どういうイメージがありますか?きっと頭の中には、
「職務
経歴・役職」ということが浮かぶのではないでしょうか。実はこのような意味は、現在のキャ
リア理論の中では狭い定義とされています。広い意味でのキャリアの定義は「生涯において個
人が果たす役割(ライフキャリア)
」と言われています。つまり、ご自身が今まで経験してきた
事を通して「どのような価値を出せる人」になりたいのかということです。キャリアアップす
るということは、仕事をバリバリとし続けて価値を出すということだけではなく、ご自身のプ
ライベートも含めた経験を、より価値のあるものにしていくということなのです。
キャリアの定義
らしいライフキャリアをデザインしよう〜
知っていますか?仕事と子育ての「両立不安」
両立不安とは、
「仕事と子育ての両立に直面する前から不安を抱えてしまうこと」を示し
た弊社の造語です。2017 年に子育てをする前の働く女性に調査を行ったところ、
【92.7%】
もの方が、両立に対して不安を抱えていることが分かりました。しかしながら、不安を抱え
ている人の中で「求められればマネジメントを経験したい」という方も【66.5%】と多数
いました。
「プライベートを充実させながら、仕事も頑張りたい」という思いがある一方で、
本当にできるのかな?と不安を抱えてしまう。皆さんの中にもそういった方がいるかもしれ
せん。是非今回のコラムを読んでいただき、自分の心の中のモヤモヤを洗い出して、前向き
に進んでいただければと思います。
狭義の
キャリア
広義の
キャリア
「職業生活上のもの」 「生涯において個人が果たす役割」
(ライフキャリア)
職業、職務内容、職務経歴、
職業上の地位・役割 こども・学生・余暇人・市民・労働者・
配偶者・家庭人・親・年金生活者
(注記)キャリア発達理論ドナルド・E・スーパー
35 ×ばつ「120%」がかけ合わさるとどのように思考してしまうのか。例え
ば、
結婚を考えている 28 歳くらいの A さんにリーダー職を打診したとします。A さんの脳内は、
こんな状態になります。
< A さんの脳内>
「仕事は頑張りたい(キャリア)」。
でも、
「忙しくなって結婚相手を見つける時間がなくなるかも。子どもができたら、リーダー
職は続けられるかな?(×ばつ先読み)」「失敗したらどうしよう?上司の期待に応えられないのではないか?部下の指導なんてできる
かな?(×ばつ 120%)」このようにぐるぐると悩んでしまうと、
「自分には難しそう。周りに迷惑を掛けるくらいなら、
リーダー職を断った方が良いかも。
」と考えてしまうことがあります。こういった思考から、仕
事へのモチベーションがあるにも関わらず、諦めてしまうという行動に至ってしまうケースが
あります。それは、とても勿体ないことだと感じます。
ではこの思考は女性のせいなのでしょうか。実はこれは環境の問題から来るということが研
究でわかっています。ここでインポスター症候群というものをご紹介させてください。インポ
スター症候群とは、何かを達成したり成功したりしても、それが自分の実力だと肯定できない
傾向のことを指します。自分の能力を肯定できないために、自分は他者よりも劣っているから
もっと頑張らないと」と過剰に自身へのプレッシャーをかけてしまったり、反対に「どうせ人
よりも能力がない」とキャリアアップを諦めてしまう行動をとったりする場合もあります。ア
メリカで行われた研究では、女性が男性より劣るというステレオタイプがある仕事の場合、女
性は男性に比べて自分の能力を厳しく評価したほか、自身に課すレベルをより高く、厳しくす
る傾向が明らかになっています。
(Shelley Correll,"Constraints into Preferences: Gender,
Status, and Emerging Career Aspirations,"American Sociological Review Vol 69,
Issue 1, 2004)。もし、
このように考えてしまう傾向があるなと感じた方は、
必ずしも自分自身の本心ではなく、
周囲や環境などからの影響によるアンコンシャスバイアス(無意識の固定観念)が含まれてい
る可能性があると考えてみてください。
ではどうやって、
自分の本心を知るのか。
重要なのは、
「す
べてを一度に考えないこと」です。キャリア(仕事)は今後どうしていきたいのか。プライベー
トは、どうしていきたいのか。自分の仕事とプライベートを実現するには、周囲にどのように
関わって欲しいのかを、1つ1つ整理して考えていくと、解決策が見えてきます。
「どうせでき
私が尊敬している、23 区最初の女性区長である中山弘子氏は、東京都庁の職員を経て新宿区
長に就任されました。現場重視の理念を掲げて 2002 年より子育て支援・障害者支援・多文化
共生の実現に寄与されてきました。今より 20 年も前から、本気で現場感を考えて動いてきたか
らこそ、新宿区は今でも待機児童が少なく、子育てしやすい街として注目されています。彼女
は自分から区長になりたいと思っていた訳ではなく、ご自身の現場での経験やプライベートで
の経験を通して、より良い社会にしたいという想いを持ち、それを実現するために区長として
の役割を担われていたのです。つまり「役職」にこだわって区長になったのではなく、目指す
社会に向けて邁進した結果、区長として価値を出したのです。行政職員の方こそ、ライフイベ
ントはキャリアに活きます。子育てや介護、周囲との会話から生活者視点を得ることで、現場
に活きた施策を考えることができます。
「キャリアップ?管理職?自分には無理」と思うのでは
なく、ライフイベントとキャリアップは両立できると考え、前向きに考えていただきたいと思
います。
そうはいっても、実際に子育てなどのライフイベントと仕事を両立するのは大変と感じられ
る方が多いと思います。本日は、ライフキャリアを考えるための知識と方法についてお話して
いきたいと思います。仕事と子育ての両立を軸に話していきますが、結婚・子育ての予定がま
だない方や、希望をしていない方にとっても有効です。
(この後からは、意義を分かりやすいよ
うに「ライフキャリア」と表記します。)仕事とプライベートを一度に考えると、なぜ混乱するのか?
