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展覧会チラシ
峯君肖像
中島待乳《峯君肖像》(部分)
明治時代(19世紀)永青文庫所蔵
杉谷雪樵《七滝御覧図》江戸時代末期〜 明治時代(19世紀) 永青文庫所蔵※(注記)前期展示
杉谷雪樵《七滝御覧図》
江戸時代末期〜 明治時代(19世紀)永青文庫所蔵※(注記)前期展示
杉谷雪樵《七級瀑布図》江戸時代末期〜明治時代(19世紀)永青文庫所蔵・熊本県立美術館保管※(注記)後期展示
杉谷雪樵《七級瀑布図》
江戸時代末期〜明治時代(19世紀)永青文庫所蔵・熊本県立美術館保管※(注記)後期展示
考明天皇下賜・峯君拝領《鶴蒔絵机》江戸時代 嘉永6年(1853)永青文庫所蔵・熊本県立美術館寄託
孝明天皇下賜・峯君拝領《鶴蒔絵机》
江戸時代 嘉永6年(1853)永青文庫所蔵・熊本県立美術館寄託
峯君拝領《栄螺形菓子器》明治20年(1887)永青文庫所蔵
峯君拝領《栄螺形菓子器》明治20年(1887)永青文庫所蔵・熊本県立美術館寄託
激動の幕末維新期、朝廷と幕府の間を奔走した公卿・三条実万の娘にして、のちに最後の熊本藩主となる細川韶邦に嫁した峯君。天保8年(1837)京都で誕生し、数えで12歳のとき細川家との縁談が進められました。これを契機に、一条忠香の養女となっています。その後、嘉永6年(1853)6月中に京都から江戸へ移動し、翌年4月中に結婚する段取りが決まりますが、この間に「ペリー来航」という未曽有の大事件が発生!そのため、慌ただしく婚礼の儀を執り行いました。
文久2年(1862)に参勤交代制が緩和すると、峯君は江戸から熊本へ移住し、花畑屋敷に入り、ここで明治維新を迎えました。明治4年(1871)には、前年に大名華族が東京居住を命じられたことを受け、再び上京しています。その後、約24年の歳月を今戸邸(現東京都台東区)で過ごし、59歳でその生涯に幕を降ろしました。
峯君は時代に翻弄された女性といえますが、尊攘派公卿・三条実美を兄にもち、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)を義妹とする彼女の存在は、幕末から明治にかけての細川家にとって決して小さくありません。本展では、婚礼に係ることを記録した古文書や峯君ゆかりの品々を展示し、その足跡を辿ります。
【日時】3月4日(土曜日) 14時00分〜15時00分
【場所】本館文化交流室
【講師】宮川聖子(当館学芸員)
【参加費】無料
【参加方法】事前申込み不要。13時00分より入場可。
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