若手女性や、育児中の女性への研修をする中でよく出てくるお悩みは、
「仕事もプライベートも頑張りたいけど、どのようにしたら良いか分からない」
「今は充実しているけど、今後のプライベートを考えると、どうしたら良いか分からない」
などの漠然とした不安の声です。
こういった時にお話しするのは、
「女性の脳内構造」についてです。もちろん、女性を一括り
にしている訳ではなく、あくまで傾向として多いものをご紹介します。まずは、思考の傾向を
客観的に認識していくことで、不安解消の一歩に繋がると考えています。
女性の脳内構造
37 38
例えば、自分は「くろまるくろまるの仕事を続けたい(自分軸)×ばつ「子どもは人見知りであまり家族以外
に預けられない(子ども軸)×ばつ「夫婦ともに実家が遠く、
両親のサポートは得られない(サポー
ト軸)
」という形です。このようにそれぞれの軸ごとに考えていくと、自分の中でもわかりやす
く整理できますよね。
人生やライフスタイルは10人10色です。よく「ロールモデルを作りなさい」と言われる
と思いますが、自分と全く同じ状況の人がいるわけではありません。例えばバリバリ働いてい
る人のお話は、自分がそうではない時には、あまりしっくりこないと感じるかもしれません。
また、
実家暮らしで子育てをしている方の体験談は、
地方出身で頼れる方がいない方にとっては、
参考にならないと感じるかもしれません。こういったミスマッチを解消するには、
「自分の状況
を客観的に整理し、
自分なりの『判断軸』を持つ」ことが重要です。この判断軸をしっかりと持っ
ておけば、
自分にぴったりの情報を得られるようになります。人に相談をして話を聞くときにも、
この3つの軸で情報を得ていくとわかりやすいです。
「この人は、キャリアの考え方は違うけど、
子どもやサポートの状況は同じだから、サポートのやり方を参考にしよう」など、自分が欲し
い情報をピックアップするのです。ロールモデルは完璧に同じ人はいないので、自分の状況や
判断軸に照らし合わせて「いいとこ取り」で自分なりのなりたい姿をつくっていくことをお勧
めします。
自分らしいライフキャリアを進める3つのステップ
ここまでは一般的な考え方や概念についてお話しをさせていただきました。ここからは、ご
自身のライフキャリアを具体的に考えていきながら、どのように進めていくのかのステップを
お伝えしていきます。
前向きにライフキャリアを進めていくためには、3つの点が必要であると言われています。
この3つが揃うと、
自分の先を見据えて前向きに進むことができると言われているのです。では、
具体的に見てみましょう。
1「なりたい自分」が描けている
2「なりたい自分」へのアクションが明確になっている
3「今の状況」が【できる状況】になっている
ない」と自分に制限をかけず、
「こうなったら良いな!」という希望を出して行って、どうやっ
たら実現できるか?という方向で考えていきましょう。
自分の状況を整理してみる
特に仕事と子育ての両立をする場合、先ほどの脳内構造でご説明したように、多くのことを
考えてしまい、ゴチャゴチャになって前に進めないことが多いと思います。その時に、特に現
在の状況整理をすることをお勧めします。状況整理の方法は次の3本の軸の組み合わせをして
みるとわかりやすいです。
・自分(キャリア)軸:どんな仕事をしていきたいか?目指すキャリア像
・子ども軸:子どもはどんなタイプ
・サポート軸:頼れるサポーターは誰か
今の自分
アクション
なりたい
自分
(注記)出典:
『新・ワーママ入門』
(ディスカヴァー・トゥエンティワン)
39 40
2「なりたい自分」へのアクションが明確になっている
これは今の自分から、
先ほど描いた
「なりたい自分」
に近づくために必要なステップやアクショ
ンが分かっていることです。まず先ほど描いたなりたい自分から、今の自分を逆算してくださ
い。そうすると、
「足りないもの・わからないこと」が見えてきます。例えば、
「中央省庁に出
向してみたいと描いてみたけど、どうやっていくのか分からない」や、
「子どもを周囲の人と一
緒に育てたいと書いてみたけど、
両親は遠いし、
どうやって周囲を巻き込めば良いか分からない」
など。
「やってみたいけど、分からないこと」が出てきますよね。それが解決のヒントなのです。
「やってみたいけど、分からないこと」が出てきたら、実際にやっている人に聞いてみたり、情
報を調べてみたりすることが有効です。その際に、先ほど描いてみた3年後のなりたい自分を
伝えてみて、
「私は、くろまるくろまるということをしてみたいなと思うんだけど、実際にやっている人を知りません
か?」
「私は、くろまるくろまるということに興味があるんですが、現状難しいなと思っていて。どこか相談でき
る場所や、情報を知りませんか?」
など、自分の vision を話してみて、なりたい自分に近づくためのアクションのヒントを得て
いってください。
「私の悩みは特殊だから」と思う方もいらっしゃるかと思いますが、そんなこ
とはありません。1万人以上の方にお会いしてきて感じることは、
全ての方が特殊でありながら、
必ずヒントはあるということです。やる前から諦めてしまうのではなく、まずは「話してみる・
相談してみる」ところから始めていきましょう。
3「今の状況」が【できる状況】になっている
最後に、先ほど出てきたアクションが、
「できる状況」になっていることが大切です。これは
どういう事かというと、
「中央省庁に出向してみたく、応募の仕方も分かった。でも親が転勤を
反対している。」「仕事と子育ての両立をする中で、職場で仕事との調整をしてもらわないと難
しい。
」など、周囲からの合意が得られない場合。その場合は、いくら自分が前向きにアクショ
ンしようとしていても、進めない事が多いです。そういった時に大切なのは、
「巻き込み力・交
渉力」です。
「巻き込む」というと、特別な能力に聞こえるかもしれませんが、単純に自分の想
いが相手に伝わるまで諦めずに続けるということです。研修を多く行う中で、特に女性は自分
の事になると交渉が苦手だと感じます(仕事上での交渉が上手い方はもちろん多いです。)。そ
れは、前段でもお話ししたように、
「自分が子育てをしなければ」
「周囲に迷惑をかけるのは悪
い事」などのアンコンシャスバイアス(無意識の固定観念)があるため、自分の意見を押し通
す事自体が悪い事だと考えてしまいがちなのです。しかしながら、ご自身の実現したい事を達
成する事は、実際に周囲にも良い影響を与えます。例えば、仕事と子育ての両立をする上で職
場での働き方について掛け合う場合、一過性で見ると仕事を調整してもらうなど、周囲に手間
をかけてしまう事かもしれません。ただ柔軟な働き方を可能にしていく事は、子育ての人だけ
ではなく、独身の方でも、介護中の方でも必要な事です。皆さんの希望を伝えて新しい働き方
を提案していく事で、周囲も働きやすい環境に変わっていくのです。ただその際に必要な事は、
1「なりたい自分」が描けている
「なりたい自分」が描けているとは、数年後自分がどうなっていきたいのかを考えられている
ということです。山登りでも頂上が見えないと不安なように、指針が分からないと行き先が見え
ずに不安になってしまいます。是非、自分自身の中で「3年後のなりたい自分」を描いてみる
ことをしてみてください。3年後はどんな仕事をしているかな。プライベートはどんなことを
しているかな。パートナーや子どもの状況はどうかなど、
各項目に合わせて記入をしていきます。
記入をする際の決まりは「制限を設けないこと」と「叶った前提で『断定的』に書く」ことで
す。以下に、
私の書籍にてご紹介しているワークの例を載せさせていただいています。ご自身で、
ワクワクする3年後の自分の姿を考えてみてください。
(注記)出典:
『新・ワーママ入門』
(ディスカヴァー・トゥエンティワン)
41 42
ここまで、キャリアの考え方から、実際のステップまでお話しさせていただきましたが、い
かがでしたでしょうか。会社で与えられた仕事や職位にとどまらず、自分なりにキャリアをデ
ザインして良いんだ!や、プライベートはキャリアに行かされるんだ!と前向きに考えていた
だけたらとても嬉しいです。冒頭にもお話ししましたが、生活者の視点やプライベートの経験
こそが、行政でのお仕事に活きると考えます。これからの社会は「個人」の時代です。是非、
日常で感じたことを発信してお仕事に活かしていってください。それが本質的な社会問題の解
決につながっていくと考えています。私も全国でライフキャリア教育プログラムを実施してい
ますので、いつか皆さんとお会いして、社会を良くする活動をご一緒できたら幸いです。
「覚悟と感謝」を示すこと。自分が調整してもらったことによって、
何を実現していきたいと思っ
ているのか(覚悟)
。そして、調整していただいたことに対しての感謝を伝えていくことで、あ
なたの意見はプラスに捉えられるのです。これは、ちょっとした言い方でうまく伝わるように
なります。以下の面談準備シートで、言い方の練習をしてみましょう。これは、職場のことを
想定していますが、親御さんやパートナーさんにも有効な伝え方です。
(注記)出典:
『新・ワーママ入門』
(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

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